ハスターク その2
ベルはクロエを引き摺って部屋に戻ってくると、クロエをベッドに寝かせ、ソファに腰かけた。そして彼女は、すぅすぅと穏やかに寝息を立てている相方を見ながら、夜の街へと視線を向けた。
「……」
その赤い瞳はただ目に映るものを反射するばかりだった。
そのまま彼女はソファに沈み込むと、目を閉じてしまった。
◇ ◇ ◇
夜の街。ほとんどの人が寝静まるころ、黒ずくめの男たちが人目を逃れるように街を歩いていた。
男たちは、街のあちらこちらを移動すると集まって何かを話し合い、そのまま解散していった。
◇ ◇ ◇
クロエの朝は早い。日が昇る前に目を覚まし、ベッドから抜け出る。そのまま宵っ張りで朝に弱い相方を起こさないようにしながら宿を出ると、まだ薄暗い街の中を歩いて行った。
まだ薄暗いとはいえ、もう活動を始めている者も少なくはない。そんな人々とすれ違いながら、クロエはずんずんと進んでいく。大通りを外れ、裏道を通って、最終的に人気のない広場のようなところを見つけると、彼女はかすかに頷いて剣を取り出し、振り始めた。
最初はゆっくりと型を確認するように。そしてだんだんと剣を振る速度を上げていき、急にぴたりと剣を止めた。
一度剣を構えなおしたクロエは、集中するように目をぎゅっと閉じると、クロエの目の前に陽炎のようにゆらゆらと揺れる人影が現れた。うすぼんやりとしていた人影はだんだんとはっきりしていき、クロエが目を開いた時、人影はクロエのような形をして、剣を構えているような姿になった。
クロエはその人影に対して剣を振るうが、その人影も応戦するように剣を振ってくる。そのまま数合打ち合うと、クロエの剣が人影の首を飛ばし、人影はふっ、と消えてしまった。
クロエは満足したように頷くと、剣を虚空に収納して、元来た道を引き返すと、日が昇って活気の出てきた街の様子を物珍しそうに見ながら宿に戻ってきた。
クロエが主人に挨拶をして自分たちの部屋に戻ってくると、その音で目を覚ましたのであろう相方が、まだ寝足りない、というような目を向けてきた。
「……ベル、おはよ」
「…………う」
「…………ごはん、たべる?」
「…………あとちょっと待ってくれ。いや、それよりも今は何刻じゃ……?」
「…………もうちょっとで、上六刻」
「…………」
「…………たべる?」
「…………寝る」
予想よりも早く起きていたことを理解したベルは、そのままソファに突っ伏した。
その様子を見ていたクロエは、少し考えるそぶりをして、ベッドを見ると、自分の育て親の言葉を思い出し、自分の荷物から本を取り出すと、ベッドの端に座ってゆっくりとページをめくり始めた。
結局ベルは上八刻の直前に目を覚まし、二人は宿屋の主人に呆れられながら朝食をとることとなった。
朝食を食べ終えた二人は、外出する準備をしながら今日の予定について話し合っていた。
「まずは冒険者組合に錆蜥蜴の皮とかを売りに行くかのう」
「……ん」
「その後は……儂は遺跡の方に行ってみたいのじゃが、どうじゃ?」
「…………市場を、みてみたい」
「そういえば明日からのお祭り騒ぎに合わせて中心部の広場とその周りの道で市場をしておるようじゃのう。ふむ、別行動にするか?」
ベルはクロエに対し、答えを確信しなからあえて問いかける。
「……遺跡にいってから、市場」
「そうか。なら、早く出ねば夜までに帰ってこれんぞ?」
「……ん」
どことなく嬉しそうなベルと、やはり眠そうな表情のままのクロエは、そうして二人で宿屋を出て街に繰り出すのであった。
ベルとクロエは、宿屋の主人から朝食がてら聞いた冒険者組合の方へとぶらぶらと歩いていた。その途中、道の脇には様々な露店が軒を連ねていた。
「それにしても、『大賢者』が来るとはいえ熱狂的な賑わいじゃのう」
「……おいしそうなものが、いっぱい」
「あーー、そういうのは後にしような。儂ら、昨晩の宿代で結構使ってしまっとるからな」
「…………」
「そんな顔をしてもダメじゃ。少なくとも組合に行けば換金できるんじゃからそれまで待つんじゃ」
「………………わかった」
そんな会話をしているうちに、彼女たちは組合へと到着した。
ハスタークの冒険者組合は、街の北部に広がる遺跡と街の間に存在していた。冒険者組合とは、ハスタークなどの都市を取りまとめているこの王国が管理している組織の一つであり、ここに認められ、冒険者リストに登録された者だけが冒険者を名乗ることができる。
ちなみに冒険者になるには、各都市の支部などで試験を受けて合格すればよい。その際、五級冒険者として登録され、一定数の依頼をこなし、組合に申請を出すことで四級に昇格することができる。
しかし三級に昇格するためには、「一定数以上の指定された依頼の完了」だけではなく、進級試験も同時に合格する必要があるため、冒険者の間では「三級になって初めて一人前の冒険者」とまで言われている。
それだけ四級から三級までの壁が厚いように、三級から二級までの壁もそれ以上に分厚い。
つまり現在活動している冒険者はほとんどが四級であり、三級冒険者ともなれば熟練者の域に達している。そのため、まだ年端もいかない少女たちであるベルたちが三級冒険者であると知った番兵が驚いていたのも仕方のないことなのである。
組合の様子は、大体どのような街のものであっても似たようなものである。依頼が乱雑に張り付けられた木の板の前に冒険者たちが群がって、自分たちにとって利益になるものを必死に探している。そしてその横に、依頼を受注したり素材の査定をしてくれる受付がある。その更に向こうには冒険者たちが交流するための場所や、依頼以外の庶務を引き受けている受付が並んでいる。
今回用事があるのは、二つある受付のうち、もちろん前者である。
ベルとクロエは、冒険者たちの列に並んで受付の順番を待ち、自分たちの番になったので錆蜥蜴の皮や骨などを収納袋から取り出し、受付嬢に声をかけた。
「すまぬ、これらの品を査定してもらいたいのだが」
「かしこまりました。それではこちらにお名前と冒険者カードをどうぞ」
「うむ……これでいいだろうか」
「…………はい、大丈夫です。カードは…………いえ、失礼いたしました。それでは、名前が呼ばれるまでしばらくお待ちください」
「うむ」
そう言うとベルはクロエと共に交流場の方へと歩いて行った。
ベルから査定に必要な書類を受け取った受付嬢は、近くにいた男性職員に、持ち込みの品を持っていってもらおうとしたが、量が多かったため、近くを通りがかった職員にも声をかけていた。
「すいません、こっちの品も奥の査定室に持って行ってもらっていいですか?っと、支部長でしたか」
「いやいや、遠慮しないでくれよ。……ってこれ、錆蜥蜴の皮じゃねーか。こんないいもん、誰が持って来たんだ?サイモンか?それともウェスタン?」
「いえ、違います。持ってきたのは女の子で、持ってる冒険者カードも本人のものだったのですが、冒険者カードには三級冒険者とありまして」
「ほう、つまり実力で三級になったのか、コネか何かを使ってなったのか、長く冒険者に接してるアイネがそこまで言う冒険者、俺も見てみたいね」
「支部長にこんなことさせている私が言うことではないかもしれませんが、支部長はもっと威厳を持っているべきだと思います」
「まーまー、いいじゃないの。怖くて基準の厳しい上司よりかはマシでしょ?」
アイネと呼ばれた受付嬢は、やれやれといった風に首を振ると、「早く持って行ってください。まだ受付待ちの人がいらっしゃるので」と言った。
『ベル=フェイドさん、ベル=フェイドさん、査定が終わりましたのでこちらの受付までお願いします』
「ようやく呼ばれたか。長かったのう」
「…………つかれた」
「儂らに声をかける暇があるなら少しでも依頼を受けた方がいいと何故分からんのじゃ…………」
結局名前を呼ばれるまでに半刻ほど待たされている間、二人は冒険者たちからのナンパを受けては断ることを何度も繰り返していた。
ベルはまるで老人のように腰を上げると、クロエと共に受付の方へと向かった。
「査定の件で呼ばれたベル=フェイドだ」
「かしこまりました、少々お待ちください。…………こちらが査定額となります」
「……ふむ、これでお願いしよう」
「かしこまりました。では、こちらに署名をお願いします」
受付嬢はそう言うと受付の机の下から書類と硬貨の入った袋を取り出し、ベルに手渡した。
「うむ、確かに受け取ったぞ」
「では、またのご利用をお待ちしております」
「ふむ、一万ドルク銀貨三枚に千ドルク銀貨八枚、百ドルク銅貨十七枚か。妥当な値じゃったな」
「…………おかね、たくさん」
「これで次の街までの路銀になるかの」
「…………ん」
「さて、では当初の予定通り遺跡に向かうとするかの!」
「…………ベル、たのしそう」
ベルはその言葉を否定することなく意気揚々と遺跡の方へと歩き始めた。
それからしばらく歩くと、前方に崩れた建物が見えてきた。しかしそれを見たベルは、少し不思議そうな声を出した。
「ふむ、あれが目指しておった遺跡かの?」
「…………?」
「いや、気のせいじゃ」
ベルがそう言うときは、何かが引っかかっているが、まだ言えるほど確信がないのだということをよく知っているクロエは、静かに警戒の段階を一段階引き上げた。
ベルはそのまま歩を進めると、しゃがみこんで崩れた建物の柱や床などをじっと見つめながら、何かをぶつぶつとつぶやいていた。
少し離れたところからその様子を見つつ、クロエがしゃがんでぼうっとしているときだった。
「…………!」
クロエは急に立ち上がると、腰に下げていた剣を引き抜くとまっすぐにベルの方へ向かって走り、ベルを飛び越えて着地すると同時に剣を振った。
キン!キン!キン!と甲高い金属音が鳴り、地面にナイフが落ちた。
ナイフが落ちた音で初めて気が付いたように、ベルはゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。
「ふん、やはりここは遺跡に来る者を引っかけるための罠じゃったか。まあ、引っかかるのは儂らのようなよそ者ばかりじゃろうが、ここに来る前に組合に寄ることが多いじゃろうから、金目のものを持っておると踏んだのじゃろうなあ」
その言葉に反応するように、遺跡の建物の陰から、数人の男たちが姿を現した。
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