76 Recordare
──ピッピッピ。
「おはようナ──オトく──^√」
──ピンポン。
「朝ご・・・多目・・・」
──^√。
「305号室の検─は?」
「検温まだ──」
「朝──配膳~~~~~~」
朝は昼よりも静かだ。
「ファアア・・・」
「─01号室、お昼までデ、デデデニニニに」
起きたばかりでみんな眠そう・・・僕も眠い。
布団の中にずっといればいずれ静かになる。
「死にたいのなら起きろ、リアム」
歳月を無駄にして生きてきた。
「よしどんどんぶん殴ってこい」
「なんでこんなふうに我慢しなくちゃいけないの!」
「いいぞ、いいパンチだ。次はキック」
「そんなに罵詈雑言が湧いてくる訳じゃない!!私をなんだと思ってるの!!?」
「だったら頭突きだ!」
「ぶち産んでやる!!!」
「なにやってるの」
「来たか。なにって言葉のオフェンスとディフェンスだ。さあ次はラリアットだ!」
「もういいから。直人。お願い、少し手を貸して」
「母さんわざと構って欲しくて口悪くしてるでしょ」
「今くらい赤ん坊より甘えん坊でいさせて!」
「どうぞ」
「お父さんはわたしが愚痴を吐き続けたら少しは気分がマシになるとか言ってるの。私をどんなすれっからしだと思ってはあぁ!っクソ痛いったらコンチクション!」
「当たってる気がする」
「当たってない!私はけっしてあたってない!!!」
「まだまだ元気だ。すれっからしというより老獪の方があってるんじゃないの」
「せめて世間擦れと言って!」
「いいか。こういうときは宥めようとしてはダメだ、と思うが宥めてそれを怒りに変えさせてスッキリさせるのもまた手だろう」
「はっ、つまりどっち?」
「父さんからすれば答えのない類の問い」
「レトリカル・クエスチョンってことよ!もう、私の手を煩わせないで!」
「水を買ってくる」
「ちょっと、もう少し手を握ってなさいって!リアム──・・・」
出産に駆けつけたのはこのときが初めてだった。
──なわけないか。妹の光が産まれたとき、ぼくは3歳だった。
なんだこの記憶・・・ああ、願望だ。ぼくは両親に忘れないでいてほしかったと同時に、妹に自分を忘れてほしかったんだ。
傷に、重荷に、ぼくにとっての鈴華に、直人がならないように。・・・弦の音に記憶が発かれていく。
命の生まれる時間、世界では同じく命が終わる時間がある。
死とのファーストコンタクトとでも表されるような・・・僕が、死とは質料から投げ棄てられるものと、そのことが悲しいと思ったのはいつのことだろう。
「約束を」
鈴華の死は別れのある死だった。
記憶に残る死だ。
御伽噺の中のように、人間死ぬときは簡単に死ぬ。
それこそが死を忌まわしいと思う根源が一つではなく複数あると悟ったのは、あの冬、鈴華が亡くなった後に訪れた冬のことだった。
・・・ピッ・・・ピッ・・・ピッ。今日も変わらずいつものように無声音が廊下にまで鳴り響いている。
まったく、ピーンやらポーンやらあっちこっちを行く看護師の動きだとか、案外、目覚めてからこんなに直ぐに朝だと実感させられる場所はここが世の中で一番かもしれない。
「グット」
「朝」
「はい検温」
「どうも」
脇に体温計は挟んだ。それでは・・・おやすみなさい。
「おはよう直人くん」
「起きましたから」
「体温は・・・はい、大丈夫。朝ごはんは多目的室ね」
朝っぱらから移動するよりベットまで食事が運ばれてくる方が楽だからそのほうがよかったが、この病棟に入院していた若者は基本的に多目的室で食事を摂ることが推奨されていた。
「ファアア・・・」
同世代の人数は10人にも満たないが、下は小五、上は高校生まででグループができていた。
僕もその中の一人だったが、拒食症だったり、アトピー性の疾患だったり、手首にリストカットしてる同い年の女の子もいたりした。
人間関係のトラブルは吃驚するぐらいになくてむしろ良好だった。しかし、当時、一緒に長い時間を過ごした彼らの1人も名前を覚えてないことからも振り返られるように、ここで生活を送るのに気乗りはあまりしなかった。
この病院を選んだ理由は学校の出席日数が稼げる支援プログラムを利用できたからだ。
そのプログラムに参加していたのは僕と一番下の小五の男の子だけだったが。
時間は午前中だけだし、朝は9時から12時までだが、11時になると監督の先生と男の子と3人でトランプで遊んだり将棋を指したりとゆるゆるだった。
それでもみんなが遊んでる時間に面倒くさかったが、これも高校への進学を見据えた親の意向だ。
支援プログラムに参加しつつ金曜の夜に自宅に帰って日曜の夕方に病院に戻る。
そんな生活が中三に上がる前の三月まで続いた。
「305号室の検温は?」
「検温まだです」
「朝食配膳がもうだから、あっち配薬に入るから」
「はい」
あれは長期入院生活での出来事だった。
寒くないのに寒さを感じる、ほんと冬って感じ。
毎朝6時40分頃、廊下を気怠げに歩くのも慣れたこれまたいつものこと、ナースステーションすぐ隣の開放された一室から静かな風が僕に吹き込んできた。
301個室にいたのは、年老いた爺さんだった。
『えっ、死んでる?・・・まぁ僕の気にすることではないか』
もちろん死んでいたわけではない。口を開けた状態で、ピクリとも動かず呼吸をしているのかもわからないほどに静かに寝ていた。
病院の方針によりけりなのかもしれないが、ナースステーション横の病室はベッドサイドモニタが常備してあるし、個室であることが多い。
なんのためって、手術をした患者さんの看護をしやすくするためで夜間にも対応がしやすく、利便性が高いから。したがって、術後数日の観察を経て元の病室のベットや空きのある部屋に入る。もちろん、手術をしてそのまま大部屋に帰ってくる人もいる。
少し珍しいなと思ったのは、その爺さんは数日経っても移る事なくその部屋にいたこと。
「看護師の気っ風さって平気で怠惰を殺してくるよな。働き鬼鬼強い悪魔だ。誰だよ白衣の天使とか言い始めたやつ・・・無拍殺伐の看守とか、そんな方がピッタリだよチキショウ」
朝食から帰ってくると、無惨にも真っ白な皺一つないシーツに取り替えられてしまっているベットに血涙を禁じ得ない。
これじゃあゴロ寝しようにもできない。
風呂は週に水、金の2回仕様なのに、今、このベットに寝転がってしまうと今晩の寝心地は確実に悪くなる。
ちなみにシーツの取り替えは1週間に一回だから、明日の寝心地は強制的に保証されない。
・・・消灯時間後に隣ベットのゲーム仲間とよく遊んでたし、隣の病室の子とかとも通信して遊んでいた僕も悪い。見回り巡回の足音が聞こえたら即座に明かりの元を隠して狸寝入りかましたり、トイレに行ったふりした帰りに隣の病室に侵入して漫画の貸し借りをしたりまあまあモラルの欠如した生活を送っていた。
気分はさながら収監された囚人たちで、僅かながらの刺激が若さを持て余す僕らには必要だった。
「登校までの1時間半、二度寝するはずだったのに・・・」
充血にも涙ってやつだ、そんなことわざしらんけど。
消灯時間21時って、こちとら年寄りじゃない。
勤勉さを他に強要することも、また勤勉さ為り。
そんな理不尽なループの中に放り込まれた気がするが、まぁ、患者生活って大体そんなもんだ。
だが、健康な奴に勉強とかしなくていいよなとか言われたらぶっ飛ばしそうになるくらいに不満もある。
娯楽を楽しもうにもテレビを見るのに金はかかるし見たいものが見たい時に見れるわけではない。
スマホは7GBで通信制限、とてもネットサーフィンに耐えられない。
このときの手持ちはミュージックプレイヤーにゲームにカードに漫画に、当時はフリーWifiなんて普及してなかったし、1ヶ月もそこにいてみろ。
脳みそにカビがへばりつく。
窓から差し込む暖かな日差しの下に頭をレスト、ポワッぽわに日干ししようと思ってたのに。
『やっぱり死んでなかった。普通に起きとる。目があったけど知らんぷり〜』
毎日毎日、21時就寝で6時30分に起床。
なんと健康的で勤勉な囚人患者なんだろう。
『昨日は扉が閉まってたけど、今日はまた空いてる。現在のところ寝忙確率80%』
僕が食事を摂る多目的室は、ナースステーションの前だったから、1日に3回は絶対にここを通る。
301号室は基本的に朝だけ開いていて、他の食事時には閉まっていた。
『今日はシーツ交換じゃないから僕の寝忙確率も上がるなぁ』
寝るので忙しいんでとばかりに自分で与えた免罪符で朝に寝入る背徳感ってほんと最高よ。
『病院食に酢の物でがちって思うのは我が家の食卓にあんまり親しみがないからだろね〜・・・今日は閉まってんや』
廊下を歩いて多目的室まで向かう時間は病室に配膳する朝食を乗せたカートと必ずすれ違う。
自分の食べる物とご対面する前にネタバレくらうのはちょっぴり味気ないが、好きな献立だとテンションは上がるし、長期で入院すると前に食べたなって品書きと再会することもしばしば。
『窓が開いてる。空気の入れ替え、か・・・』
そういやこの病院の目と鼻の先に空港がある。今日は散歩がてら滑走路でも見にいこう。海も近いからもう少し暖かくなったらそっちに足を運ぶのもいい。
「今日の飛行機は海側で離着陸してる。東風かな?」
これも、昔の夢はパイロットだと語っていてパソコンのシミュレータを操作する父の受け売り。
「おー、水仙の花が咲いてる」
この花、あまり好きではないんだ。冬の時期に咲くし、生ければ一種だけで飾りつけてもばっちし決まるんでこの時期は自宅でもよく見る花。侘び寂びの和に調するが、裏を返せば、他の花を立てることができない花とも言える。僕の感性からすれば鮮やかに多種と調和させるのが難しい、どっかの誰かみたいでいけすかない花矩をしている。
『今日の朝ごはんは魚かー。ここのは骨がとってある点は楽だなー・・・釣りしてー』
軽い力で飛んでいくルアーに引っ張られ出ていくラインをロッドを通して感じる瞬間が僕は好きだ。
スピニングリールに巻きついていた糸が美しく出ていく瞬間が好きだ。
ゆっくりと糸を巻いていくときに滑らかに動くリールの洗練された内部の機構を頭の中に発想しながら巻いていくのが好きだ。
ドラグを回した時のジリジリ音や糸を引っ張り出した時にスプールが逆に回る感覚も好きだ。
魚が釣れなくても、投げてるだけで時間が過ぎていってくれるから好きだ。
一時退院の時にやることリストに入れておこう。
「グット」
「モーニン。最近は起こす前に起きてるね」
「慣れたのかな」
「それじゃあ検温よろしく」
「はいはい」
ピーンやらポーンやら、今朝もいつも通りにこれだけ騒がしいのだから起きれる。
相変わらず消灯きっかりに寝ることはないが、病院の環境にも慣れてきてその後の寝つきが良くなったのが要因だと思う。
『今日の朝食オムレツやん。よっしゃ』
シンプルに調理された卵料理にハズレはない。もっとバターだの出汁を効かせろだのの注文はできないが、それでも食べ慣れない味の食事よりずっといい。
『今日もいつも通りに入れ歯を外した口を開いて寝てるんかなー』
一面剥き出しの床。
建物の影を通って差し込む弱い日差しと乾燥した風の吹き込む換気中の窓。
病室からはベットごと何もかもが消えていた。
なんてことない。
あとは次に右足を出して、その次に左足を出して、止まらずに歩いて朝食を摂りに向かうだけ──だった。
いろんな記憶がその瞬間に圧縮されていく。
「再会の、約束を」
過去の記憶も──。
「なんでこんなになってんの?」
「海の近くに来ると、夜の街の明かりがどれくらい星を消し隠しているのかがわかる」
「はへぇ・・・この街からでもこんなに星って見えたの。ヤバッ」
太平洋とつながる河口に臨む堤防の側に車を停めて、街の中心地がある西と洋上の東の夜の空を見比べると、息が止まるくらいに感動した。
昔から我が家で星を見る定番の場所といえば人里離れた高原だった。
一つ世界が広がった。
しかし、その帰り道だった。
“こちらは道路緊急ダイヤルです。ガイダンスに従い番号を押してください──”
道路の真ん中で内臓ぶちまけた猫の死骸を見た。
夜が深くとも車通りがまばらにある片道2車線の道で、視界が暗いせいか避けるのも難しく何度かタイヤで踏まれたのか路面は血に染まっていた。
そのまま放置していたらもう何度か踏まれてしまうかもしれない。
そう思うと居た堪れなくて僕は父に頼んで近くに停めてもらってから、通報だけ済ませた。
週明け、病院に戻っていた僕の心は漠然としていた。
いろんな空白が心に溢れていた。
なんか世界から色々と畳み掛けられた。
空を仰ぎたくて、陸に縛られずに飛んでいく飛行機を見たくなって、足は定番の散歩道へと踏み込んでいた。
「鈴華・・・なんか、きちーわ」
網で仕切られた滑走路から飛び立つ姿を最後まで見届けられないまま、僕は下を向いて好きになった人が死んでしまったことの心を初めて言葉に代えた。
──これは、未来だった記憶。
「我はすべての命の祖也ッ!」
・・・これは これは。
「ナオト。わたしは、ただ忘れたくなかっただけでッ!」
恐ろしい巨大な竜を正面に、アマティヴィオラの弦を引いている女性がひとり。
周りは惨憺たる光景。
混沌とした岩肌、焼け焦げた木々、乾いた大地の窪みに溜まった水、そして、戦場に入り乱れる竜と様々な種族の者たちが横並びに対峙している。
戦場を飛び交う精霊王とその契約者たちが勇者を狙う竜たちの攻撃を撃ち落とす。
だがそれで手一杯だ。
一番ヤバそうな竜は大地を踏み潰してくる。
「ケルビム!!!わたしは!!!」
「わたしを庇ったソーマはアンバーに噛み殺された」
「わたしは迷えないッ!おねがい、どうかやらなくていい、勝てると言って・・・ッ!」
「どのみち聖剣の所有者であるだけのあなたが命を尽くしたところでアンバーには勝てないでしょう。そうなればわたしも負ける。世界は機能不全に陥っていずれ終末を迎えてしまう。敗北の後に待つ世界は壊されて塵一つ残らずとも、そうでなくとも塵一つが残る程度の誤差の世界。命が残ることはない」
竜はまた世界を渡ればそれで済む。
それでも私たちの世界が見逃されないのは、これが報復による侵攻だから。
保有する純粋なエネルギーで言えば圧倒的なわたしに旗が上がるが、相性のせいで軍配はアンバーに上がるだろう。
「答えなさい!ケルビム!!!」
「命の循環が保たれる最低限の機能のみを残し、それ以外の機能は停止、わたしに魂を浮かせる死の力を戻す。そして全霊を以ってアンバーの魂をその肉体から存在の彼方まで浮かす。ソーマがいなくなってエデンの機能が滞りレテを封鎖したその時から今に至るまで死に浮いている魂たちは命の祖たるわたしに統合される。その分世界から死の魔力が闕失する。・・・残していくセーマとレテをどうかお願いします」
ベル、頼むからやめてくれ・・・たのむ。
「ごめんなさい、クロウ」
なぜですかベル!こんな仕打ちはあんまりではありませんか!!!
「ごめんなさい、サイレンの女王様」
ベル、ベル、ベル──死にたいよ、死ねないよ、生きたいよ・・・生き返りたいよ・・・然もなくば、跡形も無くして。
「ドミナティオス!」
「しかし」
「この世界か、私と彼らか」
誰かこの声を頭の中からふりはらってッ。
「ごめんなさい、この世界のみなさん──・・・」
時よ、──止まれッ。
「我はすべての命の祖也ッ!」
ごめんなさい・・・。
契約に縛られた戦場で、すべてを犠牲に捧げないための大きな代償が支払われた戦場で、アマティヴィオラの弦の音が聖戦と呼ばれた戦場の喫水で、鳴り響く。
「ベル・・・今の曲は?鎮魂にしては、とても穏やかな表情をしていたが」
私、そんなに幸せそうな顔をしていたのかしら。・・・そうね。彼の顔、表情、目、鼻、口、耳、髪の毛、声、温もり・・・どんな些細なことでも彼の事を想うだけで、私は幸せなのかも知れない。憂鬱なセレナードには成りえないしあり得ないんだもの。
「ブラック、聞いてたの・・・そうね、愛しの人を待ち焦がれる乙女の秘密の告白ってところかな」
「へぇ、じゃあボクが君を迎えに行くよ」
「ありがと。でもその気持ちだけもらっておく・・・あなたにはローズがいるでしょ?・・・ブラック・ブラッドフォード」
私は正義を語りながら誰にも言えない秘密を持つ勇者。故にあなたと結ばれることはないのだけれど、そうやってこれから血生臭く冷たい戦場に立つ私が折れない様に気遣ってくれる優しさは、好きよ。
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「とても素敵な名前」
「そして鈴屋 百花です」
「鈴屋だ。俺は鈴屋 穂波」
「それがいいって!・・・いいらしいです」
「海にまつわる・・・ネプチューンとかポセイドンとか聞いたことが・・・ネイドン?」
「オールドビックみたいな自分の名前が欲しいんだって・・・らしいです。そんなに睨まないでよ、ネロ」
「今だけ!さんハイっ!」
「でも」
「メルちゃんと呼んでください。女王になったらもう誰も呼んでくれなくなるし、寂しいから!」
「えっ・・・と、女王陛下、じゃなくて、その・・・えーと」
「本日は我らがサイレンまでご足労いただきありがとうございます。サイレンの女王マリナデルサーレ・ウェパルの代わりを務めさせていただいております。メルコレディ・レ・トランクィロ・ウェパルです」
「ありがとう・・・わたしのオールドビック」
「ラグナベゼル!」
「魔族が悪そのものではない、改めるべきは妖精族だ。だからわたしはアンと共に帝国を作る!──ベル!!!」
「・・・ベルです」
「レッド・レイザーです」
「わたしは──」
「マルデル・スピリッツ」
「わたしはマルクト。あなたの誓いの繋がりとなるよう遣わされました」
「聖剣の試練を受けにきたと。灰離原は厳しいところだ。勇者ベル」
「こちらは我が主、火の精霊王と契約を結ぶハワード家のご当主ギルマン様です」
「私はまだ何もなしえていない身です。お初にお目にかかります。私はベルと申します」
「我はヒューズ・ギガ・アウストラリスだ。勇者ともあろう者が頭が低い。面をあげい」
「ベル。遠いところの出です」
「屋久 穂波。東の国の出だ」
「ブラックだ」
「わたしはベル。あなたは・・・」
「わたしはベル。よろしく」
「俺はレッド・レイザー。探検家だ。よろしく」
「わたしはベル。よろしくお願いします」
「あなた様のはじまりの旅の案内を務めます。アウストラリア国から参りました、ローズ・ド・ヴィアーです」
「おじいちゃま!?これでもわたしは光の精霊王と契約を結ぶ教皇なのですが・・・」
「お願いします!早く着替えさせてくださいおじいちゃま!」
「・・・そのお召し物はソーマ様があなたが最期に着ていた服だからとご用意されたのらしいですが」
「手術着のままって、神様趣味ワル!生まれたままの姿じゃないだけマシとか絶対にない──服を!誰かまともな服を恵んでくださぁああい!」
「神託の通りに邪神の使徒を退ける勇者様がご降臨なされた!」
息ができないくらいにくるしい・・・色んな名前の中に意識が溺れていく。
「それではディアセーケーを結ぶ」
「私は・・・機会を。生きたいという願いを叶える機会をわたしの最期に家族との幸せを噛み締める強さをくれた人に。生きたいという望みはこれから勝手に叶う。灰の中で燃やし尽くしても塵にならなかった心残りの骨は、約束を忘れないこと。他の願いはこれから探す」
「お前は対価に何を望む。──日登 鈴華」
忘れられない人の、知らない出会いの記憶。
「私のピーピー。今日も泰らかと海面に向かうのですね。あなたを見ていると、何百年も前に水竜様と出会ったあの日の若かった頃の記憶が鮮明によみがえってくる。そうして私がどのように年老いたのか、その思い出でもういちど満たされていく」
誰か知らない人の、忘れられない記憶。
「兄はまだ魔族とそれ以外が共存できるとまだ信じている。この美しい手を血で汚した私の傍にいてくれるのはお前だけだ、サルヴァ」
杳か杳い、心の支え。
ピッピッピ──・・・だれかが生きている音がする。
「隹の弓には射手の口を添えられて唯名の矢を生み矢を放つ」
テーブルの上に、一輪の小さなひまわりの挿してある花瓶がある。
「そうして死者を引き裂く無体な魂呼びの矢を放った勇者ベルは、竜王アンバーを退けて聖戦の勝者となったのでした」
空白だった筈の301号室のベットに誰かがいる。
301号室のベットを起こして、約束の側だけを被りおちょくる其奴は視線を手元に落として文字を声とした。
手元には表紙に”魔法の鈴”と日本語で書かれた本が開かれていた。
裏表紙までの残りの数ページが灼かと、直人の胸の中に真っ白な空白と心を摩る怒りを生み出す。
「どけよ。ここは空っぽの筈だ」
ベットに飛び乗られた上に頭の隣の枕頭に足を落とされてさえも、読者はこちらに視線を移さずに本に落とし続けている。
「言葉も交わしたことのない初対面だというのに不躾な方だ」
「前にも会った。白昼夢の中でだ」
「・・・覚えておいてもらって光栄だ、直人くん。前は失礼な態度をとった。君のことを今より深く知らなかった」
返事はしても、こちらを見ない読者にしびれを切らす。
本を奪いとってもう片方の空いた枕元に置いた。
そして襟を掴みかかり面を上げさせ読者から患者とする。
「容赦ないな」
「ひざまずけ!!!」
「いいね直人!ベルのすべてを知った君は自分の感情に最高に真摯だ!よし、わたしがお前に傅いてやろう!」
「だからお前に斎けと僕に言うんだろう」
「そうだ!さぁわたしのために心を尽くせ!」
一つずらせば顔を踏み潰されただろう場所に足を置かれてるのに、よくもこんなに惑溺とした振りができる。
「誰がテメェみたいな間抜けを敬うっていうんだよ。驕るテメェなんざそのうち叩き起こした後に食いちぎって世界の肥料にしてやんよ」
「・・・お前は、よりにもよってわたしを世界の肥料だとだと嘲るのか」
「残りのページをお前にだけは捲られたくないんだッ。だから嘲いはしない。僕の中で使い分けられる判断基準の中には、お前に同情する基準もある。だが敬いはしないだろう。救おうとも思わない。その基準はない」
「信仰を厭うお前だが、神であるわたしに敬いを欠くどころか同情するというのか・・・?」
「そうだ」
「被造物風格が創造主格に楯突くのか。それもまた乱れた真理の裏の欺瞞だ」
「被造物風情といえば、お前たち神だって無によって生み出された被造物だろう?」
「その認識は直感的であって真実に反する」
「それは申し訳ない。創造主の腕が悪かったもので、この有様さ」
「・・・私たちは1柱だけで完璧だった。この宇宙はわたしのものだ。ケルビムでもアンバーでもシエルの宇宙でもない」
「神もヘマするんだな」
「人間を関わらせたのがすべての間違いだった。ドラゴンが世界を渡って来なければこの宇宙は完璧だった」
「だーかーらー、ヘマしたんですねって言ってんの」
「そうやってわたしに不遜な態度がとれるのは、お前がわたしの被造物ではないからか?」
「これでも会話してるつもりだ・・・枕紙の御伽の坊にはならない」
「あらばこそ、答えろ。ならばなぜだ」
「なぜならば、僕が生きている人間だからだ」
「ならば死せば我が手に沿うか」
「それもない。なぜならば、僕が生きていた人間だからだ」
「お前がお前だからわたしに斎かない」
「そうだヴェリタス。お前たちと同じだ」
そこまでの問答が終わったところで、ベットの上の患者は 静かに乾ききった砂のように崩れ落ち始めた。
「次に僕の世界に浸かってみろ・・・沓摺りを跨ぐ間もなく滅す」
ひとつの言葉を返すことなく、眉間に皺を寄せながら目を大きく開いて、不恰好な睨み返しを送りながら消えていった。
月のようにボコボコになって、最後は砂粒すら残さずに美しく去っていった。
「それにすべてではない。あの後にベルがどうなったのかの記憶は、僕の中にいる誰の記憶の中にもない」
雖も、ベットの上に残されていったこの本を、僕は手にとって開くことはないだろう。
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「名はアガナ・べレアとゼノン」
地上に落ちていく矢が、ステディエムの北地区の屋敷の屋根を破壊した。
「イデア」
『はい』
「ここにいるだろう」
『・・・』
「イデア。答えてくれ」
『その質問には、わたしは ──答えられない』
「イデア!」
『わたしはこたえたくない』
「ここにいるんだろ!!!」
君がアンバーを封じるために道連れにした人たちが僕の中にいる。
「この世界が消えたところで、私のこころは痛まない。執着と呼ばれるらしいものを持ち合わせていないのだから」
「それは」
「君があの矢を放つときに考えていたことだ」
「わたしの人格は与えられたものだった。手本を真似して笑顔が作れるようになった。心配することも、優しくすることも咎めることもできるようになった。ですが一度だって怒りを感じたことはなかった・・・だけどいまのわたしはあなたのお陰で失うことの痛みを知ったから!」
「君が本当の意味でソーマと言葉を交わすことはもうできない」
「リアム・・・わたしは・・・」
「同情するよ。理解もできる。だから教えてくれ。君はこの怨嗟の声をどうやって払うのか──・・・」
・・・なにかが、くる。
『プリンキパトゥス。──・・・Blood Plazma Sprite』
メルクリウスよりも高いところから落ちてくる。
「わたしは、あなたのものです。ですからどうかみすてないでください」
「今はもう第二幕だ。美しくぶっちぎれてくれ。疑獄のアリアは歌われた」
「あなたを家族として愛してますリアム・・・だから見捨てないで・・・ッ」
「イデア・・・夜の女王のアリアを歌いたいのなら、ぼくたちを巻き込まないで」
君とは最も心を触れ合わせてきた。それも今日で終わりだ。




