16. 異文化交流は難しい
使ってしまった商品の代金が払えずアイテムショップに閉じ込められることになってから、かれこれもう1時間ほどがたっていた。
相変わらず店主の少女を納得させる手段は思いつかず、途方にくれている。
「じゃあ聞くけど、どうすればここから出してくれるんだ? もしかして、餓死するまでここにいるしかないとか?」
「……好きなようにすればいい。このままずっとここにいるか、出て行くかは自由」
「はは……その出ていく方法がなくて困ってるんだけどなぁ……」
なんとも的外れな回答に、思わず苦笑いが漏れる。
だが、少女の方は不思議なものでも見るような目で俺を見つめていた。
「……? ドロボウすれば出られる」
「いやいや、店主の君がそれ言っちゃう?」
「……もしも次の階層まで逃げられたら、わたしはもう追いかけない。それがダンジョンのルール」
「だからさぁ、そんなことなんで俺に話すんだ?」
「……?」
「いやそこで首を傾げられても……。あれだよ、ほら、まるでドロボウを推奨してるみたいじゃないか」
「……別に、ドロボウされたら制裁を加えるだけ。そんなの望むところ。だって、それがわたしの役割」
「でも、それじゃあ君は困るでしょ」
「……困る? なんで?」
「なんでときたか……。いや、だって、商品を盗まれたら店が儲からないじゃないか」
「……どうして儲ける必要があるの?」
「……」
……え? そこから?
というか話がかみ合っていない。
なにか根本的な認識が間違っていたのかもしれない。
「えっと、儲けは度外視なんだったら、どんな目的でアイテムショップをやってるのかな? 店主ってことは君の店なんだよね?」
「……それがわたしの役割だから」
「誰かにやらされてるとか……?」
「……違う。でも、ダンジョンには店が必要。わたしはわたしが店主だから店をやってる。ただそれだけ」
「店主だから……? 本当に、それ以外の理由はないの?」
「……店主はわたしの存在理由」
一切迷わず断言した少女。
その信じて疑わないような彼女の様子に、俺はたじろいでしまった。
それじゃあまるで、ダンジョンのシステムを維持するためだけに生きているみたいじゃないか。
ゲームで言うところのNPCのように、自由意志や感情を持たない作られた存在だとでも言うのか?
いや、それは絶対にありえない。
だったら俺を助けようとなどせず、店主としての役割を淡々とこなしていたはずだ。
意思と感情を持ちながら、明確な理由もなく店主として働く少女。
それはまるで、ダンジョンに縛られているかのようだった。
「まさか、君はずっとダンジョンで暮らしてるの?」
「……わたしの居場所はここだけ」
たった一人、こんな場所で?
ダンジョンに課せられた役割を果たすためだけの生活。
そんなの、あまりにも寂しすぎるだろ。
「じゃあさ……ここで、働かせてくれないか?」
「……っ!?」
なにを言ってるんだ俺は。
思わず口をついて出た提案に、それを言った自分自身ですら驚いてしまった。
でも、案外悪くないアイデアかもしれない。
その労働を対価にしてポーション代を支払うことができるのではないか?
無賃飲食者が皿洗いで許してもらうようなものだ。
俺の提案に目を見開いて驚いていた少女は、今はなぜか顔を赤らめ、そわそわと視線をさまよわせている。
「……そ、そんないきなり……えっと、その……こ、困る」
なんというか……彼女の反応が少しおかしい気がする。
「ああごめん、やっぱりダメだよね。まあ、そんな都合よくかいかないか」
「……だ、ダメじゃあない。……けど……その、まだお互いのこととかなにも知らないし……」
「そんなこと、これから知っていけばいいじゃないか」
「……で、でも、わたし、そういうこと、まだ考えてなくて……」
「じゃあ今考えてみてくれないか?」
「……あ、あうぅ」
なぜか少女は恥らうように目をそらし、赤い顔を隠すように俯いてしまった。
……なにか、変な勘違いされてないか?
少し嫌な予感がする。
あれ? ここで働かせてくれないか、って聞いただけだよな?
別におかしなことは言ってないはず。
まさか、ダンジョンに住む人たちの慣習とかで、その言葉になにか別の意味があったりとか……しないよね?
いや、そんなフィクションみたいな展開なんてそうそうないはずだ。
「そういえばまだ名乗ってなかったっけ。俺は高梨孝司。君は?」
「…………カーネリア」
少女は少し迷うように黙り込んだ後、ポツリとつぶやいた。
「カーネリアちゃん? いや、年下でも恩人みたいなものだし、カーネリアさんのほうがいいか。まあともかく、きれいな響きの名前でいいね」
「……っ!?」
名前を褒めると、彼女は再び目に見えて動揺した。
俺、特に変なことは言ってないよね!?。
自己紹介の流れで名前を褒めるなんて普通のことじゃないか!
特に俺の場合、自分の名前の響きが独特すぎて、自己紹介すると半笑いが返ってきて微妙な気持ちになることがよくあるので、人の名前はできるだけ尊重するようにしている。
だから、初対面で相手の名前を褒めるのはいつもやっていることだ。
「えーと、ごめん、俺もしかしてなにか困らせるようなこと言った?」
「……そ、そんなこと……ない」
消え入るようなか細い声でそう答えた彼女は、顔をさらに真っ赤に染め上げて、照れ隠しでもするように背を向けてしまった。
これ絶対なにか誤解されてるよな!?
もしかして名前を褒めることに特別な意味があったりした!?
やばい、生きてきた文化が違いすぎて、彼女の常識が理解できない。
下手なこと言うと誤解がさらに加速しそうで怖い。
「あの……、働かせてもらうって話は結局、大丈夫ってことでいいの……かな?」
「……」
恐る恐る聞いてみるが、彼女は背を向けたまま黙り込んでいる。
「えっと、カーネリアさん……?」
「……」
やっぱりダメなのか……。
いいアイデアだと思ったんだけど……。
これで振り出しに戻ってしまった。
またなにか別の手を考えなくては。
とりあえず、なにか解決の糸口がないかと商品を眺めることにした。
棚に並んだアイテムは8個。
先ほど使ってしまったポーションを合わせても9個しか商品がなかったことになる。
明らかに少ない気がするが、おそらく一度に並べる商品の数もダンジョンのルールで決まっていることなのだろう。
なにげなくその中のひとつ、異様に黄色い草を手に取る。
【透明草】[300G]
カテゴリー:草
使用方法;飲む
一定時間、体や身につけているものが透明になり、他者やモンスターから姿が見えなくなる。
ポーションのときと同じように、頭の中に商品の説明が思い浮かんだ。
なんというか……色々と悪用できそうなアイテムだ。
これを使えば案外簡単にドロボウができ……いやいやダメだろ。
わずかに芽生えた邪念を振り払うように、他の商品を見ていく。
【突風の杖(5)】[900G]
カテゴリー:杖
残り使用回数:5
使用方法;振る/投げる
強烈な突風を巻き起こし、あらゆるものを吹き飛ばす。威力は使用者の魔力に依存する。
【位置換えの杖(4)】[800G]
カテゴリー:杖
残り使用回数:4
使用方法;振る/投げる
魔法弾を投射し、当った対象と使用者の位置を入れ替える。
【石化薬】[600G]
カテゴリー:薬
使用方法;飲む/投げる
触れたものを石化させる。
【雷化草】[400G]
カテゴリー:草
使用方法;飲む
一定時間、雷の力が体に宿る。雷を利用した攻撃が可能になり、移動速度が上昇する。
【魔霧の書】[1000G]
カテゴリー:魔導書
使用方法;読む
視界を奪う魔法の霧を発生させる。霧は使用者の感覚器官となり、周囲の様子を正確に把握することができる。効果範囲と持続時間は使用者の魔力に依存する。
【敵探知の書】[1500G]
カテゴリー:魔導書
使用方法;読む
使用した階層において、すべての敵の現在位置を感覚的に把握し続けることができる。持続時間は魔力に依存する。
これら6つのアイテムに加え、2つ目の透明草が棚に並んでいた。
……この店は大丈夫なのか?
どれもドロボウするのに有用そうなアイテムばかりじゃないか。
これらのアイテムをすべて回収して階段まで逃げるために使えば、容易にドロボウが成功してしまいそうだ。
もちろん、一応恩人と思われる女の子相手にそんなことをするつもりはない。
だが、商品のアイテムを眺めているうちに、とある妙案を思いついてしまった。
2つある透明草を使えば、気づかれないように店を出入りできるんじゃないか?
店を出るときと戻ってくるときに透明草を飲んで姿を消しておけば、たぶん出入りはばれないはず。
そして都合のいいことに、店主のカーネリアさんは先ほどからずっと背を向けたまま。
おそらくしばらくはこのままなので、俺が店からいなくなっても気づかないだろう。
だから、こっそり出て行って売れるアイテムを回収して、またこっそり戻ってくればいい。
そして、そのアイテムを売ったお金でポーションや透明草などの使った商品を清算すれば、晴れて自由の身だ。
ただ、突然俺が売れるアイテムを持ってきたら、カーネリアさんは不審に思うだろう。
それでも、店主としての役割を第一に考える彼女なら、きっと納得してくれるはずだ。
完璧な計画じゃないか!
……いや、うん……穴だらけだってことはわかっている。
たぶんとか、おそらくとか、きっととか、希望的観測が多すぎて破綻する予感しかしない。
だが、不義理を働かないよう平和的に解決する方法は、もうこれしか思いつかなかった。
それに、いつまでもここにいるわけにはいかない。
アプリが使えないせいで水も食料もアイテムボックスから取り出せないのだ。
ミノタウロスからの逃走劇によりかなりの汗をかいたせいで、既にのどはカラカラ。
じきに限界がくるだろう。
「あの、カーネリアさん、水とかって分けてもらえたり……しないかな?」
「……」
まったくの無反応。
これは当てにできなさそうだ。
正直もう余裕はない。
だが幸い、小宮山のアイテムボックスに入っていた水と食料が、あいつの倒された場所に落ちているはずだ。
やはり、店から出られれば問題はほとんど解決する。
……やるしかないか。
おもむろに2つの透明草を手に取り、ひとつを懐にしまいこむ。
そして、もうひとつは思い切って口に含んだ。
すぐさま覚悟していた強烈な苦味が口に……広がらなかった。
代わりに感じたのは強い酸味。
まるでレモンを丸かじりしたようにすっぱい。
だが同時に、ハチミツのような優しい甘さも感じられる。
疲れた体に染み渡るような味に少しだけ心が癒され、そのみずみずしさは渇いたのどをわずかにだが潤してくれた。
いやなんでハチミツレモン味なんだよ!?
アイテムが不味くないパターンもあるなら、さっきのポーションも浴びるんじゃなくて飲んどけばよかったか……?
予想外のおいしさに戸惑っていると、自分の体が透けていることに気づく。
自分からみると半透明に見える。
だが、説明文を信じるなら周りからは完全に見えてないはずだ。
少し不安なので、カーネリアさんの正面に回りこんで顔の前で手を振ってみた。
反応は一切ない。
どうやら本当に見えてなさそうだ。
そこで、ゆっくり慎重に出口へと向かう。
あと少しで店の外。
冷や汗がたれる。
最後にもう一度だけカーネリアさんを窺うが、特に変わった様子はない。
俺は意を決して、店の外へと足を踏み出した。
「……ドロボウ」
……!?
いきなりばれた!?
ちょっと待て、まさか見えてたのか!?
だが、カーネリアさんは剣を抜き放っても、周囲をきょろきょろと見回しているだけだ。
いや、見えてないな。
おそらくドロボウを察知できる特殊能力があったのだろう。
少しだけ安心しつつ、急ぎながらも音を立てないように移動する。
きっと、謝っても絶対に許してくれない。
ドロボウなんて望むところだ、と彼女自身が豪語していたのだから、ここは逃げさせてもらおう。
落とした銀の剣などを回収しつつ、一刻も早く階段を探さなくては。
透明草の効果が切れる前にできるだけ逃走距離を稼いでおきたい。
見えてないなら、そう簡単に追いつかれることはないだろう。
「……エクストラオーダー、エリアサーチ」
後ろの方から、なにやら不吉な言葉が聞こえた気がした。
「……見つけた」
うわちょっと待ってそういうのマジやめて!?
なりふり構わず全力で駆け出す。
背後からは、恐ろしい速さの足音が急激に近づいてくる。
ひやり、と背筋に悪寒が走った。
大慌てて横に跳ぶ。
直後、真横に走る銀線。
――ガガァアアアアアアン!!
雷鳴のような地響きが轟く。
恐ろしいことに、振り下ろされた剣が地面に叩きつけられた音だった。
あっ、ヤバイこれは死ぬ。
ていうかどんだけ怪力なんだよこの子!?
こんなことなら店から全部アイテムを持ってくればよかったか!?
ああもう、とにかく今は逃げろ!!
必死に崩れた体勢を立て直して走り出す。
その後も何度か斬りかかられた。
だが、すべてギリギリのところで回避する。
……なにかおかしい。
あんな威力の攻撃ができる強さなのに、それを当てる技術がなさすぎるのは不自然だ。
普通なら瞬殺されているはず。
一度、極力冷静になって相手を観察してみる。
……目の焦点がこちらを捉えてない?。
さっき彼女が言っていた言葉、名前的に探知魔法的ななにかだよな?
だが俺の正確な位置はわかってないようだ。
さては、大体の場所がわかる程度の精度しかないな。
それならまだ生還の可能性はある。
透明草の効果が続く限りは、なんとか逃げ続けられるだろう。
後は階段が見つかるかどうかだ。
何度も襲い来る斬撃をかわしながらダンジョンを駆け抜ける。
途中、半透明に見えていた自分の体がだんだんと濃くなっていくのに気づいて焦ったが、透明草の効果が完全に切れる前に、急いで2つ目を飲み下すことで事なきを得た。
そして、ようやく古宮山が倒された場所が見えてくる。
散らばっているアイテムを悠長に回収している余裕はない。
駆け抜けながら、銀の剣と食料などが入ったリュックだけを掴み取る。
散発的に襲いくる凶刃をかわしながらでは、それが限界だった。
この先のマップは未確認エリアだ。
ただ、現れるモンスターは透明草の効果で逃げに徹すれば無視できる。
通路を駆け、部屋をいくつか突っ切った。
そして、その先にあった広い部屋の片隅に、待望のものが見えた。
よし階段だ!! 助かった!!
だが、そこで強烈な視線を感じた。
恐る恐る振り返る。
カーネリアさんの虫けらでも見るような絶対零度の視線が、俺を正確に捉えていた。
あっ……透明草の効果が切れてる。
「……うそつき」
俺を見据えて立ち止まっていたカーネリアさんが、ポツリとつぶやく。
なぜだかやたらと寂しげな声だった気がした。
キリキリと良心が痛むが、俺はその隙に階段へと走る。
背後から迫る神速の足音。
だが階段はもう目の前。
なんとか間に合うか!?
そう思った矢先。
――カチリ。
足下から最悪の作動音が聞こえてきた。
直後、すさまじい爆音が轟く。
荒れ狂う爆炎が一瞬のうちに部屋中を駆け巡り、俺たち2人を飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
意識がゆっくりと浮上する。
ああ、また大型地雷で死んだのか……。
あのワナ、殺意高すぎだろ。
これでまた3日間は寝込むはめになることを考えると憂鬱だ。
床に転がったまま自室の天井をぼんやりと眺めていると、思い浮かぶのは店主の少女の姿。
カーネリアさんには本当に悪いことをしてしまった。
爆発に巻き込んでしまったみたいだが、大丈夫だったのだろうか?
こんなことになるなら、店を出て見つかったとき逃げるべきではなかった。
謝ったら許してもらえるだろうか?
……ちょっと無理かもしれない。
だがそれでも謝っておきたかった。
ただ、すぐに謝りに行けるわけではない。
奇妙なダンジョンは入るたびにマップが変わる。
第5階層に行けばもう一度会えるという保証なんてない。
それどころか、もう二度と巡り会うことはない可能性だってあるのだ。
それでも、何度もダンジョンに挑めば……また会えるのだろうか?
「……ぅぅん?」
……なにか、女の子が寝ぼけたような息遣いがすぐ横で聞こえた。
いやありえない。
俺の部屋に入ってくる女子なんて妹くらいしかいないが、琴梨は突然兄の部屋で寝るなんて奇行に走る変な子ではない。
だから今、俺の隣で女の子が寝ているなんて状況はあるはずがないのだ。
慌てて上体を跳ね起こし、恐る恐る隣を確認した。
「――なっ!?」
少し乱れて広がる赤い髪。
白くきめ細かい柔肌。
慎ましくもしっかり自己主張する2つの――
「……えっ?」
少女の困惑の声。
まどろみながらもゆっくりと瞼を開ける、一糸纏わぬ女の子。
カーネリアさんと目が合った。
慌てて両手で顔を覆う俺。
「いやいやいやいや、なにも見てない!! なにも見てないから!!」
いやその言い訳は無理があるだろ俺!?
「……っ!?」
ぼんやりとこちらを眺めていたカーネリアさんだったが、今ようやく自分の状態に気づいたようだ。
瞬時に真っ赤に茹で上がった彼女は、うろたえながら大慌てで体を隠す。
そして涙目でこちらをキッとにらみつけ――
「……うそつき!!」
「――ぐはっ!?」
直後、羞恥心と怒りが入り混じった拳が俺の腹に突き刺さった。
薄れゆく意識の中で、やっぱり指の隙間からちょっとだけ見ていたのがマズかったか……、と少し後悔するのだった。