暴露――ダルウィッシュの過去
「魔性の子、だと?」
ザワルは扇の向こう側にある瞼を、すっと細める。
続く言葉を、ナディアにボソボソと囁いていた。
「ええ。語るのも恐ろしい話なのですが――」
「あ、いや、話さなくていい。むしろ、聞きたくない」
ナディアからの通訳を聞いたザワルは、ポカンとした表情で私を見る。
「人の噂とか、聞くの嫌いなんだ。私がダルウィッシュをどう思うかは、私が見て、感じて判断するから」
「妃殿下が、陛下に殺されたとしても?」
「私を殺す? ダルウィッシュがか?」
クッキーでさえ自力で割れないような男に、私が殺されるわけがない。
「何が目的なんだ?」
「え?」
「私にダルウィッシュの悪口を吹き込んで、何をしたかった?」
「それは――」
ナディアの通訳を待つ。ジロリと睨みを利かせたら、ザワルは目元まで扇に隠してしまった。
「早く言え!」
すると、ザワルは消え入りそうな声で答えた。ダルウィッシュが恐ろしいので、庇護下に置いてほしい、と。
その理由を、震える声で話す。ナディアは目を見開き、驚いた表情のまま通訳してくれた。
「わたくし、見ましたの。陛下が、病床の母親の腹を、かっさばいているところを」
ダルウィッシュが母親の腹をナイフで裂き、中の腸を手で探っていたらしい。
「な、なんで、そんなことを?」
病気が治ることがない母親をこれ以上苦しませないためにだとしても、腸を探る必要はまったくない。
本当に見たのかと問いかけると、ザワルは何度も頷く。
「なぜ、あのような子に育ってしまったのか……!」
ダルウィッシュは幼少時から頭がよく、賢王になると言われていたらしい。
多くの国の言葉を覚え、難しい大人の会話も理解し、兵法にも詳しかった。
ただ、子どもらしさはなく、達観していて、感情も乏しかった。
一人でふらりといなくなることも多く、図書室で一日中本を読んでいたり、学者の話を聞いていたりと、子どもとは思えない行動を繰り返していたのだとか。
噂だが、小動物を殺したところを目撃した者もいたようで、気味が悪いという噂も流れていた。
しだいに、ダルウィッシュは魔人に取り憑かれた魔性の子と呼ばれるようになったと。
このままではいけない。そう思ったザワルは、ある提案をした。世界中の王族として生まれた王子や姫君に手紙を書き、子どもらしさを学んだらいいと。
ダルウィッシュはザワルの言うことを素直に聞き、世界各国、百八名の王族に手紙を書いた。
その中で、返ってきたのはたった一通。私からの手紙だけだった。
百八という数字はどこから出てきたのだと思っていたが、ダルウィッシュが最初に出した手紙の数だったのだ。
「妃殿下との文通が始まってから、陛下は少しずつ、子どもらしく微笑むようになりました。感情も、次第に生まれてきたように思えます」
ホッとしていたのもつかの間のこと。
ザワルはダルウィッシュが母親の腹部をナイフで裂いているところを、偶然目撃してしまった。
そこから、ダルウィッシュは何も変わっていない。何をしても無駄だと思ったのだとか。 ザワルは怯えている。ダルウィッシュの犯行現場を目撃したザワルを、いつか亡き者にするつもりだと。
彼女は私の庇護下に入り、ダルウィッシュから守ってもらうために取り入ろうとしていたようだ。
結局、魔性の子についての話を聞いてしまった。
昨日、ダルウィッシュに似た男の記憶を取り戻したばかりなので、頭が痛くなるようなことだった。
なくなっていた疑心が、再びじわじわと膨らんでいく。だから、噂話は聞きたくないのだ。証拠がないのに、聞いたことについて考えてしまう。
そうなるのだったら、聞かないほうがマシだ。
一回、ダルウィッシュに話を聞いたほうがいいだろう。今日も、じいやとの面会の時間がある。そのときにでも、話してみよう。このまま、気にしない振りなんて絶対にできないから。
ザワルを侍女にすることに決めた。ハーイデフに言ったら、あっさりと許可された。
なんでも、ザワルはナシートの世話係をしていたらしい。
『ナシート!!』
ザワルは駆け寄って、ナシートを抱きしめ頬ずりする。
ナシートも慣れた世話係がやってきて、嬉しそうにニャーニャー鳴いていた。
ダルウィッシュが恐ろしいと言っていたが、実際はナシートの世話係をしたいがために私のもとで働くことを望んだのか。
『かわいいでしゅねえ!』
通訳してもらわなくてもわかる。きっと、赤ちゃん言葉で話しかけているに違いない。つり上がっていたザワルの目は、孫を見ているようにデレデレだったから。
なんていうか、ダルウィッシュの親戚なのだなと思ってしまった。確かな血筋を、感じる。
◇◇◇
夜、じいやと面会するために地下通路からダルウィッシュの居住区に移動する。
今日もヘマームが迎えにやってきた。言葉少なに、薄暗い道を角灯で照らしながら案内してくれる。
ダルウィッシュは客と面会しているようで、じいやだけがいた。食事も用意されていて、先に食べてもいいという。
「国王より先に食べられるわけないだろうが」
「ですよね」
角灯の火を見ながら、ジッと待つ。
「妃殿下、今日、何かありましたか?」
「あ、いや……よくわかるな」
「ええ。幼少期より、ずっと妃殿下を見ていたものですから」
じいやに話そうか迷った。けれど、自分一人で抱えておくには、あまりにも辛い。
ヘマームに席を外してもらい、話し始める。
「そう、でしたか」
「ああ。叔母の言うことだから、嘘でもないだろう」
「ええ」
「じいや、どう思う?」
「私は、殿下が見たままの陛下が、本当の陛下だと思います」
「じいやも、そう思うか?」
「はい」
「そうか」
少しだけ、ざわついていた心は軽くなる。さすが、じいやだ。私が言って欲しい言葉を必ず言ってくれる。
話が終わったのと同時に、ダルウィッシュがやってきた。
「こんばんは」
ナディアに習ったインバラトゥーリーヤー語で挨拶すると、ダルウィッシュは柔らかく微笑んだ。