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大都市の真ん中に新しい時代を象徴するかのように、物理学と建造構築学の粋を集めた高い塔がそびえたっていた。

昼間になれば都市に住む人も観光に浮かれた者も楽し気にこの塔を目指してやってくる。

彼らは地上数百メートルのこの恐ろしい場所にもガラス張りの檻のなかで安全に過ごしている。

そんな場所から外に出ても用があるのは整備をする者くらいだろう。その檻の外には申し訳程度にしか脚の踏み場はなかった。


一人の少女が腰かけていた。見下ろせば足がすくむような足場から艶めかしい両足を投げ出し、まるで子供のようにプラプラと揺らしながら眼下の輝く街を見つめている。

片手で身体を支えながら、ブランデーグラスに入った紅い液体を愛おしむように舐めていた。

「いい月だな・・」

後ろから不意に声をかけられる。

少女は特に驚きもせずいたってマイペースだ。

「スニフターか・・随分粋だな」

※スニフター➡「匂いをかぐもの」グラスが香りを集める形状のためそう呼ばれる。


「あら・・さすが執事ね。香りが好きなの」

少女はグラスにその整った鼻を近づけると胸いっぱいに香りを吸い込んだ。

やおら少女はグラスをひっくり返してしまう。まだたっぷりと残った紅い液体が闇夜の底に溶けていった。

「おいおい、迷惑だろ」

「ごめんなさいね。十分楽しんだし返してあげようかなって思って」

少女はそう言うとグラスを足元に置き、霧島の方に身体を振り向けた。

月と闇夜をバックに薄い桃色の髪をたなびかせた少女が男と数メートルの距離に見つめあっている。


「ねぇ・・今日はいい月ね」

少女はふと夜空を見上げ呟いた。

一時的とはいえ、全くの無防備ともいえる姿をさらしている。

だが、霧島はそんな隙を狙いつめようとはしなかった。

むしろ、彼女の纏ったその空気になんとも嫌なものを感じていた。

「・・ああ、そうだな」

少女の一挙手一投足瞬きでさえ見逃すまいと集中しながらも、彼女の言葉に応えた。

「この形は下弦の月。下の弓張、弦月、偃月(えんげつ)ともいうのかしらね」

少女はまるでステージに向かって伸びるスポットライトを全身に浴びるかのように、身体を月の光にひたした。

「そうなのか・・そりゃ知らなかった。勉強になったぜ」

霧島は少女の軽口にあわせながら、じりじりと間合いとタイミングを図っている。もちろん、少女のこの奇妙に落ち着いた雰囲気に警戒はしているが、相手のペースに乗ってやる必要もない。

少女が霧島に視線を戻した。妖しい紅い眼が闇夜に鈍く光っている。


ひゅうっと風が吹いた。

少女はなおも妖しげに霧島を見つめている。

霧島は一歩右脚を前に踏み出した。

瞬間、トンという音共に肩を何かが貫いた。

「ぐっ!!?」

銃弾に撃ち抜かれるような熱は感じず、毒虫に刺されたような鋭い痛みだけが残る。

霧島は痛みに耐えるようにゆっくりと片膝をついた。突然のことに理解が追い付かないが、なおも少女から目は離さない。


見れば、背中の肩甲骨から肩にかけて一本の矢が貫いていた。

「ふふふ・・」

少女はハタハタと蝙蝠状の翼をはためかせながら、苦痛にゆがむ霧島の顔を見つめていた。

「なんだ・・随分嬉しそうじゃねーか」

霧島は片膝をついたまま、嗜虐心にあふれたその少女の顔を見つめ返す。

「あら、そうかしら。ごめんなさい」

少女はそう言いながらも、持ち上がる口角と細めた目をごまかすかのように頬を撫でた。

頬を紅潮させたその姿は、この特殊な状況下でなければ・・いやこの異常な場であってもなおも美しく妖艶に映っていた。

びゅううう――――

上空数百メートルに吹きすさぶ風が二人の間を駆け抜けていく。


霧島は肩から突き出た矢に触れると、少しだけ背中に向けて引っ張る。

「つっ――」

文字通り刺すような痛みが全身を駆け巡った。釣り針のように鋭い返しの付いた鏃からポタポタと血が滴る。

盃から溢れ零れる酒を惜しむかのような眼で少女はその様子を見つめている。

「抜かない方がいいわ。()のあたりを・・ええと・・そうシャフトの部分を折るの」

少女はそう言うと、色とりどりに輝く街の方を見つめた。

「そりゃどうも・・少し待ってくれ」

霧島は少女のアドバイスに従って、手を傷つけない程度に鏃を押さえると反対側の腕を伸ばしてシャフト部分を握った。

ぐっと力を入れると矢は中間あたりから比較的容易に折れてしまう。八つ当たり気味に矢の残骸を夜空に向かって放り投げた。遠くに見える街の明かりにすぅと溶けてしまった。

「なんで人ってこうも夜を消したがるのかしらね。こんなにも明るく美しい灯があるというのに」

つまらなそうにそう言うと再び遠くに輝く月を見つめる。

「確かにな・・まぁ人間てのは臆病だから怖えのさ」


銃を取り出そうと脇のホルスターに手を伸ばすと、不意に冷たい何かに指先が触れた。思わずハッと逡巡してしまい彼女を見るが、少女は特に気付くことはなかったようだ。

「俺も同じだ。夜は怖ぇ・・。光がないと影はできねーからな」

霧島はそう言うと、少女に向かって一直線に走り出した。

少女は意に介することもなくぼぅっとしていると、どこからか矢がひゅうっという音とともに彼女のそばを通り過ぎていく。

霧島は左腕を前にかざした。

ザシュっという音とともに一本の矢が彼の腕に貫通する。

だが、霧島はそれを気にすることなく彼女に向かってなおも突進してくる。その無謀な突進にさすがに少女もやや驚いた顔をした。

ヒュンッ!――

霧島は少女に向かって腕を横なぎに振った。

闇夜に一閃の光が走った。

少女は間一髪後ろに避けたが、鋭い痛みが頬を走ったのを感じる。不意な痛みに顔をゆがめてもなおも美しさが夜に彩られている。

「悪いな・・美女に傷はつけたくねーが・・今の俺が護るのは一人だけなんでね」

霧島はそう言うと、自分の腕に刺さった矢を折り投げ捨てた。

「く・・うぅ」

紅潮した時とは違う熱さが顔をほてらせる。

少女はいつもの癖と同じように片頬に手を這わせた。

ぬるりとなじみのある液体に触れる。

ハッとしてみれば陶器のような自分の手を紅が走っていた。

「銀の弾丸とはいかないが、ちょうど持ってて助かったぜ。ゆなには悪いが昼間のあいつらには感謝だ」

霧島はそう言うとナイフを逆手に持ち直し、改めて構えをとった。初めて少女から余裕らしい表情が消える。


お互い見つめあったまま時が流れていく。

誰も存在を気に留めないわずかな足場の二人をただ煌々と輝く月だけが見つめていた。

ひゅうっと一陣の風が吹いた。

霧島はその風が吹くと同時に身体を半身によじりながら横に跳んだ。

二つの風を切る音が重なって不可思議なハーモニーを奏でた。


霧島の顔のすぐそばを一本の矢が通り過ぎていく。

美しい黒色の羽がほんの少し髪を撫でた。

トンっという軽い音がした。

霧島はその矢の行方を目で追った。

矢は少女の豊かな胸の中央に深々と突き刺さっていた。

刺し傷からは血が流れることもなく、ただ痛々しげにうつる。

少女は刺さった矢を見つめながらよろよろと後ずさりをしていく。

足場から踵がはみ出した瞬間、スローモーのようにゆっくりと少女は後ろに倒れていく。

少女は手を伸ばした。

霧島は思わず少女の伸ばす手を掴もうと自分も手を伸ばした。

「あう・・」

だが、指先が触れることさえなく、少女はそのまま落ちていった。

「・・・」

霧島はナイフを手にしたまま、なおも警戒しつつ足場から身を乗り出した。

深海よりも暗い闇の底が眼下の下に広がっている。

少女の影も形ももはや確認できなかった。


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