到着――インバラトゥーリーヤー国
船から降りる前に、エリーズから黒い布地を手渡される。
「殿下、インバラトゥーリーヤー国では、女性は肌を露出してはいけないことになっております。こちらをお召しになってください」
「暑そうだな」
広げてみると、目元以外すべて体を覆うものでうんざりする。
砂漠地帯を黒い布地を被って行動するなんて、自殺行為としか思えない。
だが、郷に入れば郷に従えとも言うし、インバラトゥーリーヤー国に嫁ぐからには国の決まりに合わせなければならないだろう。
目元だけ日焼けしないよう、エリーズはクリームをたっぷり塗りたくってくれた。本当に、ありがとうございますと言いたい。
エリーズとオディルも、同じように黒い布地をまとっていた。
一方、じいやは頭にターバンを巻き白い貫頭衣に帯を巻くという、女性の目出し服よりは涼しそうな恰好でいた。男性は、この恰好が主流のようだ。
「いいな、じいやは涼しそうで」
「しばしの我慢ですぞ」
「はいはい」
こうして、インバラトゥーリーヤー国へ足を踏み入れる。
砂漠の国インバラトゥーリーヤー。
太陽はじりじりと焼け付くような暑さで、地面は砂地で照り返しが強い。
けれど、日本の夏のように、湿気からくるじめじめ感はまったくない。
すっきりとした暑さ、といえばいいのか。まあ、暑いことに変わりはないけれど。
すれ違う人々は、皆白か黒の服をまとっている。たまに、ターバンの色が違ったり、帯色が派手だったりと、違いはあるが基本シルエットは同じだ。
女性も目出しの黒衣をまとい、優雅に裾を翻しながら歩いている。
通りには喫茶店が並び、皆コーヒーを飲んでいた。
「あれ、女の人はぜんぜんいないな」
数軒の喫茶店を覗き込んだが、女性の姿は一人も見かけない。その理由を、じいやが教えてくれた。
「喫茶店は、男性の社交場だからですよ」
「は? 女は、喫茶店で茶を飲んではいけないのか?」
「まあ、そうですね。行けないこともないのですが、悪目立ちしてしまうでしょう」
「なんだ、そりゃ。差別じゃないのか?」
「いいえ、そうではないのですよ」
喫茶店は男性しか利用できないという点は、男尊女卑ではないとすぐにじいやは釘を刺す。
「女性の社交場は他にあり、家と浴場で会話を楽しむそうですよ」
「あ、もしかして、外では黒衣を脱げないからか?」
「そうみたいですね」
「そっか。そういうことだったのか」
「逆に男性は、家に人を招いてお茶を飲むことはできませんからね。それをしたいときは、喫茶店に集まらないといけません」
「なるほどなあ」
夫が友人を家に招いたら、妻はいろいろともてなしをしなければならないだろう。
けっこう面倒くさいことなので、それをしなくていいのならば案外楽なのかもしれない。
国にはさまざまな歴史や文化があり、人々はその中で生きてきた。
一見男尊女卑のように見えて、うまく住み分けができている国のようだ。
街の外には、王都から迎えがやってきていた。
やってきたのは、この前ダルウィッシュの護衛をしていた黒衣の戦士と、人数分のラクダだけ。
そうか。砂漠だから、移動手段はラクダ一択なのか。
じいやがまず、インバラトゥーリーヤー語で話しかける。
『あの、迎えはこれだけですか?』
『そうだ』
じいやはシュンとする。
「おい、じいや、どうしたんだ?」
「あ、いえ。迎えの者が、まさか一人だけとは思わず」
「まあ、百七名も妃がいるから、こんなものだろう。彼はダルウィッシュの護衛をしていた。大事な護衛を寄越してくれることは、最大の配慮だろう」
それに、自力で王都まで来いといわれないだけマシだ。そう言って、じいやの肩をポンと叩く。
さあ出発だ。そう言おうと思ったそのとき、黒衣の戦士が片言で話しかけてきた。
「砂漠、盗賊団、デル。大人数、狙ワレル、危ナイ」
「おお、お前、うちの国の言葉、喋ることができるんだな!」
大型犬をよーしよしよしと撫でるときのように、「偉いぞ!」と叫んでしまった。
一方で、じいやは顔色を青くしている。
意味がわからないだろうからと喋ったことが、相手に伝わっていたからだろう。
「王カラ、剣、預カッテ、来タ」
たまに、意味がわからない単語が入るが、ニュアンスで理解する。
きっと、ダルウィッシュから品物を預かってきたのだろう。
手渡されたのは、三日月のように湾曲した短剣。引き抜くと、鋭い刃が私の姿を映し出す。
「王カラ伝言。コノ国デハ、襲イクル者、スベテ殺セ、と」
「ああ、なるほどな! わかった。心配するな。そういうのは、慣れている」
黒衣の戦士は驚き、目を見張ってた。暗殺慣れしている妃というのは、百七人の中に一人もいなかったのだろう。
「もしも盗賊団が現れたら、じいやとエリーズを守ってくれ。私とオディルは大丈夫だろうから。あ、自己紹介をしていなかったな。私の名は、アイシャ。アイシャ・アナベル・シャルロワ=マルシャンだ」
「生命……!」
なぜか私の名を復唱する。そういう覚え方をする人なのかもしれない。
「こっちが、じいや。イヴォン・ル・ヴォートリエ。お爺さんだから、優しくしてやってくれ」
じいやは黒衣の戦士に握手を求める。この国での、男性同士の挨拶らしい。
「彼女は侍女のエリーズ・ル・ネルヴェル。怒ると怖いから、怒らせないほうがいい。年齢は三十六歳だ」
「殿下、あとの二つは、余計な情報ですよ」
エリーズの抗議は無視して、オディルを紹介する。
「こっちはオディル・カンタール。メイドだ。私以外の人間は見えていないから、無視されても気にするな」
オディルは会釈もせず、その場に佇むばかり。相変わらずだった。
「それで、お前の名前は?」
「へマーム」
「へマームか。よろしくな!」
手を差し出したら、ぎゅっと手を握り返してくれた。