白猫――なんのためにここに?
巨大白猫は私をジッと見つめていた。
太くて長い尻尾をぱたん、ぱたんと布団に打ち付けている。
ずっと、ここにいたのだろうか。
私はまだ夢見ているのかと思い、頰を抓ったが普通に痛かった。
微睡む中、巨大白猫を足で触りまくっていたような気がする。
爪で引っ掻いたり、噛みついたりしていないということは、かなり大人しい性格なのか。
「ニャア」
「あの、ど、どうも」
「ニャ」
目を細め、くわ~っと欠伸している。鋭い牙が見えたが、すぐに口は閉ざされた。
ゆっくりと寝台から降りる。枕の下に、短剣が入れてあったので持って行くのも忘れない。
抜き足差し足忍び足――慎重に進んでいたが、途中巨大白猫も寝台から降りてきた。
虎よりは大きくない。けれど、普通の家猫の何倍も大きかった。
ライオンや虎のように、顔は大きくない。羨ましくなるほどの小顔だ。
この猫は、もしやヒョウなのか。ヒョウにしては、毛がモコモコだけれど。
いや、これはヒョウなのか?
チーターとヒョウ、ジャガーの見分けは付かない。
もしかしたら、雪国に生息する新種の猫科生物なのかもしれない。
でも、なんでここに?
見つめ合ったまま首を傾げると、巨大白猫も同じように首を傾げる。
「ニャア」
鳴き声も、ライオンや虎のように、「ガオー!」ではない。鈴の音のような、愛らしい鳴き声だ。
再び、そろりそろりと歩き始めると、巨大白猫もついてくる。
「これ、暗殺者が差し向けた刺客じゃないよなあ」
「ニャン」
気づいた時には、再接近されていた。額を私の腕にすり寄せてくる。
「どわっ!」
体が大きいので、よろめいてしまった。
撫でてほしいのか、スリスリと体をすり寄せてくる。
「わかった。撫でてやるから」
額や顎の下を、爪を立てて掻いてやると、ゴロゴロ鳴き始める。
「なんだよ、でかい猫、可愛いじゃんかよ」
そんなことを呟いたら、エリーズがやってきた。
「殿下、おはようございます」
「おはよう。って、エリーズ、この巨大白猫は、なんなんだ?」
「陛下からの、贈り物のようです。殿下が寂しくないようにと」
「いや、この猫、デカすぎるだろうが!」
「雪ヒョウという、雪山に生息する猫科動物らしいです」
なぜ、普通の猫ではないのか。砂漠には、世界一小さな猫が生息していると聞いたことがある。でかい猫より、小さい猫のほうが危険は低いだろう。
「なんでも、殿下にそっくりだったので、陛下が可愛がっていたようですよ」
「似ているか~?」
「ええ、けっこう似ているかと」
ダルウィッシュは愛猫を、私に下賜してくれたらしい。
巨大白猫は「どうも、肉食獣です」と言わんばかりの見た目をしているが、性格は大変大人しいようだ。
「なんでも、昨晩、殿下を驚かそうと思って、寝室に置いていたらしいです」
「こんな巨大猫が寝室にいて、喜ぶ女などいないと思うが」
「それは……そうですね」
夜、私を寝台に運ぶ際、オディルと一緒に発見したときは、お腹を上にして寝転がりピクリとも動かなかったらしい。
足がすくんで、身動きが取れなくなったらしい。私も、寝台に肉食獣がいたら同じ反応を示すだろう。
暗殺者とは何人も戦ってきたが、肉食獣を寄越されたことはさすがになかった。
エリーズがおろおろしているところにへマームがやってきて、巨大白猫について教えてくれたのだとか。
へマームが来たのであれば、ダルウィッシュのもとまで連れ戻してほしかったが……。
「名前はなんていうんだ?」
「インバラトゥーリーヤー語で可愛いという意味の、ナシートというそうです」
「へえ、良い名前付けてもらったじゃん」
首筋を撫でてやると、ナシートは目を細める。こうしてみたら、巨大なだけの家猫みたいだ。
「餌は何を食べるんだ?」
なんとなく、血まみれの鶏とかを好みそうな空気感がある。真っ白なので、口周りとか血が付いたら取るのが大変そうな。
「茹でた羊のお肉を食べるそうです」
「生肉ではないのだな」
「火を通したお肉しか食べないそうですよ」
「ふうん」
ちょうど、オディルが茹でた羊肉を持ってきた。ナシートは軽やかな足取りで、オディルのほうへ走る。
オディルが床に羊肉が入ったボウルを置くと、ナシートははぐはぐと食べ始めた。
「朝食は、ヴォートリエさんとの面会を兼ねているようで、王の居住区までヘマームさんが案内してくれるようです」
「ん、わかった」
一瞬、ヴォートリエさんって誰だと思ったが、じいやのことだった。
オディルはナシートとお留守番らしい。オディルはブラッシングをするため、ブラシを手に持っていた。
エリーズが身支度を調えてくれる。
持ってきてくれたのは、細身の銀色のドレスだ。今度こそ、この国の礼装だろう。
首元が詰まっていて、体の線にぴったり沿うようなデザインである。
一切露出はないが、肩から手首までレース生地になっていて、肌が透けていた。
この上から、目出し服を纏うらしい。朝から汗を掻きそうだ。
ダルウィッシュから服も自由に着ていいと言われていたが、なるべくインバラトゥーリーヤー国の文化は守りたい。
六行五信も完璧に、とまではいかないが、できる限り従えるよう心がけたいと思っていた。
身支度が調ったので、居間で待つヘマームのもとを目指す。
なんでも今日は、隠し通路の中を案内してくれるようだ。
風呂場の奥にある、鷹の瞳を押したら、地下へ繋がる通路がでてきた。
「おお、すごいな」
この先は、ダルウィッシュの居住区に繋がっているようだ。
薄暗い中を、ヘマームが持つ灯りを頼りに進んでいく。
「なあ、ヘマーム。ここ、暗殺されそうになったとき身を隠したり、謀反が起きたりするときにここから逃げるときに使っていたのか?」
「違ウ。ココ、五代前ノ王ガ、オ気ニ入リ、妃ノモトニ、通ウタメニ作ッタ」
「ああ、なるほど」
一人の妃のもとに通っていたら、他の妃に妬まれてしまう。それを回避するために、王はお気に入りの妃と会うための地下通路を作ったのだと。
「とんでもないことを考えるな」
そんな話をしているうちに、ダルウィッシュの居住区にたどり着いた。