信頼
ゆな=ヴィアレットの住む屋敷は主人と仕える者の関係が非常にフランクである。きちんとした挨拶や礼儀は守られているが、全体的に穏やかで良い意味でやや緩い雰囲気がある。
しかし、今日に限っては屋敷全体、特に3階は重苦しいピリピリとした空気が流れている。会議室の前には屈強な執事が2人守衛のように立ち、そのフロア全体を威嚇するかのような空気を纏っている。
なかでは1組の男女が緊張した面持ちで待っている。特に男性の方はそわそわと手をもんだり部屋をうろうろと落ち着きがない。
「倉音さん」
そんな様子を見かねて、女性が話しかける。ヴィアレット家の物資調達などを行っているレムである。
「大丈夫ですか?」
「う、うむ。レム殿お気遣い感謝する」
普段は自信に満ち溢れた彼も今日ばかりはそのナリを潜めてしまっている。こうしてみると、彼もまた一人の青年であることがありありとわかる。
ガチャ――
しばらくすると、扉からヴィアレット家の執事長であるにゃん太郎がメイドに資料を持たせ入ってきた。
「お2人とも本日はご足労頂きありがとうございます」
にゃん太郎は自分専用の高椅子に立つと、2人に向かって改めて挨拶をした。
「執事長殿、こちらこそよろしくお願いします」
「お招きいただき、感謝いたします」
レムが挨拶をすると、後に続くように倉音の方も続く。
「それでは、お手元の資料をご覧ください」
2人は目の前に用意された資料を手に取ると、軽くぱらぱらとめくっていく。そこにはヴィアレットの家で消費された食料品や生活用品、雑貨、衣服などが細かく記載されており一年間の総決算ともいうべきものだった。
にゃん太郎は小さな鼻かけ眼鏡を取り出すと、自分の手元にある資料をめくっていく。
「お2人は簡易版の資料を拝見頂いたと思いますので、少し気になる点だけかいつまんでご報告させて頂きます」
「執事長殿」
倉音が不意に口を挟む。
「始める前に一つ確認させて頂きたいのですが、これは私が拝見してもよろしいのですか?」
「もちろんでございます。倉音様には屋敷の防犯に携わって頂きますので、屋敷の出入りの把握はぜひ。それにこちらはお嬢様のご意向にございますので」
倉音がためらうのも無理はない。企業には株主に対する決算報告書などの開示義務があったりするが、あくまで利益やお金の流れを把握することが主だ。今手元にある資料には、ここ一年のうちに行われたスケジュールや、物資の出入りや資産の状況などが細かく記されている。ヴィアレット家の巨大な資産状況もこれを見れば一目瞭然ともいえる。屋敷の防犯を担うほどの信用を受けているとはいってもここまで個人の家の状況をあけすけに開示されるとさすがに引いてしまう。
「もし、これが流出などしましたら取り返しのつかないことになりませんか」
「その通りでございます。ですが、お嬢様はそれでもあえてあなたに全てを見せるようお申し付けされました。私はお嬢様のご意向に従うのみでございます」
倉音は少し戸惑いの顔を見せるが、屋敷の主人であるゆなの意見である以上それ以上いうことはない。
「それでは続きを・・」
にゃん太郎は資料をくりながら、一年のうちに消費された物資や今後必要になるであろう物をかいつまんで説明していく。
やはりなかでも一番大きかったのが、人件費だった。今年だけでも10名以上の執事とメイドが増え、特に護衛として仕えている者たちの負担は相当なものだった。また、けんかや騒ぎなどで破損した部屋の調度品や修繕費なども結構かさんでしまっている。にゃん太郎はその青く塗られた数字を見て大きくため息を吐いた。
「これはなかなか・・でございますね」
長年本家の帳簿を見てきたレムはゆなの屋敷でかかるその経費の多さにやや言葉を濁しながら苦笑してしまう。にゃん太郎の疲れた表情の原因が分かった気がする。
「彼らのお嬢様へのお気持ちは察して余りあるのですが、これでは悩みの種が増えるばかりで・・」
にゃん太郎はその小さな額を押さえると愚痴っぽく語った。家の金庫番を任されている身としては無理もない話だった。
10分ほどで大まかな屋敷の状態を把握すると、今後の方針など話し合っていく。
「ふむ…見たところ修繕費はともかく削れそうな部分もなさそうですし、やはり収入を増やす方が良さそうですね」
「そうですな。レム様、よろしければそちらの方でのご様子など伺っても?」
レムは主に自分が取引している国の細かな事情やマーケットの状態を大まかなに説明する。
「やはり、米中の貿易問題がまだくすぶってるというのが正直なところです。香港の情勢もよろしくはありませんね。逆に日米が台湾に接近してきているので、この辺りはやりやすくなってくるかと」
「ほう。それは興味深いですね」
倉音は前のめりになってレムの話に聞き入っている。
2時間ばかり来年の基本的な方針などを話しあい、後日詳細な資料と共に詰めていくことでお開きとなった。
息苦しい会議室を出ると、2階にあるパーティルームへと場所を変える。
「今日はありがとうございました。ささやかですがお食事をご用意致しましたので、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
にゃん太郎がそう言うと、メイドたちが2人のテーブルを美しく彩っていく。ちなみに部屋が広いため屏風とパーテーションで仕切られ、圧迫感もなくとても快適だ。
何度か顔を会わせる機会はあったが、ほぼ初対面に近い2人は改めて挨拶をかわし、お互いの仕事やパーソナルの話をしながら用意してくれた料理に舌鼓を打っている。
「いや、やはりゆなお嬢はすごいですね」
倉音はしみじみと先程のこと思い出していた。
「失礼ですが、私も驚いてしまいました。私も長年この業界におりますが、ここまで人を信頼される方はついぞ見かけません」
何がそこまで彼女に信頼させたのかは分からないが、逆に言えば大きな責任がこれからの自分にはかせられることとなる。倉音は目の前のワインに自分が映るのに気づいた。グラスを手元まで引き寄せると、やや不安げに固くした自分ごとぐいと飲み干してしまう。
レムもまた続くようにグラスを空けた。
冷たいワインが臓腑を巡った。
2人はしばらくアルコールの作る夢心地に自らを泳がせていた。温かな満足感が心に満ちていく。




