ハスターク その6
ここからがハスターク編の本番でございます。皆様、どうかお付き合いを
クロエのその顔は、その場にいた二人の動きを止めるのに十分な効力を持っていた。彼女は普段無表情の場合が多いため、横にいるベルの美しさが取りざたされることが多いが、彼女自身もそこらの少女たちとは比べ物にならないくらい可愛らしい見た目をしている。
そんな少女が頬を染め、瞳を潤わせながら笑みを浮かべているのだ。その笑顔に惹かれない者はいないだろう。
しかし、そのような隙を見逃すクロエではない。
「~~♪」
笑みを浮かべたまま、鼻歌まで歌っているクロエは先程よりも鋭くなった蹴りを男に打ち込んだ。
「……っ!」
今度は男の防御は間に合わず男の腹に刺さる。クロエはそのまま男の顔面を殴り飛ばすと、回し蹴りを側頭部に叩き込んだ。
「あははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
クロエは吹き飛ばされた男の頭を掴んで地面に叩きつけると、腹を蹴ってその体を持ち上げて腹部を何度も殴りつけた。最後に振りぬかれた拳は男の体を吹き飛ばし、何度か回転したところで止まった。
「ねえねえねえねえねえねえもっともっとやろうよもっと私を楽しませてよ楽しくやりあおうよねえねえねえねえ」
「お、あ、が、ぁあああぁあ、ぉごっはぁ」
狂ったように繰り返しながら、ユラリユラリと揺れつつ歩いているクロエの前に倒れ伏す男はすでに意識が朦朧としているようで、意味のある言葉を口にしていない。そのことに気が付かないのかクロエは男のもとまで歩いてくると、しゃがみこんで「おーい」と声をかけている。
しかし反応が返ってこないことを悟ったのか、彼女は立ち上がるとその場で地団太を踏み出した。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
「ね、ねえ…………」
さすがに見かねた『大賢者』が声をかけると、クロエはギュルンと音がしそうな速さで振り向くと、何の感情も映すことなく、ただ瞳孔が開いた碧眼でじっ、と見つめてぽつりとつぶやいた。
「ねえ、レオーネ、このわたしは幽霊なんだ。きみが関わるべき存在じゃないよ」
その言葉はあまりに小さく、『大賢者』の耳に届くことはなかった。
そのままクロエは踵を返すとユラリユラリと歩いて行ってしまった。
「さて、クロエの奴はうまくやっておるのかのう」
そう言いながら背筋を伸ばしているベルの周りには、何か所か煤のようなもので黒くなっているところはあったが、先程まで手を焼いていた男たちの姿は一つもなかった。
「さて、あとはそこの壁か……。まあさっきの奴らよりもこっちの方が楽でいいんじゃが」
そう言うとベルは結界に近づいて手を触れると、複雑な魔術式を解析し始めた。
『大賢者』と人に呼ばれる長命種であるレオーネ・ラウフガングは、先程の少女が去った方を向きながら、勇者のことを思い出していた。
勇者の存在は、人々の間に知らぬ者はいないほどに知れ渡っているが、実はその姿を知っているのは数えるほどしかいない。もともと「勇者の一団」に勇者の姿はなく、レオーネたちがとある辺境の村を訪れたときに保護したことがきっかけでともに旅をし始めたのである。勇者は、村で行われていたとある実験の被験者であり、その村の唯一の生き残りでもある。
つまり勇者は孤児であり、また平民であったために「王家を含む貴族に謁見できるのは同じ位にある者のみ」としていた王たちは勇者を王城に迎え入れることができなかった。そのため勇者のことはレオーネたちによる伝聞でしか知らず、央都に存在する勇者たちを称える像も、その本来の姿とは全く違う姿で立っている。
先程の少女は、その勇者の姿とは違っていたものの、その強さは勇者のものと遜色がないものであった。
しかし、勇者が生きているはずはない。
あの時、仲間たちの犠牲の上に辛くも生き残った彼女は、最後の気力を振り絞って魔王城の最深部である玉座の間に辿り着いた。そこで彼女が見たのは、無事なものなど何一つとして存在しないほどに崩壊した玉座の間と、主を失くした聖剣とそれを握り締める腕、そして体が半分になった勇者の無残な姿であった。
その奥には魔王の亡骸が転がっており、この場で何が起きたのかは一目瞭然であった。
そのときの勇者の身体の冷たさを、彼女は今でも夢に見る。
だから、あの少女が勇者であるはずがないと、そうであってほしいと彼女は切に願っていた。
そうでなければ、今の自分の立場を捨ててでも彼女を探してしまうと分かっていたから。
クロエはレオーネのもとを離れた後、彼女からは見えない位置で胸を押さえてうずくまった。
「ぐぅっ…………はぁ、はぁ、はぁ。…………まだ、大丈夫。…………たたかえる。ぐっ…………っはっ、はぁ」
胸の内で熱いナニカが暴れている。いや、それが何なのかをクロエは知っている。彼女がその身に宿すモノ。とある村で行われていた実験によって彼女が手に入れた力。それは彼女に絶大な力を与える代わりにその肉体を蝕んでいった。
「…………ベル、きっと怒るよね」
あはは、と力なく笑いながらクロエはふらつく体に鞭を打ち立ち上がる。
「…………あと、二人。…………強いのは、それだけ」
戦場を見渡すと、またレオーネに近づいてくる影がある。そのことを認識した途端に彼女の身体はしゃんと立ち、口を弧にすると再びその影の方へと向かっていった。
男は『大賢者』の方に向かっていた仲間が倒されたことを確認すると、相手をしていた騎士を手早く片付け、自身が殺害するために静かに駆けていった。
「…………っ!」
しかしその直前、いきなり死角から少女が蹴りかかってきた。男は上体を反らせてかわすが、頬には擦ったような傷ができていた。それに手を触れて確認したことが、男の敗因となった。
少女の姿がブレて目の前から消えた瞬間、男は腰と首に衝撃を受けて倒れた。
クロエは二人目の男を秒殺すると、ナイフに付いた血を男の服で拭いて懐にしまった。
そのとき、女性が一人駆け寄ってきた。女性は『大賢者』と二言、三言話すと『大賢者』を連れてどこかに向かっていった。
それを無表情で見ていたクロエは、近づいてくる足音を聞くと振り向いた。
「…………やっと、きた」
「私を待っていたというのか?」
姿を現したのは両手に大ぶりのナイフを持った男だった。男は足元に倒れている男を痛ましそうな目で見ると、少しの間目を閉じた。
「彼を殺したのは君か?」
「…………ん」
「なら、向こうに転がっている彼もか?」
「…………ん」
「そうか」
それだけを確認すると、男のまとう雰囲気がスッと引き締まった。男はまだナイフをクロエに向けてはいない。それでも、彼女はひりつくような殺気を感じていた。
「…………あは」
「…………」
男はまなじりをピクリと動かしたが、それ以上の反応は見せることなくナイフを構えた。
対するクロエは懐のナイフを取り出すことなく、素手で構えた。
「ハアッ!」
先に動いたのは男だった。
男は両のナイフを噛みつくように振り、そこから流れるようにナイフを振るってきた。
クロエは目を大きく見開きながら、振るわれるナイフをかわし続けていたが、一瞬の隙をついて男に肉薄し、右手で掌打を打とうとした。
それを自ら誘い込んだ男は、腹筋に力を入れて構えながらクロエの右肩にナイフを突き刺した。
しかしクロエは刺された右肩を起点に体を半回転すると、左手で掌打を放ち、吹き飛ばされた。
「ご、っは」
見れば、男が足を下ろしてナイフを構えなおしているところだった。
「…………」
クロエはそれを見ながら、もう一度構える。そして今度は彼女から仕掛けた。
クロエは関節部分を狙って打撃を仕掛けるが、男はナイフでけん制しつつクロエを斬りつける。クロエは避けようとするが、刺された右肩と蹴られた腹部を気にしてうまく動けない。そしてそれゆえに避けられる攻撃を避けられない。そして男の攻撃を受けて吹き飛ばされる。
「がふっ……!」
クロエは地面に倒れた。あちこちから出血していて、立ち上がる体力もないようである。
男はそれでも油断することなくクロエにナイフを向けている。
少しすると、ブルリと震えてクロエが立ち上がる。
「お前は、一体何者なんだ……?」
男の問いに対し、クロエは唇を釣り上げることで答えた。その反応に対し、知らず知らずのうちに男の足が一歩下がる。それを見逃すことなくクロエが突撃してくる。
しかし先程までとは違い、動きにキレがない。男は突き出された左腕をつかむと、蹴り上げた。バキリ、と何かが折れた音がする。
「っあああああああああああ!」
クロエは叫びながら左腕を押さえるが、すぐに男に向かって今度は蹴りを放つ。しかしそれも男によって受け止められ、太ももにナイフを刺される。そしてそのまま男の拳によって宙を舞う。
「ぐ、ごがっ…………ごはっ」
地面に転がるクロエが血の塊を吐く。
「ごほっ、ごほっ、ごはっ、あはっ、あはははははは!」
咳き込んでいたクロエがいきなり笑いだす。男は得体のしれないものを見るかのように後ずさる。そのとき、クロエの笑い声が途絶える。男はビクリと震え、目を見開いてクロエの様子をうかがうが、その見た目にさしたる違いは見えない。
「――――」
クロエの口が何かをつぶやいた瞬間、彼女の身体が跳ね起きた。回復したわけではないのはだらりと揺れている左腕を見ればわかる。しかし彼女はその赤い瞳をぎらつかせ、男のことを見ていた。
「ふ、ふふ、ふふふ」
「…………!?」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!ああ、久しぶりね!あたしがまたこうやって日の光を浴びることが出来るなんて!」
困惑する男をよそに、少女は男が刺した足を軸足にしてクルリクルリと回っている。少ししてぴたりと止まると、少女はこちらを向いてふわりと笑ってみせた。
「あなた、強いのね。誇っていいわ。彼女を、ひいてはあたしを相手にできたこと、一生のうちで最高の誇りになるわ」
「…………?」
なおも困惑を続ける男に、少女はさらに続ける。
「ねえ、あなたのことを教えて?あなたはどうして『大賢者』を襲おうと思ったの?」
「私は、この街が嫌いだった」
気づけば、男の口からするりと言葉が飛び出していた。
「この街に縛られるのが嫌で、父のもとを飛び出した。それから別の街で冒険者になったが、仲間が次々死んでいった。魔王が攻めてきていたからだ。それからすぐに、勇者が魔王を打ち倒したと聞いた。それを聞いて思ったのだ。勇者がもっと早く魔王を殺していれば、私の仲間も、妻も、息子も死ぬことはなかったのだ。そのとき……」
「そのとき、どうしたの?」
「そのとき…………」
男は何かを思い出そうとしているようだったが、次第に脂汗を浮かべ、ついには黙ってしまった。
(どうやら、当たり前の憎しみをもってはいたようだけれど、何者かがそれを増幅したようね)
少女は考え込んでいたが、ため息を一つついて目を男に向けた。男はまだ呆然としているようで、腕がだらりと垂れている。
「ねえ」
少女の呼びかけに男がゆるゆると頭をあげる。二人の視線が交錯した瞬間、男の顔はなぜか赤く染まり、雄叫びを上げた。
「ええ、ええ、それでいいのよ。あなたはあたしのことを死ぬほど憎んでいる。そう強く思い込みなさい」
「殺す……!殺す殺す殺す殺す殺す殺すぶっ殺す!」
「うーん、やっぱりヒトに向けられる殺意ってのは混じりっ気のないものが最高よね」
のんきに呟いている少女をよそに、男はナイフを振りかぶると突進してきた。その速さは先程までとは比べ物にならない。
「あら、やればできるじゃない。最初からそうやって来ていればあたしのことを殺せたかもしれないのに」
ナイフを持って自分よりも大柄な男が突っ込んできているにもかかわらず、恐怖の欠片すら見せない少女の姿に、男の中で何かが弾けた。
「ガアアアアッ!」
「すごいわ!まるで獣のよう!」
本能のままにナイフを振るう男と、それをひらりひらりとかわす少女。しかし、その均衡も長くは続かなかった。
「ん?あれ?…………あ、やば」
最初の方は余裕で避け続けていた少女も、全てを避けられるわけではない。かすめたりしてあちこちにかすり傷が出来ていたのだが、ときにはあえて避けずに受けることで次の一手を避けるという手段を彼女は取っていた。
もちろん彼女にも勝算がなかったわけではない。彼女は治癒魔術のようなものを自分にかけ続けているので、多少の傷ならすぐに回復してしまう。
とはいえ魔術である以上、自身の魔力を消費する。少女の身体はクロエのものであるので魔力量は桁違いであるが、人間である以上限界がある。そして今のクロエはベルによって《拘束》の魔術を使われているため、普段のように魔力を消費していれば当然限界が来るのは早まる。彼女はそのことをすっかり失念していたのだ。
魔力がなくなれば回復はできない。そして回復できなければ傷は残る。傷が残れば体力は減っていく。その積み重ねはすぐに結果となって表れた。
「があああああっ!」
「しまっ……」
避け損ねたナイフに腕を貫かれ、動きを止められた少女に対し、男はもう一方のナイフを振りかぶった。
朱。男の視界に朱が広がる。そしてその視界を一本の棒がクルリクルリと回りながら横切っていく。その棒は地面に落ちるとベシャリと音を立てた。
その様子を、少女はただ見つめていた。
片腕を切り落とされた少女は、見つめていた。
クロエの腕が……
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