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信仰――人々は幸せのために

 この国にも、「いただきます」と「ごちそうさま」がある。

 まず、食事の前に右手をボウルで清める。

 いただきますは、「神の御名においてビスミッラー」。

 ごちそうさまは、「神の恩恵にアル・ハムドよって・リッラー」。

 最後に手を洗い、食事は終わる。


神の恩恵にアル・ハムドよって・リッラー

神の恩恵にアル・ハムドよって・リッラー


 食事が終わると、召使いが敷物の四方に立って端を掴みあげる。そのまま、皿ごと運んで行った。そういう仕組みなのか。

 入れ替わるように、新しい敷物が敷かれる。今度は、毛足が長いふかふかとした絨毯である。そこに盆が置かれ、果実酒と果物、つまみらしき料理が並べられた。

 召し使いが陶器のカップに注いだものを飲む。


「あ、これ、ブドウの果汁か」


 酒かと思ったので、驚いた。


「アイシャ、どうかしたのだ?」

「あ、いや、酒かと思って飲んだら違ったから」

「アイシャは酒が好きなのか?」

「いや、好んで飲むことはないが、祖国では食後に出されるのは決まって酒だったから」


 日本では、酒は二十歳からと決まりがあったが、生まれ変わった国では十五歳から許可されていた。特に、寒い日は紅茶ではなく、香辛料入りの酒を飲む。

 その文化に馴染んでいたので、食後の酒はいつの間にか私の中で当たり前になっていたらしい。


「申し訳ない。飲みたいのならば、運ばせるのだ」

「あ、いや、いい。必要ない」

「そうか」


 そういえば食事中も酒ではなく、紅茶が運ばれてきた。ダルウィッシュも同じものを飲んでいたような気がする。


「もしかして、ここの国の人達は酒を飲まないのか?」

「そうなのだ」


 やはり、そうだったのか。しかしなぜ? そう問いかけると、ダルウィッシュは説明してくれた。


「我が国には、合法ハラール違法ハラームと呼ばれるものがあるのだ」


 合法と違法――それらの文化があることは、じいやから聞いていない。

 そもそも、インバラトゥーリーヤー国とは国交をほとんどしておらず、文化や文明など、伝わっていないものが多いようだ。


「酒が禁止されている理由を聞いても?」

「そこだけ切り取って説明できないのだ。この国の信仰を語る必要がある。長くなるが、よいか?」

「ああ、頼む」


 ダルウィッシュは深々と頷きながら、話し始める。


「我が国の宗教は、神話時代に予言者が神の啓示を受け、布教した一神教なのだ」


 日本の八百万の神と異なり、唯一無二の神を信仰していると。


「我らの生活は、神が人に授けた法を守ることで、救われると信じられている」

「ふむ」


 日本の神様は「みんなちがってみんないい」みたいな考えだったけれど、インバラトゥーリーヤー国の神は「こうしなさい」と人々に決まった道を示しているようだ。


「基本は、六信五行と呼ばれている。六信は信じなければならない六つのこと。五行はしなければならない五つのことなのだ。その中で、信仰の対象は唯一の神、その姿は芸術といえど決して具現化してはいけないというものがあるのだ」


 なるほど。世界的に、神様は美術史においてなくてはならない存在だったが、この国では描くことすら禁止されていると。


 神を描くことができないので、この国はあの見事なモザイクタイルで幾何学模様を表現する芸術が発展したのかもしれない。


「五行は、礼拝は一日五回、信仰文言を唱えること、寄付すること、断食すること、巡礼月に神殿に行くこと」


 断食は一年に一度、夜明けから日没まで何も食べずに、精神を鍛えるという儀式を行うらしい。日没後は食べてもいいので、完全に何も食べない、というわけではないようだ。


「それで、神から啓示された聖典クルアーンにおいて、酒が禁忌である理由に戻るのだが、飲酒と賭博、偶像信仰と占いは悪魔の所業と言われているのだ」

「悪魔の所業ねえ」

「それらは、敵意と憎悪を膨らませ、信仰の邪魔になるとも言われているのだ」


 たしかに、飲酒をした結果、偉大な功績を残したという話は聞いたことがない。

 賭博と偶像信仰、占いも夢中になることによって、人生を棒に振ったという話は聞いたことがある。


「違法はこれだけでなく、他にもあるのだろう?」

「そうなのだ」


 まず、肉は決められた屠殺法でなければ、食べてはいけないらしい。

 その方法とは、「神の御名によりビスミッラー」と祈りを捧げ、頸動脈を裂く。

 この方法以外では、不浄ナジスの肉と呼ばれ、絶対に口にしてはいけないようだ。


「食の最大の違法は、カンズィルなのだ」

「あ、そういえば、夕食には出ていなかったな」


 なぜ、豚を食べることができないのか。その理由は意外なものだった。


「豚は汗腺がなく、水に浸かって体温を冷やすのだが――」


 大量に飼育された豚に用意された水などなく、自分でした糞尿で体を冷やしていたらしい。そんな環境の豚を大量にさばいた結果、糞尿にまみれた肉が市場に出回ってしまう。


「その結果、人々は病気となり、しだいに豚は禁忌の肉と言われるようになったのだ」

「なるほどな」


 他にも、もともと遊牧民だったインバラトゥーリーヤー国の人々は、草原と羊や山羊とともに生きてきた。

 家畜小屋を必要とする豚は、飼育に資金がかかるということで、あまり広まることはなかったようだ。


「豚以外は何があるんだ?」

「人肉、毒物、牙がある動物、不浄なものが触れた食べ物なのだ」


 人肉、毒物は問題外として、牙がある動物というのは肉食獣のことだろう。


「ああ、ネズミやヘビも牙があるな」


 ネズミは衛生的な問題で食べないし、ヘビは毒がある。肉食獣は襲われる可能性があるので、近寄らないほうがいいだろう。

 一見して厳しい戒律のようだが、人を守るために定めたもののようだ。


「不浄の概念とは?」

「血、糞尿、酒などだな」

「ほうほう」


 ということは、血を使ったソーセージや、料理の風味付けの酒も使えないのか。


「長々と説明したが、アイシャは信者ではない。外国人向けに酒はあるし、豚も飼育されている。自分が信仰する教えの中で、正しく生きて欲しいのだ」

「うん」

「ただ、これらの教えは、人を病や厄災から守る基本的なものだと思っている。守っていたら、苦しむことはない。もちろん、強制するつもりはないのだ」

「ああ、ありがとう」


 ダルウィッシュは改宗しなくてもいいと言ってくれた。心から感謝する。

 

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