本――寝物語は眠気誘う
「さて、明日は結婚式だし、お開きとするか」
「アイシャ、あの!」
ダルウィッシュは急に立ち上がり、ヘマームの上着を突然捲る。
腹筋が見えると思いきや、本が見えた。ダルウィッシュは本を手に取り、私に差し出してきた。
「寝台で、本を読んでほしいのだ」
「おいおい、待て待て。ヘマームの中から本を出すんじゃない」
うっかり受け取ってしまった本は、ヘマームの体温でホカホカだった。
「ヘマームに預けておくと、忘れないので便利なのだ」
「護衛の使い方を間違っているぞ」
他に、何を持たせているのか。質問したら、あれやこれやと、ヘマームの中から出てくる。
「お腹が空いた時用の炒り豆に、汗を拭く手巾、羊皮紙と筆記道具、護身用の武器」
「護身用の武器くらい、自分で持っておけよ」
「危ないとき、ヘマームが投げて寄越してくれるのだ」
「便利だな」
「五時間以上食べ物を口にしていないと、炒り豆を口に放り込んでくれるときもあるのだ」
「なんだそれ、お母さんかよ」
護衛と通訳もできて、軽食も食べさせてくれて、さまざまな物を収納できる。一家に一人、ヘマームがほしいと思ってしまった。
ヘマームのことを感情を失った悲しき護衛だと思っていたけれど、母性溢れる優しい人だったのだ。
「アイシャの手紙も、何通かヘマームに持たせてあるのだ」
ダルウィッシュがさまざまなところに手を差し込むと、手品のように私が送った手紙がでてくる。
股間付近からも一通でてきたので、「そんなところに入れるな!」と突っ込んでしまった。
そもそも、私の手紙をヘマームに携帯させないでほしい。
「じゃあ、アイシャ、寝室に――」
ダルウィッシュが腰を抱こうとしたので、背負い投げをした。
きれいな受け身を取っていたが、涙目だった。
「な、なんでなのだ!?」
「なんでなのだ、ではない。寝所を共にするのは、結婚してからだろうが」
「本を読んでもらうだけなのに!?」
「当たり前だ」
ダルウィッシュはあろうことか、床に伏して悲劇のヒロインのようにはらはらと涙を流し始める。
「おい、なんで泣くんだよ」
「だ、だって、余は、アイシャに本を読んでスヤスヤ眠ることを、楽しみにしていたのだ。今日は、一緒に眠れると、思っていたのに」
「じゃあ、ダルウィッシュは私の寝台で眠れ」
「アイシャは?」
「別の部屋で眠る」
「それはできないのだ」
頑固な奴め。こうなったら、譲歩してやる。
「おい、オディル。ここに布団と毛布を用意しろ」
オディルはすぐさま動き、寝室から布団と毛布を持ってきた。
布団の上に正座し、太ももをポンポンと叩く。
「来い、寝かせてやるから」
「アイシャ!」
ダルウィッシュは床を這いつくばり、布団の上にやってくる。そして、私の太ももを枕代わりに寝転んだ。
ヘマームが、優しく毛布をかけてくれる。さすが、ダルウィッシュの母親だ。
手渡された本を、改めて見る。
「……『熟れた体を持て余す公爵夫人』?」
「アイシャの国で、普段本を読まない男性に、絶大な人気を誇る本らしいのだ。この前、アイシャの国に行ったときに、書店の主人が勧めてくれたのだ」
ぱらりと、ページを捲ってみる。一行目から、いきなりベッドシーンだった。
「わくわくドキドキする、大作だと言っていたのだ。楽しみなのだ」
「ダルウィッシュ、楽しそうにしているところ悪いのだが、これは読めない」
「どうしてなのだ?」
「この国では発禁本になるような内容だからだ」
「!?」
まどろんでいたダルウィッシュの目はカッと見開き、素早く起き上がる。
私から本を受け取ると、中身を読み始めた。
みるみると、ダルウィッシュの頰が赤く染まっていく。
どうやらいやらしい内容の本だと確認せず、書店の主人の言葉を信じて持ってきたようだ。
「ア、アイシャ、申し訳ないのだ! 余が、きちんと確認しなかったばかりに!」
「いや、いい。気にするな。失敗は、誰にだってある」
「アイシャ……!」
ダルウィッシュは本当に申し訳ないと思ったのか、平伏の恰好を取った。
もういいと言っても、頭を上げない。
「そうだ。代わりに、私の国に伝わる話を聞かせてやろう」
「ならば、以前アイシャが話していた、ダルビッシュの伝説がいいのだ」
「ダルビッシュ、か」
あまり詳しくないのだが、かいつまんで話すことにした。
「彼は幼少期から万能で、特に球技に長けていた――」
「ぐう」
まだ、一言しか話していないのに、ダルウィッシュは眠っていた。ポンポンと肩を叩いても、「おい」と声をかけても起きやしない。
寝付きのいい子どものように、無邪気な姿で眠っていた。
ヘマームが、ダルウィッシュを米俵を持つように持ち上げた。王宮の寝室に連れて行ってくれるらしい。
去りゆくヘマームに、あるお願いをしておく。
「おい、ヘマーム。ダルウィッシュの教育係に、性教育について叩き込めと言っておけ」
「御意ニ」
エリーズとオディル以外の召し使いも下がらせる。
静かになった部屋で、はーと深いため息をついた。
「エリーズ、どう思う?」
「陛下は、大変殿下を愛していらっしゃるのだなと」
「ひな鳥が、親鳥に懐くようにしか思えないのだが」
あまりにもピュアというか、なんというか。男女の愛という感じはしない。
「まさか、妻が私一人だったとは」
「想定外でしたね」
世継ぎは必要ないというが、本当にそれでいいのか。
口ぶりからしたら、まだまだ前国王の子どもが各地にいるような感じだったけれど。
「なんか、疲れた」
「お湯を用意していただきますか?」
「あー、うん。そうだな。オディル、私の体を拭いてくれ」
「かしこまりました」
湯を待つ間、だんだん瞼が重くなる。
あと少し、頑張らなくてはいけないのに……。
「ん……あ!」
うっかり、深く寝入ってしまったようだ。起き上がると、天蓋付きの寝台に寝かされていた。服も寝間着になっている。
どうやら、昨晩は眠ってしまったらしい。エリーズやオディルに迷惑をかけてしまった。
それにしても、この布団と毛布、信じられないくらいふかふかである。
足下にあるクッションは、何の動物を使ったものなのか。温かくて、なめらかなさわり心地で、足先で永遠に触れていられる。
「ん、温かいだと!?」
慌ててガバリと起き上がる。
「にゃあ」
足下には、全長一メートル半ほどの、太い尻尾に黒い斑点を持つ大きな白猫がいた。