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Sorĉado-01 ひとりぼっち

 



 神奈川県友枝市は今日も雨だった。

 退屈なHR(ホームルーム)の光景から目を背け、窓の外を窺えば、しとしとと降りしきる銀の光が街並みに紗幕をかけている。ガラスに反射した顔がやけに強張っているのを見つけ、セーラー服のしわを意味もなく引っ張って伸ばしながら、春風(はるかぜ)叶奈(かな)は浅い深呼吸をした。凝り固まった決意が胃の底でもたれた。

 この中学校での生活が始まって間もなく二週間。

 今日こそ、クラスの子たちと一緒に帰ってみせる。

 もしくは遊ぶ約束を取り付けてやるのだ。


「きりーつ、礼!」

「さようなら!」


 日直の声に合わせて立ち上がったクラスメートたちが、鬱憤を晴らすように挨拶の不協和音を吐き出した。叶奈にとっては宣戦布告にも等しい号令だった。挨拶を終えるや否や、叶奈は素早くカバンをまとめ、周囲の動向を窺った。さっそく斜め向かいの席の子を取り囲むようにクラスメートたちの一群が集まり、最近売り出したばかりのファッションブランドの話に興じている。有名女優が着てる写真を見かけた、駅前の『ミンキーモール』にも出店してる、行ってみようか、云々。

 勇気を出して叶奈は声をかけにいった。


「わかるわかる! めっちゃ可愛いよね、『Love&Berry』のシャツ!」


 クラスメートたちはたちまち、瞳の光を細めながら叶奈を振り返った。嫌な緊張が場を覆ったのを叶奈は敏感に察知した。叶奈がこうして輪の外から話しかけると、みんな決まって同じ反応を見せる。


「春風さん、ラブベリー分かるんだ?」

「分かるよっ。首元がレースになってるのとか最高に可愛いなって! わたしも欲しいなって思うけど、わたしのお小遣いだと手が届きそうになくて」

「ふーん」

「そりゃ可哀想に」


 彼女たちの反応は徹底して素っ気ない。このまま振り切られてたまるものかと、叶奈は懸命に食い下がった。


「ね、みんなこのあとミンキーモール行くんでしょ? わたしも一緒に行きたいな」


 彼女らは互いに目配せを交わした。半端に伏せられたまぶたの奥で光る薄暗い眼差しに、叶奈は早くも結末を見通した。──また今度も、ダメらしい。


「春風さん、お金ないんでしょ? 買えもしないもの見に行っても楽しくないと思うよ」

「そんなことないよ、妄想するだけだって──」

「そういうのってお店の人に失礼じゃん」

「そうそう。身の程っていうのがあるしさ」

「う……」


 正論を持ち出されてはぐうの音も出ない。黙り込んでしまった叶奈をよそに、ふたたび輪を作った彼女たちは迅速に話をまとめ、「行くぞー!」とはしゃぎながら教室を出て行った。

 部活に勤しむ子たちは一足先に教室を後にしている。残っているのは好きな漫画を持ち込んで交換をしている数人の姿だけだったが、居心地の悪くなった叶奈がすがる思いで視線を向けるや、彼女たちもそそくさと教室を抜け出していった。情けない沈黙の溜まる机と机の狭間に、叶奈は独りで取り残された。

 今日もダメだった。

 独りになった途端、とりとめのない切なさで胸が縮む。どうしてダメなんだろう。わたしってそんなに嫌がられる子なのかな。滞留する沈黙の臭いに耐え切れず、窓辺に立って外を窺うと、窓の向こうに立つ自分と目が合った。頬ばかり赤いくせに覇気のない、憂いの差した女の子が悄然と立っている。こんな顔ばかり見慣れていくことに嫌気が差して、窓から目を背けた叶奈は懸命に笑みを作った。



 素直に帰宅する気が起こらない時には、目的もなく最寄りの駅前商店街に出向くことにしている。本屋もあるし、ついでに夕食の材料を買って帰ることもできるので、叶奈にとっては都合のいい外出先だった。

 帰りの挨拶を終えてから二十分が経とうとしている。雨足の強まる中を、叶奈は歩いて駅前まで向かった。目下の雨天も手伝ってか、午後三時半のJR木之本駅前は人影もまばらで、独りで出歩いていても疎外感に苛まれることもなかった。

【歓迎 木之本駅南口商店街】

 雨露にぐったりと濡れた街灯の垂れ幕が寒々しい。「歓迎か……」と灰色の独り言が口をついて、叶奈は口直しのつもりで嘆息した。

 カレンダーの日付が四月二十日を過ぎた。叶奈が友枝(ともえだ)市立木之本(きのもと)中学校に転校してきて、今日できっかり二週間になる。シングルマザーの多忙な母のもとに生まれ育った叶奈にとって、今度の転校は特に珍しいことでもなく、張り切って笑顔を浮かべながら新学期を迎えたつもりだったが、新たな学び舎となった木之本中三年G組のメンバーは必ずしも叶奈に好意的ではなかった。学習の進度が合わない部分を尋ねても、体育の授業でコンビを組んでも、放課後に一緒に掃除をしていても、初対面のようなよそよそしさを捨ててくれない。むろん叶奈も手をこまねいていたわけではなく、距離を縮めようと笑顔を見せ、仲良くなろうとあの手この手で話しかけてきたが、その結果が今日の「そりゃ可哀想に」ときている。

 自認することでもないが、叶奈は愛想のいい子だった。積極性もある。他人を差別する意識もない。それでもなお、友達ができない。十四年間、自信をもって友達だと言い切れるような子に巡り合えたことはほとんどなかった。あったとしても転校のたびに絶縁状態に陥り、付き合いは長続きせずに消滅していった。

 わたしはただ、みんなと仲良くしたいだけなのに。そんなにわたしのことが気に入らないなら、せめて理由くらい教えてくれたっていいじゃん。なにもあんなに邪険に扱わなくたって──。愚痴を吐いた勢いで蹴り上げた足の爪先が、道端に転がっていた小石を撥ねた。しまったと焦りつつ軌跡を目で追うと、小石は軽い音を立てながらアスファルトを転がり、一軒の書店の前で歩みを止めた。

 叶奈の視線は書店に吸い寄せられた。

 厳密には書店ではなく、その軒下に(たたず)むポニーテール姿の少女に吸い寄せられた。叶奈と同じセーラーの制服を着て、【BOOK KIKI】と書かれた書店のビニール袋を片手に提げ、難しい顔で空を見上げている。


「……葉波さんだ」


 つぶやきながら叶奈は近寄った。叶奈と同じクラスの女の子、葉波(はなみ)円花(まどか)だ。周りのクラスメートと群れることなく、いつも独りで読書に興じている物静かな少女だった。

 この雨天にも関わらず、傘を持参している様子はない。本降りになる前に書店に逃げ込むことには成功したものの、雨が激しくなってきて軒下から出られずに困っているのだろう。うっすらと濡れた肩や髪を眺めながら状況を予想した途端、叶奈の脳裏には(ひらめ)きの豆電球が華々しく(とも)った。こんなこともあろうかと、叶奈は普段から二本の折り畳み傘を携帯している。


「葉波さん!」


 たったいま気づいたふりを装い、傘を傾けながら叶奈は『BOOK KIKI』の軒下に入った。声をかけられた円花は胡散臭げに目を細め、叶奈の全身を見回した。


「……転校生」

「せめて春風って呼んでよ。傘、忘れたの?」

「なんで分かったわけ」

「見れば分かるよ。濡れてるもん」

「大きなお世話」

「わたしに任せて! わたしの傘を貸してあげるよ。買ったばっかりの本を濡らすわけにいかないでしょ?」

「春風はどうやって帰るつもり」

「傘、もう一本あるんだ。誰かに貸せるようにって思って普段から二つ持ち歩いてるの」


 せいいっぱい愛想の良い笑顔で畳みかけたつもりだったが、なおも円花は訝しげにひそめた眉を戻してくれない。ここで日和(ひよ)ってしまっては何にもならない。叶奈は「これ!」と傘を円花に押し付け、それから二本持ちであることを証明すべく、空いた右手を通学カバンに手を入れた。

 指先に傘が触れない。

 おかしい。そんなはずはない。カバンの開口部をこじ開け、中を目視で窺ってみたが、やはり折り畳み傘の姿はない。なおも乱雑に手を突っ込んで中を探ろうとしたところで、叶奈は唐突に、もう一本の傘の行方を思い出した。そうだ、確か先日、破れ目を発見して廃棄に回したばかりだった。代替の傘はまだ用意できていなかったのだ。

 焦りと失望で目の奥がチカチカした。そうこうしている間も円花は傘を受け取った姿勢のまま、クラスメートの不審な動向を傍らで見守っている。早とちりで行動を起こしたことを叶奈は激しく悔いたが、さりとて今さら「やっぱり持ってなかったから傘返して!」などといって親切を撤回するわけにもいかなかった。


「見つからないわけ?」


 円花の淡泊な声が胸に深々と突き刺さった。

 かくなる上は、叶奈の取るべき道は一つしかない。覚悟を決めた叶奈はふたたび笑顔を繕った。


「ううん、あるよ。でもわたし、ちょっと本屋さん寄っていきたいなって思って。だから葉波さんはそれ持って先に帰ってよ」


 嘘の匂いを敏感に感じ取ったのか、円花は一瞬ばかり返答をためらった。しかし叶奈が重ねて口角を上げてみせると、押し切られたように疑りの視線を解き、傘を広げた。


「じゃ、そうさせてもらう」

「うん! また明日、学校でね」


 なけなしの勇気をはたいた呼びかけに、円花は答えてくれなかった。

 刻一刻と激しさを増す雨の中、自分の傘を差した円花の背中が消えてゆくのを、叶奈は笑顔を消すのも忘れて茫然と見送った。セーラー服の姿が曲がり角の向こうに見えなくなった途端、しこたまの嘆息とともに全身の力が抜け、叶奈は頭を抱えてその場にうずくまった。──バカ。この大バカ。いったい何のために円花に傘を貸したと思っているのか。二人並んで傘を差して家路をたどりながら、少しずつ会話を交わして、お互いのことを知って、友達になる糸口をつかんでやろうという心積もりだったのに、円花だけ先に帰らせては何の意味もない。

 だいたい叶奈はいつもこうだ。親切心で誰かの好意を買おうとするたび、詰めの甘さで叶奈が痛い目に遭う。心を許した相手が友達になってくれることもない。自業自得であることを頭の片隅では理解していながら、それでも叶奈は「仕方ないじゃん」とぼやくことをやめられなかった。


「距離を縮める方法、他に思いつかないもん……」


 誰が聞いているわけでもないのに、言い訳が口の端から漏れて足元に溜まる。唇を噛み締め、通学カバンを胸に押し付けた。円花を親切心で釣ってたぶらかそうとした自分に非があったことは認めるが、その代償が大雨の中をずぶ濡れで帰ることだなんてあまりに無慈悲だと思った。

 軒先に降り込む雨足は容赦なく強まりつつある。神様は結局、叶奈に慈悲をかける気を起こさなかったらしい。せめて今だけは濡れないようにと一歩下がりつつ、情けなくて、寂しくて、抱え込んだカバンに夢中で力を込めると、溜まっていた愚痴の続きが自然に肺から押し出された。


「わたしが魔女か何かだったらな……」


 魔女、の部分だけ、吐き出した呼気が黒々と歪んで見えた。「まさかね」と冷笑した叶奈は、情けない妄想をそこで打ち止めにした。





「わたし思ったんです。そんなことできるの、魔術を使える人くらいしかいないよなーって……」


▶▶▶次回 『Sorĉado-02 老婆』

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