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Sorĉado-09 理由

 



 葉波円花は図書委員を務めている。自身も本が好きなようで、昼休みには大抵、文庫本か新書に目を落としている具合だ。読書中の面会謝絶オーラの強さは大したもので、休憩時間中のクラス巡回を習慣にしている担任の森沢でさえ、円花の席の隣を通り過ぎるときには気を遣うように足音をひそめていた。

 叶奈にとって目下の悩みの種は、その円花と仲良くなる糸口をなかなか見つけられずにいることだった。


「葉波さん、ちっとも困ってる気配ないしなぁ。放課後にも本屋さんでしか姿を見かけたことないし……」


 すっかり親しくなった隣席の芳香に愚痴ると、彼女は「放課後はだいたい図書室にいるみたいだよ」と教えてくれた。彼女自身もライトノベルを読み漁る文学少女だが、同じ図書室の虫である円花とは親交を結んでいなかった。

 誰とも頑なに関わりを持たず、教室という集団の片隅で円花はいつも孤立している。魔術も使えず親切も働けず、同じように惨めに孤立していた叶奈にとって、彼女はたったひとりと呼んでもいい、共感(シンパシー)を得ることのできる稀有なクラスメートだった。真っ先に打ち解けることのできる相手がいるとしたら、それは円花だ。そう信じていたからこそ、街中で声をかけたり、傘を貸してあげたりした。なんとかして円花の視界に入ろうと、叶奈なりの努力を重ねてきたつもりだった。

 魔術で親切を働くのは、それを契機にして相手と仲良くなれるからだ。叶奈にとって魔術や親切は単なる手段に過ぎないし、その割り切りはしっかり済ませていると自負している。困っていたら手を貸そう、そうでなければ話しかけるきっかけを探ろう。そう心に決めて、放課後、叶奈は図書室に出向いた。木之本中の図書室は四階建ての校舎の一番奥に配置されていて、あまり読書習慣のない叶奈にとっては縁の乏しい場所だった。

 図書室は思いのほか騒々しかった。見れば、隅っこの席に腰掛けて読書をしている端正な顔の男子生徒を、数人の女子が賑やかに取り巻いている。その中心にいるのが叶奈のクラスの女王・朝霧小雪であることに気づいて、叶奈は呆れの嘆息をそっと床に落とした。静粛な図書室へ何をしに来ているのだろう。──もっとも叶奈自身、読書するつもりなど微塵も持たずに来ているので、他人(ひと)のことをとやかく言える身分ではなかったが。

 目当ての円花はカウンターにいた。イケメン男子をきゃっきゃと囲んでいるクラスメートたちになど目もくれず、山積みの本を淡々と整理しているところだった。


「葉ー波さん」


 声をかけに行くと、円花は鋭い目で叶奈を窺った。


「何?」

「何してるの?」

「返却本の整理」

「たくさんあるね」

「そうでもない。そっちの山は整理が終わってる」


 彼女があごでしゃくった先には、うずたかく積まれた本の塔が夕陽を浴びて燃えていた。大半がヤングアダルト棚行きのライトノベルか、もしくは小説棚行きの文庫本だったが、それでもすべて棚に戻すのは一苦労な分量に見えた。

 すかさず叶奈は敏感に反応した。


「それ、片付けるの手伝うよ」

「いい」


 すげなく円花は拒否する。折れてなるものかと叶奈は食い下がった。


「でもこれ、葉波さん独りで片付けるんでしょ。司書の先生も見当たらないし」

「この程度なら十分もかければ終わるから」

「みんな似たような表紙デザインだし、迷いそうじゃない?」

「迷わない。もう二年以上、同じ仕事をやってきてる」

「でも──」

「お節介だから」


 円花はきっぱりと吐き捨てた。鋭利な拒絶を前にしてうろたえた叶奈は、思わず反論の言葉を取りこぼした。


「何のつもりか知らないけど、私に構わないで。鬱陶しい」


 なおも無下に拒絶を重ね、円花はふたたび返却本整理の作業へ戻ってゆく。

 彼女の冷淡な反応は今に始まったものではないが、ここまで明確に距離を置かれたのは今度が初めてだった。カウンターの前に立ち尽くしながら叶奈は必死に思案した。どうしよう、機嫌を損ねてしまっただろうか。どうすれば元の機嫌に戻ってもらえるだろうか。いくら思案を巡らせようとも、円花の趣向や好みの一つも知り得ない状態では、手掛かりのない宝探しをしているのに等しかった。

 叶奈はまだ、円花という少女を知らない。

 もっと知りたいと思う。

 ただ知りたいと願うことさえも、彼女の前では拒まれそうだ。


「……ねぇ」


 小声で問いかけたら、円花が動きを止めた。一歩間違えれば地雷を踏みつけてしまう緊張感の中で、おずおずと叶奈は畳みかけた。


「前から聞きたかったんだけどね。葉波さん、寂しくないの。いつも独りで本ばっかり読んでるけど」

「別に寂しくない」

「強がりとかじゃなくて?」

「強がってどうすんの」

「分かんないけど……。でも、寂しいとか悲しいとか素直に口にするのって、わたしはすごく勇気の要ることだと思う。強がって誤魔化したくなる場面だってきっとあると思うから」


 どうしても答えが聞いてみたくて、しつこく問いを重ねた。円花のこめかみが反応するのを確かに認めたが、撤回する気にはならなかった。寂しいと思っているなら仲良くなりたかったし、寂しさを覚えないのなら秘訣を聞き出したいと思った。


「ひとつ言っておかなきゃならないことがあるな」


 なおも整理の手を止めないまま、円花は目を細めた。


「独りで本を読んでるのを見て『寂しそう』って勝手に決めつけるの、失礼だからやめた方がいいよ。その行為に楽しみを見出してる人に対して猛烈に失礼」

「ご、ごめん……」

「私は寂しさなんて感じてない。やかましいクラスメートと苦労して付き合うことに魅力を覚えないし、未知の世界なんて本の中にいくらでも広がってる。私からすればむしろ、春風のスタンスの方が理解できない」


 自分の名前が出てきたことに叶奈は少なからず動揺した。恐る恐る「どんな部分が?」と尋ねたら、円花は奥付を確認した文庫本を勢いよく閉じて、叶奈を見上げた。暗い濃紺に澄んだ瞳が叶奈を捉えて、舐めるように心を触診してゆくのが分かった。


「無理して人間関係を広げようとしてる部分」


 彼女の言い切りは冷淡だった。


「そ、そんな無理してなんてっ」

「自覚ないなら余計に厄介ね。悪いけど誰の目にも無理してるように見えるんだよ、春風は。話しかけるのも話題を振るのも下手くそだし、そのくせ距離をぐいぐい縮めようとするから周囲に引かれてる。あんなんじゃ上手くいくわけないと思ってたら、近頃は親切をエサにして周りの気を惹くようになってきたみたいだけど、そしたら今度は私の番ってわけ?」

「…………」

「ちっとも分からないから教えてよ。あれだけの膨大な気遣いで周りの子たちを味方につけて、仲間にして、それで春風はいったい何を得たいわけ? 私から何を得ようとしてるわけ? 同情? 友好? それとも何?」


 叶奈の脳内には「?」の符号があふれ返った。一度に受け止めきれないほどの疑問符を押し付けられて、思考の処理がまったく追い付かない。黙り込んでしまった叶奈を一度見て、二度見て、やはり答えがないことに呆れ返ったのか、ふたたび円花は手元の作業へ戻ってゆく。その所作を叶奈はぼうっと眺めていた。もはや掠れて読めなくなった『手伝いたい』という思いが、性懲りもなく脳裏を横切った。

 どうして円花を手伝いたいと思ったのだろう。

 手伝うことで仲良くなりたかったからか。

 以前、そんな動機で叶奈は円花に傘を貸した。二人並んで傘を差して家路をたどりながら、少しずつ会話を交わして、お互いのことを知って、友達になる糸口をつかんでやろうという心積もりで、なけなしの傘を渡した。

 チョコを助けた時の動機はそうではなかった。目の前で失われゆく命に身勝手な憐れみを重ね、助けてあげたいと無我夢中で願った。助けたあとのことなど何も考えておらず、そのことで敦子からは叱られたが、有り余って涙に変わるほど燃え上がった強い優しさは叶奈が魔女に変身する原動力となり、こうして今に続いている。友好を求める心も、憐れみをかける心も、叶奈の中では等しい重みを持った本物だ。だからこそ否定できないのだった。独りで読書に励む円花を『寂しそう』と思ったことも。同情したいと考えたことも、同情を得たいと考えたことも。そうして共感できる間柄になり、いつか人並みに仲良くなりたいと願ったことも──。

 ぐちゃぐちゃの頭を振って迷いを払い、カウンターに近寄った。整頓されたライトノベルの山を抱えて持ち上げると、円花が「ちょっと」と声色を尖らせた。


「やっぱり手伝う」

「だから要らないって……」

「手伝いたいから手伝うだけだよ」


 沈み込む重さに耐えながら叶奈は笑った。とっさに思いつきで口走った言い訳が、妙にしっくりと心に嵌まって動かなくなった。


「わたしね、思うんだ。大変そうな仕事をしてる人に出会ったら『手伝ってあげたい』って思うのって、そんなに変なことでもないんじゃないかなって。だから葉波さんもそんなに気負わないでよ。こんなのわたしのわがままだもん」

「……善悪の問題じゃないって言いたいの」

「そうかもしれない。わたしにも分からなくなってきちゃった」


 (うそぶ)いている自覚はあった。親切心をかけることにメリットを見出している時点で、すでに叶奈は嫌と言うほど善悪の思考に囚われている。けれどもそれを素直に口にしたところで埒が明かないし、叶奈自身、その事情を上手く説明できる気がしなかった。どのみちメリットの内容を具体的に話せば、きっと円花の不興を買ったことだろう。

 黒々と嘆息した円花は、途方に暮れたような声で「好きにすれば」と口にして、残りわずかな整理の作業に意識を戻してゆく。

 こうなれば叶奈の思うつぼだった。本の山を【ヤングアダルト】の棚の前まで持ってゆき、周囲に誰の目もないのを念入りに確認して革手袋を身に着け、魔法円の描かれた紙を取り出し、ひそめた声で詠唱する。文庫本たちはたちまち軽やかに宙へ舞い上がり、広い棚の中に自らの居場所を見つけ、一斉に突っ込んで収まった。

 慣れた円花の手でも十分かかる収納作業を、叶奈の魔術はものの十秒で済ませてしまう。怪しまれては困るからと思い、数分の間を空けてカウンターに戻り、次の山を抱えた。黙々と作業を続けたおかげで未収納の本は瞬く間に減っていったが、当の円花は物憂げな目線を手元の本に注ぐばかりで、叶奈になど見向きもしてくれなかった。



 ──その夜、職場から帰宅した母の芽久はとびきりの不機嫌だった。帰宅して早々、調理場の洗い物が済んでいないことに腹を立てて叶奈を咎めたかと思えば、中間テストの点が悪かったことで妹の咲季を叱り始めた。洗い物が済んでいなかったのは直前まで調理に勤しんでいたからだし、中間テストの件で咲季が怒られるのはこれで三度目のことだったが、缶ビールを(あお)りながら「誰のおかげでご飯が食べられてると思ってんの?」とヒステリックに喚く母の前では、叶奈も咲季も大人しく頭を垂れ、嵐が過ぎ去るのを耐え忍んで待つ他なかった。


「なんであんな母親のために気を遣わなきゃいけないんだよ」


 子供部屋に逃げ込むなり、咲季は声高に文句を言い始めた。


「私たちに家事はみんな押し付けてるくせに。家族としての責任の大半は放棄しといて、そんでちょっと仕事が上手くいかなかったら娘をストレス発散のはけ口にするとかマジありえない。人としての品性を疑うよね」

「そんな冷たいこと言わなくても……。お母さんだってわたしたちのために苦労してるんだよ」


 小声で反駁を試みると「分かってるってば!」と抱き枕が飛んできた。首をすくめながら抱き枕をキャッチした叶奈は、ベッドの上へ大の字になって虚しく嘆息した。咲季が母に気を遣っているというなら、その咲季にさえ姉の叶奈は気を遣っているというのに。

 折からの不況で新規事業が続々と赤字を記録し、目下、母の勤務する総合商社は経営難に陥っている。身一つで家計と二人の娘を支えるプレッシャーも考えれば、母の背負う荷の重みは察するに余りある。けれども以前、大噴火中の母に恐る恐るそう伝えると、子供のあんたに何が分かるんだと逆上された。良心を根こそぎ否定されたような気がして、それからしばらく母の顔を見られなくなった。

 結局、人が互いを分かり合うことなど幻想に過ぎないのかもしれない。酒の酔いを借りて憤懣を解消する母の背中を見ていると、諦観で心が重たくなる。


「……咲季はさ、ないの。学校での悩みとか人間関係の不安とか」


 抱き枕にかじりつきながら問いかけると、「そりゃあるよ」と固い返事が戻ってきた。


「あるけど私はお母さんみたいな解消の仕方はしないから」

「どんなこと悩んでる?」

「言うほど悩んでない。悩むようなことにはなるべく関わらないようにしてるもん。せいぜい勉強のことくらい」

「友達のこととかは?」


 つい、我が身を重ねながら問いかけてしまった。胡散臭げに姉を眺めた咲季は、スマートフォンに目を戻しながら「友達なんて作ってない」と言い放った。


「だってどうせ三年も経たないうちに転校するじゃん。離ればなれになって絶縁する未来が見えてるのに、わざわざ苦労して友達を作るなんてバカらしいよ。だから学校に友達なんて要らない。ただの友達ならネット上にたくさんいるし」


 落胆を覚えながら叶奈は「そうだったね」と抱き枕に力を込めた。以前、同じ質問を投げかけた時にも、同じ答えを返されたのだった。

 春風家は転勤族だ。ジョブローテーションの順番が母に回ってくるたび、県単位、ひどい時は地方単位での転勤を余儀なくされる。そうなれば既存の人間関係は強制的に断絶させられる。学校が変わるのも、友達がいなくなるのも、叶奈や咲季にとってはとりたてて特別な悲劇ではない。そういう事情を下敷きにしたうえで、咲季はあえて学校に友達を作らず、代わりにオンライン上の友人関係を分厚く構築する戦略を取っているのだ。ネット上での咲季の人物像を叶奈は知らないが、食事中も入浴中も決してスマートフォンを手放さない様子からして、そうとう充実した交友を持っていることは容易に推察できた。


「他人と交流を持つ手段がこれだけ揃ってる時代に、わざわざ苦手な人とかイヤな人と付き合う意味って何もないでしょ。我慢なんて非生産的なこと辞めて、みんな好きな人とだけ交流する世の中になればいいのに。あーあ……もう独り暮らししたいよ、私」


 投げやりにつぶやいた咲季が、母のいる居間の方へ意味ありげに視線を投げかける。失望と同じ色を宿した彼女の瞳が、不意に、数日前に目にした敦子のそれと重なって見えた。魔女と分かれば疎まれることもある。魔女であることを秘匿するべき根拠を、敦子はそんな具合に語っていた。

 咲季は分かり合えない母と別居したいとまで言い出すし、敦子は分かり合えない隣人たちに配慮して魔女の身分を隠しながら暮らしている。分かり合えないなら別離すればいいのか。あるいは、別離するしかないのか。『春風さんのスタンスの方が理解できない』──。夕刻に円花から突き付けられた台詞が、導き出した結論になだれ込んで重みを増した。

 抱き枕にしがみついたまま、叶奈は背中を丸めてうずくまった。

 ちょうど妹に背を向ける格好になった。


「……わたしは友達が欲しいよ」


 独り言ちたが、咲季に伝わった気配はない。それでもいいと思い直した。咲季や敦子や円花に言葉を尽くして否定されようとも、この結論は絶対に否定できない。やっぱり叶奈は友達が欲しいと思う。

 一方的に投げかけた善意が交友を結ぶことはない。その一般論を否定する気はないが、少なくとも事実として、叶奈は心を配ったクラスメートたちと次々に親交を打ち立てることができた。仲良くなるためには関心を持たれなければならないし、行動を起こさなければ関心など持たれないのだ。人助けや親切がその契機になるのならば、どれだけ魔術を駆使してでも人助けに励みたいと叶奈は思う。せっかく苦労して手に入れた魔術を駆使することなく、手の中で腐らせておくなんてもったいない。

 気を遣う理由なんて理解されなくてもいい。

 どうせ、こういうやり方でしか、わたしは生きられないんだから。

 ベッドの片隅で叶奈は唇を噛んだ。また少し意固地になった心が、肋骨の内側でずきんと痛みを発した。





「こ……告白の手伝いって請け負えない?」


▶▶▶次回 『Sorĉado-10 人払い』

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