Sorĉado-10 人払い
ある朝、いつものように登校すると、数人の女子が叶奈の席の周囲にたむろしていた。
「お、おはよう」
ちょっぴり怯みながら叶奈は挨拶をした。なぜって、輪の中心にいたのがクラスの女王、朝霧小雪だったからだ。クラス中の子を味方に引き入れた今も、スクールカーストの頂点に立つ小雪と親しく話せる仲になるための壁は高い。現に今、小雪はSPのような出で立ちの取り巻き少女たちに分厚い壁を作って囲まれている。
「おはよ」
「どうしたの? わたしに何か……」
「あんたさ、頼んだこと何でもやってくれるんだって?」
小雪の眼光は肉食猛獣のように鋭い。狙いを定められたエサの気分で、カバンを握りしめながら叶奈は「あはは……」と空笑いした。そこまで単刀直入に問われると答えに窮してしまう。
「わたしにできる範囲だったらだけど……。でもけっこう、何でもできると思う」
「信じていいわけ?」
「絶対とは保証できないけど、信じてくれたら嬉しいよ」
「そしたらさ」
不意に小雪の頬が充血した。
「こ……告白の手伝いって請け負えない?」
受けた衝撃があまりにも大きくて途方に暮れたものだから、叶奈の反応は秒単位で遅くなった。きっかり数回、まばたきを打って正気を取り戻してから、
「告白の手伝い?」
小声で問い返した。
二度は口にすまいとばかりに、小雪は首の動きだけで応じてみせる。黒髪に映える純白のリボンが軽やかに跳ねて、桃色に染まった柔らかな肌とのコントラストを強調する。こんなに可愛い人でも告白で苦労するんだと叶奈は拍子抜けした。小雪が絶対的頂点であることを念入りに除外して考えても、クラス中の女子でいちばん可愛いのは間違いなく小雪だ。
「誰に?」
これを尋ねたら引き受けてしまうと分かりつつ、尋ねずにはいられなかった。聞き耳を立てている者がいないのを確認するように、小雪は教室の入り口へ素早く目を配った。
「向こうのクラスに、その……大鳥居って男子がいるでしょ。転校生のあんたは知らないか」
「こないだ図書室で一緒に話してた子?」
「はぁ!? 何で知ってんの? まさか見たの!?」
「た、たまたまだよっ。わたしも用事があって図書室に来てたの」
「その話、今後一切絶対に誰にも言うな! 誰かに言ったらマジで殺すからっ!」
両眼を血走らせながら小雪は叶奈の肩を掴んで揺さぶった。言われなくとも他人に口外する気などなかったのだが、やけに反応が滑稽だったものだから思わず叶奈は笑ってしまった。取り巻きの子が「何が可笑しいんだよ」と凄んだので、慌てて「笑ってないよっ」と取り繕った。
だって、あんなにも手の届かない存在と思っていたクラスの頂点が、叶奈に秘密を握られて混乱している。同じ階層に降りてきて、こうして悩みを打ち明け、助力を願っている。夢物語のような展開だが、これは紛れもなく現実なのだ。叶奈の手と魔術で手に入れた、あまりにも滑稽な現実だ。
「つまり、その大鳥居くんと朝霧さんをいい雰囲気に持っていければいいってこと?」
肩の痛みに顔をしかめつつ問い返すと、ようやく肩を放した小雪は消え入りそうな声で「そう」とうつむいた。
勝ち気で堂々としている普段の小雪からは考えられない彼女の面持ちを見て、俄然、意欲が湧いてきた。困っている子は叶奈の前では平等だ。誰のことも助けてみせるし、誰とも公平に仲良くなってみせる。そのスタンスを示すべく、叶奈は小雪の両手をしっかりと握りしめた。小雪が顔を上げた。
「わたしに任せて!」
叶奈は微笑んだ。ここ一ヶ月で一番、力強く胸を張った気がした。
調子よく安請け合いをしたはいいものの、まともに交際経験もない叶奈が、告白の舞台作りのノウハウなど持ち合わせているはずもなかった。いい雰囲気に持ってゆくといっても、一体どんな役割を演じればいいのだろう。思案に暮れているうちに六時間分の授業が終わってしまい、放課後になっても叶奈は教室に居残り続けていた。
「大鳥居昴くん……か」
スマートフォンの画面に大写しになっている男子生徒の容貌を見つめるたび、薄らに赤らんだ吐息が唇を漏れ出した。始業前にトイレに隠れて【撮影の魔術】をかけ、彼の在校中の映像をスマートフォンに記録させたものだった。
大鳥居昴、中学三年C組男子。軽音楽部でギターを弾く傍ら、作詞や読書のために図書室に通うことを日課にしている。その容姿は文句なしのC組最上級で、周囲の男子が話しているのを聞いた限り、下級生の間にはファンクラブのような組織までも存在しているらしい。G組最高の美少女が彼に憧れるのも無理はない、とんでもない魅力の持ち主だ。
こんな男子がわたしに振り向いてくれたら、わたし、嬉しいかな──。
能天気に耽りかけた夢想を、いやいやと叶奈は鼻息で吹き飛ばした。同性の小雪が友達になってくれるよりも、彼のようなハイスペック男子が彼氏になってくれる方が遥かに難しい。それに彼が叶奈を好いてくれたところで、周囲の妬みを一斉に引き受けられるだけの耐久力や魅力など叶奈にはない。何事にも分不相応というものがあるのだ。もっとも、同じような不安で身動きが取れなくなったからこそ、小雪も叶奈に縋ろうとしたのかもしれないわけで。
「問題はなかなか隙を作れないってことなんだよなー……」
ルーズリーフに一通り昴の生活スケジュールを書き起こしてから、叶奈はぐったりと頬杖に顔を預けた。高校受験の勉強、バンドの練習、図書室での読書や作詞作業に追われる昴の学校生活は、書き出してみると驚くほどに余暇を欠いていた。常に誰かと話しているか、もしくは何かの作業に没頭している。
人払いの魔術を使うのはどうだろう。
ふと閃いたアイデアが、くたびれた頭に素早く筋書きを連ねてゆく。──明日は軽音楽部の練習がないようなので、放課後、昴は必ず図書室へ赴くはずだ。そのタイミングで図書室に人払いの魔術をかけ、司書の先生や余計な野次馬を追っ払う。小雪と昴を人払いの対象から除外しておけば、二人は無事、図書室で逢瀬を交わすことができる。
人払いの魔術など使ったこともないが、果たしてまともに機能するだろうか。
「……やってみるっきゃないか」
幾人かの人影が残っている教室を見回し、叶奈はカバンから取り出した革手袋をこっそり嵌めた。今ここで効果を発揮できなければ、明日やったところで同じことになる。
自分以外の全員が立ち去るように命じればよいのだから、詠唱の文句はそれほど難しくない。組み立てた呪文を頭の中で何度も確認し、ポケットから出した魔法円を膝の上に乗せて広げ、手のひらを押し当てようとした──その時。
「何してんの、春風」
背中に声がかかった。
仰天した叶奈は右手を机の裏にぶつけた。「誰……?」と呻きながら振り向いた視線の先に、窓際の席からこちらを何気なく窺っている円花の姿が映った。
もしや、見られたか。
心臓が音を立てて縮むのを感じながら、叶奈は大慌てで手袋を外し、折り畳んだ魔法円を太ももの隙間に押し込んだ。
「な、何もしてないよ。してないしてない」
「そう」
気に留めたそぶりもなく、円花は端的に返答した。けれども手元の文庫本から外れた彼女の目は、相変わらず叶奈の手元を注視したまま動かない。無害な一般人をアピールすべく、叶奈は素肌を現した右手を円花に向かって振りかざした。
「ほら、何もないでしょ。ねっ」
「うん」
「何してるように見えたの? やってたとしてもただの指遊びだよ」
「いや……別に。何かしてるように見えたわけじゃないから」
カバンを肩に担ぎ、円花は叶奈を一瞥した。もの言いたげな雰囲気を叶奈は嗅ぎ取ったが、特に何かを付け加えることもなく、閉じた文庫本をカバンにしまいながら彼女は教室を出ていった。
珍しく円花の側から話しかけてもらえたというのに、その状況を素直に喜べない。本当に何も見られなかった──? 遠ざかる足音のリズムに得も言われぬ不安が高まって、叶奈はしばらく椅子の上で身動きが取れなかった。
◆
人払いの魔術は思っていた以上に有効だった。わたし以外の子をG組から締め出せ──。ふたたび魔術の用意を整えて詠唱するや否や、残っていたクラスメートたちはたちまち用事を思い出し、部活に呼ばれ、かかってきた電話の対応に追われ、一分も経たないうちに教室を退出していった。
これなら小雪と昴を図書室で面会させられる。成功を確信した叶奈は、気持ちの乗った勢いに乗じて、ひとりきりの教室で作戦の全容をルーズリーフにまとめ上げた。
明日、きっと小雪は昴の心を射止め、叶奈への信頼を深めて友達になってくれる。あまりに心が高揚していたものだから、円花の見せた思わせぶりな態度や言動など一瞬で記憶の底に埋没し、深く考える意欲も削がれて消えた。
「──はぁ? つまり独りで図書室に行って待ってろって?」
翌朝早く、魔術使用の部分を隠して作戦の全貌を説明すると、さっそく小雪は眉根をひそめていぶかった。
「あんた分かってんの? あいつ、普段からあたし以上に取り巻きを抱えてんだよ? ファンクラブだか何だかもあるし、クラスの子とかバンドのメンバーだって……」
「取り巻きの方はわたしが何とかしてみせるよ。朝霧さんは図書室で待っててくれればいいの。そしたら多分、大鳥居くんが独りで現れるから、あとは頑張って声をかけて」
図書室には叶奈自身も潜入する。もしも小雪が昴への声掛けをためらってしまったら、その時は魔術で二人を押し倒してでも告白の契機を作るつもりでいた。そうとは知らない小雪は、なおも叶奈の企みを信じきれないかのように「でも……」と眉をよじっている。
「ぜったい大丈夫! 何がなんでもお膳立ては済ませるから、あとは朝霧さんが勇気を出せるかどうかだよ」
念押しのつもりで小雪の手を握り、確かな声で訴えかけた。またも紅潮した小雪は叶奈から目を背け、しわくちゃの唇を開いて小声で呻いた。
「……うん」
運命の瞬間に向けて緊張を高めているのは叶奈も同じだった。授業中も膝の上にスマートフォンを置き、送られてくる昴の映像を念入りにチェックして行動パターンを確認しながら、放課後に自分の取るべき動きを何度も再確認した。昼休みに後輩の少女が手紙を渡しに来たときは著しく肝を冷やしたが、どうやら中身はバンドメンバーとしての昴に対するファンレターだったようで、安堵のあまり叶奈も脱力して机に突っ伏した。人気者の取り巻きは気が休まらなくて大変だな──。そわそわと文庫小説を読んでいる小雪の姿を視野の端に収めながら、他人事のようにそんなことを思った。
「友達だと思われてるのは分かってるんだよ。友達の身分に我慢できなくなったのは、あたしのわがままだから」
▶▶▶次回 『Sorĉado-11 逢瀬』




