6. 大型地雷が無慈悲すぎる件
一方からゴブリン2匹、もう一方からコボルトが1匹と、合計3匹のモンスターに囲まれた状況で、俺と小宮山は2人で燭台を武器にして対峙する。
非常にまずい状況だ。
できれば一匹しかいないコボルトを二人がかりで先に倒して、数の不利をなくしておきたい。
だが、初見のコボルトの強さがよく分からないので、最悪の場合はコボルトを倒しきれず、背後からゴブリン二匹に襲われることになってしまう。
ひとまず今は堅実な戦い方をした方がいい。
「部屋の角を背にして戦え! 二対三といってもゴブリンはザコだ! どうにかなる!」
「お、おう!」
2人で部屋の角に固まって、前からしか敵がこれないように陣取る。
三匹を一度に相手にすることになるが、この位置取りならば少しは不利を覆せるはずだ。
じりじりと距離を詰めてくる3匹のモンスターは、俺たちを完全に包囲する位置まで来ると警戒するように歩みを止める。
2人でその様子をにらみつけながら、牽制するように燭台を突き出す。
不意にできた奇妙なこう着状態に、冷や汗が垂れる。
左手に持った本にチラリと視線を向けた。
この本にさっきの草のような効果があれば一気に逆転できるかもしれない。
でも、もし戦闘に関係ない効果しかなかったら、いたずらに隙をさらすだけ。
そもそも俺が使えるものなのかも分からないし、使い方だってはっきりしない。
だが、おそらく今が本の可能性に賭ける最後のチャンスだ。
覚悟を決め、思い切ってページを開く。
直後、本の中から謎の光があふれ出した。
「……っ!? よし、使えたか!!」
古書に書き込まれたすべての文字が光り出し、ページは強風に吹かれたかのようにバラバラと捲れていく。
気付けば、足下には魔法陣のような輝く図形が展開されていた。
一瞬のうちにページがすべて捲れ終わり、本と魔法陣は光りの粒となって消えていく。
それと同時に、周囲が真っ白な濃霧に満たされた。
「な、なんじゃこりゃ!? 白くてなにも見えねえ!?」
「――ぎゃぎゃ!? ぎゃぎゃぎゃ!?」
突然の濃霧に視界を奪われた小宮山とモンスターたちが、驚き騒ぎ出す。
当然俺も驚いた。
だが、すぐに冷静に状況を把握できた。
それは俺の視界が霧に塞がれなかったおかげだ。
周囲を覆う深い霧は、明らかに自分の手も見えないような濃さがある。
にもかかわらず、なぜか俺には部屋全体の様子が霧の出る前よりも鮮明に認識できた。
たとえるなら、周囲の霧すべてが自分の感覚器官になったような気分だ。
まるで魔法だ。
というより、魔法そのものとしか言いようがない。
魔法の本を使用して、『周囲にいる全員の視界を奪いつつ、自分だけは霧に触れているものを手に取るように把握できる』といった効果の魔法を発動した、としか考えられない。
とにかく、これはチャンスだ。
「小宮山、敵はすぐに片付くから、とりあえず今は伏せててくれ」
「は!? え!? お、おい、ほ、ホントに、大丈夫なのか!?」
「ああ、安心しとけ」
パニックになった小宮山に邪魔されたら困るので、とりあえず落ち着いて指示を出した。
まずは敵の数を確実に減らしておきたい。
最初に狙うべきはザコだ。
燭台を握り締め、ゴブリンたちの方へと静かに向かった。
ゴブリン二匹はそれにまったく気付かず、混乱した様子で必死に周囲を見回している。
その一匹の後頭部へ、燭台を容赦なく叩き込む。
ゴブリンはカエルが潰れるような悲鳴を上げて、受身も取れずに顔面から地面に激突する。
さらに、追撃で一度だけ頭に振り下ろすと、黒いモヤとなり消え去った。
これはいける!
霧の魔法の圧倒的な効果に、思わず笑みがこぼれる。
レベルアップの甲斐あって前より手早くトドメを刺せるようになったのも楽でいい。
もう一匹のゴブリンは仲間の断末魔の叫びを聞いて恐慌状態となり逃げ出す。
だが、視界ゼロの濃霧の中で闇雲に走ればどうなるかは明らかだ。
案の定、ゴブリンは部屋の岩壁に激突して倒れ込む。
俺はまぬけなゴブリンにトドメを刺すと、最後に残ったコボルトへと目を向けた。
濃霧の中、コボルトは耳と鼻をヒクヒクと動かし、こちらの方向へとゆっくり近づいて来ている。
ゴブリンよりも聴覚や嗅覚が優れているのだろう。
ただ、濃霧の中で自由に動き回れるほどのものではないようだ。
俺が後ろに回り込むと、コボルトはそれに気付いて振り返る。
だが、ゴブリン2匹の経験値でさらにレベルアップした俺の攻撃を、察知して回避することはできなかった。
低いうめき声を上げて床に転がるコボルト。
すかさず追撃に向かうが、コボルトは受身を取ってすぐに立ち上がり、キバをむいてこちらの方へと駆け出す。
しかし、しっかりと狙いの定まっていない直線的な突進など避けるのは簡単だ。
コボルトはゴブリンよりも戦闘能力が高いようだが、この濃霧の中ではあまり意味のないことだった。
俺は攻撃を確実に当てつつ、コボルトの攻撃はことごとく回避する、という一方的な戦いを続ける。
そして、曲がった燭台で殴りつけること5回目にして、コボルトは力尽き、黒いモヤとなって消え去った。
「……よしっ、片付いたな」
冷静を装いつつも、内心でガッツポーズをとる。
厳しい戦いになるかと思ったけれど、ふたを開けてみれば一方的な圧勝だった。
不利な状況を一手で打開できたことに、なんとも言いようのない達成感がこみ上げてくる。
「お、おい! 高梨、なにがあったんだ!?」
しばらくして部屋を覆っていた濃霧が綺麗さっぱり消え去ると、モンスターも消えていることに気付いた小宮山が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「魔法を使って敵を全滅させたんだよ。さっきの本が本当に魔導書だったみたいだ」
「はあっ!? おい、ちょっと待てよ!? なに言ってんだ!? オレのことバカにしてんのか!?」
端的に状況を伝えると、小宮山は顔をゆがめて食ってかかる。
たしかに、突然そんなことを言われても普通は信じられないだろう。
「なんでそんなファンタジックで羨ましいイベントをオレ抜きでこなしてんだよ!? お前だけ魔法使うとかズルイだろ!? オレにも使わせろよ!!」
「そっちかよ」
だが、小宮山はゲームのような出来事を即座に受け入れていて、その体験を自分ができなかったことに不満があるようだった。
「な、なあ、それで、さっきの魔導書は!?」
「光になって消えた。使い捨てだったみたいだ」
「そ、そんな……」
ショックを受けたように落ち込む小宮山だったが、すぐに立ち直ると朽ちた本棚に駆け寄り、残りの本を調べ出す。
「クソッ!? 全部ただの古本じゃねーか!?」
そこに、開くだけで使える魔導書はもうなかったようだ。
「まてよ、書いてある呪文とかを唱えたりすれば使えるんじゃね」
「俺たちでも読める本があったのか?」
「いや、そこは気合と妄想で」
「……まあ頑張れ」
中二全開の詠唱を披露し始めた小宮山を極力意識の外に追い出し、本棚に残っている古書を開いてみる。
当然のように全てのページが見たこともない文字で埋め尽くされていた。
挿絵も図もないので、なにについて書かれた本なのかも分からない。
アプリを確認してみても、先ほどのようにアイテム名の表示はされない。
ただ、メッセージウィンドウの方にログが残されていて、コボルトやゴブリンを倒したというメッセージのひとつ前に、『魔霧の書を読んだ』と表示されていた。
魔霧の書というのが先ほどの未鑑定の魔導書の本当の名前なのだろう。
「クソ、ダメだな、やっぱ適当な詠唱じゃ意味ないか。じゃあ! さっさと先に進んで新しい魔導書探そうぜ!!」
「あー……はいはい」
やたら意気込む小宮山に呆れながら、おざなりな相槌を打つ。
ただ、早く先に進んでみたいという気持ちは俺も同じだった。
この先ではどんな魔法のアイテムが拾えるのだろうか。
レベルを上げていくと、どこまで強くなれるのだろうか。
そんな好奇心がふつふつと湧いてくる。
ダンジョンに入った当初は、不安と焦りが上回っていてそれどころではなかった。
だが、数回の戦闘を経験して、このゲームのような状況を楽しむ余裕ができてきたのかもしれない。
「ただまあ、安全第一で慎重にな」
「分かってるって。でもな、オレくらいカンの鋭い男はそう簡単にドジ踏んだりしないんだぜ?」
だが、無駄に自信満々な小宮山が意気揚々と一歩踏み出したそのとき、事件は起こった。
「ありゃ?」
小宮山の踏み出した先の地面が、まるでスイッチを押すかのように沈み込んだのだ。
――突如として炸裂する轟音。
瞬時に爆炎が広がり、その一瞬で俺の意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
ぼんやりとした意識が徐々に浮き上がっていく。
ゆっくり薄目を開けると、シーリングライトの光がやけに眩しかった。
その見なれた天井は自分の部屋のものだ。
「なんだ……夢だったのか……」
自分はどうして床で寝ていたのだろうか。
「……ああ、ゲームしてたんだっけ」
きっと、VRゴーグルを被ってゲームのロード画面を眺めているうちに寝てしまったんだろう。
それにしても、なんておかしな夢を見ていたんだ。
ゲームの中に入ってダンジョンを大冒険、なんて安っぽいファンタジーが現実なわけないじゃないか。
アニメの見すぎかよ。
俺も小宮山のことを笑ってられないな。
「ぐっ……痛っ!? ……な、なんだ!?」
なぜか、体がバラバラになりそうなほど痛い。
起き上がろうとすると、全身が重度の筋肉痛のように悲鳴をあげる。
強烈な頭痛に襲われ、めまいもひどい。
これ以上ないほど最悪の気分だ。
たとえるなら、トライアスロンをした直後に3日くらい徹夜を続け、さらに深酒をして二日酔いになればこうなるんじゃないか、というような極限の状態。
いったいなにが起きた!?
まだはっきりとしない意識の中、混乱しながら無理やり上体を起こして周囲を見渡す。
「……はあ!?」
思わず驚きの声が漏れる。
小宮山がすぐ近くの床に転がっていた。
全裸で。
「……なにやってんだよお前!?」
驚きのあまり霧がかっていた意識が一気に覚醒する。
それと同時に、やたらと肌寒いことに気付く。
非常に嫌な予感を覚えた。
恐る恐る、自分の格好を確認する。
全裸だった。
「いやいやいやいや、なんでだよ!?」
思考が完全に停止する中、ダンジョンに入る前に小宮山に言われた警告の言葉が不意に頭をよぎる。
――これは最後の警告だ。奇妙なダンジョンに入る者は、全てを失う覚悟をせよ――
「ええ!? 全てを失うって……服とか持ち物とかそういう意味!?」
そんなアホな。
でも事実、ダンジョンの中に持っていった物だけが綺麗さっぱりなくなっている。
やっぱりダンジョンに入ったことは現実だったのか?
そういえば、警告文には続きがあったな……
――ときとして、人間の失ってはいけない大切なものすら失う可能性があることも忘れるなかれ――
これはどういう意味だったのかと考えていると、トタトタと部屋の外から足音が聞こえてきた。
あ、今この部屋には全裸の男が2人きり……や、ヤバい!!
そう思ったときにはもう手遅れだった。
いつもどおりノックもされずに開け放たれる部屋のドア。
「ねえ、お兄ちゃんがわがまま言うから、あたしがわざわざアイス買ってきてあげ――」
ポトリ。
部屋の中を見て石化した琴梨が持ってきたアイスを落とした。
コロコロとむなしく床に転がるアイス。
時間が凍った気がした。
「……琴梨、お前がどんなことを考えているかはよーくわかる。でも一言言わせてくれ。そういうのじゃないから。これは不幸な事故だ。タイミングが奇跡的に悪かっただけなんだ」
停止した時間を破るように早口で言い訳を並び立てる。
「ご、ごめん……今度からはちゃんとノックするから……」
「こ、琴梨……? いや、誤解だからな……?」
「で、でも大丈夫だよ? あたし、お兄ちゃんがどんな趣味だろうと絶対に悪く言ったりしないから……ご、ごめんなさい!!」
見るからに動揺した様子の琴梨は呆然と謝罪の言葉を口にすると、バタンッと勢いよくドアを閉め、ドタバタと大慌てで去っていくのだった。
「ち、違うんだ琴梨!? 誤解だっ!! 誤解なんだぁぁぁああああああ!?」
俺はダンジョンに入ったことで、失ってはいけない大切なもの――人としての尊厳とか兄としての威厳などを失ってしまったようだった。