88 婚約と契約
「エリシア・・・、また無断でリンシアのところに行ったのか・・・」
「あなた、エリシアを責めないであげて?今日は私も調子がいいし、自分からここに来るって言ったんだから」
初めリンシアのところへ遊びに行ったことは内緒だとエリシアに口止めをされたものの、結局、リンシア本人が一緒に本邸にきたことでそれがバレてしまったわけで ──
「ウィリアムさん、アイナさん・・・でよろしかったでしょうか? 私はエリシアの母のリンシア・ブラッドフォードです」
「リアムの母のアイナです。これから末長いお付き合いとなりますが、よろしくお願いします」
「リアムの父のウィリアムです。私の名は息子とも被りますし、どうぞウィルとお呼びください」
互いに握手を交わし、挨拶を済ませるエリシアと両親。
しかし意外だったのが、父さんの丁寧な対応である。こんな風に畏まった父さんを見たのは初めてだったし、日常こんなきちんとした挨拶を行う場もそうはない。普段活発でどちらかといえば直感で生きているタイプの父さんを思い返せば、これは新たな一面だった。・・・ただこの件に関しては先に母さんが挨拶をしたことからも、どうやら父さんは形無しのようだが ──
「まあ、では・・・」
「本人たちも互いに信頼しあっているようですし、今回のお話、重要なことはご主人のヴィンセントさんと話し合いましたし、私たちとしましてもこれ以上口出すことはありません」
母さんの温かな手が、僕の頭を撫でる。
「リアム・・・、この国で許された結婚ができる年齢は15歳、もっといえばあなたたちが中等部を卒業した次の年度からよ・・・。それまでも、そしてそれからも、しっかりエリシアちゃんを守ってあげるのよ?」
「エリシア、あなたもしっかりとリアムくんを支えてあげなさい」
そして二人の母親は、それぞれの子供に向かって激励を送る。しかし──
『・・・・・・!』
その言葉の返事を考える僕の頬が、急激に熱を帯びていくのを感じる。ここまで何かとトントン拍子で事が運んだせいで今になってしまったが、改めてみんなの前で決意を示すのもアレだ・・・こしょばゆい。
しかし最終確認として、そして母さんたちの思いに答えるという意味でも、この回答は必要であろう。
ふとリンシアから同じように激励をもらったエリシアの方をみると、エリシアも僕の方を同時にみた。そして目のあった彼女の顔色をパッと窺うと、その頬はピンク色に染まり、どこか泳ぎだしてしまいそうな目を、必死に逸らすまいと震わせていた。
『僕の顔色はもっと真っ赤なのだろうな・・・』
そんないじらしいエリシアを見て、僕は冷静さを取り戻す。客観性を取り戻し、その内では己の決意が再確認されていく。
徐々に不安げな顔に変化していくエリシアの表情。
しかし僕は彼女のその不安に押されることもなく、漸く、先日エリシアと交わした言葉と決意を思い起こして彼女に首肯してしてみせる。きっと彼女が待っているのは、僕のこの態度であるはずだから。すると──
── ニコッ!・・・と笑みを返しながら首肯してみせるエリシア。そして──
「「はい」」
僕たちは二人、まっすぐ両親たちに向き合うと、二人息を揃えて彼女らにその決意を表明する。
「・・・それじゃあ今夜は、二人の婚約が正式に結ばれたということでうちで食事でもいかがかしら」
「それはいいアイデアだが、君の体が心配だ」
「大丈夫よヴィンセント。お祝いよ? それに元気の源は楽しいこと楽しいと楽しめること・・・ねっ! どうかしらウィリアムさん、アイナさん?」
「それはいいな! やっぱ祝いは大勢でパァーッとやらない・・とぉぅ!!?」
「オホホ・・・すみませんね、ウチの主人が。・・・ところで、こちらとしてもリンシアさんの提案はとても魅力的なものなのですが、お身体の具合の方はよろしいのですか?」
「お客様にご心配をおかけするのはホストとして褒められるものではありませんが・・・、やはり今回は私も一世一代の娘の婚約記念。どうか私も会食に参加させてください」
因みに途中、父さんが鶏の首を締めたような声を出した理由は、母さんが父さんの足背を素早くかつ的確に踏みつけたからだ。・・・やはり、父さんは父さんだった。
「では、私共もお言葉に甘えることにしますわ・・・ね、ウィル?」
「あ、ああ・・・もちろん喜んで!」
リンシアの言葉を聞いた父さんと母さんが会食の誘いに同意する。
「だったら・・・ディメンションホール」
そして大方話がまとまったところを見計らって、僕は亜空間から一つの箱を取り出す。
「それは?」
「これは昨日エクレアさんと完成させたアイスクリームです。今週末にも公爵様への披露を控えていますけど、よかったら食後のデザートに」
それは昨日、エクレアと完成させたアイスクリームの完成品が入った箱。試作段階で余分に作ったアイスクリームに、こちらもまたその時完成させた、冷凍の魔法箱である。
「まあ、それはありがとう。楽しみだわ」
「これがとても冷たくて美味しんですよ?」
「ほう、リアム君は話に聞いていた以上に多彩なようだ」
「俺もこの前は食べられなかったからな・・・楽しみだな!」
味はバニラ、ミント、ストロベリーの3種だ。今日は披露前の試食会とでもいったところだろうか。より多くの意見が聞けるのは、僕としてもありがたい。
「ジーッ・・・」
「エリシア・・・おやつに少しだけ食べる?」
ジーっと僕の掲げる箱を見つめるエリシアに、つまみ食いの提案をする。
「はっ!・・・で、でも・・・・・・す、少しだけ・・・」
「じゃあ少し毛色を変えてこっちのシャーベットを・・・」
そして恥ずかしそうに少しだけと呟くエリシアに、僕は亜空間からシャーベットを取り出す。こちらも先日、初日と違って口当たりの良い滑らかなものを開発したばかりだった。
── その後、僕たちは再び庭に出てお茶とともにおやつとしてシャーベットを楽しんだ。そして夜はブラッドフォード家のもてなしで食事をいただき、更に一泊することになったのだが・・・
「えっちぃのはダメだぞ〜・・・ひッ」
「ウィルの言ったことは気にしないで二人ともゆっくりとお休みなさい・・・さぁ、行くわよ・・・ウィル」
「は、はい・・・」
一晩、エリシアの部屋に泊まることになった僕たちを見届けて、先に客用の寝室へと向かう二人。
「エリシア・・・手順はわかっているな」
「うん」
「少しぼーっとするだろうけど、頑張ってね。リアムくん」
「・・・?・・・はい」
そして父さんと母さんに続き、よくわからない言葉とお休みの挨拶をかけてそれぞれ部屋を後にするヴィンセントとリンシア。
「なんかよくわからないけど、それじゃあ寝ようか・・・」
僕は皆が部屋から出たのを見計らって、就寝をエリシアに提案する・・・しかし──
「待って・・・リアム」
突如隣に座る僕の袖をちょこんと引っ張るエリシア。
「そ・・、その・・・。私たち、今日正式に婚約したのよね」
「うん?・・・そうだね」
「だからね・・・、その・・・」
そして恥ずかしそうに中々その先を言葉に出さない。しかし──
「あっ・・・!」
僕はようやく、彼女が何が言いだしたかったのか目星をつける。
「ごめんね、気づいてあげられなくて」
「・・・ううん。ありがとう」
束の間の静寂が流れる。
「それで、吸血ってどうすればいいのかな?」
一瞬の間を置いた後、吸血の手順を質問した僕に、エリシアがその方法を説明する。
『・・・なるほど。前世の吸血鬼のイメージと一緒か』
そして僕はその方法を一通り聞いて、前世の物語に出てくるヴァンパイアを思い出す。
エリシアから聞いた吸血の方法は単純。特別な儀式や呪文はなく、首筋近くに形態を変化させた歯を突き立てて血を吸うのだ・・・ただ ──
「私はまだ成長が未熟で歯を変化させられないから、最初はこの針で刺して傷を作らなくちゃいけないの・・・」
どうやらエリシアの体はまだ未熟。それにそもそも魔族としても未成熟な彼女が、どうやら場合に応じてその体を変化させるのは難しいようだ。
「わかった・・・。刺してくれる?」
「・・・ごめんね。ありがとう」
僕は申し訳なさそうに針を見せるエリシアに、笑顔で対応する。彼女の不安を軽くするために。・・・それにこんな針くらい、前世では何回も刺してきたし、今更どおってことはない。
── チクッ。
許可を得たエリシアがその針を僕の左の首筋に刺して抜き取る。
「吸血を始めたら痛みは直ぐに治るらしいから」
そして直ぐ様針を置いて、吸血を始めようとするエリシアであったが・・・
「あの・・・向かい合って吸うの?」
「・・・いや?」
「いや、嫌と言うわけじゃないけど・・・」
針で刺された痛みなんかよりも、僕は目の前から抱きつくように迫ってくる彼女が気になって、一瞬たじろいでしまったのだ。
「・・・どうぞ」
僕は再び、エリシアが顔を近づけやすいように頭を左に傾ける。そして ──
「・・・ちゅ」
こちらもまた顔を赤らめながら、ゆっくり顔を近づけたエリシアの唇が、僕の首筋へと触れる。
「ちうゅ・・・んっ、ちうゅ・・・」
エリシアの唇が僕の首筋に触れ、小さな舌が傷から滲み出す血液とともに皮膚を舐める。だが ──
『・・・これは一種の医療行為。耐えろ・・・、僕』
女っ気がほとんどなかった僕にこういった情事の免疫はない。
傷口から血液を吸い出そうとする音や、時々彼女から上がるそれを飲み込もうと漏れる声・・・更に ──
『なんか血を失う脱力感より・・・あったかい』
エリシアが血を吸い始めて数秒、なんだか途端に体の中から温かい何かが吸い出されていくのを感じる。・・・いろんな意味で、こんなに胸が締め付けられるほどドキドキするのは初めてかもしれない。
『でも・・・、なんだか安心する・・・。気持ちいい・・・』
しかし一方、その温かい熱が吸い出されていくのを感じると同時に、その温かさは留まることを知らず、どんどん身体中に広がっていく。
『あれ・・・なんだか眠くなってきた・・・これってやばいやつじゃ・・・』
そして遂には、その充足感故か、はたまた体からの危険信号かはわからないが、急激な眠気が襲ってきて──
「・・・スゥ」
次の瞬間にはもう、ベットの上に横たわり、僕は静かな眠りへと落ちていた。




