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追憶

――ハァッ!ハァッ!

一人の子供が薄汚れた路地を走っている。

苦しそうに呼吸をし、口からでる唾液を必死に飲み込みながら。

「このガキ!!待て!」

子どもの後ろから太った男がまるで重機のような身体をなんとか動かしながら追いかけてくる。

子どもは時折、その追いかけてくる男を振り返りながらなおも必死に走り回っていた。

その様子を通行人はちらりと一瞥するだけで特に興味を示すわけでもない。

ここではこんな光景は毎日見られるものだからだ。


子どもの身なりはとても人前に出られるとは思えないほど薄汚れ、銀色の髪もぼさぼさとなっており少年か少女かも分からない。

しばらく走り、路地裏に逃げ込んだ。男もそれに続いて追っていく。

「くっ・・」

子どもは長く続く路地裏の道を必死に走るが、しばらくして袋小路に行きあたってしまう。

辺りをきょろきょろと見回すが、逃げ場はない。

「・・どうしたら」


――おい・・こっちだ

ふいにどこからか声をかけられた。

袋小路の塀の上に一人の少年が手を伸ばしている。

「早くしろ!」

子どもは一瞬躊躇したが、少年の差し出した手につかまる。

ただ、片手には落とすまいと必死にパンを抱えていた。

少年とは思えないほどの力で子どもは塀の向こうへと引き込まれた。

顔を確認しあう余裕もなく2人で息を殺し、じっとする。

「くそ!どこだ・・」

さっきまでいた塀の向こう側から男の毒づく声が聞こえた。

少しその場でじっとしていたが、諦めたのかその場から立ち去っていく。

ほっと殺していた息を吐いた。はっとして、抱えていたパンの数を確認した。1、2・・・きちんと持ってきた数があった。


「あ、ありがとう・・助かった」

しっかりとパンは抱えながら、子供は隣の少年の方を見つめた。

見れば、少年は肩裾が破け、顔や腕にあざを作っている。

少年は子供の視線に気づくと特に顔も合わせず言った。

「ああ、さっき街のやつらがいちゃもんつけてきてな。5人がかりだ・・ぎりだったな」

少年はすくっと立ち上がると、特に礼などを要求するでもなくさっさと立ち去ろうとする。

「また会える?」

子どもは少年の後ろから話しかけた。

少しでも引き止めたいような、まさに子供らしい表情で。

少年は振り返って子供の目を見つめる。

「無理だろ・・」

少年は子供から目をそらし、薄暗い太陽で作られた自分のかすかな影を力なく見つめる。

「光のない所に影はできねーからな」

少年のその婉曲的というのか、不可思議な言葉を子供は理解できなかった。ただ、彼が言うからにはもう会えないのだろう。

「どんな光があれば会えるの?」


「さぁな、俺はそんな光見たことねーけど・・」

少年は路地裏の隙間から見える薄暗い太陽を見つめた。

「きっと仰ぎ見れないくれーのでっかい光だろうな」

子どもはじっと少年の呟きを聞いていた。

言っている意味はなおも分からないが、ふと胸に去来する感情があった。

「あ、これよかったら・・」

子どもは抱えたパンを一つお礼に手渡そうと一瞬俯いた。

少し惜しいと思う気持ちもあったが、助けてもらったお礼はしたい。そう思った。だが――

「あれ?」

先ほどまでいた少年はすでにどこにもいなかった。



パチッ――

銀髪のメイドは一人ソファに腰かけていた。今まで閉じていた目を開くと、いつもの屋敷のラウンジに並べられたテーブルやいすが目に飛び込んできた。

「なんだ・・お前が居眠りなんて珍しいな」

覚醒したばかりではっきりとしない頭を片手で押さえると、身体を起こした。どうやら昼休憩のあと眠ってしまったらしい。

見れば霧島が正面の一人掛けの椅子に座って菓子をほおばっていた。

「お前も食う?」

霧島は脇に置いた紙袋から菓子を取り出すと銀髪メイドに差し出した。

「あ・・ええ。頂くわ」

起き抜けに菓子は入らない気もするが反射的に答えた。

菓子を受け取ろうと手を伸ばす。

――――?

ふと先ほどの夢の中の少年がフラッシュバックする。

あのパン屋から逃げて追い詰められたあの塀から、手を伸ばしてくれたあの少年が。


「・・なんだよ?」

菓子に中途半端に手を伸ばしたまま固まっているメイドを見て霧島は怪訝な顔をしている。

「いらねーならいいんだぜ」

そういって霧島は手を引っ込めようとする。

「いえ、ありがとう」

銀髪メイドは立ち上げる拍子に霧島から菓子をとると、パクパクと口に運び始めた。よく練られた餡が口いっぱいに溶けていき、なんとも甘美な気持ちになった。

「ねぇ・・あなたさ」

メイドは手に付いた粉をパタパタ払いながら霧島に話しかける。

「んー?」

霧島はいつもの気のない返事で返した。

「あなたの子供の時はどんな感じだった?」

霧島はすぐに返事を返さずしばらく口をつぐみ沈黙した。部屋の隅とも絨毯ともつかない一点を見つめながら。

そして、スーツの胸ポケットから煙草を取り出すと火をつけゆっくりと煙草の煙を吸った。

「さぁな・・」

霧島は煙草の煙を長く吐くとその一言だけを呟いた。

「もう覚えてないわー」

「ふぅん」

昼も過ぎ、なんともアンニュイな時間が流れている。

霧島は2服目の煙を長く吐きだした。


「こら!!屋敷のなかで煙草は吸っちゃダメって言ってるでしょ!!」

ラウンジに少女の高い声が響く。

まるでコントのように2人で同時にドアの方を振り向いた。

ドアの前にお嬢様が腰に手をあてて立っていた。

「あ、やべぇ・・」

霧島はそう呟くと、そばに置いていた紙袋を持って迷うことなく窓の方へ走っていく。

「あ、待ちなさい!!」

お嬢様はそう叫ぶと一歩足を踏み出しただけで急にとまる。

仕方なさそうななんとも苦い顔をして窓の方を見つめている。

再び窓の方に目をむけるが、すでに霧島の姿はない。


ラウンジに残る煙草の細い煙が空間に溶けていった。

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