78 ミリア・テラ・ノーフォーク
あの少女が、まさかこの椅子を投げたとでも言うのか・・・。
扉の向こうから怒りの声を上げる少女を見て、僕は目を丸くする。
「お、お怒りをお納めくださいミリア様」
フラジールが声を震わせながらも、アルフレッドの前に立ちその少女に頭を下げる。
「別に怒ってないもん。私は淑女なんだから」
すると少女は腕を組んでそっぽを向き ──
「ただ私のしていることをくだらないなんて言う人間は嫌いだ」
頬を膨らませる。
「・・・うぅ」
それに涙を浮かべるフラジール。
今の一言は、内気な彼女が振り絞って出した勇気なのであろう。
僕はそれにフラジールの限界を感じ、すかさず助け舟を出す。
「お取り込み中申し訳ありません」
フラジールの横に立ち、一礼して断りを入れる。
「あなたは?」
「はい。本日ミリア様のお父様であらせられるブラームス公爵様より、ミリア様の家庭教師を命じられました、リアムと申します」
ミリアの質問に、礼節を持って答える。
「あなたが家庭教師?・・・なんの冗談よ、ちび!」
するとミリアはそのことをブラームス達から聞いていなかったのか、僕の挨拶を鼻で笑う。・・・あの適当ズたちめ。
「それはさておきミリア様、一体何があったのでしょうか? 扉が開いたかと思ったら、突然私の友人が飛んできたもので私、いまいち事態をつかめていないのですが」
そして不遜な態度をとるミリアに、これは深入りしてはならないと判断した僕は強引に話を切り替える。
「ふん、あんたもそいつの仲間なのね・・・」
拗ねてプイッと顔をそらし鼻を鳴らすミリア。
「いえ、僕はあくまで客観的な意見を心がけています」
しかし僕はすかさず、ミリアの見解に待ったをかける。
「私は友人であるアルフレッド様を信用しております。しかしこう言う場合に求められるのは客観的な視点ではないでしょうか? ・・・私はミリア様の意見を聞いた上で、なぜこのような事態が起こってしまったのか把握したく存じまして・・・」
すると・・・
── ピクッ。
そっぽをむくミリアの頭が少し、ピクリと動いた気がした。
「それに実を言うと私、アルフレッド様と出会った当初はそれはもう大変な迷惑を被りまして・・・。もしかするとと考えると、友人であるからこそ彼の弁護を贔屓的に取ると言う選択肢はないのです・・・ミリア様」
そしてそれにもう一息、押せばいける・・・と感じた僕は、どうやら怒りの矛先であるアルフレッドをダシにして彼女の興味を引く。
「んなッ・・・!」
すると、後ろの方でそんなアルフレッドの動揺の声が聞こえてくるが──
『アルフレッド、ごめん』
僕は後ろに組んでいた手を動かし魔力線を使ってアルフレッドに謝り、事なきは得たはずだ。
「へぇ・・・あなたは話がわかりそう・・・」
一変、急に態度を変えるミリア。
「いいわよ。私は優しいからあなたは部屋に入れてあげる・・・でもそっちの二人はダメ!」
そして僕は、彼女と話をする機会を得た・・・が、おそらくブラームスの言っていた先輩とはこの2人のことなのだろう。早くも計画も何もなくなってしまった。
「ありがとうございます。しかしできればフラジール様、もしくは別のメイドの方などを供につけていただけると後々余計な噂を立てなくて済むと存じるのですが・・・」
念の為、僕は彼女と二人きりにならないようにミリアに進言する。もし公爵様の娘が男と、それも平民の男と二人きりになるなど世間体的にも良くはない。
「・・・わかった。あなた、一緒に来なさい」
するとミリアも僕の意図を察したのか、フラジールの入室を許可してくれた。
「は・・・はい!」
ミリアの入室許可に畏まり、緊張して返事をするフラジール。
「じゃあ行くわよ・・・」
振り返り、自室に戻っていくミリア。
「あ・・・あの、アルフレッド様をお願いします」
僕を案内してくれたメイドさんに、アルフレッドのことを頼むフラジール。
「お任せください・・・」
フラジールの願いに会釈し、了承するメイドさん。
「アルフレッド・・・僕もあとで話したいことがあるんだけど、よければ時間・・・いいかな?」
そして僕も、いい機会だとアルフレッドにあとで都合をつけてもらえるように頼む。・・・唐突な邂逅であったが、まだ昨日の件について話をしていないから・・・。
「・・・ああ」
するとアルフレッドは、小さく、しかし聞き取れるぐらいの声でそう呟くと、メイドさんと一緒に行ってしまう。
『・・・よかった』
僕は一先ず安堵する。しかし ──
『これからが本番だ』
これから始まるミリアとのコミュニケーション、そしてアルフレッドへの謝罪を控える僕は、再び胸に手を当てて気力を込める。
▽ ▽ ▽ ▽
「あ・・・あの・・・ミリア様?」
僕は今、ミリアの部屋へと入り彼女と話をするべくソファに座っていた。しかし──
「なぜ僕の横に座られるのですか?」
部屋に入るや否や、席を勧められた僕がそのソファに座ると、なぜか彼女も僕の横に腰を落ち着けたのだ。
部屋の内装はいたって西洋的。ソファーや机があって今は薪のくべられていない暖炉やタンスの上に置かれた可愛らしいぬいぐるみたち。まさに西洋の部屋を女の子らしい装飾で飾ったような部屋だった。
また部屋にはベッドなどは見当たらず、部屋の両壁に扉があったため、そのどちらかが寝室となっているのだろう。
「私の椅子はさっき吹っ飛ばしてあなたが傷つけちゃったし、そっちに座るとその子の顔がちらつくもの・・・。その子のことは別に嫌いじゃないけど、さっきのあいつと一緒に来た子だから嫌な奴のことを思い出すし、対面に座るのは嫌ぁ〜」
そう言いながら、僕との距離を詰めてくるミリア。これじゃあまるでフラジールを供につけてもらった意味がない。しかしそう言われると僕は、何も反論できなかった。
「それに私、前から弟が欲しかったんだよね〜。あなた私より小さいし、私のことをお姉ちゃんッ!って呼んでもいいわよ?」
僕の頭をポムポムしながら、そんなことを言ってみせるミリア。
『グッ!・・・・・・危ない危ない』
僕はミリアの言葉に少しグッ苛立ちを感じるが、僕の方が彼女より背の小さいのも若いのも事実。それに何より、『ここにカリナ姉さんがいなくてよかった』という安堵がその大半を支配してその苛立ちを治めてくれた。
「しかし僕はミリア様の勉学を支えるために教鞭をとる身。ミリア様の願いを叶えて差し上げたいですが、やはり立場上そのような呼称で呼び合うのは控えさせてください」
「わかった・・・。でもせめてその言葉遣いと様付けはやめて・・・」
結局、後の余計な争いは一時回避できたが、その代償に敬語と様付けを辞めさせられる。
「了解しました。・・・だったらフランクな場の時だけ、こんな言葉遣いで話すけどいいかな、ミリア?」
僕は言われた通り、敬語と様付けを辞めて彼女に確認をとる。ここは少しでも機嫌を損ねないことがベストである。
「そ・・そう。それでいいのよ!」
すると顔を赤くして目線を逸らすミリア・・・そして──
「じゃあ早速、ミリアに聞くけど・・・なんでさっきはアルフレッドがこの部屋から飛び出してきたの?」
そして僕は本題に入る前にシンプルに、口実を嘘にしないために単刀直入に話を振る。・・・しかし口実といっても、正直その理由は僕も気になる。
「そうだった!! てっきり忘れてた!」
そういって、そのことを忘れていたと声を上げるミリア。・・・別に聞かなくてもよかったかも。
「あいつ急に私の部屋にやって来たかと思ったら、くだらないことは止めて今直ぐ僕たちと将来のために勉強しようなんて言ってきて・・・。私のしてることも知らないでいきなりそんなこと言うなんて・・・ あのアホフレッド!!」
プンスカと、腕を組んで怒りながら僕に同情を求める。
『ああ・・・それは・・・』
辺境伯の家に生まれ、領地を治める父親や、後を継ぐ兄を補佐するために日々励んでいるアルフレッドならではの誘い方だったのだろう。しかしそれは・・・アウトだ。社会経験薄い僕でもわかる。
「フラジール、一応聞くけどミリアの言ってることは本当?」
「・・・間違い無いですぅ」
僕は念の為、後ろに控えているフラジールにも確認を取るが、どうやら間違いないらしい。・・・アルフレッド、無念だったな。
「それはミリアは悪く無いね・・・。アルフレッドが無神経すぎだ・・・」
そして同調。
「リアムだったけ・・・。お前、気に入ったから家来にしてやるぞ! 弟はダメだそうだからな!!」
それを聞いたミリアは、顔を輝かせて僕の頭を更にポムポムする。
「だはは・・・ありがとう。じゃあとりあえず仮で」
僕はミリアにポムポムされながら、仮的にそれを了承する。・・・なんて弾むソファだろうか。
「では、ある程度把握したところで次の話に移ろうか・・・」
ポムポムもほどほどに、僕は新しく話を切り替える。それはもう事務的に。
「僕は公爵様から 1.ミリアが勉強をしなくなったこと 2.その理由が最近行商から買った楽器に打ち込んでいるため 3. そのミリアになんとかそれを自制してもらいながら、勉強もするようになってほしいから力を貸して・・・って頼まれたんだけど、実際ミリアの現状もわからないし、それほどまでにミリアがなぜその楽器に打ち込んでいるのか、勉強を拒否するのか、いろいろと聞かせてほしいかな」
自分でも、それは不思議なくらいに自然と口が動いていく。その理由がこの後アルフレッドとの大事な話に向けて浮き足立つ気持ちからなのか、はたまた女の子の部屋に今お邪魔していることが起因しているのかはわからないが・・・。
「まあ、リアムは私の家来だし・・・。特別に見せてあげる・・・」
すると一転、少し落ち着いた様子でその楽器を見せてくれると言うミリア。そして ──
「まずはこれを見て・・・」
彼女は一つの横長な何かが入った皮袋を隣の部屋から取ってくる。
「バイオリン・・・」
僕は彼女がその袋から取り出した楽器を思わず見つめてしまう。
「あれ、知ってたの? リアムは家名を言わなかったから平民だと思ったのに、貴族だったの?」
するとそれを聞いたミリアが首をかしげる。
「いや、僕は平民だよ・・・。ただバイオリンのことは話で先生に聞いたことがあったし、形を見てなんとなく・・・ね」
僕はすかさず、口八丁嘘を並べる。しかし全てが嘘というわけではない。ある日貴族であるアルフレッドに確認したところ、なんと僕はバイオリンの他に複数の楽器がこの世界にもあることを聞き出すことに成功していた。残念ながらそのラインナップにピアノはなかったが・・・──
「へぇ〜。ねえ、もしかしてリアムってこれに興味あったりする?」
ミリアが首を傾げたまま質問する。
「もちろん!・・・あるよ」
僕は思わず、大声を出してしまうほどに興奮してその問いに答えてしまい、またそれを自覚した言葉の後半の口調は萎んでしまう。すると──
「だったら・・・ッ!」
突然立ち上がったミリアが、僕の手を引く。
「こっちこっち!」
僕はミリアに手を引かれ一瞬抵抗してしまうも、すぐに力を緩めなされるがままそれに付いていく。そして──
「やっぱり特別も特別! 本当は適当なこと言って誤魔化そうとしたけど、でも知らない人にすぐすぐ私のお気に入りを見せたくなくて── ッ」
ミリアは先ほどバイオリンを取ってきた部屋の扉の前に来るとそれを開いて中へと誘い──
「これが私のお気に入り・・・。勇者が設計した遺産のレプリカ」
「・・・ッ!」
僕は目の前に飛び込んできた光景に言葉を失い、絶句する。
真っさらな大理石の床に、その楽器に合わせた部分のみに引かれた絨毯がよく目立つ。部屋にはその絨毯とカーテン以外の布といった布はなく、シンプルな部屋にポツンと、しかし力強い存在感を感じさせるその楽器に ──。
「綺麗で立派な楽器でしょ?」
黒く塗られた外装に、独特な流線の即板。大きな本体を支える三つの脚柱に一つだけのペダル。
「そしてこの楽器の名前が ──ッ!」
「── ピアノだ」
僕はその楽器の名を誰よりも早く口にする。ところどころ違った部分も見受けられるが、それは間違いなく僕の前世のバイブルとなった楽器・・・、ピアノそのものであった。




