5. さとりの書はもう必要ないね
スマホ画面のステータスボタンを慎重にタップすると、半ば予想していた通りのものが表示された。
【高梨孝司】(20)
種族:人間
レベル:1
職業:学士
スタミナ:86/100(%)
アイテムボックス:0/15
状態異常:なし
装備
武器:なし
防具:なし
装飾品:なし
個人情報を登録した記憶はないのに、名前と年齢がしっかりと記載されている。
普通に考えればおかしな話だが、既に散々ありえないことが起きているため今更だろう。
気になるのは職業欄だ。
まだ大学を卒業していないので学士号は持っていないけれど、どういう基準なんだろうか。
そう思って試しに職業欄をタッチしてみると、学士の詳細が表示された。
【学士】(ノーマルジョブ)
多くの時間をかけて学問に取り組んでいるものたち。
学ぶことに長けているため、レベルアップが早い。
ステータスはバランスよく成長するが、近接戦闘能力はいくぶんか劣り、魔法能力がわずかに優れる。
〈職業スキル〉
・経験値ブースト
〈レベルアップによるステータス上昇値〉
生命:D
筋力:D
精密:C
敏捷:C-
魔力:C+
抗魔:C+
学士の説明を見るに、高校卒業まででも10年以上勉強することになる日本の学生なら、結構な割合で当てはまるのかもしれない。
さらに気になることが出てきたので、ジョブスキルの欄をタッチする。
【経験値ブースト】
モンスターを倒したとき、経験値ボーナスが一律で50加算される。
驚くほど有用なスキルだ。
ゴブリンの経験値がたった3しかもらえなかったこと考えれば、レベルアップ効率が信じられないほど上がる。
ただ、ゲームのセオリー的には、レベルが上がって相手にするモンスターが強くなっていくにつれて、どんどん影が薄くなっていくスキルなのだろう。
たとえば1万の経験値がもらえるモンスターを倒している中で、たった50のボーナスがもらえたところで誤差でしかないからだ。
今は劇的な効果があるが、序盤のスタートダッシュ用だと割り切って考えておこう。
というか、このスキルの優位性が薄れるほどダンジョンの奥に進まなければ脱出できないなんて展開はさすがに勘弁して欲しい。
「おお!! ステータス画面じゃねーか!! オレにもできねーかな!? ステータスオープン!!」
急にハイテンションになった小宮山が声高に宣言するが、当然なにも起こらず、イタ恥ずかしい発言がむなしく響くだけだった。
「……いや、普通にアプリを操作して開けよ」
「す、ステータスボタンがねえんだよ……」
いたたまれない気持ちになって哀れみの視線を送ると、小宮山は目をそらしながら気まずそうに答えた。
小宮山のスマホ画面を確認してみると、確かにメニューボタンやメッセージウィンドウが表示されていなかった。
俺のスマホの表示が増えた原因は、まず間違いなく経験値を得てレベルが0から1に上がったことだ。
一応戦いに協力していた小宮山のレベルがあがらなかったのは、おそらく、トドメを刺さなければ経験値がもらえないからなのだろう。
次にゴブリンが出てきたときは、小宮山にトドメを刺させることに決めて、ダンジョンの奥に進むことにする。
そして、部屋の角にある新しい燭台を手に取ったとき、その違和感に気づいた。
燭台がやけに軽い。
軽く素振りしてみると、簡単に振り回すことができた。
もしかしたら燭台によって重さが違うのかもしれないので、曲がってしまったさっきの燭台を持ち上げてみる。
やはり明らかに軽い。
レベルアップの恩恵は本当にあるようだ。
これならある程度まともに戦えそうである。
少し体を動かしてレベルアップで上がった身体能力を確かめ、その後にしっかりと今後の作戦を話し合い、それぞれで燭台を武器に持ち、モンスターを警戒しながら坑道の先へと進んだ。
すると、先ほどと同じように部屋の入り口が見えた。
――ぎ……ぎゃ……
部屋の方からゴブリンの鳴き声がわずかに聞こえてくる。
「部屋の中にいるな。戦おう、慌てないように心の準備しとけ」
「……もし、敵がいっぱいいたら?」
確認のため声をかけると、小宮山はどこか不安そうに問いかけてきた。
「……戦うしかない。逃げた先に敵がいて挟み撃ちにされる、ってことだけは絶対に避けたい。もし敵が三匹以上いたら、いったん通路に戻って、囲まれないように対処しよう」
通路の幅はあまり広くない。
大人一人が立ちふさがれば、敵が後ろに回りこむことは防げるだろう。
その上、ぎりぎり二人でも並んで戦える程度は余裕がある。
通路に逃げ込んで戦えば、もし敵が大勢いてもある程度なら対等に戦えそうだ。
「小宮山のことも戦力として期待してるんだから、頑張ってくれよ?」
「あ、ああ……任せとけ! オレの真の実力を見せてやる!」
「……足、震えてるぞ?」
「こ、これはアレだよ! 足をポンプに血流を加速させてパワーアップ的な……」
「ゴム人間だったのかお前」
アホな言い訳をする小宮山を見ていると不安になるが、仲間は彼しかいない以上、戦ってもらうしかない。
そんな頼りない友人に後ろを任せつつ、ゆっくりと部屋の入り口に近づき、中を覗き込む。
部屋の壁際に座り込んだゴブリンと目が合った。
「――ぎゃぎゃ!?」
「一匹だけだ! やるぞ!」
「お、おう!」
ゴブリンが警戒の声を上げると同時に部屋の中へ飛び込んだ。
慌てて立ち上がるゴブリン。
その隙をついて反対側に回り込むように部屋を駆け抜け、燭台を槍のように構えて対峙した。
そこに、小宮山が燭台を構えながら部屋に入ってくる。
一直線上に、俺、ゴブリン、小宮山、というように並び、敵を挟み撃ちにする形ができあがった。
レベルアップで上がった敏捷性を生かした作戦はひとまず成功だ。
ゴブリンは俺に向かってナイフを構えるが、後ろに陣取る小宮山に気をとられ、チラチラと視線が前後する。
その様子を落ち着いて見定める。
こちらからは動かない。
ゴブリンが2人のどちらかに飛びかかったとき、狙われていない方が背後から攻撃すればいいからだ。
ゴブリンは慌てた様子で2人を観察すると、ひとりに狙いを絞ったようだ。
「――くぎゃぁああああ!!」
突然振り返ったゴブリンが小宮山のほうに駆け出す。
「な、なんでオレのほうに来んだよ!? オマエさっきまで高梨のほうをにらみつけてただろ!!」
弱そうに見えたからとか?
弱い敵から先に倒し、できるだけ早く敵の数を減らす、という合理的な選択を本能的に選んだのだろうか。
もしかすると、小宮山には囮としての才能があるのかもしれない。
ただのヘタレだと思っていた小宮山の評価を役に立つヘタレに上方修正しながら、俺は即座に踏み込み、燭台を横薙ぎに振るう。
「――ぐぎゃ!?」
体勢を低くして地面すれすれを振り切った一撃は、ゴブリンの足下を正確に刈り取った。
バランスを崩したゴブリンは無防備に地面を転がる。
そして、行き着いた場所は小宮山のすぐ目の前だ。
「お、オレだって!」
すかさず小宮山が燭台を振り下ろす。
ゴスッ、という鈍い音が三度響き、ゴブリンは黒い煙となって消え去った。
「は……ははは、なんだ、ザコじゃねーか! やっぱ、オレにかかればゴブリンなんて相手になんねーわな!」
倒れてる相手にトドメを刺しただけのわりに、小宮山は随分と強気になっている。
そんな情けない姿に呆れつつも、怖気づいて戦えないよりはいくらかマシなので、指摘はしないでおく。
「それで、レベルは上がったか?」
「ちょっと待ってくれ……おっし! 色々表示されてんぜ! ……って、はあ!? どういうことだよそれ!?」
スマホを操作していた小宮山が突然すっとんきょうな声を上げた。
なにかおかしなことでもあったのか?
小宮山のスマホを覗き込んでみると、ステータスの職業欄で目が止まる。
職業:遊び人
「ぶふっ!? どうもこうも、ぴ、ぴったりすぎる……!?」
「なに大爆笑してんだゴラ!?」
思わず吹き出してしまった。
あまりに的確な表現に笑いが止まらない。
「こんなの絶対おかしいだろ!?」
いやまったくおかしくないだろ。
学士でないのは大学に入ってからまったく勉強していないからだろうし、あれだけ遊びほうけていれば遊び人認定される理由も十分だ。
納得の職業である。
「とにかく詳細を見てみろよ。もしかしたら予想外に強い職業かもしれないじゃないか」
「もしかしたら、とか、予想外に、とか言ってるのはほぼほぼそんな可能性ないと思ってるからだろ!? くそ、見てろよ、一見不遇なジョブが実は最強でした、なんてことはラノベじゃ常識なんだぞ。そのときは土下座させてザマァしてやるからな」
「おう、じゃあそのためにばっちりパーティから追放しといてやるから任せとけ」
「ごめんそれはやめて」
ラノベ理論を恨めしげに語る小宮山にいい笑顔で返すと、小宮山は表情をこわばらせながら職業欄の詳細を表示させた。
【遊び人】(ノーマルジョブ)
遊びほうけることに人生をかけているものたち。
嫌なことから逃げることに長けているため、逃げ足が早い。
また、その奔放な生き方から周囲の反感を買うため、敵から狙われやすい。
ステータスの成長は全体的に低く、特に攻撃能力が壊滅的に劣る。
〈職業スキル〉
・逃げるが勝ち
・ヘイトアップ
〈レベルアップによるステータス上昇値〉
生命:C+
筋力:E
精密:E+
敏捷:D+
魔力:E-
抗魔:D
学士より高いステータスが生命しかない。
ほかのステータスはほとんどが大きく劣っている。
なんというか、ね、ちょっと気の毒でだいぶコメントしづらいな。
「よ、よわすぎる……」
「少しはオブラートに包んで!? そんな言いづらそうな顔しといてよくもまあはっきり言ってくれたなあ!?」
「でもまあ、スキルは結構使えそうだからいいじゃないか」
「どうせ囮にするのに最適だとか考えてるんだろ!?」
「……え? な、なんでわかった? ま、まさかエスパーか!?」
「誰でもわかるわ!! ていうか白々しすぎるだろ!?」
悪いと思いつつも、ついつい煽りたくなってしまう。
まるで囮にしろと言わんばかりの職業なんだから仕方ないだろう。
スキルの詳細を見ても、逃げるときだけ速度が上がるものと、敵から狙われやすくなるものであり、想像通りの効果だった。
回避タンクならぬ逃げタンクになれそうだ。
「ま、まだだ、まだ逆転のチャンスは残ってる。ノーマルジョブって書かれてるし、きっとマスタージョブとか上級職的なものがあるはずだぜ。遊び人から転職するものといったら当然賢者しかないだろ? ということは、オレの未来は転職賢者の無双ライフになること間違いなしだ。そうなりゃモテモテになってハーレムだって夢じゃな――」
「あー、うん、ダーマ神殿があるといいな」
ぶつぶつと妄想をつぶやき続ける小宮山は適当に放置して、俺は部屋の探索を始める。
部屋は先ほどより一回り大きくバスケコート並の広さで、角にはぽつんと木製の棚が置かれている。
近づいてみると、木の棚は今にも崩れ落ちそうなほど朽ち果てていたが、中には分厚い古書が5、6冊まばらに並んでいた。
ぼろぼろだが本棚のようだ。
その数冊の本の中に、1冊だけやけに目を引く本が混じっていた。
外見は他の本と大して変わらないのに、その本だけ異様な存在感を放っている。
その異質な感覚は先ほど小宮山の食べた草が持っていた存在感と同じものだ。
マップで確認してみると、アイテムを示す黄色い点が本棚の位置に1つ光っていた。
慎重にそのアイテムらしき本を抜き取る。
赤茶色のハードカバーは皮製で、全体的にいかにも古書というような年季の入った風格がある。
表紙には簡略化された鳥のようなデザインの絵が描かれていて、タイトルは見たこともない文字で書かれている。
「おおっ! どう見ても魔導書ってカンジの本じゃん!」
様子を見に来た小宮山が騒ぎ出した。
たしかに、なにか魔法が使えるようなアイテムなんじゃないか、と少し期待してしまう。
だが、たとえそうであったとしても使い方ははっきりしないし、その効果も分からない。
その上、なぜだかこの本を見ていると、気軽に開いてはいけない、という警戒心が湧いてくる。
なにも考えずページを開けば痛い目にあうかもしれない。
なにかヒントはないのか、とアプリの画面を確認してみる。
すると、こちらの意を汲み取ったかのように『鳥意匠の書(未鑑定)』という文字が画面中央に表示された。
先ほどのようにタップして詳細を確認するが、『未鑑定のため詳細不明』という文字が出るだけだ。
「なあ高梨、開いてみれば分かるんじゃないか? とりあえずオレに貸してくれよ」
「小宮山に渡すと絶対ろくなことにならないからダメだ」
「どういう意味だよそれ!?」
やたら本を使いたがる小宮山を適当にあしらっていると、突然、部屋の奥にある通路の方から足音が聞こえた。
「っ!?」
「――ぎぎゃぎゃ!!」
慌てて振り返ると、既に一匹のゴブリンが部屋の中に侵入してきていた。
さらに、それに続いて二匹目が通路から顔を出す。
「小宮山、一匹任せられるか?」
「おう、ゴブリンなら一匹くらい余裕だぜ! ここのモンスターも案外大したことないしな!」
先ほどの戦闘で自信をつけたらしい小宮山が余裕の表情で答える。
だが、その直後、ゴブリンが入ってきた通路の反対側にある、俺たちがさっき通ってきた通路の方から、もう一匹のモンスターが姿を現す。
「――グルル……」
低い唸り声を上げるそのモンスターは、ゴブリンではなかった。
ゴブリンと同じく子供程度の大きさの人型モンスターだが、犬のような頭を持つ獣人で、コボルトと表現するとしっくり来る外見だ。
こちらを血走った目でにらみつけ、ヨダレをだらだらと垂らすその姿は敵意に満ちている。
武器こそ持っていないが、その刃物のように鋭いツメとキバは確実に脅威だ。
「お、おい……数が多いぞ……。通路にも逃げ込めねえ……た、高梨、どうすんだ……?」
再び弱腰になった小宮山が不安そうに助けを求めてくる。
だが、こんな状況の確実な打開策なんて持ち合わせていない。
「……ここで戦うしかないだろ、覚悟を決めろ」
ただ、賭けにはなるが打開策の可能性なら手元にある。
期待と不安の両方を抱えながら、俺は燭台を構えた。