結婚――譲歩案アリ!
絵本の一冊でも読んでほしい。そんなプロポーズの言葉なんて、聞いたことがない。
しかし「毎日俺のために味噌汁を作ってほしい」と言われるよりは幾分かマシか。
この先、生き残れるかわからないなんて、どちらの国にいても同じだろう。
だったら、私のことを望む人のもとに行って、のんびりダラダラ過ごすほうがいいのか。
ただ、心配なのは、ダルウィッシュの国の財政だろう。
正直に言うと、うちの国も戦争をしていたので、賠償金の支払や復興などで財に余裕はない。
そのため、私を娶ると望んだら、金にがめつい大臣たちが多額の結納金を求めるだろう。
とてもではないが、貧しいダルウィッシュの国に、金を用意する余裕はない。
「やはり、余と結婚してくれぬのか」
「まあ、気持ちの前にいろいろ問題もあるしな」
「そうだな。余みたいな、金しか取り柄のない男となど、結婚したくないか」
「おい、今、なんて言った?」
「取り柄がない男となど、結婚したくないだろうと言ったのだ」
「その前だよ」
「やはり、余と結婚してく――」
「それよりあとだ!」
「余みたいな、金しか取り柄がない男、のことか?」
「それだ! 金しか取り柄がないって、どういうことだよ? お前、貧乏国の王子ではなかったのか?」
「ああ、そういえば、グラーレアの王子だと書いていたな。あれは、嘘なのだ」
「は?」
「いや、正確に言えば嘘ではない。グラーレアは、我が国の配下にある国で、余はそこの王子だったのだ」
「どういうことなんだ?」
ダルウィッシュは国の複雑な事情を説明する。
「我が国『インバラトゥーリーヤー』は、油田を財源に国土を広げていった国なのだ」
「は? 待て。インバラトゥーリーヤーって、砂漠のオアシスにある大国ではないか!」
私の国よりもずっと大きく、豊かな国である。
大地からは石油が取れ、国境付近にある山岳地帯では鉄鉱石に大理石、宝石類が採れ、鉱山から流れる川からは砂金が取れると、じいやから聞いたことがあった。
「余の母はインバラトゥーリーヤー王の寵愛を受け、余を産んだ。それで、新たな王となる者がいなかったので、余が即位することとなったのだ」
なるほど。途中まで正真正銘グラーレア王子だったが、途中からインバラトゥーリーヤー王になったと。
「実は、五年前から即位していたのだが、それを言ったらアイシャが今まで通り親しく文通してくれなくなると思って、黙っていたのだ」
「ああ、だから、嘘をついていたと」
「申し訳なかったのだ」
「いや、いいけれどさ」
「よかったのだ」
ダルウィッシュは砂漠の貧乏王子ではなく、オアシスの石油王だったわけだ。
インバラトゥーリーヤー国の妃となれば、この先金に困ることなく、使用人と豊かな暮らしができるかもしれない。
命だって、今ほど狙われることはないだろう。
考えれば考えるほど、素晴らしい条件にしか思えなかった。
即座に、手のひらを返す。
「まあ、それだったら、結婚してやらなくもない」
「え?」
「宗教は変えなくていい、使用人を連れて行くのもかまわない、あとは、夜絵本を読むだけでいい。これが、条件なのだろう?」
「あ、ああ」
「だったら、お前と結婚してやるよ」
「本当か、アイシャ!?」
「ああ。だが、百七名の妻への勤めは果たせよ」
「それは……うむ」
顔を逸らし、返事をする。なんとも怪しい態度だった。
「おい、じいや。契約書を書け。今の言葉を反故するようだったら、離婚すると」
「かしこまりました」
ダルウィッシュは何か言いたげだったが、無視する。
結婚することはべつにいいとして、百七名の妃の嫉妬を受けたら大変だ。
それこそ、今まで以上に命を狙われることとなるだろう。
じいやが用意した契約書に、ダルウィッシュは渋々といった感じに署名していた。
「これで、いいのか?」
「じいや、確認してくれ」
「はい」
じいやが、厳しい目で契約書を確認する。きちんとダルウィッシュは本名を書いて、契約に従うことを了承していたようだ。
「とりあえず、私の国への結婚についての申出は、そちらに任せるぞ」
「うむ。任せておけ」
「結婚は一年後くらいか?」
「そんなに待てないのだ。一か月ほどで、話を付けるのだ」
「早いな。まあ、別にいいが」
「アイシャ、心から感謝するのだ」
ダルウィッシュは深々と、頭を下げる。
ここで、ちょうど一時間経ったようだ。ダルウィッシュは護衛に促され、立ち上がる。
「では、一か月後、アイシャと逢えるのを、楽しみにしている」
「おう」
「これを、あげるのだ」
ダルウィッシュは首からさげていた、目を模った不思議なデザインの首飾りを私の首にかけてくれた。
瞼は金で、瞳はダイヤモンドだ。鎖は銀という贅を尽くした品であるが、見た目はただただ不気味の一言である。
「これは、なんなんだ?」
「邪視避けのお守りだ」
「ジャシ?」
「ああ。我が国には邪視信仰という、妬みや、眼と呼ばれるものがある。それは、幸せな者を妬んだり、恨んだり、そのような気持ちで相手を見ると、その者を呪ってしまうのだ。このお守りは、邪視から守ってくれる効果がある」
「ああ、なるほど。やはり、意味があるものだったんだな。これは、大事なものではないのか?」
「他にも持っているから、心配するな。余との結婚が決まり、邪視を向ける者もいるだろうから、身につけておいてほしいのだ」
「わかった」
ダルウィッシュは満足したように、うんうんと頷いている。
そして、別れる前に私の前にしゃがみ込み、頰を向けてきた。
「なんだ?」
「この国には、別れるときに、頰へ口づけをすると聞いたので、待っている」
ダルウィッシュは「アイシャの国の文化について、勉強してきたのだ!」と誇らしげに言い、眼を閉じて私のキス待ちをしている。
いや、お前が私にキスするんじゃないんかい。私がするんかい。
まさか、キスしてくれと乞われるとは想定外だった。
他の男がこんなことをしたら、「うるせー」と言って頰を叩いているかもしれない。
けれど、ダルウィッシュのキス待ちの顔が可愛かったから、軽く触れるだけのキスを頰にしてあげた。