目覚め――いつもと違う朝
朝、起きるとエリーズの寝台に大の字になって眠っていた。
エリーズの姿はない。温もりすら残っていなかった。
ただ、エリーズの香りは残っていたのでシーツをくんくんとかいでいたら、声をかけられる。
「で、殿下、何をされているのですか?」
「エリーズの匂いをかいでいた」
「そのようなことは、なさらないでくださいまし」
持っていたシーツは剝ぎ取られてしまった。
「湯浴みの準備をいたしました」
「ああ」
なぜ、朝から風呂に? と思ったが、昨日、暗殺者と戦ったことをすっかり失念していた。記憶が蘇ってくると、ブルリと震えてしまう。
寝室には大きなバスタブが置かれている。今日は泡風呂だった。
下着を脱がされ、ザブンと勢いよく浸かった。
体を洗ってくれるのは、メイドのオディル。
年頃は十六くらいか。生まれたときから数えていないらしく、正確な年はわからない。基本無表情だが、たまに褒めてやると目を伏せ微かに口元に弧を描く。その表情の変化が、たまらなく可愛らしい。エリーズが教育しているのでどこに出しても恥ずかしくない娘として育ったが、今のところ手放す予定はなかった。
乾燥させた天糸瓜みたいなもので、ワッシワッシと洗われる。絶妙な力加減で、痛気持ちいい。
髪は粉末のシャンプーらしきもので洗われる。リンスはなく、卵と酒で作ったパックを使ってキューティクルを作るようだ。
この世界は、地球でいうと十九世紀あたりくらいの文明だ。車はないが、馬車は走っている。電気とガスはない。だから、この風呂も大鍋に湯を沸かして作るのだ。
地球だと、スイッチ一つで湯が沸くが、ここの世界はすべて手動なので大変だ。最初は電気とガスのない生活を受け入れ難かったが、今では慣れっこだ。
髪をゆすいだあと、浴槽から出る。泡だらけの体は濡れたタオルで拭かれ、その後乾いたタオルで拭く。日本のお風呂のように、排水口があるわけではないので、洗い流すという概念はないのだ。さすがに髪の毛のシャンプーやパックは、湯で洗い落とすが。
バスローブを着せられ、エリーズに顔がびしゃびしゃになるほどの化粧水をかけられる。髪の毛は、オディルが丁寧に拭いてくれた。
「殿下、ドレスは、どのようなものをお召しになりますか?」
「え、いつも通り、動きやすいやつでいいけれど」
「今日は、あのドレスではなりませんよ」
エリーズの言う『あのドレス』というのは、対暗殺者向けに動きやすさを重視させたドレスのこと。元乳母ミレーヌの実家が裁縫店だったので、特注で作ってもらったのだ。
「ダメって、何か公務があったか?」
エリーズがこう言うときは、たいてい公式行事が入っている。
「面倒だな」
思わず、ため息が零れてしまった。
十人いた弟妹は、この十五年で私を含めて三人に減っていた。
皆、不審な病死、事故死、失踪と、次々と姿を消していった。
もちろん、玉座を狙う野心家が、暗殺しまくっているのだろう。
最大勢力は、アランドロン公爵家の後ろ盾があるヘレネ姫だろう。
野心家が大勢付いていて、他の弟妹を暗殺しまくっているのも彼らだろう。
ヘレネ姫自体は、大人しくいい子だ。それゆえに、周囲の傀儡となっているのだろう。
私のことも慕っているようだが、正直あまり関わりたくない。
次に警戒が必要なのは、隣国の王族の血を引くルードヴィヒ王子。
彼が玉座についたら、即座に我が国は隣国に取り込まれてしまうだろう。
もっとも狙われているらしいが、悪運が強いようで生き延びている。
絶世の美男子で、女どもはみんなルードヴィヒ王子を支持している。本人は大の女嫌い。世の中、上手くいかないものだと思う。
最後が、私。なんの後ろ盾もないが、暗殺者に対抗する戦力を身につけ、なんとか生き延びてきた。奇跡とも言えるだろう。
王宮では、毎日死の舞踏会が行われている。
生きるか死ぬか、一瞬の判断が、命取りとなるのだ。
舞踏会への招待状は、父にも届いていた。
先日、誰かに毒を盛られ、倒れた。幸い命は取り留めたが、寝たきりになってしまった。
ついに、この国の世代交代が行われる瞬間がやってきそうだ。
「あー、もう、本当にヤダ」
「そんなことをおっしゃるものではありませんよ。砂漠の王は、殿下にお会いするのを、ずっと楽しみにされていたようですから」
「砂漠の王って?」
「殿下が文通されている、砂漠のお方ですよ」
「王って、いつの間に王になったんだ?」
「前回のお手紙に、即位されたと書かれていました。私が手紙を読みましたが、お耳に入っていなかったのですか?」
「エリーズの声がきれいで、たぶん寝入ってしまったのだろうな」
私の言葉に、エリーズはため息を返す。
返事はオディルに頼んだので、内容をよく把握していなかったのだ。
「手紙にはなんて書いてあったんだ?」
「砂漠の王が、本日殿下に会いにいらっしゃると」
「げ。そうなんだ。王様なのに、ずいぶんと暇なんだな。オディル、手紙にはなんと返した?」
「陛下とお会いするのを、心から楽しみにしていると、書きました」
「なるほど。では、楽しみだ、ということにしておく!」
エリーズは額に手を当て、美しい声で「ああ……」と声を漏らしていた。