真実――ナディアの物語
後宮にじいやがやってきたようだ。伝令を、召し使いが持ってくる。
「アイシャ、ナディアが目覚めたらしいのだ」
「様子を見に行こう」
ナディアの容態は、よくはないらしい。
早急に輸血が必要だが、設備もなければ、輸血用の血もない。さらに、彼女の血液型は一万人に一人しか存在しない、『黄金の血』と呼ばれる珍しい型だったようだ。
「現代日本でさえ、適合する血があるかどうか」
「そうか」
人払いし、部屋に入る。
ナディアは客間の寝台に横たわっていた。私達がやってくると、うっすら瞼を開く。
「やっぱり……死んでいなかった、のね」
「お主が刺したのは、残念ながら羊の頭部だ」
「そう」
口ぶりから、記憶は戻っているように思える。今までのナディアと、少しだけ雰囲気が違った。
「私はこの世界にやってきて、ラーミレスを悲劇から救おうと思っていたのに。物語の強制力には、勝てなかった……」
物語の強制力があるのならば、私は将来ダルウィッシュを殺すことになる。
「強制力というものがあるのならば、余は、近いうちに死ぬのだ」
「いいえ、死なないわ」
「どういうことなのだ?」
「続編に、アイシャ姫なんて、登場しないから」
ダルウィッシュと私は、頭上にはてなを浮かべていると思う。
本当にどういうことなのか。詳しい話をきいてみる。
「『石油王に愛されて』の続編は、私が作った二次創作漫画なの」
「つまり、正式な続編ではないと?」
ナディアは頷く。
「アイシャ姫のモデルは、テレビで見た、エリート警察官、井上愛沙」
「私じゃないか!」
そういえば、一回テレビ出演した気がする。警察二十四時みたいなやつに。
「アイシャ姫がインバラトゥーリーヤー国のダルウィッシュに嫁ぎ、主人公の復讐に手を貸してくれるの。最後は、ダルウィッシュを殺して、めでたし、めでたし」
「お、おう」
ということは、この世界は、『石油王に愛されて』の世界観をベースに、ナディアの創作が混ざった不思議な世界、ということなのか。よくわからないけれど。
ナディアがアイシャのモデルを私にしてしまったから、私はアイシャの体に呼ばれてしまったのか。
「大好きな世界に召喚されて、ラーミレスを死から救えると思っていた。でも、無理だった」
ナディアはポロリ、ポロリと涙を流しながら話す。
「私は、これからどうしたら――」
そう呟いた瞬間、ナディアの体は眩しい光を放つ。
「こ、これは!?」
「なんなのだ!?」
目も開けていられないほどの閃光だった。
歯を食いしばり、瞼を閉じる。
光が収まったあとの寝台には、誰も寝ていなかった。
「ナディア!?」
「どこに行ったのだ!?」
突然発光し、姿を消した。
「日本へ、戻ったとか?」
「だったら、よいのだ。ここの国では、満足に治療もさせられないから」
召し使い総出でナディアの行方を捜したが、見つけることはできなかった。
この世界に魔法はない。
それなのに、ナディアは忽然と姿を消した。
「余やアイシャが転生していることを考えると、不思議なこともある世界なのだろう」
「そうとしか、思えないな」
なんだか、疲れてしまった。
いきなり、ここは漫画の中の世界だったと言われても、信じられるものではない。
私達は今、生きている。
世界がどのような仕組みで生まれたのか、考えていたら混乱してきた。
「もしかして――!」
「ダルウィッシュ、どうした?」
「ナディアは元の時代ではなく、それよりも前の時代に戻り、『石油王に愛されて』を執筆したとしたら?」
「ここは、漫画の世界ではないことになるな」
「そうなのだ」
卵が先か、鶏が先か、みたいな話になってきた。
でも、『石油王に愛されて』が発表される前にナディアが戻っていたとしたら、可能性も皆無ではないだろう。
「訳がわからないから、考えるのを止めた」
「余も、安心したのだ」
「しかしお前、よく私に殺される未来が待っているとわかって、娶ったよな」
「アイシャに殺されるならば、本望なのだ。余の夢は、アイシャより先に死ぬことなのだ。アイシャのいない世界では、生きていくことはできないのだ」
「あーもう、重ッ!!」
久しぶりに、ダルウィッシュの重たい発言を聞いた気がする。
「片思いでも、余はアイシャがいるだけで、幸せなのだ」
「おめでたい奴め」
「それでいいのだ」
やはりダルウィッシュは、ポヤポヤしていて、捉えどころのない奴だった。
汚れを知らない天真爛漫な笑顔を向けてくるので、はーっとため息をついてしまう。
「アイシャから、最初に手紙が届いたとき、差出人名にアイシャと書かれていたのだ。そのとき、とても嬉しくて」
「当たり前じゃないか。私の名前なのだから」
ダルウィッシュは笑みをさらに深めながら言った。
「アイシャは、インバラトゥーリーヤー語で『生命』なのだ。そのときから、アイシャは余の『生命』なのだ」
日本から転生し、貧しい小国の王子として生まれ変わったダルウィッシュの、希望でもあったらしい。私の名前に、ダルウィッシュは生きる意味を見いだしたようだ。
ダルウィッシュが言っていた「余のアイシャ」に、そのような意味が隠されていたとは。
してやられた。
「わかった」
「ん、なんなのだ?」
「私がお前の生命であるのならば、命をかけてやってもいい」
「それは、どういうことなのだ?」
「惚けるんじゃない。私と、約束しただろう? 忘れたとは言わせない」
私はダルウィッシュと、ある約束をした。
――あのさ、ダルウィッシュ。今は無理だけれどさ、もしも将来、お前のために命をかけてやってもいいって思ったら、お前の子どもを産んでやるよ。
今この瞬間、ダルウィッシュのために命をかけてもいいと思ったのだ。
「一語一句、覚えているのだ。アイシャの言語録第二十七章、三十一ページに記したのだ」
「おい、お前、なんて記録を付けているんだ!?」
「アイシャの一語一句は、余にとって宝物なのだ」
「燃やせ、今すぐに!」
「イヤなのだ」
ダメだ。ダルウィッシュと話していたら、どんどん話題がズレてしまう。
「それで、どうするのか? 子作りするのか、しないのか?」
遠回しに提案したら、いつまで経っても話が先に進まない。
はっきり問うことにした。
「アイシャ、いいのか?」
「悪かったら言わない」
「そ、そうだよな」
ダルウィッシュは床に正座し、三つ指を突いて言った。
「ふつつかものであるが、どうぞ、よろしくお願いしますなのだ」
大和撫子を思わせる挨拶を、ダルウィッシュは返してくれた。
今から子作りする勢いで言ったのに、ダルウィッシュは思いがけないことを言ってきた。
「この国では、出産時に亡くなる母子が多い。今すぐ、国の医療体制を整えるのだ!」
「お、おお!」
そんなわけで、ダルウィッシュの医療改革に、火を点けてしまったわけだ。
結局、子作りをしたのは三年後だった。
どうしてこうなったのだと、真剣に問いたい。
ただ、マイペースなダルウィッシュらしいと思った。
その一年後に、第一子が生まれる。
ダルウィッシュに似た、愛らしい姫だった。
その二年後に、私に似た王子が生まれる。
この国の将来は安泰となった。
めでたし、めでたし。
番外編を一話更新し、完結となります。
ありがとうございました!