13. 恐怖のレベルアップ
【第5階層 獣魔の迷宮】
4階から5階へ下りると、周囲の景色は再び大きく様変わりした。
長方形の大きな石が規則正しく組み上げられた石造りの迷宮。
正統派ダンジョンといった印象の階層だ。
どうやらアンデットばかりのエリアは抜けたらしい。
階層の名前から考えると、おそらく獣のようなモンスターが出てくる場所なのだろう。
厄介なモンスターがいなければいいが。
慎重に進んでみると、通路の奥から大柄なモンスターが現れた。
背丈は2メートルを超え、体格は相撲取り以上の重量級。
その太い腕には鉈のように分厚い肉切り包丁が握られており、頭は醜い豚のようだ。
「オークか。定番だな」
「お、おいおい、でけぇぞ……大丈夫かコレ!? めっちゃ強そうなんだけど!?」
「やるしかないだろ、相手は待ってくれるつもりはないみたいだ」
初めて出合った自分より大きいモンスターに怯んでしまう気持ちはわかる。
だが、敵意むき出しで突っ込んでくる巨体を前に、たじろいでいるヒマなどない。
銀の剣+4を構え、迎撃のため前に踏み込んだ。
迫り来るオークは小宮山を狙っていたようだが、でっぷりとした体に狭い通路を塞がれてすれ違うことはできない。
側面や後ろからの不意打ちは難しいので、真正面から立ち向かう。
オークは進路上にいる俺に狙いを変えたようだ。
巨体の突進と共に振り下ろされる肉切り包丁。
逃げ場はない。
包丁を避けても突進で轢き潰される。
ならば、受け止めてやればいい。
今の俺ならできる。
どうしてかそんな確信があった。
――ガギィイイイイン!!
打ち下ろされた肉切り包丁と迎撃した銀の剣が火花を散らす。
包丁を受け止められた状態で完全に静止するオーク。
俺が後ろに押し込まれることはない。
突進の威力を完全に殺しきったのだ。
体重300キロはありそうな巨漢の突撃を、65キロ程度の俺がその場を動かず押し止める。
普通ならありえない。
いくらレベルアップで力が強くなっていたとしても、体重差は覆せないのだから。
足は地面に固定されていないので、ある程度は石畳を押し出されるように滑るはずだ。
それがないのは、レベルアップによる身体能力の強化が物理学的な説明のできない魔法的なものだからだろう。
銀の剣と肉切り包丁が拮抗したのは、俺がそんな考察をしているほんのわずかな時間だけだった。
剣を押し込むと、オークの包丁がじりじりと後ろに下がる。
オークの丸太のように太い豪腕よりも、一般的な太さしかない俺の腕の方が力が強いのだ。
突進の勢いがなくなった今、オークには俺の腕力に抗うすべがない。
強引に剣を振り切る。
はじかれる肉きり包丁。
オークは包丁を手放すことこそなんとか堪えたようだが、衝撃で体を大きくのけぞらせる。
すかさず、がら空きの胴に一閃。
肥え太った腹を真横に斬り裂き、半ば以上を断ち斬った。
「――グゴォオオオオオオオ!?」
轟くような悲鳴をあげるオーク。
しかし倒れない。
さすがにしぶといな。
胴が太すぎて一刀両断はできなかったが、即死してもおかしくない深手のはずだ。
その生命力あふれる肉体は飾りではないのだろう。
だがもう虫の息。
立っているのがやっとの様子だ。
ひと思いに剣を振り下ろして斬り捨てる。
「つ、つえぇ……あんなデカブツをそんな簡単に……」
小宮山が驚くのも無理はない。
わかりやすく強そうな敵を超人的な身体能力で一蹴するなんて、普通はマンガやアニメの中だけの話だ。
だが、戦う前からそれができるだろうという予感がしていた。
オークを見たとき、感覚的に格下だということがなんとなくわかったのだ。
レベル15の能力は5階では少しオーバースペックなのかもしれない。
考えてみれば、3階と4階で出てくる高経験値のゴーストは普通では倒せない。
それを狩り続けてレベルを上げた俺は、普通に攻略して5階に下りてきた場合よりもかなり高レベルになっているのだろう。
「まあ、5階でレベル上げすれば小宮山もこれくらいできるようになるだろ。オークの経験値は300ももらえるみたいだし、次からトドメは譲るからレベルなんてすぐ追いつく」
「おおマジか! わりぃけど削り役は頼んだぜ!」
高いレベルを頼りに、5階をどんどん攻略していく。
5階に出現するモンスターは3種類。
オークとタウロスと影狼だ。
タウロスは頭が牛で体は人型のモンスター。
背丈は人と同じくらいだが、筋肉量は恐ろしいほど多い。
その大斧から繰り出される一撃は、オークの攻撃よりも数段は強力だった。
影狼は黒いオオカミのような見た目の素早いモンスターだ。
影の中に沈み込む特殊能力があり、影から突然飛び出して奇襲を仕掛けてくる。
オークが防御力や生命力に特化していて、タウロスが攻撃力に特化、影狼は隠密能力や素早さに特化、というように特徴の分かれたモンスターが分布しているようだ。
オークとタウロスはレベルによる力押しで片付く。
ただ、レベルが低く職業的に筋力も低い上、武器まで貧弱な小宮山では、堅牢な防御力を誇るオークに攻撃がほとんど通らず、トドメを刺すのにてこずることはあった。
だがそれも、目やノドなど攻撃する場所を選べば問題なかった。
影狼はなかなかに厄介だが、例によってまず小宮山を狙うので対処は楽だ。
そして必ず背後から奇襲を仕掛けてくるので、影狼の潜んでいそうな壁や柱の影が小宮山の後ろにきたときだけ注意すればいい。
そんな風に出てくるタイミングはある程度絞れるので、飛び出してきた瞬間に俺が斬り伏せれば被害はでない。
5階は今のレベルならモンスターに苦戦することはなさそうだ。
そんなことを考えながら、いつも通り慎重に床を照らしてワナがないことを確認してから部屋に入る。
だがその直後、踏み出した先の床が沈み込み、カチリ、と作動音が聞こえた。
ヤバイ!!
と思ったときにはもう手遅れ。
かすかに聞こえた風きり音。
反射的に剣を振る。
レベルアップで強化された動体視力が飛来する矢をぎりぎりで捉えた。
強引に剣の軌道を修正。
――バキン!!
それは目前に迫った矢を、間一髪で打ち払った音だった。
「あ、危ねえ……死ぬかと思った……」
冷や汗が噴き出す。
心臓がバクバクと張り裂けそうなほど脈動している。
「すげぇ!? 矢を斬ったのか!? オマエはアシタカかよ!?」
見ていた小宮山は大興奮だが、俺はそれどころではない。
本気で命の危機を感じた。
たとえ死んでもペナルティつきで帰還するだけ。
そうわかっていても、死への恐怖は本物だ。
というかなんでワナがある!?
しっかり確認したはずじゃないか!
慌ててマップで確認すると、【仕掛け弓のワナ】の表示はまだそこに残っていた。
もう一度踏めばまた作動するのだろう。
ワナのある地点の床を注意深く観察するが、ワナがあるとわかる目印がいっさいなかった。
もしかして、5階以降は簡単にワナが見つけられない仕様なのか?
その嫌な予想は、5階をさらに探索する中で確信に変わる。
今度は小宮山がワナを踏んだ。
もちろん事前に床を調べてワナがないと確認した部屋で、だ。
「うわっ!? なんだこりゃ!? 足がくっついて動けねえ!?」
小宮山がワナのスイッチを踏んだ瞬間、透明な粘液が周囲の床から滲み出し、足を張り付かせたようだ。
命の危険はなさそうなので、どうにか移動しようともがいている小宮山を尻目に、俺はマップのワナマークをタップして詳細を確認してみる。
【粘着床のワナ】
作動すると、周囲を強力な粘着床に変化させる。
見た感じそのままのワナだな。
「なんか、ゴキブリホイホイにかかってるみたいな絵面だ」
「ゴキブリ扱いはさすがにひどくね!? せめてネズミ捕り粘着シートって言って!?」
ネズミ扱いでいいのかよ。
「つーか、見てないで手伝ってくれよ!?」
「やだよ、俺までくっついたらどうする」
「めちゃくちゃ薄情っすねアンタ!?」
とは言いつつも手を貸してやり、小宮山を引っ張り出す。
「なんだよクソ、しょーもないワナだなこりゃ!」
悪態をつきながらもなんとか脱出に成功する小宮山。
「まあ、貼りついてる最中にモンスターに襲われたら戦いにくいし、もし転んで手までくっついたら大惨事だ。それに、もし遠距離攻撃ができる敵がいたら一方的に攻撃されることになる。地味に嫌なワナだな」
「……そうか! 遠距離攻撃か! いいこと思いついたぜオレ!」
「なんかダメそう」
「せめて内容聞いてから判断して!?」
「どうせ粘着床にモンスターを貼りつけようって魂胆だろ?」
「その通り! なんたって、オレらにはコイツがあるんだぜ!」
そう言って小宮山は自慢げにクロスボウを取り出した。
「それじゃあ威力不足だ。5階のモンスターには通用しないと思うぞ」
「やってみなきゃわかんねーだろ? 一方的に撃ち放題なんだし、数撃ちゃ倒せるんじゃね?」
クロスボウの矢程度では何発当てても倒せるとは思えない。
だが、とりあえずためしてみることにした。
モンスター狩りにダンジョンのワナを利用できるか興味があったからだ。
できるとすれば、今後の攻略に役立つかもしれない。
今のところ、ワナのスイッチはモンスターが踏んでも作動しないことを確認している。
ただ、ワナが作動した後にできた粘着床のようなものは、モンスターにも効果がありそうに思える。
それを確認するため、近場にいたタウロス1匹をこの部屋まで誘導した。
追ってきたタウロスから逃げて粘着床の反対側に位置取ると、タウロスは思惑通りに粘着床へと足を踏み入れた。
突然足裏が貼りついてつんのめるタウロス。
すかさず小宮山がクロスボウを撃つ。
だが、矢は表皮にかろうじて刺さるだけ。
タウロスにダメージを受けている様子はない。
「どんどんいくぜ!」
脱出に手間取っているタウロスに更なる矢を浴びせかけるが、矢が何本刺さっても動じる様子はない。
「無駄だな。もうその辺で――」
「――グオォォォォォ!!」
射撃をやめさせようとしたそのとき、タウロスが雄たけびを上げながら大斧を振りかぶった。
「なんだ? キレたのか? ムダムダ、そんなとこからオレを攻撃する手段なんて持ってな――」
「いや違う!! よけろ小宮山!!」
――ザクリ。
「――は?」
へらへらしていた小宮山の表情が驚愕に変わる。
その肩には、投擲された大斧が深々と突き刺さっていた。
「小宮山っ!?」
慌てて手を伸ばす。
だがその手が届く前に、小宮山は光の粒になり消え去った。
直後、中身だけがこつぜんと姿を消した形のバイクウェアやプロテクターなどが床に落ちる。
周囲には小宮山のアイテムボックスに入っていたはずのアイテム類が散らばった。
「お、おい、死んだ……のか?」
いや、落ち着け!
本当に死んだわけじゃない!
デスペナを受けて帰還しただけのはずだ!
今はまず目の前のモンスターに対処しろ!
粘着床に貼りついたままのタウロスは、斧を投げた姿勢で静止していた。
だが、その体からは不吉な黒いモヤがほとばしっている。
――ドクン。
ダンジョン全体に広がる不気味な脈動。
突如、タウロスの肉体が膨れ上がった。
「くっそ、マジかよ……!?」
さっきまで自分と同じくらいだったはずの背丈は、2倍近くに巨大化した。
その風貌は荒れ狂う猛獣よりも凶悪で、もはや暴力の化身。
『小宮山晴人はタウロスに倒された』
『タウロスはレベルアップして、ミノタウロスに進化した』
チラリと確認したアプリのログに、冷や汗が垂れる。
おいおい、モンスター側もレベルアップするのか!?
このモンスターはヤバイ。
生物として本能的な部分が全力で警鐘を鳴らしている。
絶対に格上だ。
だがこちらも、そう簡単にやられるほどレベルは低くない。
焦りを押し殺すように剣を構えて、規格外の化け物と対峙した。