82 Sanctus
「空が鈍く、広がってやがる」
快晴の空の下、ネップは監獄の前へと枷をはめられて街道に立つ。
これから市中を歩かされ、処刑台へと連れられる。
肌あたる風の冷たさが、人肌の恋しさを惜しむらくは、傍にあるのは衆人環視ということ。
エスナの台所。
「おねぇちゃん!外は危ないから中にいなさいっておとうさん言ってる!」
「ごめんなさい。でも、もう家の中にいても大丈夫ってわけじゃないかも・・・」
「おねえちゃん?・・・わぁ!!!ドラゴンさんだ!!!パパ、ママ!ドラゴンさんがお空にいるよ!!!」
リアムたちが何か画策していた。
今日は何かが起こる。
そう思って街の道ゆく人たちを眺めながら喧騒に耳をすませば、空に竜が現れた。
「あれはリアム君のお友達じゃなかったかな」
「パパ知ってるの?」
「今日リアム君は?」
「メルクリウスの方かな。わかんない」
メルクリウス広場、処刑台前。
「ネップ。俺は最期まで見届けるからな」
「ラディ!空に竜が出たよ!」
「コーン。何言ってるんだよ。そんなことよりリアムだ。竜なんてリアムの計画には・・・マジか」
「スロー、あれって一緒にお金を稼いだ・・・」
「うんカレンダー。ウーゴだと思う。それにサイレンの女王様も一緒じゃない?」
「ホントですね」
街中を練り歩くネップを追わず、処刑台の1番前に陣取っていたラディたちも予期せぬ客の来訪に気付き空を見上げた。
「リアナ・・・僕は少し外す」
「ええ。いってらっしゃい」
ステディエムの空に現れたウーゴとサイレンの女王を目撃し、コナーは世界図会を開き宙に浮く。
「俺の処刑はドラゴンにも酒の肴にされる笑い話か。それとも憐れみに来たのか。だったら処刑台ごとぶっ飛ばしてくれ。聞こえてるんだろうが、海の竜よ」
カストラの屋敷を漁っていた日、窓からメルクリウスの上空に突如として現れた竜の姿を見た。
罰を与えに来たのなら、ギロチンより竜に殺された方がいくらか箔がつく。
ネップの足が、処刑台へと上る階段に足をかける。
その姿を、広場に集まった人々が静かに見守っていた。
「竜。また彼の手引きか。どちらにしても、しばらくはこのままの静寂が続く」
カストラは、罪状を読み上げて処刑を認める旨を宣言するために処刑台の側で控えている。
一方で、ソフィアは護衛に守られながら広場を眺められる建物の屋上で一人、本を広げて時間を潰していた。
そんな彼女のもとへ、帽子を被った来訪客が現れる。
「ソフィア様。お客さまです」
「こんにちわ。ソフィア王女」
「こんにちわ。リアナ姫。どうされました」
「連れに用事ができたもので一人なんです。少しおしゃべりしませんか?」
「ええ、私もあなたとお話がしたかったんです。少し2人で喋ります。魔道具を使いますね」
「はっ」
和やかな挨拶を交わして、お互いが顔を合わせるのではなく広場を眺めるように座った。
ソフィアは見計らい、テーブルの上に置かれたベルを鳴らす。
会話が外へ漏れないように。
「その魔道具ももうお馴染みですね」
「ええ、良い帽子ですね。ファウストのシルク・ハッターさん」
「あなたはそちらの姿の私をお望みですか?」
「いいえ。ただ、騙された私の痛みを知って欲しかっただけです」
ソフィアはマリーゴールドの花弁とデルフィニウムの花弁をおして作られた栞を挟んで本を閉じ、テーブルの上に静かに置いた。
日傘をさして、広場を眺め渡すように顔を上げて。
作者デルフィニウム、本の題名は”夜の庭”。刊行元グラウクス出版の印も押されているその表紙に、手をソッと添えたまま話は続けられる。
「あなたがまさか、リアナだったなんて」
「だからって何かが変わりますか。今はあなたがマリーゴールド。そうでしょ」
「マリーゴールドの作品はグラウクス出版から刊行されているというのが世の中の認識であり、また、執筆は私が行っていることも事実です。あなたには証明する術はないでしょう」
「おっしゃる通り」
「・・・デルフィニウムはどうしますか」
「私たちは2人で1人。私が執筆を担当し、彼女は助手として取材の手伝いだったり、細かな修正をしていた。まぁ、最近はもっぱら私が編集者でした。アイデアを出しはしますが、物語のほとんどを彼女が精微に語っている。あの子は1人でもやっていけるでしょう」
「では、そのように取り計いましょう・・・マリーゴールドに戻るつもりは」
「ない。そもそもマリーゴールドは私じゃない。そしてあなたでもない」
「あなたもあの人もホント・・・世渡りが下手すぎる。あなたはもっと早く!私を頼れたはずです!!!」
「・・・そうでしょうか」
「ええ。きっとそんな話があってもよかった」
「面の皮の厚いあなたには、わからないでしょう。マリーゴールドの名前を汚したあなたに、いつか必ず、復讐します」
「こちらこそ。私を謀った罪を裁判とは別の形で贖ってもらいます。これからも私がマリーゴールドの名前で執筆をし、お金を稼ぐ様を無関係の人間として眺めていなさい」
ソフィアは傘の影で、リアナは帽子を深く被って互いの顔が見えないように計らう。
互いの頬には、涙がポロポロと流れる。
「シャボン玉・・・次のタイトルは決まってるの?」
「心の杖」
「水の星とシャボン玉の世界観なんてどう?」
「いいと思います。私は、彼の物語に付き添う」
「なんてお名前で?」
「金盞花」
「そう・・・お好きになさい。あなたはひどい人よ。自分ばっかり、自分のことばっかりっ。そうやっていつも誰かのことばっかり考えてる。寂しいのなら、寂しいって言いなさいよ」
「寂しいと言っても、お互いに声を届けたいと思っていても届かない想いもある・・・ホントに、なんて贅沢な命の弄び方でしょうね。アレは」
「あんなことって・・・」
「聖壇には思い出の聖書が置かれている。それを独り占めして黙読する者がシックなのだとしたら、それを声にして民に伝えるのは誰の役割か」
「弁舌の、メルクリウス」
そこから2人の間には、沈黙が流れ続ける。
そして、隠した涙が僅かに乾いた頃に別れの時は訪れる。
「仕事が回ってきた。そろそろ席を外させていただきます」
「ええ。それでは」
「それでは」
「さようなら。過去に惑溺とする墓守さん」
「さようなら。化け物に惑溺とする過去の人」
日傘を閉じて、テーブルの上に置いたものを一切片付けることなく、ソフィアは護衛を引き連れて処刑台のある広場へと降りていく。




