初夜――その前に話したいことがある
正座するダルウィッシュの前に、絵本が置かれていた。プリムヴェール国で根強い人気がある、板金鎧の大英雄の冒険譚である。
じっと見つめる熱い眼差しが、本を読んでくれと訴えていた。
「それよりも、お前さ。子作りについてきちんと習ってきたのか?」
「もちろんなのだ」
「それで、どう思った?」
「正直な話、あまりにも女性側に負担がかかりすぎて、辛くなってしまったのだ」
「は?」
「性交、妊娠、出産。どれも、女性が大変なばかりで……余が担うことができたら、どんなによかったか」
どうやら、ダルウィッシュには優秀な教師が付いているらしい。
しかし、危惧を抱かせるほどの情報を与えるのはどうかと思うが。
「でも、男は、そういうことをしたくてたまらないんだろう?」
「うーん。よくわからないのだ」
ダルウィッシュは曇りのない瞳で、そう答えた。
「お前さ、本当に男なのかよ」
「な、なんで、そう思ったのだ?」
「性欲盛んな年齢だろう?」
もしかしたら、こいつは男ではなく女なのかもしれない。
流す涙はきれいだし、ピュアすぎるし。
寝台に乗り、ダルウィッシュを押し倒す。
「な、何をするのだ!?」
「服を脱がして本当に男か確認するんだよ」
「や、止めるのだ。余は、正真正銘男なのだ!」
「いいじゃないか、ちょっとくらい。減るもんじゃないし」
「減るのだ! 余の大事な何かが、減ってしまうのだ!」
「おい、ジタバタするな。大人しくしていろ」
「あー!」
寝間着の重ねをはだけさせたが、女性にあるはずの胸は存在しなかった。
代わりに胸から腹にかけて裂かれた傷跡があり、絶句してしまう。
「お前、これ……!」
「よ、余は、女ではないのだ」
「いや、そっちじゃない。この傷、どうしたんだ?」
「ああ、それは――」
ダルウィッシュは視線を逸らし、黙り込む。聞いてはいけない話だったのかもしれない。ダルウィッシュの上から退き、息をはく。
「すまなかった」
「いいのだ。昔のことなのだ。この傷は即位してすぐに、殺されかけたもので」
「誰に?」
「余と同じように、王族の血が流れる一族の一派から」
即位の式典で暴れる一派を捕らえていたのだが、内部の者を買収し檻から抜け出してダルウィッシュを殺しにきたという。
「あのときばかりは、死ぬと思ったのだ。でも、アイシャに会う前に死ぬわけにはいかないと思って、頑張ったのだ」
「ダルウィッシュ……」
殺らなければ、殺られる。生死をさまよい、一命を取り留めたダルウィッシュは気づいたらしい。
「余は、小国出身の王子だから、侮られていたのだ。王が崩御し、国の情勢を整えなければならない状況なのに、内戦なんてしている場合ではない。そう思った余は――」
ぶるぶると、ダルウィッシュの握った拳が震えている。手を重ねたら、驚くほど冷たかった。
「アイシャは、余を軽蔑するかもしれないが、余は、命を狙う者すべてを、殺してきたのだ。そうでもしないと、生き残れなかったのだ」
「私もそうだった」
「アイシャも、なのか?」
「ああ。暗殺者は捕らえても逃げ出して、すぐに襲ってくる。情けをかけてやったら、それが仇となって返ってくる。私の国もそんな情勢だった」
「そう、だったな。アイシャも、戦っていたのだ。知っていたはずなのに……」
襲い来る恐怖は、同じ恐怖でねじ伏せるしかない。躊躇ったり、甘い判断をしたりしたら、死に神の鎌はあっさりと首をもたげてくるのだ。
「お前は今まで、国王として頑張ってきていたのだな」
「アイシャと結婚するために、きちんとした王様をしていただけなのだ。アイシャがいなかったら、とっくの昔に心が折れていたのだ。アイシャは、すごいのだ」
「いや、お前がすごいんだよ」
ダルウィッシュが立派で、すごい奴だということは理解した。
だが、わからないこともある。
ダルウィッシュの私に対する愛は、なんなのかと。
「アイシャ、どうしたのだ?」
「いや、お前は、私にどのような愛を求めているのかと思って」
「結婚したいと思う相手の愛に、種類は一つしかないのだ」
「だったらなんで、子作りしないんだよ」
「それは――女性は命がけで出産するのだ。そんな辛いことを、今のアイシャにさせたくないのだ」
ダルウィッシュはぽつり、ぽつりと話し始める。
「その昔、余が姉のように慕っていた従姉が、出産の途中に亡くなったのだ。母子共に、棺桶の中に収まった様子は、胸が引き裂かれるようだったのだ」
その後、女性がどういう行為を経て、妊娠、出産をするか習っていたが、頭に入っていなかったらしい。
「余はきっと、理解するのが恐ろしかったんだと思う」
「……」
「プリムヴェール国で、王位争いで命を狙われていたアイシャに、命をかけて子を産んでくれとか、言えるわけがない。それに、子ができるよりも、余はアイシャにずっと傍にいて欲しい。だから――」
またしても、ダルウィッシュは涙を流し始める。感受性が豊かな奴め。
抱きしめて、慰めてやった。
「お前さ、国王に向いていないよ」
「知っているのだ。でも、アイシャがいるから、頑張れるのだ」
「そうか。だったら、これからお前を支えてやるよ」
「アイシャ!」
ダルウィッシュは私の体を抱き返す。きっと、今まで頼る相手がおらず、不安だったのだろう。震える背中を、撫でてやる。
「あのさ、ダルウィッシュ。今は無理だけれどさ、もしも将来、お前のために命をかけてやってもいいって思ったら、お前の子どもを産んでやるよ」
「アイシャ!」
たぶん、近い将来、決心は固まるだろう。だから、ダルウィッシュにも伝えておく。
一人でも多く、ダルウィッシュの味方が必要だと思った。
手っ取り早い方法が、家族を作ることだと気づいたのだ。
「アイシャ……! アイシャはやはり、余の『生命』なのだ」
ダルウィッシュの涙ながらの言葉に、私は答えた。
「重っ!」
良い雰囲気だったけれど、思ったことはきちんと伝えたい。だから、正直に重たいと返した。