19. 予想外の大立ち回り
いきなり絡んできた変な男をあしらい終えると、カーネリアさんを連れて学舎に移動した。
時刻は8時50分。
トラブルはあったが、無事に1限の講義が始まる9時前に教室へ入ることができた。
広い大人数用の教室を見渡し、友人を見つけるとその隣の席に座る。
「松本、おはよ」
「あ、高梨、おはよー」
松本は1年の頃からの友人で、俺と大体同じ講義を取っている。
これまで共に、楽に単位が取れる講義を追い求めてきた戦友だ。
そんな意識低い系大学生仲間の松本だったが、最近突然、資格の勉強に目覚めて意識高い派寄りに寝返り、俺を焦らせたりもしていた。
なにかと忙しそうで少しつき合いが悪くなったが、まあそれでも仲がいいことには変わりはない。
「なんか酒口の奴といざこざがあったんだって? 大丈夫だった?」
「え? もう知ってるのか?」
酒口は先ほど絡んできた金髪色黒アロハな夏男のことだ。
「さっき、窓から見てたって人に聞いたんだよ。脅されて怯えきってた1年女子を颯爽と守って、酒口をひとにらみでビビらせて追い払ったらしいじゃん。イケメンか?」
「いやそれ、露骨に脚色されてるの、わかってて言ってるだろ」
「はは、バレたか。でもそう聞いたんだよ。どうせ酒口を嫌ってる奴が盛ったんでしょ」
「盛りすぎ。ていうか好き勝手に面白おかしく噂されてるのか……なんて迷惑な」
そんな噂が出回ったら、面子を潰された夏男によりいっそう恨まれてしまう。
ああいう奴はなにをしてくるかわかったものではない。
本当にめんどくさいことになった……。
長引きそうな厄介事の気配にうんざりしてしまう。
「それにしても高梨って案外やるときはやる奴だったんだな。正直見直したよ。もっとこう、なんていうか、事なかれな性格だと思ってたわ」
「いやまあ、自分からごたごたに首突っ込みたくはないけど、一緒にいた知り合いが絡まれたら仕方ないだろ」
「なんだ元から友だちだったか。そりゃ助けにも入るわな。でも、やり方がちょっとマズかったんじゃない?」
「そこは……まあ、な」
自分でもやらかしたと少し後悔している。
こんな恨まれる形ではなく、もっと穏便に解決すべきだった。
相手の挑発には乗らずに聞き流し、カーネリアさんを連れて逃げるか、または自治会の見回りが助けに来るのを待てばよかったのだ。
それでも真正面から立ち向かってしまったのは、まあ……後ろに女の子がいたからだろう。
恥ずかしい話だが、きっと男としての意地みたいなものを張ってしまったのだ。
「で、その隣のかわいい子が例の女の子?」
「ああうん、この子は、えーと……親戚のカーネリアさん。こっちはいつも大学でつるんでる松本だ」
友達だと紹介すると詳しい関係性を根掘り葉掘り聞かれてしまいそうなので、一緒にいる理由がわかりやすい親戚ということにしておく。
そう言っておけば、もし同居していることがバレてもそこまで不自然に思われないだろう。
「……よろしく」
「よろしくねー。カーネリアちゃんって、もしかして留学生?」
「まあ、そんな感じだな。日本の常識にはかなり疎いから気をつけてくれよ?」
「へー、高梨にそんな国際的な親戚がいたんだ。全然似てないなぁ」
「まあ、ちょっと離れた親戚だし……あ、もう始まるみたいだから話は後で」
考えていた言い訳でごまかしていると、ちょうど講義が始まる時間になったので、これ幸いと話を打ち切った。
◇ ◇ ◇
1限が終わると、興味津々といった様子の松本からさらなる追求を受けたが、曖昧に受け流しながら教室を移動した。
2限には演習授業が入っていて、松本とは別の授業なので途中でわかれる。
松本の質問攻めから逃れ、とりあえずはひと安心だ。
だが、今度は別の問題が出てくる。
演習授業は10人前後の少人数授業である。
1限は広い大教室で大勢の学生が受ける講義だったので、カーネリアさんが紛れ込んでも平気だったが、少人数授業では絶対に誤魔化せない。
そうなるとカーネリアさんにはひとりで待っていてもらうことになるが、朝に夏男といざこざもあったので、正直非常に不安である。
サボって一緒にいるべきなんだろうが、演習授業は初回から出ないと孤立しそうで気が引ける。
今日はこの授業に出席するために大学に来たようなものなのだ。
こうなったら、2限に授業が入っていない友人に適当な説明でもして、少しだけカーネリアさんの相手を頼もう。
日本のサブカルに夢中な留学生で、アニメキャラのロールプレイをしているかなり変わった子だから、とでも説明すればなんとかなるかもしれない。
急いでSNSチャットを数人の仲間に送る。
だが、返ってきた返事は芳しくない。
残念ながら皆、2限には授業が入っているようだった。
いつも講義を自主休講している古宮山に任せられないかとも考えたが、アイツはまだ大学に来てすらいない。
昼休みくらいに学食を食べるために来ることがほとんどで、それまではたいてい家で寝ている。
すぐに呼ぶのは難しいだろう。
仕方がない、ひとりで待っていても大丈夫そうな場所に行くか。
向かったのは学生食堂。
その調理場のすぐ傍にある席に座る。
ここなら学食のおばちゃんから常に見えるので、変な奴も絡んでこれないはずだ。
「……きれい。それにいい匂い」
甘いものをいくつか買ってきてテーブルに並べると、カーネリアさんが興味津々といった様子で眺めている。
チョコレートパフェにレアチーズケーキ、アップルパイなど、学食スイーツメニューのオールスターズを一通り揃えた。
それでもさすがは学食、一番高いパフェでさえ200円ちょっとなので、これだけ買ってもそこまで懐は痛まない。
どうぞ、とスプーンを渡すと、カーネリアさんはゆっくり慎重にパフェのクリームをすくい取り、ぱくりと食べる。
「……っ!?」
直後、わかりやすく目を輝かせた。
そのまま無言でスプーンを動かし、夢中で食べ始める。
どうやらかなり気に入ってくれたようだ。
複数のスイーツをあっという間に食べ終わってしまった。
そこで、カーネリアさんに財布を渡して、学食での買い方を教える。
これである程度は時間が潰せるだろう。
「好きなだけ食べてていいから、少しだけ待っててくれ」
「……うん。わかった」
再びテーブルに並んだスイーツ類に舌鼓を打つカーネリアさん。
今度はゆっくりと味わうことにしたようだ。
甘いものに囲まれてどこか幸せそうな彼女を見て、少しほっこりとした気持ちになりながら、俺は演習授業の教室へと歩いていった。
◇ ◇ ◇
無事2限が終わると、俺は急いで食堂へと戻った。
「あれ……!? いない!?」
調理場の目の前にある席を確認しても、そこに座っていたはずのカーネリアさんが見当たらない。
慌てて調理場のカウンターに駆け寄り、学食のおばちゃんに声をかけた
「あのすいません! さっきまでこの席にいた赤い髪の女の子、どこに行ったか知りませんか?」
「赤い髪の……? あぁ、はいはい、あのデザートいっぱい食べてた子でしょ? ついさっきお友だちみたいな人たちに誘われて、奥の方の席に移動したみたいよ」
「え? 友だちみたいな……?」
「髪の毛を派手に染めた男の子たちだったわねぇ」
「……っ!? ありがとうございます!」
大急ぎで食堂の奥へ向かう。
カーネリア連れて行ったのはおそらくあの夏男のグループ。
そいつらのいる場所ならだいたいわかっていた。
広い食堂の奥まったところには人目につきづらい席があり、そこには派手な外見の学生たちが毎日まるで縄張りであるかのように陣取っている。
いろいろな遊びをやるサークルを自称する怪しげな飲みサー、ハイパーフリーダムのたまり場だ。
そしてあの夏男はハイパーフリーダム、略称パーフリの代表だった。
「――なんだし自由で気楽なサークルに入った方が絶対いいって。だからさぁ、ウチのサークルに入ってメチャクチャ充実した毎日をすごさない?」
「もしバイトで忙しいって理由なら……ここだけの話だが、実はバイトよりもオイシイ儲け話があるんだぜ。どうだ? 興味あるだろ?」
「……」
いた!
席に座ったカーネリアさんを囲むように、4人の派手な男たちが一方的に話しかけている。
「ちょっとキミさぁ、さすがにずっとだんまりはよくないと思うんだ」
「……」
「聞いてんのかオイ!! いい加減にしろよ!!」
「まあまあ、落ち着けよ。ねえキミ、それじゃあさ、今すぐ決められないようなら、この紙に名前と学籍番号、それと住所と電話番号も書いてよ。そうすればもう帰ってもいいから」
なんて悪質な勧誘をしてるんだコイツらは。
脅すような強い口調と擁護するような優しげなささやきを役割分担していて、まるで刑事ドラマの尋問みたいだ。
そうやって個人情報を聞きだして、サークルに入るまでしつこくつきまとうつもりなのだろう。
いくら奥まったところにある席とはいえ、人目が完全にない訳ではないのによくこんな強引なことができるな。
もう誰かしらが大学職員を呼びに行っているかもしれないが、今いる周りの人は気がついても見て見ぬ振り。
残念ながら今の世の中そんなものである。
俺だって無関係なら職員に連絡して終わりだっただろう。
だが、絡まれているのが知り合いではそういう訳にもいかない。
それに、カーネリアさんは自分がこっそり連れてきた非学校関係者だ。
バレたら問題になるかもしれない。
できれば職員が来る前に逃げておきたかった。
「ああ、こんな所にいたのか。ゼミも終わったし、もう帰ろう」
なにげない感じを装ってカーネリアさんに声をかける。
「はあ? いきなり出てきてなんなんだよお前? って、ああ、朝会ったモブ男君じゃねえか」
自然に連れ出せればよかったのだが、当然そんなことはさせてくれなかった。
俺の目の前には夏男が立ちふさがり、こちらを見下ろしながらにらにつけてくる。
俺だって平均よりは背丈があるはずだが、この夏男はそれ以上だ。
そんな180近くあるガタイのいい大男に距離を詰められると、強い圧迫感を感じさせられる。
ただ、正真正銘の化け物であるオークやタウロスと比べてしまうと、体格も迫力も数段落ちるのは当然のこと。
正直大したことがないようにも思える。
だが、勘違いをしてはいけない。
今の俺はレベル0。
オークやタウロスを一蹴したときのような超人的身体能力は発揮できないのだ。
今はこの夏男でも十分な脅威である。
もし取っ組み合いの喧嘩でもしようものなら、体格差で確実に負けるだろう。
それに相手は4人組。
もし全員でこられたら、喧嘩ではなく一方的なリンチになってしまう。
自然と手のひらに汗が滲む。
ただ、さすがにこの夏男だって大学構内で暴力沙汰を起こすのはマズいとわかっているはず。
こんな奴でも、そこまで短絡的なことをするバカではないと信じたい。
「今なあ、この子はオレたちと楽しくお話してんだよ!! お前はひとりで帰れ!!」
「全然楽しそうには見えないけど?」
「なんだ? オレらが無理やり話してるって言いたいのか? 言っとくけどな、この子は自分の意思でこの席に座ったんだぜ?」
「そんな作り話、誰が信じるんだよ」
「パフェ奢るって誘ったらすぐについてきたんだよ。元々ウチのサークルに興味あったってことだろ?」
……え?
そんなまさか、と思いながらカーネリアさんの方を見ると、彼女は気まずげに目をそらした。
「あの……カーネリアさん?」
「……パフェ、買うお金がもうなかった」
あちゃー……、それで素直について行っちゃったのかー……って、子供か!?
いや、今どき小学生だってそんな手に引っかからないぞ……。
というか、学食のスイーツ安いのに、よく財布の中身がなくなるほど食べ続けられたな……。
まあ、そんなにお金が入ってなかったせいだろうけど……。
「えーと……彼女、本当にただパフェが食べたくてついてきちゃっただけみたいだから、勧誘はもうやめてやってくれ。サークルとかまったく興味ないらしいんで」
「は? 寝言は寝て言え。それで、はいそうですか、って納得する訳ねえだろうが!! 奢ってもらっておいてただで帰れると思うなよ?」
たかが200円ちょっとのパフェでなにを言ってるんだコイツは。
「カーネリアさん、時間の無駄だからもう行こう」
「なに無視してんだ!! 待てやコラ!!」
「――っ!?」
夏男を避けてカーネリアさんのところに行こうとすると、突然肩を掴まれた。
かなりの力で握り締めているようで、食い込んだ指と爪が痛い。
「こんなところで暴力とか正気か?」
「ああん? ちょっと肩に手をかけたくらいでなに言ってんだ? ぷははは、おいおい、軟弱すぎるんじゃねーの?」
この野郎、問題にならないギリギリのラインで挑発してきたな。
ここで俺が手を上げれば、確実に喧嘩になる。
しかも勝てない喧嘩だ。
「これくらい痛かねえよな? じゃあもうちょっと強くしてやるよ」
「調子に乗るなよ……!?」
ニタニタと笑いながら肩を掴む力をさらに強める夏男。
その手首を強く掴んで、睨み返す。
カーネリアさんの方をチラリと見ると、3人の男に囲まれて身動きが取れそうもない。
正面から戦うのではなく、どうにか彼女を連れて逃げられないだろうか?
この状況を打開する手はないかと必死に思考を巡らせる――が、ここで状況は思わぬ方向へと変化する。
「ぐっ……!?」
突如、夏男の顔色が青くなっていく。
「あだっ!? 痛たたたたっ!?」
「……は?」
悲鳴を上げて、肩を掴んでいた手を放した夏男。
その手首を掴む俺の手を強引に振りほどこうとするが、どういう訳か押さえ込める程度の抵抗しか感じない。
見かけのわりに弱すぎないか……?
夏男の腕は俺の腕より太いはずなのに、その力は貧弱に思えた。
「や、やめろ放せ!? 放せよ!?」
あまりにも必死に喚くので手首を離してやると、握っていたところがくっきりと痣になっていた。
……どういうことだ?
俺の握力がそこまで強いはずはない。
「テメエふざけんなよコラ!?」
怒り狂った夏男が殴りかかってくる。
だが、遅い。
避けようと集中すると、夏男の動きがスローモーションのように感じられた。
迫る拳は余裕で回避する。
ついでに、すれ違いざまに足を出しておく。
俺の足に躓いた夏男がつんのめる。
そして、イスや机を巻き込み大きな音をたてて盛大にすっ転んだ。
「さ、酒口!? この野郎よくも!?」
残りの3人がいっせいに襲い掛かってくるが、やはり遅い。
コイツら、やっぱり殴ったらマズいよな。
対処法を冷静に考える余裕すらあったので、3人の攻撃を回避しながら、足払いを仕掛けていく。
男たちは3人とも、すぐに床の上に転がることになった。
あまりにもあっけない。
まるで、高レベル状態でゴブリンを相手にしているような感覚だ。
「クソが舐めんじゃねえ!!」
3人を相手にしている間に立ち上がった夏男。
再び殴りかかってくるが、その拳を手のひらで受け止め、握り込む。
「あだだだだだだっ!? ひ、ひぃ!?」
そのままひねり上げると悲鳴をあげ、まるで化け物でも見るような目を向けてきた。
「まだやるつもりか?」
「や、やらねえよ!? だ、だからもうやめろ、やめてくれ!! オレらが悪かった!!」
情けない声を上げる夏男を解放すると、仲間ともども青い顔で一目散に逃げていった。
後に残されたのは俺とカーネリアさんだけ。
だが、乱闘騒ぎを聞きつけて集まって来た学生たちが、遠巻きにこちらを見ていた。
あ、これは俺らも逃げないとマズいやつだ。
俺はカーネリアさんの手を引き、野次馬の視線を振り切ろうと足早に食堂を後にするのだった。