2. どうせただの都市伝説だろ?
「なあ高梨、奇妙なダンジョン、って知ってるか?」
「なんだいきなり、ゲームの話か? そんなことより、押しかける前に連絡する常識がお前にはないのか?」
「はは、悪い悪い、でもまあ、いつものことだろ?」
玄関先で唐突に話を振ってきた小宮山は、俺の文句をへらへらと笑って受け流した。
このいい加減そうな男の名は、小宮山晴斗。
小学校から大学まで同じ腐れ縁の幼馴染だ。
やけに目立つ明るい茶髪にチャラついた服装で、いかにも遊び慣れていそうな見た目をしている。
だが、そのヤンチャそうな見た目と態度はただの虚勢で、中身はヘタレのオタクである。
それもそのはず、小宮山は高校時代にはいかにもオタクといった外見だったのに、進学を機にイメチェンをした大学デビューなのだ。
ただ、そのアホな言動と空気の読めなさから、充実した大学生活を謳歌するキラキラとした集団からは相手にされていない。
哀れな奴なのだ。
「お前、ゲームの話してる余裕なんかあるのか? そんなのばかりやってないで単位取ること考えろよ」
「ん? ああ、単位か……いやまあ、大丈夫じゃね? なんとかなるって。オレが本気を出せばヨユーだし」
「すごい、入学してから1回も進級できてない男の言葉とは思えない」
小宮山は既に2回も留年していて、いまだに1年生という扱いだ。
このまま順調に留年を重ね、次代の留年王となる男だと皆に目されている。
その実態は、ろくに講義にも出ないでバイトすらせず、実家からの仕送りで遊びほうける学生ニートだ。
つまり、どうしようもないダメ人間なのである。
普通なら親は怒り狂うだろう。
だが小宮山の両親は普通ではない。
彼の実家は代々議員を輩出してきた名家であり、大学の学費など気にならないレベルで裕福だった。
そして、小宮山は両親から出来損ないと見なされていて、まったく興味を持たれていない。
いくら留年しようが、なにも言ってこないそうだ。
さらに、「実家に迷惑をかけない」という実に簡単な条件の対価として、生涯にわたって少なくない額の金銭援助をすると約束したらしい。
つまり小宮山は、就職せずとも一生遊んで暮らせることが保証された高等遊民なのだ。
就活を間近に控えて憂鬱になっている立場から見ると、軽く張り倒したくなる男である。
「ああ、もう! そんなことより、おもしれ―話があるんだよ! なあ、聞きたいだろ? 聞きたいよな? なんだと思う?」
なぜか得意げな様子の小宮山は、いかにも聞いて欲しそうに話を戻す。
「ああ、さっき言ってた奇妙なダンジョンとかいうゲームの話だろ?」
「ふっふっふ、ゲーム? 違うんだな、それが」
「あー、じゃあ、テーマパークとかでやってるアトラクションとか?」
「は? アトラクションだって? ふぅー……。さっきから普通すぎてつまらない答えばっかだなあ……夢がないねえ……そんなんで生きてて楽しいの?」
「なんだおい、ケンカを売りに来たのかこのクソニートは」
小バカにするようにわざとらしく肩をすくめる小宮山に、俺は険しい視線を投げかける。
わざわざひとんちの玄関先まで来ておいてなんなんだコイツは。
そんなやっすいケンカを買ってやるほど俺はヒマじゃあない。
これはもうあれだな、閉めよう。
「あっ!? ちょっ、おい!? ドア閉めるなよ!? まだ話は途中だぜ!?」
玄関の外に締め出された小宮山が抗議の声を上げるが、相手にするだけ時間の無駄だ。
無視を決め込みながら、「カチャリ」という無機質な金属音で答える。
「鍵までかけた!? いや開けろよ!?」
「……」
「おーい、聞こえてますかー!!」
「あまり大声で騒ぐと近所迷惑だから警察呼ぶぞ?」
「……ごめんなさいそれだけはマジでカンベンして下さい。警察の世話になったなんて実家に知れたら、仕送りを止められて餓死しちまう! お前はオレに死ねって言うのか!?」
餓死する前にバイトしろ。
などと思ってしまうが、根っからのニート気質であるコイツにとって、そんな選択肢は最初からないのだろう。
「わ、わかった、悪い、悪かった、謝る、謝るから、とりあえず聞いてくれよ。いや、聞いてくださいオレの話を!」
「話したくてしょうがないくせに無駄にもったいぶるなよ。いちいちめんどくさい」
付き合いは無駄に長いので、調子に乗った小宮山の対処にはもう慣れ切っていた。
とにかく、いつまでも玄関先で騒ぐのはマズい。
さっさと小宮山を家に上がらせると、俺の部屋に移動する。
「それで、つまらない普通の発想しかできない俺と違って、頭の中に夢詰め込めた小宮山くんはなんの話がしたかったんだ?」
「わ、悪かったって。……ていうか頭からっぽだったみたいに言うなよ!?」
違うのか?
いや違わないだろう。
「でも、ホントにおもしれー話なんだよ。なんせ、現実の世界でダンジョンが見つかったってウワサなんだぜ!」
小宮山は再び得意げな表情になって話し出す。
「……なんだその下らなそうな話。都市伝説か?」
「まあ、ネット掲示板とかSNSのウワサだし、それに近いと言っちゃあ近いな」
「ああなるほど、アレか。鮫島事件とか国際信州学院大学みたいなやつだろ?」
それは架空のものをまるで実在するかのように皆で語り合う悪ふざけ。
ありもしないものをでっち上げて遊ぶ、というネットでよくあるネタだ。
「いやいや、そんなんじゃないんだって! ただのネタにしては、なんかこう……違和感というか、妙なリアリティがあるんだよ」
「ふーん」
おそらく、その都市伝説を調べるのを付き合え、という話なんだろう。
バカらしい話だ。
普段なら「お前本当にヒマなんだな」と突き放していたかもしれない。
だが、今の俺は小宮山のことをとやかく言える立場じゃなかった。
実はバイト先の諸事情で、この春休みは一切バイトが入っていない。
つまり、俺も小宮山と同じく立派なヒマ人。
なので、自由を満喫できる今くらい、バカに付き合ってバカなことをしてバカ騒ぎするのもいいかもしれない、と思えた。
俺と違って無駄に行動力がある小宮山は、一緒にいて退屈することがないのだ。
「違和感ねえ……なにが気になったんだ?」
「いやなに、毎日長時間ネットに張り付いてるオレからすればなあ、見えちまうもんなんだぜ……ネットの中の真実ってヤツがよ!」
自信満々な渾身のドヤ顔を披露する小宮山。
「ああ、うん。お前がアホなのも思い込みが激しいのも自信過剰なのも、俺は十分に理解してるつもりだ」
「おいコラ!? なんだそのかわいそうなヤツを見るような目は!? 絶対ただの思い込みなんかじゃねーからな!」
「はいはい、それで?」
憐れむような視線を向けながら続きを促すと、小宮山は納得がいかなそうにしつつも話しを再開する。
「ったく、話の腰を折りやがって……。とにかく、オレにはわかったんだよ。ネットに書き込むヤツらの思惑がな!」
「そんなの人それぞれなんじゃないか?」
「そうなんだが、そんな人それぞれのはずのものが、大まかに三種類に分けられそうそうに見えんだ」
「へえ、なるほど」
小宮山の話を話半分で聞きながら適当に相槌を打っていく。
「まず一つ目は、なにも知らないで単に暇つぶしのネタとして適当に書き込んでるヤツら。こいつらはどこにでもいるから気にしなくていいな。二つ目は、ダンジョンの実在を知っていて、その攻略の情報交換をしようとしてるヤツら。そして三つ目が、ダンジョンの存在を知りつつ、その情報が広まらないように、わざと嘘の情報を書き込んでただの都市伝説にしようとしてるヤツら、だ。な? な? かなり気になる感じだろ?」
早口でまくし立てる小宮山に、生暖かい視線で答える。
「いやまあ、それが本当にそうなんだったら気になるけどな……二番目と三番目のヤツらは、お前の妄想の産物なんじゃあないのか?」
「オマエ、オレのこと全く信用してないのな!? 情報交換してるヤツらには、ただふざけてるヤツらと違って真剣に攻略を楽しんでるような、ネトゲのサービス開始直後みたいな空気があったんだよ! わざとニセ情報を書き込んでるヤツらには、広まってない秘密を知ってる優越感に浸る空気と、その優位性を維持しようとする悪意が感じとれんだ! ま、その辺の空気がわかったのは長年のネット生活で鍛え上げたオレの第六感のようなもののおかげだから、信頼性はスゲー高いぜ!」
「お、おう……そうか」
なんてうさんくさい話だ。
小宮山からほとばしる絶対的な自信は、いったいどこから湧き出てくるのか心底疑問である。
だが、ここまで話を聞いたのだから、一応最後までつき合ってやろう。
「それで、そのダンジョン自体の情報はなにか分かったのか?」
「ああ、聞いてくれよ! なんでもそこは、うろついてるモンスターを倒せばレベルが上がる不思議な異次元空間で、不思議な効果を発揮する魔法のアイテムが落ちていて、迷路みたいな内部は入るたびにその構造が変わる不思議な場所らしいぜ。その名も、奇妙なダンジョン」
まるっきりゲームだな。
「……というか、それだけ不思議な不思議な、と連呼しておいて、ダンジョン自体は奇妙な、って名前なのか?」
「ああ、なぜかそうなんだよ。ま、そこがまた奇妙なダンジョンの不思議なところなんだろうよ」
「……なんか適当だな。まあ、都市伝説なんてそんなもんか」
俺がうさんくさいものを見る目を向けると、小宮山はさらにまくし立てる。
「実はな、もうそのダンジョンの入り方も突き止めてて、準備までして来たんだぜ!」
「こういう遊びに関してだけは無駄に仕事速いよな、お前」
「遊び心を忘れたら人は終わりだろ? それに、遊びに全力な男はモテる、って恋愛指南サイトに書いてあったし」
「お前がモテた話なんて聞いたためしがないけど?」
「バッカだなー、これからモテモテになるに決まってるだろ。お前のかわいい妹ちゃんも、もしかしたらオレにホレちまうかもしれねーぜ?」
「ははは、お前みたいなヤツが琴梨にちょっかい出してみろ、東京湾に沈むことになるぞ」
「おいおい、目が笑ってねーぞ。ははっ、まったく、マジな目で物騒なこと言うなよ。冗談キツイぜ」
「ああ、そうか……お前なら、もし行方不明になったとしても家族すら探しそうにないから安心なんだよな……」
「まさかの本気!?」
俺がわざとらしく真剣に考え込む仕草をすると、小宮山は引きつった顔で冷や汗を流す。
「……オマエって、たいがいシスコンだよな」
「いやそんなことないだろ。妹にストーカーができたら、兄貴が全力で対処するくらい普通だろ?」
「抹殺はちょっと全力すぎやしないですかねえ!?」
「ははは、禍根は残さない方がいいに決まってる」
「ていうかこれストーカーの話だっけ?」
「お前が琴梨に好かれてるとかバカな勘違いをして、しつこくつきまとう、って話だったろ?」
「話が曲解されてる!?」
なにを寝ぼけたこと言っているんだコイツは?
琴梨が小宮山に惚れるなんて可能性は万に一つ存在しないんだから、ありえる状況を想定しただけだ。
「俺と琴梨はストーカーが消えてハッピー。お前の家族はゴクツブシがいなくなってハッピーハッピー。よかったよかった、ハッピーエンドで誰も不幸にならないな」
「なってるよ!? オレが不幸になってるよ!?」
「……え? ……ああ、そうか……お前……あいつのこと、まだ忘れられないんだな……」
「え? な、なに? 急になんの話?」
突然遠くを見つめてさびしげに語りかける俺に、小宮山は困惑の表情を浮かべる。
「お前が死んだアイツのことを思う気持ちは痛いほどわかる。だがな小宮山、もうそろそろ俺たちはアイツの死を乗り越えなくちゃならないんだ。死んだアイツのことより、まずは今を生きる俺たちの幸せを考えないと……アイツが悲しむぜ?」
「悲 し ま ね え よ !? 死んだアイツ、ってオレって設定だったよな!? 本人を目の前にしてなんで堂々と人の気持ちねつ造してんだよ!?」
「きっと……アイツも残された俺たちの幸せを願ってるさ……」
「しんみり語って強引にいい話だったみたいに終わらせようとすんじゃねえ!?」
「死人に口なし。だからもう口閉じろよ」
「オレまだ死んでないんですけど!?」
というか無駄話ばかりしてないでさっさと話を進めろ。
「ほとんどお前のせいだろ!?」
顔に出ていたらしい。
いや俺だけのせいじゃないだろ。
「じゃあ、奇妙なダンジョンってやつはどこに行けば入れるんだ?」
「はぁ、おいおい、ちゃんと話聞いてたのかよ。奇妙なダンジョンは異次元にあるって言っただろ? 普通に行ける所じゃねーんだよ」
「へえ、じゃあその異次元とやらにはどうやって行くつもりなんだ?」
「ふふふ、それはコイツを使うのさ!」
小宮山は自慢げに鞄からとあるものを取り出した。
スマートフォンとVRゴーグルだ。
「……おいちょっと待て。……いや、まあ……そんなもんか」
それを見て、思わず納得と落胆の声が漏れた。
もちろん本当にダンジョンがあるなどとは思っていなかったが、もう少し面白おかしいオチが欲しいところだった。
「ん? なに残念がってんだ? 話はこれからだぜ」
「いや、だって、お前それアレだろ? 最近よく聞くスマホのVRゲームをやるためのやつ。異次元に行くようなゲーム体験ができる、ってオチじゃん。どうせ、普通に広告打つ予算もない零細アプリ開発会社のステマに乗せられたんだろ」
「いや絶対チゲーから! ただのゲームじゃねーんだって! とにかく、試しにやってみようぜ!」
「わかったから、そんなに必死になるなよ」
かたくなにダンジョンの存在を信じ込む小宮山に呆れつつ、その熱意に押されてスマホとVRゴーグルを受け取る。
まあ、実はVRゲームに少し興味があったし、これはこれで面白そうだからいいか。
「わざわざスマホまで二人分用意したのか?」
「ああ、準備いいだろ? アプリが非公式ストアからしかダウンロードできなかったから、念のためどうなってもいい格安中古スマホを買っておいたんだ」
「公式ストアに出せないアプリとかうさんくさすぎて笑えてくる。もうただのウイルスアプリだろそれ。個人情報とか持ってかれるやつじゃん」
「いやいや、そのアングラ感が本物っぽいんじゃねーか。わかってね~な~」
「あー、はいはい」
得意げな小宮山を適当にあしらいつつ、既にインストールされていた【奇妙なダンジョン】というアプリを起動する。
すると画面が暗転し、中央にぽつんと「スタート」という白抜き文字だけが表示されたので、それをタップしてスマホをVRゴーグルにセットした。
「待った、ゴーグルをつける前に言っておくことがある!」
さっさとゲームを始めようとすると、小宮山が突然声を上げた。
「これは最後の警告だ。奇妙なダンジョンに入る者は、全てを失う覚悟をせよ。ときとして、人間の失ってはいけない大切なものすら失う可能性があることも忘れるなかれ」
真面目な表情になった小宮山が、どこかかしこまった口調で言い切った。
「なんだよ、そのもったいぶったセリフは」
「このダンジョンの入り方をネットに書き込んだヤツの警告文」
「ははは、えげつないガチャかなにかで身持ちを崩すって意味か? 誰かさんみたいに」
「ああ、確かに金銭感覚は人として失っちゃあマズイものだよな……ガチャで生活費を溶かして朝昼晩パンの耳生活を何度繰り返したことか……って、そんな話じゃねーよ!? ダンジョンで死ぬかもしれないから覚悟を決めておけ、って意味に決まってんだろ!」
「アニメの見すぎだ」
俺は誰とも知れない情報提供者からの警告を茶化しつつ、迷うことなくVRゴーグルを装着した。
スマホの画面が視界いっぱいに広がる。
だがそれは、真っ暗な液晶の中央に『Now Loading……』という白い文字が表示されているだけだ。
そして、それはいつまで待っても変わることはなかった。
「ちょっとロードが長すぎないか……? 小宮山、そっちはどうだ?」
「うーん、おっかしいな。こっちも同じ」
しばらく待っても、ロード画面が終わることは一向になかった。
やはりゲームを装ったマルウェアだったのだろう。
「これはダメだな。時間の無駄だ」
そう言ってみてから、ちょっと残念に思っている自分に気づく。
せっかくだからこの後、もう少し本格的なVRが出来る新型ゲーム機でも買ってみるか。
結局起動することはなかったゲームに見切りをつけ、VRゴーグルを額にずらす。
「――ん?」
そのとき、思わず困惑の声が漏れる。
薄暗い。
ゴーグルははずしたはずなのに、そこに慣れ親しんだ自分の部屋の風景はなかった。
「――え? ……は?」
目の前には、ノミで荒く削り出したような岩壁。
周囲を見渡すと、そこは手掘りのトンネルのような通路だった。
「……いやいやいや、そんなバカな」
通路は木材の柱と梁で補強されていて、鉱山に掘られた昔の坑道のような構造だ。
岩壁にはたいまつが等間隔で設置され、静かな炎が不気味に揺らめいている。
土と岩の匂いが漂うその場所は、少し湿気が多くてひんやりとしていた。
とてもゲームなどでは体験できない圧倒的リアルさがある。
そんな場所に、俺はいつの間にかひとりぽつんと立ちつくしていた。
「おいおい……あり得ないだろこんなの!?」
VRゴーグルをはずすと、そこはダンジョンだった。