発覚――百七名の妃は存在しない
今、信じ難い言葉を聞いたような気がする。
私以外、妃がいないと?
いやいや、ありえない。大国の王に、妃が一人しかいないなんて。
聞き間違いの可能性があるので、もう一回聞いてみた。
「おい、もう一回言ってみろよ。嘘ついたら、舌引っこ抜くからな」
ダルウィッシュは両手で口元を塞ぎ、涙目となる。そして、妙にハキハキとした喋りで、言ってくれた。
「余の妃は、アイシャ一人しかいないのだ」
「はあ!?」
「よ、余の妃は、アイシャ一人しかいないのッ――!」
「今のは、聞き返したんじゃない!」
思わず、ダルウィッシュの頰を左右から潰すように掴んでしまった。
ダルウィッシュは抵抗することなく、大人しくしている。
「どういうことなんだ? 私との結婚が決まったから、後宮を解散させたのか?」
「ち、違うのだ。元々、この後宮は空だったのだ」
「だったらなぜ、百八人目の妃にならないかと聞いてきた?」
「百七名も妃がいたら、気軽に余に嫁いでくれると、思ったのだ」
ここで、頰を掴んでいた手を離す。
「私は、嘘つきは嫌いだ」
「申し訳ないのだ」
「どうして、騙すようにして求婚した?」
「こ、断られると思ったのだ。余は、財産しか、誇れるものがないから。手紙を通じて、アイシャのことは理解していた」
「半分以上、書いたのは使用人だ」
「でも、手紙はきっと、アイシャだったらこう書くだろうな、という内容だったのだ」
「まあ、たしかに私の使用人は、私をよく理解しているからな」
「余も、アイシャのことを理解しているつもりだった。きっと、インバラトゥーリーヤー国の正妃になってと頼んでも、絶対に頷かないと」
そんなの当たり前だ。私は、大国の妃の器ではない。
「かといって、小国の王子のままでは、アイシャの国が婚姻を許してくれなかっただろう」
「そりゃそうだ」
「だから余は、インバラトゥーリーヤー国の国王となったのだ」
私と結婚するために、インバラトゥーリーヤー国の王になったと。ありえない話にもほどがある。
「余は、どうしてもアイシャと結婚したかったのだ。他の者と結婚するならば、一生独身を貫き通すと心に決めていた」
「世継ぎはどうするんだよ」
「そのときは、大臣がどうにかするのだ。余が、国王になったときのように」
「なるほどな」
舌打ちすると、ダルウィッシュは土下座した。
「アイシャ、お願いなのだ! 余を、見限らないでほしいのだ!」
「見限るも何も、まだ結婚していないからな」
「捨てないでほしいのだ! 余には、アイシャしかいないのだ!」
「女は私以外にも大勢いるぞ?」
「アイシャしかいないのだ! 余には、アイシャだけなのだ!」
「そうは言ってもな。私は、百八番目の妃になるつもりでここにきた。話が違う」
「アイシャ……本当に、余には、アイシャしか、いないのに」
なんだか可哀想になってきたが、この辺はきちんと白黒付けないといけない。でないと、こいつは平気で私に嘘をつくだろう。
「アイシャ……!」
「甘えた声を出してもダメだ」
「結婚しないのならば、アイシャは、これから、どうするのだ?」
「そうだな。世界を目的なく旅してもいいのかもしれない」
そろそろ、許してやろうか。そう考えていたら、ダルウィッシュは思いがけない行動に出た。
「アイシャが結婚してくれないのならば、死んだほうがマシなのだ」
ダルウィッシュは食事用に用意されていたナイフを、首筋に当てようとした。
「お前ッ!」
慌ててナイフを持っている手を捻り揚げ、ナイフを落とさせる。
同じタイミングで、ヘマームがダルウィッシュを押し倒し、のし掛かって動けないようにする。
まさか、ヘマームまで動くとは。きっと、ダルウィッシュは本気だったのだろう。
「痛い、痛い痛い、痛いのだ!」
「首なんか切ったら、ヘマームに押さえつけられる以上に、痛いんだからな!」
「痛んでいるのは、心なのだ」
ああ言えばこう言う。心底呆れてしまった。
ヘマームが退くと、ダルウィッシュはしばらく床に伸びたままでいた。
そんな彼に、問いかける。
「お前さ、私と結婚して、どうしたい?」
「今は、アイシャと結婚して、一緒にいることだけを、望んでいるのだ」
「子作りとか、いろいろあるだろうが」
「子作り……? 子どもは、幸せな夫婦のもとに、クジャクがせっせと運んでくれるものなのだ」
「おいおい、バカか。知らない振りをするんじゃない」
ダルウィッシュはわざとらしく、首を傾げていた。はあーと、深いため息が零れてしまう。
「わかった」
「え?」
「お前は本当に仕方がないやつだ。死なれちゃ困るから、結婚してやるよ」
「アイシャ!!」
飛びかかって抱きつこうとしたダルウィッシュを、背負い投げした。
見事に技が決まる。
「ダルウィッシュ、約束しろ。私以外にも、妃を娶ると」
「それはイヤなのだ!」
「……」
こんなにも話が通じない男は初めてだ。めんどくさい奴め。
なぜ、こいつはこう、私に執着をしているのか。訳がわからない。
わかることは、ダルウィッシュは死ぬほど頑固で、こだわりが強いこと。非常に扱いにくい。
本性を知っていたら、遠く離れたこの国になんて来なかったのに。
「お前さ、私が許さなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「アイシャは許してくれると確信していたのだ。さっきも、召し使いの粗相に対して寛大だったのだ」
「お前の粗相も、同じように寛大な態度で許すと思っていたのか?」
ダルウィッシュは笑顔で頷く。
「ナイフで首筋を切ろうとしたのも、私やヘマームが止めることは計算のうちだったと?」
「うーん。それは賭けだったのだ。もしも、首を切って怪我をしたら、アイシャの怒りが収まると、考えていたのだ。運が悪かったら死ぬけれど、それも賭けだったのだ」
「お前なあ、本当、良い性格している」
「ありがとうなのだ」
「言っておくが、褒めていないからな!」
こいつは本当に、危うい性格をしている。
私が見張って、暴走しそうだったら止めないといけない。
ヘマームは今まで傍にいて、大変だっただろう。思わず彼に同情してしまった。