73 ・・・押してくれた一歩
そんな僕の日常に新たな楽しみができて2週間が経った頃・・・。
ここ数日、彼女の様子が少し可笑しい。心ここにあらず、時々ボーッとしてることが増え、話をしていると生返事することが時折あった。
『僕の自意識過剰ならいいけど・・・』
しかし僕はそんないつもと違う彼女を放っておける程、彼女の事に無関心ではいられなかった。
「新田さん、姫野さんって看護師さんご存知ですか?」
いつもの血圧・体温を測る時間、僕はよく自分を担当してくれる新田さんに相談する。新田さんは数少ない、僕が心を許せる人だ。
「ええ、もちろん知ってるけど・・・どうして?」
「いや、ちょっと聞きたい事があって・・・」
僕はどうにか 検温する新田さんに相談することにする。しかし──
「あの? なにか?」
僕が新田さんに話を切り出そうとすると、彼女がなぜかニヤニヤして僕の顔を見ていたのだ。
「いいえ・・・直人くん、なんか最近、昔みたいな笑顔が増えたなって」
「・・・そうですか?」
「別にそれが悪いとは言ってないのよ?・・・むしろ良い事だし私も嬉しいわ」
そして新田さんが感慨深そうに微笑むと、脇にさしていた体温計がピピっとなり、話は切り上げられた。
次の日の朝、朝食を食べ終え、ベットの上で食休めをしていた頃。
・・・コンコン。
病室の入り口から、ドアをノックする音が聞こえた。
「こーんにーちは!」
ノックに反応する間もなく、ドアが開く音がしたかと思うと、そんな明るい挨拶が病室に響く。
「どうも初めまして〜、姫野でーす」
「えっ?」
僕はその突然の訪問に唖然とする。
「一条 直人くんの病室で間違い無いよね?」
「それは間違い無いですけど」
「直人くんが話したいことがあるって新田先輩に聞いてね」
すると僕の驚きと疑問に答えるように、事情を説明する姫野。
「あの・・・すいません、突然見ず知らずの僕が呼び出すようなことをして・・・」
そして事情を飲み込んだ僕は、姫野にここまで足を運んでもらったことに感謝する。まさか態々ここまで足を運んでくれるとは思ってもいなかった。
「あーあー気にしないで! 別に私君のこと全然知らなかったわけじゃないし」
「・・・それは看護師さんの仕事で?」
「いや、よく鈴華ちゃんとデートしてるし」
「デッ・・デートぉ!? ゴホゴホッ」
不意に吸い込んだ空気とともに、気管に余計なものまで入ってしまったようだ。
「あらあら、ごめんなさい」
咳き込む僕の背中をさすりながら謝る姫野。しかし──
「あっ!それとも私に一目惚れでそれで・・・」
「ち・・違います!」
「そんなに必死に否定しなくても・・・」
姫野は僕の必死の否定にあざとく、残念そうに落ち込んで見せる。
「それで、何か話したいことがあるらしいけど」
「・・・はい」
それから僕は、近頃の鈴華の様子を話し、相談を始める。
「なるほどね・・・確かに君、よく鈴華ちゃんのこと見てるわね」
話を聞き、感心する様に頷く姫野。しかし
「でもね、私から君に何か教えることはできないわ」
彼女は一変、特に話せることはないと態度を変える。
「どうして・・・」
僕は思わず理由を求め、呟いてしまう。だがその答えを求める呟き、それは初めから分かりきった愚問であった。
「だって私看護師よ? 無闇に患者さんのプライベートを私が勝手に誰かに話すことはできない」
当たり前のことを当たり前の様に答える姫野。しかし──
「そしてもちろん!患者さんの病状や容体のこともね」
後に付け加えられたその一文、どこか強調された二つの単語。そして彼女は態とらしく人差し指を口の前へと持っていく。
「・・・!」
僕はそのニュアンスと動作になんとなく彼女の言いたいことを察する。
「あ、あの、呼び出し来てもらっているところ申し訳ないんですが急に用事を思い出して」
「ふふふっ・・・別に良いわよ、いってらっしゃい」
僕は姫野に暇をもらい、直に行動に移った。
「はい! ご足労いただいてありがとうございました! 失礼します!」
姫野には改めてお礼を言い、僕は上履きを履き替えるとそのまま自室を後にする。
「鈴華ちゃんはいつもこの時間は中庭よ〜」
廊下を早歩きで歩く僕に後ろから呼びかける姫野。
「はーい」
僕はその情報に返事をし、先を急ぐ。
姫野が遠ざかっていく僕の背中に合わせ、腕を握って前に突き出す。
「頑張れ、男の子」
小さく、やがて角を曲がり見えなくなった背中を見送ると、姫野は一人、自分の仕事へと戻っていった。
病院の中庭、そこには芝を通る遊歩道に所々花壇があり、花壇には今の季節、ひまわりが咲いている。
「ゼェ・・・ゼェ・・・」
またそこには2、3本ほどの木も植えられており、それぞれ下にはベンチやテーブルが設けられ、読書やお茶をするにはとても良い環境だ。
「どうしたの直人? そんな息を切らしちゃって」
鈴華は、そんな中庭の一つのベンチに座ってそこから見えるひまわりを眺めていた。
「いや・・・その・・・、体力をつけようと久しぶりに走ってみたらこのザマで」
咄嗟に嘘をつく。本当は彼女に会うために途中から走ってきたのに。
「ごめん・・・」
情けない姿を見せていた僕は、ふと彼女に謝ってしまう。
「ふふっ、いいよ・・・気にしなくて」
情けない姿を見せる僕に優しく微笑みかけてくれる鈴華。そして彼女は一緒に座ろうと僕を誘ってくれる。
「あ・・・あのさ、そういえば話は変わるけど鈴華さ・・・最近何かあった?」
僕は徐々に治ってきた呼吸を整え、単刀直入に彼女に尋ねる。風情もへったくれもない。
「・・・・・・」
彼女もその突然の問いに、神妙な面持ちで黙り込んでしまった。
「ごめん・・・変なこと言ったね、別に何も無いならいいんだ」
身も蓋もない尋ね方をした僕はその反応にキョドッてしまい、ついついまた謝る。しかし──
「ううん・・・変に気を使って貰うより、よっぽど嬉しいもの」
彼女は少し口元を緩め、僕の愚行を許してくれた。
「あーあ、直人にもちゃんと話そうと思ってたのに・・・」
顔を上げ、足を揺らしながら鈴華が呟く。
「先を越されちゃった」
その彼女の横顔は、寂しげで、しかしとても美しかった。
それから僕は彼女がここ最近様子のおかしかった理由を聞いた。
病気の悪化、必要な手術、その手術の五分五分の成功確率──。
彼女は根掘り葉掘り何も隠すことなく、全てを打ち明けてくれた。
「ごめん、デリカシーもなく僕は・・・」
僕は彼女から全てを聞き、あろうことか消沈してしまう。
「気にしないで・・・気づいていてくれて、私は嬉しかった」
そんな僕を慰める様に、彼女は僕の手を握った。これじゃあ立場が逆だ。
「それに私は今まで怖かった」
すると突然、彼女の顔に影が差す。
「せっかく直人と仲良くなって、とても楽しい時間を作ることもできる様になったのに」
その声色は、先ほどとは打って変わって、寂しい子供の様だった。
「また一人・・ぼっちになっちゃうんじゃないかって・・・。もう・・誰も届かないところに逝ってしまうかもしれないって」
徐々に震え、崩れいく言葉の連立。
「もし、もう直人や家族に会えなくなったら・・・って」
やがて頬を伝う、彼女の涙。
「僕もやっぱり、手術は怖いよ」
すると何を思ったのか、僕の口が勝手に動く。
小さい頃から病弱な僕は、過去に2回ほど手術も受けたことがある。
「その時は不安ばっかりだったし、麻酔をかけられる時は体が震えてたかも」
やはりそれはとても逸脱した恐怖で、子供ながらに謎の自尊心と戦っていた。
「でも目が覚めてみるとあっという間で・・・、呆気なくて」
その後の苦痛といえば、麻酔や鎮痛剤が切れた後の傷口の痛みだった。
「その時思ったんだ・・・。僕たちは、運命とは違う渦の中にいるって」
「・・・それって?」
その抽象的な表現から、不思議そうに首を傾げて僕の真意を問う鈴華。
「それまで僕は運命という理不尽で 存在を呪っていた。裕福な家に生まれるものもいれば、貧しい家に生まれるものもいるし、健康な体を持って生まれるものもいれば、虚弱でひ弱な僕みたいに生まれてくる人もいるからね」
自傷ぎみに、しかし僕はそれを嘲ってみせる。
「でもふと目を覚ました時、僕はそこで ”死”という運命のルートを先へ蹴り飛ばした・・・運命は所詮、限りなく限定的に捉えれば結果そのものなのだと」
それは、見えない力にすがる自力無いものの悪あがきなのかもしれない。それでも──
「だから会えたっていう結果さえ信じていればきっと、運命や輪廻の輪を超えてでもまた、出会えるよ」
結局はそこに帰結してしまう。神様論や運命論、哲学における二元論の様に。
「もしこの体で会えなくても、もう一度、いつかどこかで再会できるよ・・・そう、信じていれば」
絶対成功するなんて中途半端なことは言えなかった。この世は結局、結果で成り立たち、後から過程が付いてくるのだから。
「も、もちろん。手術が成功することを祈った上で、だけど」
僕は何を偉そうに言ってるのだろうか。そのキザで夢語りをするかの様な自分の行動が急にフラッシュバックする。しかしどうしても、僕は彼女と少し先の未来の話をしたかった。
「直人は・・・、ずっと私とまた会えるって信じていてくれる?」
震えなく、しかしどこか不安げな声で僕に問う鈴華。
「僕はそれを信じることしかできないと思う」
それは嘘でも、ましてや気の利いた世辞でも無い。もし僕からそれを取ってしまえば、また空っぽの日常に元どおりだ。
「・・・約束」
すると隣から、雫みたいに溢れ落ちる小さな呟きが聞こえた。
「・・・再会の、約束を」
その頬は赤く、彼女が右手の小指を差し出す。
「うん、約束・・・」
僕は彼女の細い指に、自分の小指を絡ませる。
すると──
「・・・チュッ」
頬に感じる柔らかい感触。
そして──
「これはまた、約束の後に」
するりと解けた小指で彼女は僕の唇に触れる。
「・・・・・・」
僕は何が起きたのか理解できず、放心する。
しかし彼女の指が僕の指に触れた瞬間、全てを理解した。
「・・・___ッ!」
一気に顔が熱くなる。全身で感じるほど鼓動が激しくなるのに、胸はキュッと締め付けられて痛い。
「それじゃあいつもの場所に行こうよ! 私バイオリン取ってくる!」
そう言ってこちらに微笑む彼女の表情には少しの曇りなく、まるで後ろで咲き誇るひまわりの様に澄み切って綺麗だった。
それから1週間後、鈴華は手術を受けた。
僕はその日彼女の病室に行き、手術前最後の会話を交わした。その後病室には話に聞いていたバイオリン奏者だという彼女のお姉さんや親御さんがやってきて、僕は軽く紹介された後病室を後にした。ここから先は家族の時間だ。しかし──
結局手術は失敗、彼女はその後再会することなく逝ってしまった。
僅か一ヶ月の夏の月、僕に唯一の友情を教えてくれた彼女。
それから僕に友達と呼べる友人も、ましてや恋なんてすることもなかった。
再び静かな生活が訪れ、社会という常識からかけ離れていく日々。
だけど彼女とのあの約束だけは、後悔していなかった。
家族との会話が少しずつ増えていった。
色あせていた夢に灯火が宿り希望が帰ってきた。
おかげで最後には、僅かながらに小さな幸せを噛み締める事ができた。
もし輪廻があるのなら、彼女は生まれ変われているのだろうか・・・それとも──。
他人より優れた能力を持ったことでどこか有頂天だった。驕っていた。迂闊だった。
精神も体に合わせ・・・? どこか責任を手放していた節もある・・・。それがベストだと思った。
しかし僕もようやく、最低限の自活できる知識は得た・・・幸いこの世界にはダンジョンがあるし。
『あの時は気持ちが暴発しちゃったけど・・・』
それは僕がスクールに特別入学したいと言ったあの日。その時僕は、精霊を得られなかったショックと魔法という夢の力への渇望で暴走してしまった。今でも時々それを思い出しては少し赤面する。そして一方で、それからは周りに流される様に持ち上げられてもきた。
しかし僕は今、自由に走り、自由に使える新たな力も手に入れた。
力を得るために動くことを恥だと思うな。
拒否し自分の意思を示すこともしていこう。
──我儘? 結構。
あのとき鈴華を想って動いた自分を思い出せ。
自覚しろ。自分にはあの時と違って、走り続けることができるのだと。
そして人を頼ろう。情けない姿を見せない様自分も最大限努力して。
物語を進めることを躊躇うな。
力を得なくちゃ。
もう一歩、積極的になってみよう。
自分を守るために。大切な人たちを守れる力を──。
──そして今日が、僕がこの新しい世界で生まれ変わる時だ。




