絆
少女が誘拐されたのは、お茶の稽古が終わった帰りのことだった。
少女が拉致されたことが報告されたと同時に送られてきたURLには少女の監禁されている場所、椅子に縛られた少女に男が銃を突きつけた姿、大勢の取り巻き、そして一名の執事だけが丸腰で迎えに来ることが要求として書かれていた。
普段少女に付き従うメイドたちはその画像に、今にも飛び出していきかねないほどの殺気を放ち、すぐに救出のためのチームが組まれた。
おそらく集められた若者たちは屋敷に仕える者たちの特性や能力も何も知らされていない一般人だ。制圧ははっきり言って容易い。しかし、銃がつねに少女に突き付けられた状況では制圧はできても万が一ということがある。
少女に傷一つでもつくことは彼らが最も恐れることだった。
単身で向かった玄武を拉致した犯人たちはすんなりと迎え入れた。そこは暗く、窓もない広い部屋で、数十人の屈強な男たちと縛られた少女の前に銃を突きつける男のみが待っていた。
少女を開放するために出された条件はただ一つだった。
「ただリンチに耐える」
それだけだった。
玄武はその言葉の通り、数十分間にわたりただひたすらに若者たちの暴力を一身に受けている。
「玄武。耐えるのよ。私が助かるにはそれしかないの」
「はい――お嬢様・・」
玄武は若者たちから鉄パイプや釘の付いたバットで執拗に攻撃を受ける。時には頭を踏まれ、腹を蹴られ、まるでサンドバックを蹴るように。
「シッ!」
ボクサー崩れの男が玄武の立たせると、足払いで倒れさせ、周りの男たちは再び踏みつける。
「可哀想だなお前。この女。自分が助かりたいからお前を殴らせてんだぜ」
男は下卑たにやにやとした笑顔でその光景を楽しんでいる。
「貴様に何がわかる」
玄武は額から血を流しながら、銃を持った男をにらみつける。
「見捨てられようが、裏切られようが、突き放されようが護りたいから護るんだ・・・私の・・俺の覚悟をなめるな」
それは心からの叫び。真実の言葉だった。
「さっむ」
その言葉と同時に再び玄武への執拗な攻撃がはじまった。
「もう満足でしょ!彼を殺す気!?痛めつけるだけで終わる約束でしょう!!」
「は?」
男は銃を突きつけたまま、おどけるようににやにやとした表情を向けてくる。
「殺すに決まってんじゃん。あんたにあいつのザマを見せて、その後あんたも壊してやるよ」
その瞬間。
少女はまるで歯車が組み代わるかのように、まったく別の何かへと変わった。
「そう・・」
少女は男をまるで汚らしい何かを見るような侮蔑的な眼で見ると、一言呟く。
「玄武」
ドールの少女は少し俯くと静かに目を閉じた。
さっきまでの柔らかく可憐で弱弱しい雰囲気とは明らかに違う。
「いいわ。やりなさい」
まさしくドールの姿に相応しい感情もなく抑揚のない機械のような冷たい空気をまとっていた。
―――はい、お嬢様。
さきほどまで武器を持った男たちになぶられ続けていた男は、一言そう呟くと、すくっと立ち上がり仁王立ちになった。
それまで殴る蹴るの一方的な暴力を加えていた連中も、突然のことに少し躊躇し動きを止めてしまった。
まるで獣が唸るような、それでも静かな吐息が男の口から吐き出される。
「なんだこら!!死ん・・」
一人の若者が悪態をつきながら手にした鉄パイプを玄武に向かって振り下ろした。
―――ビュウンッ
鉄パイプの空を切る音・・ではない。
何か質量の大きな物体が、空間を切り裂く音がした。
一陣の風が巻き起こり、同時に玄武の姿が消えてしまった。
「う、うわああ!!!」
しばらくすると別の若者が叫びだした。
周りにいる連中もそれに呼応するかのように狼狽えた声をだす。
彼らの視線の先には先ほど玄武に鉄パイプを振り下ろそうとした若者がいた。しかし、彼は鉄パイプを振り上げたまま微動だにしない。まるで彫刻のようにその場にたたずんでいる。
一つの重要なパーツを失って。
若者たちはそれまで一方的に嬲っていた標的を失い、右往左往と辺りを見回した。
玄武は彼らより少し離れたところに佇み、片手に持ったボールを弄んでいる。
古代スパルタの戦士のような肥大化した肉体に、スマートに着こなしていたスリーピースのスーツは裂け、顔は血管が浮き出ており、目は充血し、まるで獣の姿そのものようだった。
やおら玄武は片手に持ったボールを一人の若者に投げつけた。
ドゴッ!!
という鈍い音共に、まるでペンキを床にまき散らすようなバシャバシャという水音が鳴った。
また一人の男が叫びだす。
しかし、すぐに鳴きやむ。屋内の空間に突風を巻き起こしながら。
また一人。また一人。
「あ・・な・・」
少女のそばにいた男は突き付けている銃をぶるぶると震わせながら、その悲惨な光景を見つめていた。
獣は最後の獲物の方に振り向くと、身体全体を向けなおした。
男は少女に向けていた照準を獣の方に向けると、引き金をひこうと指先を折り曲げた。
パンッ!!という乾いた音がした。
しかし銃声ではなかった。
煙も弾痕も排莢も残らなかった。
男の立っていた場所には何の彫像も残らず、ただ紅いペンキがバシャッと巻き散らかされた。
「ご苦労だったわ」
少女はまるで作業の終わったことを確認するような事務的な言葉で玄武に労いの言葉をかけた。
その目はいつものように光り輝く宝石の瞳ではなく、命なきドールのガラス玉のように鈍く無機質にはめられている。
玄武が椅子のロープを手で引きちぎると、少女は特に意に介さずそのまま一歩足を出した。気づかずボンっと何か固いボールを蹴飛ばしてしまう。ボールはコロコロと数メートルほど転がってとまった。
少女はそのボールを一瞥する。
「汚らわしいわ・・」
少女は心の奥底から嫌悪感をしめし、無機質な眼をただ転がるモノに向けるのみだった。
「玄武」
玄武は名前を呼ばれるとすぐに少女のそばに控える。
「汚れるわ。抱えてちょうだい」
何も言わず彼は少女を抱き上げると、そのままパシャパシャと水音をさせながらゆっくりと部屋を出ていく。
部屋には静寂と鉄の生臭いにおいとパーツの欠損した彫像と、たくさんのボールが残された。
ガチャン――――と金属の重たい扉が閉められる。
全てを覆い隠す暗闇だけが残った。




