求婚――けれど速攻お断りした件
「ここには、何日くらい滞在できる?」
「あと一時間ほどで、発たないといけないのだ」
「は?」
「あと一時間。あ、五十九分だな」
金細工の蓋付きの懐中時計を懐から取り出し、とんでもないことを呟く。
「大臣には、大変忙しいので、三秒くらい喋って、帰ってくるようにと言われたのだ」
「お前の国、どんだけ王様を働かせるつもりだよ」
「国王は一人しかいないからな」
「なぜ、そのような状態で私に会いに来た?」
素朴な疑問を投げかけると、もじもじしだす。
「おい、あと一時間しか滞在できないのだろう? 早く用事を言え!」
「残り、五十七分なのだ」
「残り時間はいいから、さっさと用件を話せと言っている」
「そ、そうだな」
ダルウィッシュは深呼吸し、じっと私を見つめた。
そして、さらなるとんでもないことを口にする。
「余の百八人目の花嫁になってほしい」
「ん?」
なんだか、突拍子がない言葉が聞こえた。もう一度、聞いてみる。
「お前、今、なんて言った?」
「余の百八人目の花嫁になってほしい」
やはり、ダルウィッシュは「花嫁になってほしい」と言っている。
まだ信じられないので、もう一度言ってくれと頼んだ。
「余の百八人目の花嫁になってほしい」
「オイオイ、人の煩悩の数ほど嫁がほしいのかよ。そんなのお断りだ」
ダルウィッシュは断られると思っていなかったのだろう。愕然としている。
かの砂漠の国が、一夫多妻制だということは知っていたが、まさか百七名もの妻を娶っているなんて知らなかった。
それでよくのうのうと私の前にやってきたものだと、呆れてしまう。
「な、なぜ、余と結婚してくれないのだ?」
「逆に聞きたい。なぜ、妻が百七名もいるのに、私まで娶りたいと考えた?」
「余が結婚したいと思ったのは、アイシャだけなのだ」
「他の妻は、政治的目的で結婚したと?」
「……」
ダルウィッシュは目を伏せ、しょんぼりとしている。
「別に宗教を変えるようにとは言わない。使用人も、大勢連れてきていい。仕事もせずに、だらだらしていてもかまわない」
仕事もせずにだらだらしていてもかまわない、というのは魅惑的な言葉だ。
しかし、もともと王族の女性を政治に参加させたり、公の場に連れて行ったりする習慣がないのだろう。前に、じいやから習ったことがある。
それは男尊女卑というわけではなくて、女性を守るために隠しているのだ、ということも教えてもらった。だから、その点を非難するつもりは毛頭ない。
砂漠の国は、治安が悪いらしい。女性を問答無用で誘拐したり、諍いの結果相手を殺したり。そんなことは日常茶飯事だという。
そのため、女性は守らないといけない、というのが考えの根底にあるのだろう。
「アイシャ……ダメ、だろうか」
「いや、その前に、よく私と結婚しようだなんて思ったな」
「だって、余と文通してくれたのは、アイシャだけだったから」
ダルウィッシュは、帯の中から一通の手紙を取り出す。
「このアイシャの手紙に、何度も励まされたのだ」
広げた手紙には、「誰がなんと言おうと、私はあなたを応援しています」という健気な言葉が書かれていた。
「ああ、それは、お前が兄から喋る言葉が拙いと、指摘されたときの手紙だろう? 残念ながら、返事を書いたのはエリーズだ」
「エ、エリーズとは、誰なのだ!?」
「侍女だ」
「なぜ、侍女が余の手紙を書いているのだ?」
「あー、そのとき、妹が死んで、いろいろ忙しかったんだよ」
「……」
ダルウィッシュは泣きそうになりながら、手紙を折りたたむ。
「あ、あの、こっちの手紙は!?」
もう一枚、帯から手紙を取り出す。それには「いつも頑張っているあなたが好ましく想います」と書かれてあった。
「それは、たぶんじいやが書いたやつだな。初めて外交の旅について行ったときの手紙だったような」
ダルウィッシュは私の背後にいるじいやを見て、悲壮感漂う表情を浮かべていた。
続いて二通手紙を出したが、一通はオディル、もう一通はミレーヌと、どれも使用人が書いた手紙ばかり、胸に響いていたようだ。
「悪かったな。いろいろあって、お前に手紙を書く時間がなかったんだよ」
「うむ」
「夢を壊して悪かった。私はこの通り、薄情な女だ」
「でも……手紙を書くように命じたのは、アイシャなのだ。見ず知らずの男の手紙なんて、無視しておけばいいのに、アイシャはそうしなかった。それに、使用人に手紙を書かせていても、アイシャはきちんと余の手紙を読んでいた。それだけでも、とても嬉しいことなのだ」
ダルウィッシュはまっすぐ私を見て言った。
「アイシャは薄情な女ではない。心温かく、優しい女性なのだ」
語尾が「なのだ」でなければ、きゅんとしていたかもしれない。
しゃべり方一つで、ここまで受けるイメージが変わるものだと驚く。
「――だから、結婚したいという気持ちに、変わりはないのだ」
「わかった、わかった。ありがとうな」
そう答えると、ダルウィッシュの表情はパッと明るくなる。そんな中で言うことは辛いが、本音を述べた。
「だが、花嫁になるのはお断りだ」
「な、なぜなのだ! 苦労はさせないのだ!」
「いや、なのだ、なのだと言われても……私はこの通り、淑女教育はされていないし、妻としての役割も、正直自信がない」
「妻の役割など、果たさなくてもよい。ただ、傍にいてくれるだけでいいのだ」
そんなことを言うが、実際に嫁入りしても、百七名の妻が待っているわけで。絶対に面倒なことになるだろう。
視界の端に、もじもじしているダルウィッシュの様子が見えた。
「なんだよ?」
「な、何もしなくてよいと言ったが、夜……」
夜にすることは、寝るか子作りの二択しかない。
結局、妻としての役割をしなければいけないのか。
そう思っていたが、彼の望みは斜め上方向のものだった。
「余に絵本の一冊でも読んでくれたら、嬉しいのだ」
「三歳児かよ!!」
思わず、本気で突っ込んでしまった。