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Sorĉado-11 逢瀬

 



 待ち望んだ放課後は瞬く間にやって来た。


「図書室に行ってて!」


 いそいそと小雪を送り出してから、叶奈は昴の様子を窺った。バンドの仲間と駄弁(だべ)りつつ帰宅の準備を終えた彼は、伸びを一つして「図書室行くかなぁ」と切り出した。


「作詞か?」

「うん。まだ二番も三番も終わってないしさ」

「あ、俺らも行くぜ」

「Bメロの作曲も進めたいもんなー。昴の歌詞に合わせないとコード進行も組み立てらんねぇもん」

「そう言って何週間作曲放棄してんだよ。真面目に仕事しろ」


 軽口を叩き合いながら、バンド仲間の男子たちが昴の後ろに続こうとしている。今だ! ──叶奈は急いで校舎の最上階まで駆け上がり、図書室の手前にあるトイレの個室に閉じこもって、手袋をはめた手で魔法円の中心に触れた。


「Elpelu homojn krom mi,Asagiri,kaj Otorii el la biblioteko(わたしと朝霧さんと大鳥居くん以外の人間を図書室から締め出せ)」


 世界が音を立てずにねじ曲がる感覚は、薄気味悪くて、そのくせ少しばかり癖になる。いそいそと魔術用の道具をしまってから廊下に出ると、司書の先生や生徒たちが慌ただしく図書室の扉を開けるところに叶奈は出くわした。口々に事情をつぶやきながら、あるいはスマートフォンを手にして焦りながら、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように図書室を立ち去ってゆく。人払いの魔術は今度も問題なく作用したようだった。図書室の利用者には何の罪もないが、しばらく図書室に立ち入ってもらっては困る。ごめんね、みんな──。なんとなく心の中で手を合わせてから、入れ替わりに叶奈は図書室へ忍び込んだ。

 小雪は遠くの席にぽつねんと腰掛けていた。急に周囲の生徒が立ち去り始めたことに心細さを覚えたのか、細めた目をしきりに配っている。見つからないようにと本棚の陰に隠れ、じっと息をひそめていると、間もなく昴が図書室の扉をくぐって入ってきた。


「やった……!」


 叶奈は思わずガッツポーズを組んだ。こちらも人払いの魔術が効いたようで、同行していたバンドメンバーの男子たちは綺麗さっぱりいなくなっている。

 しんしんと夕方の光が差し込む図書室の片隅を、冷房の風が静かに洗っている。ひとけのない図書室を不審げに見渡した昴は、その一角に小雪の姿を認めて「あ」と声を出した。


「なんだ、小雪がいたのか。誰もいないのかと思った」

「昴」


 ぎこちない所作で小雪が首を持ち上げた。叶奈の前では決して口にしなかった呼び名が足元を転がって、叶奈はなんだか少し、寂しさを覚えた。


「独り?」

「ああ。なんかみんな帰っちまった」

「ふーん。忙しかったのかな」

「小雪こそ、いつもの友達連中はどこ行ったんだよ。大名行列みたいに引き連れてんじゃん」

「引き連れてんじゃないよ、あんなの勝手についてきてるだけ。今日は教室に置いてきた」


 隣に腰掛けた昴を視界に入れようともせず、小雪は腕組みのまま唾を飛ばす。二人の間には椅子一脚程度の隔たりがあるだけだ。なるほど、あれが二人の距離感なんだなと、言外のうちに叶奈は察した。隣り合うことはできても肌と肌では触れ合えない、最後に残された数十センチの距離を埋めるために、小雪は今、叶奈の手を借りて勇気を振り絞ろうとしている。

 しばらく沈黙が続いた。数十秒、あるいは数分もの時間が、ざらざらと音を立てて叶奈の肌を滑り落ちてゆく。


「今日の小雪、なんか変じゃね」


 ぎこちなく笑った昴が、カバンからルーズリーフを取り出した。爽やかな笑い声に小雪はいっそう顔を歪め、本棚の陰で窺っている叶奈の心をも不器用にざわつかせる。


「変じゃないし」

「そう?」

「いつものあたしだよ。いつもと同じこと思ってる」

「思ってるって、何をさ」

「昴はあたしの前で何を思ってるわけ?」

「いや、別に何も……。普段と同じように小雪と駄弁って、歌詞書いて、そんで帰ろうかなって」

「あたしはただの友達ってわけなんだね」


 意を決したように小雪は昴の方を向いた。


「そんな気がしてたんだよ。一週間のうち二度も三度もこうやって図書室で話してて、それでもあたしのこと、その程度の存在としか思ってないんだ。お互いの趣味も過去も嫌っていうほど暴露してきて、それでもあたしはまだ、何となく一緒に時間を過ごすだけの存在なんだ。がっかりしたよ。もっと深い部分で手を繋げてる関係だと思ってたのに」

「待てって小雪、急にどうしたんだよ。そんなつもりで言ったわけじゃ……」

「言わないでよ。友達だと思われてるのは分かってるんだよ。友達の身分に我慢できなくなったのは、あたしのわがままだから」

「……小雪」

「いつか言わなきゃならない日が来ると思ってた。ちょうどいい日だから今日、言わせて。受け入れてくれなくてもいいから最後まで言わせてよ」


 もはや小雪は視線を反らしはしなかった。揃えた膝をまっすぐに昴へ向け、彼女は姿勢を改める。見開かれた昴の目が引き締まる。もどかしい一瞬一瞬を本にしがみついて耐えながら、叶奈は本棚の後ろで事の成り行きを見つめた。


「あたしは昴のことが好き」


 小雪は一文字も噛まずに言い切った。


「ただの友達なんて卒業したい。昴のことだから色んな子から声がかかってるだろうけど、あたしは誰にも負けたくない。あたしが昴の一番でいたい。ダメならダメって言ってよ。その時は頑張って諦めるから」


 もはや傍観している側の叶奈が緊張で嘔吐しそうだった。一刻も早く昴には返答を寄越してやってほしかったが、当の昴は言われたことの意味を噛み砕きかねたような顔で、小雪の真剣な眼差しを見つめ返している。


「小雪が……俺を?」

「そう言ってんじゃん。何度も言わせないでよ」


 身を捩じりながら小雪が吐き捨てる。なおも昴は当惑の表情を押し隠すことなく、うつむく小雪を前にして固まっていた。魔術を使って早送りしてしまいたいほどの長い、気まずい時間が、日暮れ色の図書室を薄く湿らせる。

 だが、しまいに昴は首を縦に振った。


「……うん」


 小雪の顔付きが瞬く間に華やいだ。うなずく以外の応答を昴は何も示さなかったのに、まるで彼の心のすべてが伝わったような顔付きだった。追加の魔術の出番を待つことなく小雪が目的を遂げたことを悟った瞬間、染みた疲労が全身の重みを増して、へなへなと叶奈は本棚に寄り掛かった。

 やりきった。

 叶奈も、小雪も。

 よかったな、朝霧さん。ようやく報われたんだな──。本棚の向こうで小雪の照れ笑いする声を聴きながら、渾身の達成感を舌先で味わってみる。これで晴れて小雪は昴の彼女となり、叶奈は小雪の恩人になったわけだ。明日からの叶奈の立ち振る舞いも変わってくるだろう。クラス一の人気者の少女とすら付き合いを深めるようになれば、やがて魔術など使わなくても慕われるようになって、いっそう友達も増えて、いつかきっと彼氏だって。

 行こう、今日はもう作詞する気も起こらないやと、本棚の向こうで昴が優しく語り掛けている。二人の立ち上がる気配を察知して、叶奈も身を起こした。依頼が達成できたからには人払いの魔術を解除しなければなるまい。思い立った勢いのままに本棚へ手を掛け、立ち上がろうとして──うっかり指を棚ではなく本に掛けてしまったことに気づいた時には遅かった。

 体重を支え切れなかった本が傾き、(へり)から指が滑り落ちた。

 大仰な音を立てて叶奈は床に倒れ込んだ。しこたま打った腰をさすりながら「痛ったい……」と唸りかけて、そこで初めて自分が致命的なミスを犯したのを悟った。図書室に叶奈が潜んでいることを知られてはならなかったのに!

 案の定、足音が近づいてきた。腰を痛めた叶奈は起き上がることもできなかった。


「うわ、大丈夫か? 転んだ?」


 驚いた面持ちの昴が本棚の陰から現れて、すぐさま叶奈の足元にひざまずいた。その背後に「どうしてあんたがいるの」と言わんばかりの顔で小雪が突っ立っているのを認め、嵐のごとく渦を巻いた言い訳で頭がいっぱいになって、叶奈は痛みに震えながら「えへ……」と半笑いを浮かべるばかりだった。


「起き上がれるか?」


 昴が問いかける。至近距離で美男子の息吹を感じることに耐えられず、首を振って大丈夫と伝えようとしたが、構うことなく昴は叶奈の手を取った。そうして、真ん丸に目を見開いた叶奈を、一気に小雪の隣へ引っ張り上げた。


「あっ……」


 思わず喘いでしまったのは、小雪の形相を目の当たりにしたからだけではなかった。引っ張り上げる昴の手があまりにも温かくて、大きくて──引っ張り上げた今も叶奈を放してくれないから。


「隣のクラスの子じゃん。誰だっけ、転校生の」


 手を繋がれたまま問われ、叶奈は小声で「春風です」と名乗った。一刻も早く逃げ出したいが、なぜか強硬に結ばれた昴の手が遁走を許してくれない。


「ご、ごめんなさい。わたし立ち聞きとかしてたわけじゃないし、もう帰るからっ」

「待てよ。そんな急いで帰ろうとしなくたっていいだろ」

「でもでも、隣に彼女さんを待たせてるし……」

「小雪のこと?」


 何事もないかのように昴は小雪を振り仰いだ。般若のごとくしわの寄った小雪を見て叶奈はますます縮み上がったが、動揺する叶奈など(おもんぱか)ろうともせず、昴は言葉を続けた。


「こいつはただの友達だから気にしなくていいよ。俺、お前と色々話してみたい」


 耳を疑う台詞に「はぁ!?」と小雪が絶叫した。叶奈も同じだけの叫び声を上げかけたが、「行こうぜ」と昴に手を引かれてよろめいた拍子に声を取り落としてしまった。

 意味が分からない。

 この期に及んで小雪より叶奈を優先する理由が分からない。

 そんなことがあっていいはずはない。初対面のうえに大して可愛くもない叶奈が、昴に手を引かれていい身分のはずがない──。

 だが、バンドに励む男子の体格を前にしては、華奢な叶奈の抵抗など無意味だった。茫然と立ち尽くす小雪を置き去りにして、「部活なにしてんの?」「いつ引っ越してきたんだっけ?」などと爽やかに問いかけながら昴は叶奈を連行してゆく。魔術の使えない人前にあっては、もはや叶奈は以前と同じ、どうしようもなく無力な少女でしかなかった。



 こういう不測の事態が起きた時、頼ることのできる相手は一人しか思いつかなかった。

 ほうほうの体で夢野家に辿り着いた叶奈を、敦子は「どうしたの」と困惑気味に出迎えてくれた。好物の紅茶で心を落ち着かせ、事の次第を一通り話して聞かせると、話が進むにつれて敦子の表情は徐々に曇っていった。


「それでわたし、断り切れなくて……。付き合おうって言われてうなずいちゃって。どうしたらよかったのか分からなくてここまで来たんだけど」


 しおれながら話し終えるや否や、敦子は首を小さく一振りして、つぶやいた。


「この時が来ると思ってたわ。もっと早く話しておけばよかったねぇ」

「どっ、どういうこと」

「叶奈。魔術がどういうものであるのか、前に話したでしょう」


 青ざめた顔で叶奈は敦子の説明を思い返した。魔術とは、魔女本人の身体に宿る“(エテロ)”を自分の代わりに行使させるべく、精霊を呼び出して命令を下すための手続きだったはずだ。


「魔術に使えるほどエテロを持ち合わせていない普通の人の中にも、霊感とか共感のように精神的な部分で無意識にエテロを発揮している人は大勢いる。エテロが作用してる、と言った方が正確かもしれない。エテロはね、放っておくと勝手に人の精神に影響を及ぼすんだよ。魔術に使えるほど強力なエテロを持っている魔女なら、当然、その影響力も普通以上に大きくなる」

「それじゃ、まさか」

「その大鳥居とかいう子は、叶奈のエテロに少しばかり心を乗っ取られてしまったんでしょう。おそらくは叶奈のことを引っ張り上げようとして、じかに叶奈の手へ触れた時だろうね」


 紅茶のカップを握りしめたまま、叶奈は「そんな……」と呻いた。膝の上で眠るチョコの重みがなければ、全身の感覚が失われたと今にも勘違いしそうだった。

 叶奈は正真正銘、小雪の逢瀬を台無しにしてしまったのだ。何も知らなかったのだから無理もないとはいえ、思いがけず昴の手に触れたことで、昴の気を狂わせてしまった。勇気を振り絞って愛の言葉を叫んだ小雪ではなく、何の関係も魅力もないはずの叶奈を選ばせてしまった。


「どうしようおばあちゃん、わたし取り返しのつかないこと……!」


 膝の上からチョコを追い払い、半狂乱で敦子にしがみついたが、敦子は「どうしようもないよ」と唇を噛むばかりで取り付く島もない。


「ついでに言うとね、あなたのエテロは肌を媒介しなくても周囲の人間の心を少しずつ汚染する。ちょっとしたことで変に好かれたり、感動されたり、近寄ってこられるようになるでしょう。もしかすると既にそういうことは起きているかもしれないけれど」

「それじゃ……わたしが今までクラスの子たちと仲良くできてたのも?」

「半分くらいはエテロのせいだと思った方がいいだろうね」


 働いた親切のおかげで好感を持たれていたわけではなかったのか。しがみついた姿勢のまま、叶奈は力なく床に崩れた。突き付けられた現実に昨日までの素敵な日々を全否定されて、よりどころの失われた心が宙ぶらりんになった。

 結局、叶奈は昔のように無力な少女のまま、何一つとして変われてはいなかったのだ。


「そんなにしょげないの。いくらエテロの影響があったって、あなた自身が何も行動を起こさなければ、結局のところ誰も近寄ってきたりはしないでしょう。仲良くなろうとする瞬間、ほんの少しエテロが手を貸してくれるだけ。叶奈の交友関係は、叶奈自身の努力で手に入れたものだよ」


 語り掛けながら、うなだれる叶奈の背中に敦子は優しく手を宛がってくれた。「そうなの……?」と顔を上げると、「当たり前じゃないの」と返答が落ちてきた。


「私を見てみなさい。仲良く隣人付き合いをしている姿なんて見たこともないでしょう」

「……それはそうだけど」

「どんな手段で手に入れたにせよ、叶奈の勝ち取った人間関係は叶奈のもの。叶奈の好きなようにしたらいいし、あなたの行動次第でどうにでもできる。そのことはよくよく心に留めておいてちょうだい」


 抜け殻のようになった身体では敦子の説諭も上手く受け止められない。茫然自失のまま叶奈は「うん……」と首を垂れたが、垂れたからといって明日からの振る舞い方が思いついたわけでもなかった。ただ、うなずかねば敦子を不安にさせると思って、うなずいた。チョコだけは相変わらず吞気な様子で叶奈の腕にすり寄ってくるが、今の叶奈はチョコが叶奈に捧げてくれる愛情表現さえも、素直に信じて受け止められる自信がなかった。





「自分を好いてくれるやつの言葉くらい信じろよ。そしたら俺だって負けないように、信じられるに足るだけの振る舞いをしてみせるからさ」


▶▶▶次回 『Sorĉado-12 ありのまま』

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