自己紹介――その前に大いなる勘違い
「殿下!!」
じいやの諫めるような声で、ハッと我に返る。
背負い投げされた砂漠の王は、大の字で倒れたまま動こうとしない。じいやが駆け寄って、安否を確認する。
「大変失礼いたしました。お怪我は、ありませんか?」
「ない」
じいやの手を借りて、砂漠の王は立ち上がった。
金の双眸と、視線が交わった。
どれだけ磨かれた金でも、このような輝きを放っていないだろう。それほどの、美しい金色だった。
長い睫に縁取られた目は、じっと私を見つめている。私も同じように、見返してしまった。
褐色の肌に、猫のようなアーモンド型の目、すっと通った鼻筋と、非常に整った容貌を目の当たりにする。十八歳という年齢もあいまって、大人になりきれていないあどけなさを、どことなく感じた。
王というより、王子といった雰囲気だ。
ヒョロヒョロで眼鏡をかけたガリ勉タイプを想像していたが、手足はすらりと長くどこか余裕を感じる美形タイプだった。
十年間、文通していた砂漠の王は――日本人にとってはすっかりおなじみの黒髪にターバンのようなものを巻き、服は白い貫頭衣に腰に帯のような布を巻き、上から赤いベルベット生地に金の刺繍入りの上着をまとっている。
男なのに、すかし細工の美しい耳飾りを付けていた。それが、よく似合っているのは美形ゆえか。首からさげている、目の形をした首飾りは趣味がいいとは言えないけれど。きっと、何か理由がある飾りに違いない。
「殿下、砂漠の王に謝罪を」
「あ、ああ」
じいやに促され、頭を下げた。そして、謝罪の言葉を口にする。
「私に近づいてくるのは暗殺者ばかりだったから、つい癖で投げてしまった。その、すまない」
「さすが、アイシャなのだ。なかなか、そのようにすぐには動けない」
「はあ」
とりあえず、怒っていないので問題ないということなのか。じいやを見たら、ため息をつかれてしまった。
「体は、いたくないか?」
「大丈夫なのだ」
「そうか」
じいやが「立ち話もなんなので」といい、テーブルと椅子のあるほうへと導く。
奴は護衛を一人連れていた。影になっているところに溶け込んでいたので驚く。
背が高い男で、全身黒衣で目元だけ露出していた。年齢はわからないが、目元に皺がないのでおそらくそこそこ若いのだろう。
私の前に座った砂漠の王は、キラキラとした瞳を向けていた。
金色の瞳は蜂蜜色になり、今にもとろりと溶けてしまいそうだ。
手紙のイメージ通り、彼は人懐っこい。
はるばる海を越えてやってくるほど、私に会いたかったのだろう。
「あ、そうだ。私、お前の名前が読めなくて」
ゴホン! とじいやが大きめの咳をする。砂漠の王に「お前」と呼びかけたことが、よくなかったのだろう。
砂漠の王は「お前」呼ばわりを気にすることなく、笑顔のままだった。
「ああ、それは申し訳なかった。名前だけは、異国の言葉で書いてはいけないことになっているのだ」
「やはり、そうだったんだな」
砂漠の王は姿勢を正し、自己紹介してくれた。
「余の名は――ダルウィッシュ・イブン・ムスタファー・アール・イスハーク、だ」
「ダルビッシュ!?」
「ダルウィッシュ」
「ダルビッシュ……」
「ダル、ウィッ、シュ」
「ダル、ビッ、シュ」
「すまぬ。異国の名だから、呼びにくいのかもしれないのだ」
「あ、いや、すまん。知っている名が、ダルビッシュで」
「ダルビッシュとは、誰なのだ!?」
そんなことを聞かれても、なんとも言えない。
「ダルビッシュとは、いったいどういう関係なのだ!?」
「え?」
ダルビッシュ……ではなく、ダルウィッシュは立ち上がり、私のほうへとやってくる。
「もしや、ダルビッシュはアイシャの、大事な男なのか!?」
「なんでそうなるんだよ」
「一瞬、懐かしそうな顔をしたのだ!」
「違う、違う!」
前世の記憶が蘇っただけだ。決して、心寄せる男性を思い出し、切なくなっていたのではない。
「余という男が目の前にいながら、ダルビッシュに想いを馳せるとは、どういうことなのだ!」
「お前、何言っているんだよ。わけがわからん」
「余も、アイシャの言っていることがわからないのだ! ダルビッシュとは、誰なのだ!」
「なのだ、なのだってうるさいな! お前は、ハムスターの太郎か!」
「ハ、ハムスターのタロウとは、誰なのだ!?」
「お前みたいなしゃべり方をする、ハムスターのことだよ!」
「ハムスターとはなんなのだ!?」
ハムスターとはなんぞや。そう聞かれて、ハッと我に返る。この世界には、ハムスターなどいないのだ。
前世で大人気だった愛玩動物で、それを模したキャラクターであると説明しても理解してもらえないだろう。
かといって、なんでもないと言える空気ではない。
苦し紛れの説明をしておく。
「まあ、あれだ。ハムスターのタロウというのは、幼児に人気がある作品の登場人物で、喋る賢いネズミで、なのだという口癖がある」
「なるほど、そうだったのか。ハムスターのタロウ、か。覚えておこう。ダルビッシュのほうはなんなのだ?」
「ダルビッシュは――その、闘技場っぽい場所で活躍した、英雄っぽい存在だ」
「英雄か。そうか」
ヒーローインタビューとかしている気がしたし、嘘は言っていない。嘘は。
納得した様子で、ダルウィッシュは元の場所に戻って腰かけた。