17. 行き違いと勘違いの結果
目を覚ますと、俺はベッドの上にいた。
夢……だったのか?
ガバリと起き上がると、体中が悲鳴を上げた。
慌てて掛け布団の下を確認する。
服はなにも着ていなかった。
ああうん、やっぱり夢じゃないなこれは……。
凄まじいだるさを感じながら、カーテンが開けっ放しだった窓の外をのぞく。
眩しい朝日が降り注ぐ閑静な住宅街。
どこからかチュンチュンとすずめのさえずりが聞こえる。
いつも通りの朝だ。
昨日の騒動がまぼろしだったかのように錯覚してしまう。
だが、強烈な体調不良と全裸な事実がそれを否定する。
というかカーネリアさんはどこに行ったのだろう?
やはりダンジョンに帰ったとか?
そもそも、彼女はどうして俺の部屋に現れたんだ?
別にここからダンジョンに入ったわけではないはずなのに。
そういえば、床に倒れてたはずなのに俺はなんでベッドの上に?
もしかしてカーネリアさんが俺をベッドに寝かせてくれたのだろうか?
……まさか裸のままで?
次々と湧き上がってくる疑問に首をかしげていると、机の上にメモ書きがあることに気づく。
ベッドの上から手を伸ばしてメモ用紙を取ると、そこには小宮山の汚い字が書かれていた。
『悪い、先に退場くらったみたいだ。かなりだるいから帰る』
……そういえば、いろいろありすぎてアイツのことをすっかり忘れてた。
着替えはダンジョンに入る前にしっかりと用意していたので、今回は自分でタクシーを呼んで帰ったのだろう。
一応、帰還の知らせと安否確認のメッセージを送っておくか、などと考えていると、部屋の外からドタドタと不機嫌そうな足音が聞こえてきた。
慌てて布団を首までしっかりとかける。
全裸で寝ているところを見られたら、またなにか変な誤解をされてしまう。
「ねえ、春休みだからっていつまで寝てるの? もうすぐ学校始まるんだからしっかりしてよね。今日はお兄ちゃんが料理する当番でしょ? 調子悪いの治ったんだから、ちゃんとやってくれるんだよね?」
いつも通り琴梨がいきなりドアを開けた。
どうやら朝食の催促だったようだ。
「……ごめんちょっと無理」
「え……? ……もしかして、やっぱり治ってなかったの!?」
「……たぶん」
本当はもう一度同じ症状を患っただけだが、ぶり返したという方が説得力があるだろう。
「もう! 病院行かないからでしょ!? ……あれ? 布団、そんなに深く被って大丈夫? 寝汗とかかいてない?」
「いやいや、大丈夫だから、気にしなくていいから!?」
「そういうわけにもいかないでしょ!? ていうかなんでそんなに焦ってるの!?」
おもむろに布団をまくろうとする琴梨と、それを大慌てて防ぐ俺の攻防が始まる。
傍から見れば滑稽な光景だろう。
だが俺は必死だ。
妹にまた変態扱いされるなんて絶対に嫌である。
「ホントに大丈夫だから!? ああほら、あれだ、これから病院行くから大丈夫!! だからもう準備しないと!?」
「……そう? まったくもう、ちゃんと行ってよ? じゃあ、ごはんはあたしが作っておくから」
どこか腑に落ちないといった様子の琴梨だったが、ようやく布団をまくるのを諦めて出て行った。
ホッと胸をなでおろしながら、やたらと重く感じる体に鞭を打って急いで服を着る。
仕方ない、病院に行くか……。
もしこれで行かなかったら琴梨になにを言われるかわかったものではない。
無駄だとわかってはいても行くしかないのだった。
◇ ◇ ◇
病院に行っても、やはり原因はわからずじまいだった。
提案された各種精密な検査を断ると、「おそらく疲れやストレスが原因でしょうねえ」という一言で終わり。
超常現象に対する医者の見解なんてそんなものだろう。
そして、ダンジョンにリベンジした日から3日後。
時刻は夜の7時。
大型地雷を踏んでからちょうど72時間が経ったのか、デスペナルティの体調不良がこつぜんと消え去った。
ちなみに、寝込んでいる間に残り少なかった大学の春休みも終わってしまっていた。
今日はキャンパスで集団健康診断があったのだが、あの体調ではどうしようもなかったので行っていない。
まあ、後で自費で受ければいいだろう。
明日からは講義が始まる。
ダンジョン攻略に熱中してばかりはいられない。
といっても、1~2年生のときにしっかりと単位をとっているため、今年は結構余裕がある。
3年生から始まる演習授業にさえ出席していれば、他の講義をサボってもさほど問題はない。
ある程度なら時間は自由に使えるだろう。
当面の目標は、再びカーネリアさんに会うこと。
会って謝りたい気持ちももちろんあるが、1番の目的はダンジョンの情報である。
彼女から少しでもダンジョンの話を聞ければ、手探りで攻略するよりずっと楽になるはずだ。
そんなことを考えながら、琴梨が作ってわざわざ部屋まで持ってきてくれた雑炊を食べるため、起き上がってベッドに腰掛ける。
この雑炊は思い出深い一品だ。
実家で俺たち兄妹が病気になったとき、母さんはいつもこれを作ってくれた。
肉や野菜がしっかりと入った卵とじの雑炊は、栄養が豊富で消化にもよい。
その上、味つけや具材のバリエーションも多く、何日続いても飽きがこない。
琴梨はこの母さんの味をはぼ完璧に再現できるので、とてもありがたい存在だ。
東京にいるのに、まるで実家にいるような安心感を与えてくれる。
もちろん俺も同じものが作れるが、これは誰かに作ってもらった方が温かみを感じられる料理なのだ。
土鍋の蓋を開けると、出汁のやさしい香りがふわりと広がる。
さっそく食べようとレンゲを手にしたそのとき――
――ガタン。
突如、押入れの戸が開け放たれた。
そこから平然と出てくる赤髪の少女。
「……へ?」
あまりの事態にまぬけな声がもれた。
呆気にとられていると、パジャマ姿のカーネリアさんは俺の手からレンゲを取って、おもむろに雑炊を食べ始めた。
とても堂々とした食べっぷりである。
まるでそれが当然であると思っているかのようだ。
「……おいしい」
「いやいやいやいや!! おいしい、じゃないだろ!?」
「……?」
「なんでそこで不思議そうな顔をするの!? いきなり出てきて無言で人のごはん食べ始めるなんておかしいでしょ!?」
「……これはわたしの」
「いや……えーと、あれ? 俺の雑炊だよね、それ……」
あまりにもきっぱりと断言されたせいで、一瞬だけ俺の方がおかしいのかと思わされてしまった。
「……あなたのものはわたしのものだから」
「ジャイアンですかあなたは!?」
やばい、話が通じない!?
「そもそも!! なんで押入れの中に!?」
「……ダンジョンで倒されたら、体が治るまで身を隠すのは常識」
知らんよそんな常識。
……いやちょっと待て。
ていうことは3日間ずっとそこにいたってこと!?
「ていうか……それ、琴梨のパジャマだよね? 勝手に着るのはマズいでしょ……」
そのちょっと少女趣味な淡い桃色のパジャマは、琴梨のお気に入りだった覚えがある。
髪の色とも合っているし、少し幼い雰囲気のカーネリアさんにはよく似合っているのだが……そういう問題じゃあない。
「……あなたのものはわたしの――」
「いや妹の服。俺のじゃない」
「……じゃあ返す。でも……えっと……今は、その、無理だから……」
「別に今すぐここで脱げなんて言ってないから!?」
もじもじしながらうつむくのやめて!?
なんか俺がセクハラしてるみたいじゃないか!?
「ああ……なんか、すごい疲れた……。とにかく、今、俺がどういう状況なのか順を追って説明してもらえないか?」
カーネリアさんは俺のものを自分のものと主張するが、別になんでもかんでも自分のものだと思っている訳ではないようだ。
きっとなにか理由があるのだろう。
「……あなたのせいで、今まで集めてきたたくさんの商品が全部なくなった。大損害」
「っ!? そ、それはまことに申し訳ないことを――」
「……別に謝る必要はない。また集めればいいだけ」
大慌てで謝ろうとすると、カーネリアさんに遮られてしまった。
「……あなたは店で一緒に働かせてほしい、って言った。だから、その……責任、取ってもらう」
女子高生くらいの子から責任を取れと迫られてしまった。
変な冷や汗がたれる。
なにかとても後ろめたいことことをしてしまった気になってしまう。
いやまあ、そんな意味じゃないんだろうけど。
「えっと、つまり、アイテムショップで働いて損害額を返せばいいってこと?」
「……そう」
「それじゃあ、俺のものが全部君のもの、って理屈はどこから……?」
「……ひとまず損害を補填するために、わたしはあなたを買い取った」
「買い取った!? まさかの身売り!?」
「……あなたとはもう眷属契約を結んである。あなたのものはわたしのもの。それは、あなた自身を含む」
「ちょ、ちょっと待て。それってもしかして……借金奴隷ってことか!?」
おいおいマジかよ、現代日本で奴隷とか許される訳ないだろ!?
でも、ダンジョンなんてファンタジーな世界の住人に、そんな理屈が通じるはずもないんだよな……。
「……違う。あなたはわたしの眷族。奴隷じゃない」
「それなら、具体的な違いは?」
「……いろいろ」
それじゃあなにもわからないよカーネリアさん。
俺から目をそらした彼女は、答えるつもりはないといった雰囲気だ。
「それで結局、俺が払わなくちゃならない損害額ってのはいくらなんだ?」
「……3千万G」
「それは多いのか? 馴染みない通貨単位のせいでよくわからないんだけど」
「……かなり多い。稼ぐにはきっと何年もかかる」
「ま、マジか……」
大学を卒業するまでに返済できる額じゃないのか……。
俺の将来、どうなるんだ……?
ま、まあ、ポジティブに考えよう。
奴隷ではないと言っているんだし、ひどい扱いはされないはずだ。
「とにかく、ダンジョンに潜ってひたすらアイテムを集めてカーネリアさんに売ればいいてことだよな?」
「……そうじゃない」
「え?」
「……あなたが拾ったアイテムも、全部わたしのもの」
「それだと永遠に返せなくないか!?」
「……アイテムはダンジョンで客に売ればいい。利益分はあなたの個人資産。利益は売値の半額。……ただし、ダンジョンのルールに反して得た利益は無効」
「ああ、そういうこと……」
「……拾ったアイテムは別に取り上げたりしない。好きに使って大丈夫」
ということは、名目上はすべて彼女のものだが、実質的には俺のものってことか。
なんだかんだかなり自由にやらせてくれるみたいだ。
「つまり、アイテムを拾い集めるだけじゃダメで、店で客に売るまでやらないと借金は返せないってことか」
「……そう」
これからいろいろと大変そうだ。
だが、ダンジョンに詳しいカーネリアさんとつながりができたことは、素直に喜ぶべきだろう。
ついさっき立てたばかりの当面の目標も、もうほとんど達成できたようなものだ。
「そういえば、カーネリアさんはここからダンジョンに入ったわけでもないのに、なんで俺の部屋に?」
「……わたしがダンジョンに入った場所はもう、存在しないから」
「え……?」
ぼんやりと遠くを見つめるカーネリアさん
その表情はどこか寂しげだった。
「……だから代わりに、倒された所に1番近い出口からダンジョンの外に放り出される。今回はあなたをこの部屋へ送り返す穴がちょうど開いたから、一緒にここに出た」
「えーと、それより気になったんだけど……カーネリアさんがダンジョンに入った場所がもうないって、どういう意味?」
「……別に、そのままの意味」
そう言うと、雑炊を食べることに集中し始めてしまった。
話したくないということなのだろうか。
雑炊はあっという間になくなってしまった。
「……すごくおいしかった。こんなにおいしいもの、初めて食べた」
「あー、うん、そこまで言ってもらえたら、作った妹も喜ぶよ」
「……また食べたい」
「はいはい、じゃあ今度は俺が作るから、俺の食べる分をかっさらうのはもう勘弁してな……」
「……わかった。約束」
きれいに食べ終えて満足げなカーネリアさんは、なんだかとても幸せそうだ。
その様子を見ていたら、勝手に夕飯を食べられたことなんてどうでもよく感じてしまう。
「……じゃあ、おやすみ」
そう言ってベッドに入り込むカーネリアさん。
「あのー……、そこ、俺のベッドなんだけど?」
「……あなたのものはわたしのもの」
「それはわかったけど……ここ、一軒家だから他に空き部屋があって、そっちのベッドの方が……」
「……ここがいい。気に入った」
「そ、そう。いや、カーネリアさんが気にしないなら別にいいけど……」
自分が毎日使っている布団に女の子がもぐり込んでいる、と考えると、なぜか少しドキリとしてしまう。
ていうか、ここがいいってどういう……?
いやいや、余計なことは考えるな。
どうせ単なる気まぐれだろう。
俺は他の部屋で寝ればいい。
これはただそれだけの話だ。
一番の問題は、もし琴梨が入ってきたら大騒ぎになるということ。
まあ、そのときはそのときだ。
全力で説明すれば、きっとなんとかなるはず。
「じゃあ俺は他の部屋で寝るよ。おやすみ」
「……うん。また明日」
どこかそわそわしてしまう気持ちを押さえて、俺は冷静を装いながら部屋を出た。




