73 Irae
「ブラック!!!」
「レッド!!!」
長い前奏に2人の時間は尽くし、勝負は一拍の扇折りの間に決する。
咄嗟のことに首を霧化したブラックだが、リアナの針が喉を刺す。
『魔装がリアナの針とぶつかり合うと、朔の照ごと消えた・・・ボクが、幻想を描いたのか?』
リアナの組み立てが一手多かった。
「古い月は新しい月に抱かれる定め、が、ね。武器ごとを消し去ったはずが、見えざる先の三の刃・・・」
私のファンタジアは相手に幻覚を見せることができるが、能力の真価は精霊に準ずる力を操ることができること。
魔力への介入。
転座、のちに逆位。
竜の力は本来、相互的である。
しかしながら私が混ぜ込むことに特化する力を発芽させたのは、この身に流れる喧しい血の所為か。
「闕失した人生がここで埋まる。まだ見ぬ両親に伝えたいことは、お友達のつけてくれた創痍がアクセサリーに見えるくらいに、可愛く生んでくれてありがとう」
Stitch・・・縫合、繋がり。
きっと精霊と契約できたのならば私は更に強くなれたのだろう。
だが、それだけは許されなかった。だから私の孤独は深まった。
闕失とも呼ぶべき潰された私の才能は、これもあれも全部、あの人たちの所為だ。
常に積んでは瓦解を繰り返すこの心を支えてくれるのは、やはり彼しかいない。
「しあわせは・・・歩いてこない」
傷は縫い合わせられる。
それより歩かないと、歩き続けないと。
後退などありえない・・・そうだな、今度は『夜の庭』だったから、次のは『心の杖』、かな。
「血苦笑・・・」
最後の一滴まで血失しなければ息絶えないことを知られながら見逃がされるのか・・・レッド、マルデル。お前たちの娘は私たちより遥かにつよくなって、逆詐欺だろうが・・・戦友たち、大嫌いだったお前たちの恢恢詼諧が愚にもつかないくらいに刺し傷に染みてきやがる。
・・・行った。
笑えねぇくらい苦しいが、くたばるには早すぎるだろう。
「ダメな子」
・・・他に誰が、いる。
「こんにちわ、血塗れのおじさま。霧で肉体構造をぶっ壊せる吸血鬼がこれくらいで死なないことを知っているくせに、トドメを刺さないなんて、やっぱりあの子は失敗作なのね。メガフラッシュに撃たれたリアムが立ち上がる姿をその目で見ていたでしょうに、ホント出来がいいのは血の一滴だけ」
「・・・」
「おしゃべりできないのでしょ」
いやできる。
しかし首は振り。
声だけ聞こえるのももどかしい。
「ビックリいたしました。もう少しであの子の心臓に届いたのではないのかとヒヤヒヤもいたしました。でも、殺すはずはございません。私の可愛い人形にはまだ踊ってもらいたい。さて、吸血鬼は種族癖によって吸血鬼と呼ばれますよね。そんなあなた方はとても厄介な能力を持っている。魔力を形造る魔装を更に深化させる。血肉骨肉を精霊化できるとでも申しましょうか、エデンの副産物である針には貫かれましたが奇怪な能力でございますよね、その霧化は」
リアナを所有するよう語るコイツ、組織のメンバー。
「手技奏者の私を殺せば、シルクも少しはあなたのお話を聞いてくれるかも」
仰ぎ続ける空、日暈を纏うこの形は・・・持針器。
「ロード・ダン=クロウ」
「霧がもたげるだけの首ごときが、風の精霊王の超弦もどきごときを持ち出しただけで勝てるはずもございません!!!」
「リアナを手放せ!!! が──・・・」
なにもいない。
「また会えたら踊りましょう。同じ世界の人に恋したもの同士・・・さようなら」
幻覚、だが首は貫かれている。
・・・なぜそこまで喋った。
『観血的な療法だ・・・一先ず首の闕失を埋める。ノーフォークでいいか。久しぶりに息子の顔が見たい』
シルクは助かりたいのか、だがどうして、こちらの手を取らずにしてどうやって。
──ステディエム、ガポンの屋敷。
「仕上がりはどうでしょう」
「シルク・・・あなたの形に比べたら良くできている方でしょう」
「メトード・ローズを済ませてきたんです」
「?」
音楽は一度演奏されてしまえば消えてしまう。
そのため記譜法による楽譜を残す。
しからば人生とは、尤も原始的だった頃の音楽の出来であろう。
今日、私の音楽は一つの節目を迎える。
そこで私の楽譜の出来が決まる。
「ここは彼らの居場所なのですから、そうでなくては」
柱の影に現れたが壇上に立つネップという男はこちらをさりげなく伺った。
ちょっとした配慮をして支配の傘の下に入れただけで、弱点らしい弱点がなく潔い街の関所を要としたセキュリティ自体はよくできていると思う。
シルクは彼の胡乱な視線に頓着することもなくバッサリ腹開かれた服の下の肌の上に新しい服を転送する。
「我々は秘密の兎会。いずれはあの塔をも飛び越えていく。まずは傾斜を飛び越える。厳しい冬だが巣穴から飛び出して行こう。皆がいれば我々が恐れている寒さはまやかしだとわかる。我々の友愛が迫害を打ち下す!」
ネップの演説は冷え切りそうだ。
士気はあまり良くはない。
迷いがある。
例年に比べると今年は物が街にポツポツと残っている。
それでも、呼びかけに集まってきた彼らには後がない。
むしろ免罪符を与えられていると錯覚している者もいる。
「コナー。私は隠せればどうでもいい」
「弾けるのならできるだけ高いところで弾けろと、シドは不満そうだ」
「・・・あの子もそろそろ失う痛みを秤にかけてみてもいいでしょう」
「彼らをどうこうするつもり?」
「衿直し 瑠璃波空の 標す布 六方引けぬ 宙ぶらネジりん」
「大向う・・・”霞幕 消し幕黒幕 浅葱幕 差金の蝶 網代幕切れ”」
「連ね渡る台詞」
「どちらでも黒は見えぬ決まり事」
外連の帽子屋は、音曲に乗る詞章に恋をして、水衣波衣に袖通し瑠璃澄みきった清い糸を張り悍ましい語り手の声域に三味線の勘所をおさえる。
「この本おもしろかった。よしんばアリスに行ってみたくなった。いいお土産をありがとう」
「久しぶりに遊べて楽しいですね」
「そうだ。でも僕も足を止めない。リレの望みは僕の生きがいだから」
コナーの手にする“文楽”というタイトルの本は、いまや王都でもお尋ね者の私が調達できるはずもなく写し用意してもらったアリスの書の内の一つだ。
「ねぇコナー。遺志を継ぐあなたもリレも私にとって欠かせない人たちだということを言葉にして伝えておきたい」
「シルク・・・今まで待っていてくれてありがとう」
私は帽子の唾を軽く握り首をもたげる代わりにうなづかせた。
「我々が経験した苦しみは全て人災だ!巣篭もりし根に齧りつくことしかできないと思っている残忍な支配者の肉も骨も噛み切る!そうして我々の楽園を地上に再編しよう!!!まずはメルクリウスで声を上げるぞ!怒りの時だ!」
煙雨の立ち込めるこの街で、一つだけ抜け出た塔がある。
力あるものは高く飛べる街、努力の量ではなく努力の質が求められる街。
「シドのお迎えを手伝ったら、私は少しおしゃべりしてきます」
「僕はここで君たちの交差する弦の響きを聞き届けよう」
「記譜役、お願いします」
産声は休符。
縦の糸を3xの線上へ。
Third ending を迎えてForth endingへ、もしくはその拍が私の終止線となる。
ト音とヘ音を繋ぐハ音の記号のように、最低音域の弦からの独唱もたゆたえども沈まず。
ワーレンへと招く前に、今は・・・彼女の楽器を弓へ導こう。
煙雨の立ち込める明け方、活動がはじまる。
「ここは我々の故郷だ!侵略者を追い返せ!」
今日は比較的に温かい日になりそうだ。
「マンチェスター家は富を独占するな!」
しかしながら肌に突き刺さる冷気が痛い。
「シド。心の準備はいいですね」
「俺たちらしく例えるなら、コイツらの扇動に関して俺は組織という楽団の中で指揮に沿っただけだ。各々が、得意な楽曲を持つ楽師であることが前提で成り立つ楽曲の中で楽器を失くしてしまった俺の役割は口の中に押し込まれた手膚に掠れた、あるいは血に溺れた声を吐き出すことだった。そして俺は今日、失ったと思っていた楽器を取り戻しにいく」
「・・・大人数で歌う場面で独り、あまり声を酷使するのもいかがなものかと思いますが」
「足並み揃えないといけない楽譜に失声したっていい。シルク。お前は指揮棒のままでいいのか。それだけが、ずっと俺の心に残り続けている」
「私たちは私たちの譜面をめくりにいきましょう」
「・・・いくぞ」
シド、あなたが弱音を声にするなんて。・・・もし迎えに来たのが私の肉親だったのなら二進三進あったのかもしれませんね。
宿の朝は早い。
宿泊客に朝食を作るついでに、外客にもサービスを提供している。
私はカップに注いだ湯気立つお茶で芯を温めているが、対比されるようにウチの妹は親に言われるわけでもなく、よく働く。
手伝いたいと言って、お客からは偉いねと褒められ可愛がられる。
まぁ可愛いからね、私に似て。
「いらっしゃいませー」
そろそろチェルニーたちを起こしに行く時間。その間だけ、キュリーの代わりを私が務める。
「ああ、俺が弟妹を迎えにいらっしゃいました」
可愛い妹を追いかけていった私の目がそいつを視界にぼやけさせた。妙な返しに眉をひそめ脳はそいつの顔にピントを合わせる。そうして私の記憶と現実がカチリと噛み合わさった。
「出迎えご苦労、未来ある子よ」
「キュリー!!!」
私はカップが割れて散らばることも、お茶で床を濡らすことも全ての煩わしさを選択肢から消し去って一直線に妹に手を伸ばし腕に抱え込んだ。
──ギグリ・ソー。
キュリーの前に立った男から解き放たれた蛇のようにうねる刃が1階にいたキュリーを除く全ての人間に一傷、切り噛んでいった。
ギグリ・ソーに傷付けられた人間がほとんど同時にその場で倒れていく。
強く妹を抱きしめた私の首筋も剃っていった。
「いっ──ま、魔力がッ、クソがぁっ」
「口が悪い。それになぜ倒れない・・・お前は?」
「キュリー、大丈夫。そのままお姉ちゃんをギュッとしてなさい」
「う。うん」
「・・・もう一度訊く。なぜ倒れない」
「んなの必死に魔力制御してるからでしょうが。天才に向かって愚問よ、ファウストのシド」
「名前は知られていても、俺の称号楽曲の力は知られていないはずだが、天才ね。では天才、お前が意識を手放しやすくなるよう手伝ってやろう」
ギグリ・ソーにセナの全身が縛りつけられる。
「意識を手放せ。お前が逆らうから傷が増える。それともお前は自分の体を傷つける嗜好でもあるのか?」
「わけないっ・・・痛いって言ってるでしょ、やめてよ」
力んでしまうと刃がより深く突き刺さる。
大声は出せない。
痛みもさることながら全身の魔力の繋がりが断ち切られていくので力を抜くに抜けない。
敵は・・・平気で人を傷つけられる奴だ。
私がキュリーを守らないと。
「・・・わかった。やめよう。ギグリ・ソーでこれだけ切った。どうせ気を失うだろう」
「私は倒されない・・・神のために首を垂れろと、お前は頭を下げるのか!!!」
「神?」
「救世主妄想に取り憑かれた奴なんかに、わたしは、憐れまれたくなぃッ・・・」
鎖刃の拘束から放なたれたセナの体から魔力が抜け出していく。
「俺は──そうだ、俺は神になりたかったはずなのに。だが、俺の目指す神は唯一。俺は、俺はMonophonyの」
「おねえちゃん・・・?」
「・・・ここでは犠牲者は出ない。俺もお前のようになれたと思うか?」
セナはシドの言葉を最後まで聞き届けることなく意識を手放されてしまった。
「やめて!おねえちゃんたすけてェ!!!」
「これだけの大立ち回りをしてくれたんだ。これで寝惚けてるほど甘い教育は受けていないよな、ジョシュ・ヴァニティ!!!」
「・・・」
「静観してどうなる!俺の狙いはお前たちだ!妹だけを逃そうとか思うなよ!その時はこの建物ごと解体してやる!」
宿の客、エスナ、ナゴラス、セナ、そしてキュリーを人質にシドは上階で状況を伺っているであろうジョシュたちに怒鳴りつける。
「やぁ、ジョシュ。そしてチェルニー。会えて嬉しいな」
「ジョシュちゃん!チェルニーちゃん!!!」
姿を現したジョシュとチェルニーを確認し、ギグリ・ソーがキュリーの皮膚に触れないよう纏わりつく。
自分の上着の首根っこを掴むシドを見上げると、キュリーが口を閉じておかなければならないことを理解する5秒間、彼は表情を消して全てを静かに無視し続けた。
「家の追っ手か」
「ちょっち違うな」
「なぜ俺の家名を知る」
「ヴァニティの役目は」
「暗躍」
「それは誰がための暗躍か」
「それは・・・」
「お前たちは泳がされた。誰がためにか」
「・・・あの人が、最初から?」
「出来のいい子だ。誇らしい」
「真偽のほどは確定しない、とはいえなぜお前に誇られなければならない」
「お前たちの兄だから、そう思いたい」
「・・・俺たちに兄は」
「俺はシド・ヴァニティ」
「俺たちに兄はいない・・・」
「お前たちが物心つく前に家を出された」
そう言われてしまえば、ジョシュは深追いが難しくなる。
「チェルニー。お前の黒布は目立つ」
「だからなんだっ!」
「ジョシュ、妹にも少しは声をかけさせろ。チェルニー、お前はその布を巻かなくてよくなればそれがいいと思うだろう」
「わたしは・・・」
「答えは求めない。人はそれを救済と呼ぶこともあるらしい」
「会話になっていない」
「ここで会話する気がもうないからだ──シルク!!!」
宿のドアベルが3回鳴る。
「Closeにしましたよ・・・本当に換えていいんですね」
「ああ」
「誰だその女」
「こんにちは、シドの弟妹方。私はシルク、しがない帽子屋を営んでおります」
「お前の名前は聞いたことがある。シドと同じく手配中の奴だ」
「ええ、まぁ」
「そしてリアムをユーロまで飛ばした奴だな」
「それは不正解です。私にHolmiaとこの世界を渡すほどの力はございません」
「俺たちの傍まで飛んできたのが偶然だったと、それじゃあ誰がリアムをあんなところまで」
「行き着く先が制御できるような代物ではないからランダムウォーク。ですが、あなたたちには闕失がありますね。そして、闕失が与えられる前の洗礼式にて聖餐として肉を食べた。もしかしたら、彼の中に眠っていた存在がイデアなる者が拒絶した降臨先の一番近くにいた微かに血肉に香る残滓を嗅ぎつけたのかもしれない、あるいは偶然かもしれない。兎にも角にも、あなた方がハイドと呼ぶ者の眠りを刺激したのは私でしょう。私の所為だといえばそうなのでしょうがやはりあなたたちと彼の出会いは意図されたものではなかった・・・もういいでしょう」
「なにもよくなんてない。俺たちは恐怖を知っている」
「聡い。シド。いい弟を持ちましたね」
「まぁな」
「時間稼ぎご苦労様。しかし、私たちがなんの保険もなく集団昏睡事件と誘拐事件を引き起こすと思いますか?」
ジョシュの靴底が床を僅かに擦り退く。
「退がってはだめです」
臨戦体制を深めたジョシュの前で、ギグリ・ソーの刃が開いたり閉じたり、逆らった場合にどうなってしまうのかを如実に示す。
「これから私がゲートを開きます。一人ずつ潜りなさい」
時間稼ぎする暇を与えることなく開かれたゲート。
「ウサギの巣へご招待しましょう」
ジョシュとチェルニーは自らの足で歩みを進める。
「シド。その子も連れていきましょう」
「・・・らしくない」
「私は時間が惜しい。そのほうが2人は言うことを聞きやすいですし、彼のそうすべき理由も増える・・・可哀想に震えちゃって。ごめんなさいね。あなたをむやみに傷つけることはしませんから。そうだ、飴などいかがです?」
「お前の飴はハーブ飴ばかりで子供向けではないだろう」
「おや、シドも欲しいのですか?」
「一個よこせ」
「はいどうぞ」
ギグリ・ソーから解放されてシルクに肩を抱かれた可哀想なキュリー。
彼女の父も、母も、姉も・・・目の前にいるのに誰も助けに起き上がることはなく、何度もつま先を躓かせながら引きずられるように誘拐された。
「・・・騒がしい」
今日はそとが騒がしい。
冬ということもあって日の登りは僅かに心許ない時間ですが、早めに出勤した方がよさそうです。
年を取ると時間が早く感じられるという。
それは一角の人間として、世界への明瞭性が増し、あかりと風の通しがよくなったからなのだと思うと気分がいい。
しかしながら、この問いかけへの本当のアンサーは、人生への慣れというよりは、残りの時間を数えても足りないと感じてしまうからではないだろうか。
それが私、湊花の持論である。
「それでも、この頃とくに早く感じられるのは、過ぎた時間を惜しいと思うからなのでしょう」
ステディエムで寝泊まりするためにリアムさんと共同で借りたアパート。
彼は昨夜からスターマップ貨物の打ち合わせのためリヴァプールに泊まっている。
午後までにはこちらに顔を出すと言っていたのでそれまでにまとめた資料の最終チェックを済ませカレンダーさんたちと週末明けのスケジュールすり合わせ、午後の会議が終わったら彼方へとんぼ返るリアムさんに付いてリヴァプールへ赴き夫と息子と娘の芝居を鑑賞して夕食を囲む。
──・・・充実している。
「三輪・・・何度たしかめてみても、数えてしまう」
ステディエムでの朝、嗜むコーヒーの香りをついた息のあとまで追ってしまうように、共有スペースに飾られているリアムの生けた水仙の花を目が追う。
焦げ尽くされた黒の岩の平茶碗を花器に漆で潤った光沢の花台の板。
花器の水盤からは三輪の花弁を鈴鳴らせる水仙が一本、底には剣山が隠れるくらいに砂をかぶせて、人差し指程度の厚さが浸かる水を張っている。
茶器の可愛さを支える横に広い長方の花台には、粒を光らせる砂が河のように散りばめられており、開花した梅の枝と蕾の桜の枝が一本ずつ右側と左側に花器の縁を取り囲む波の水紋のような位置取りに添えられている。
しかし、美しく剪定された枝の端材、その木屑をわざわざ枝の周りに申し訳ていどに散らされているところは不思議に思う。
「侘しい。でもこの花には、僕の全てが詰まっています」
彼はこの作品を侘しいと振り返った。
それを聞いてしまってから、私はこの作品を理解したいと思った。
主役は水仙を一本だけで、台の上まで彩ったかと思えば枝は立てもせず寝かせているだけ。一部にリヴァプールの海砂を使ってくれたのは私への配慮もあったのだろう。
それでも正面から見ても上から見ても何かが雑に見える。
やはりその違和感は、台の上の枝にあるのだろう。
「あの枝たちさえ除いてしまえば、この作品の侘しさが完成する。作品名は、そう──」
あえて、作品の両端を切り取り、台の中央さえ残せばなんの捻りもないが──・・・。
「”目に映る”──さすれば水仙が、吼える」
枝垂れるような三輪の花弁をつけた水仙が一本だけ。
リアムさんの世界観はどこか風向きが違う。
背筋が強張るほどに恐ろしく美しい。
遠くから見ると侘しさがひどく心臓を羽立たせるが、近いてみると吼えているような、そのことに気づいてしまうと視線がそそける。
そして、台の上が見える角度からは表情が違って見える。
「そして、水仙が、泣く」
水仙が砂の涙を落としているようだった。
そのことに気づいた時、私は彼は自分の人生を確かに作品に投影する1人の芸術家なのだと、ただし差し引くことで生まれる世界観は侘しく、周りくどく、失敗しても全てを失うわけではなければ、すべてを差し引き切らない。
台の上に振り撒かれた砂が、再び器の中に戻ることはない。
一方向への思い。
「すごいですよね、これ」
置きかけたコーヒーカップの柄が、指先にひっかかる。
「こわいです。まず先に状況の把握。武人の血もおざなりではないのでしょうね」
「取り乱したところで、状況は好転しない」
「その通り。私は招かれざる客ですから」
「こんなに近づかれていても違和感を感じられなかった」
「家とはそういうところでしょう」
「借宿です」
「・・・前にお目見えしても?」
「どうぞ」
背筋の悪寒と共に全身に回した魔力を飛び出さないよう押さえつけたまま、悪びれもなく床を靴が擦る音を目で追わないように前だけを睨みつける。
「この巡り合わせに副題をつけるのなら、”緊張の糸”でしょうか」
「張りつめてほしいのでしょう?」
「いいえ」
「では切りましょうか」
「いいえ」
「ですがほぐして巻き直すことはできないのですよね」
「そうです・・・さて、私は一仕事終えてきたところでして。かなり神経を使う仕事をこなしたというのに、これから大仕事も控えているものですから、束の間の休息に付き合ってください」
「・・・いりません」
「それは残念。では私だけ失礼して」
私の向かい側の席、いつもはリアムさんが座る席に腰掛けたのは、朝焼ける赤みがかった黄色の髪色の女だった。
机の上には透明なガラスのポットとカップが置かれた。
「自己紹介を。シルク・ハッターと申します」
シルクは自己紹介をしながら、ポットに草玉を入れ、そこへお湯を注ぐ。
『・・・最低でも3属性の魔法』
湊花はシルクの名に動じることなく、ただただ状況から実力差を推し量る。
「小休止に話題をおひとつ。何年も前、親の代よりも前の名称の他国の名前を使って貿易品を売ったらどうなるでしょう」
「質問の意図を汲み取ることができません」
「まぁ、でしょうね。新市場の開拓に定着していない遠い異国の地の名前なんてあまり関係ないですよね。それにもはや商品が定着しつつある今、ご家族から間違いを訂正していただいたのはよかった。とはいえ、嘘は良くなかった。これは謝っておきましょう。申し訳ない」
「あなた、何をしでかしたんですか?」
「しでかしたのは別で対応したのが私なんですが、まぁまぁ、この件に関してはあなた方にあまり害はなかったということで」
「金盞花・・・お揃いですのね」
「気づかれましたか? お気に入りの花です。持ち前の髪色と同じ色の花ですから」
ポットに入れられた草の玉がほどけると、中から現れた金盞花が水に馴染む。
「ですが、皮肉なことにこの花はもうすぐ役目を終える」
「ずいぶんと、余裕がおありのようで」
「ええ、ですからしばしお話し相手になってくれませんか?」
ゆったりとした所作で、お茶を注いだ小さなコーヒーカップに口をつけてにっこりと笑い、ポットの金盞花には一瞥もくれずにリアムの生けた花へとシルクは視線を注ぐ。
「草木の命、つまれれば終わる」
「しかしていつかは終わるもの。人は終わりの時を意識して生きることができる」
「天の刻、地の利、そうして人の和がある。この和がなければ人はその苦しみから解放されるのかも」
「それでは生まれもしない、そうでしょう?」
「とても正しい風を吹かせる」
「丁寧に水切りし、葉組されて、彼は敬意をもってあの花を生けていた」
「そうして作られた。あの花は作品となってしまったのでした」
「・・・あなたの評価は?」
「品格などない。ただただ我儘なだけの作品と評します」
「それはなぜ」
「まず生花ではないでしょう。かといって立花というには砂之物が混じっている」
「そんな。新しさと我儘はセットみたいなものでしょう」
「私の言った我儘とはちょっと違う面を見ているかな。・・・ピーターメール社でしたね。その中核にはなぜか、なんの実績もない、後ろ盾もない子供がいる。今にすればリアムが彼らの後ろ盾となったのだと思われるのですが、やはり当時は身体一つでなにも持たない子供たちだった」
「巡り合わせでしょう」
「たとえば、代表取締役の彼女。私が引き取りたいと言ったらどうでしょうか」
「なにを馬鹿な」
「それもまた巡り合わせでしょう?」
「・・・もしカレンダーさんが望んだとしても私が全力で止めます。巡り合わせでしょうから」
「話が早くて助かる」
話の時間だけ冷めた茶の香りを嗅いだ閉じかけた目を棚引かせる瞼は、輜重を隠す母衣を彷彿とさせる。
「もしや、物詫し寂しとおっしゃる?あなたがたが?」
「草の中に死を廾ると書く字がある、と知りました。私のルーツには、葬奏枝という文化があって、死者を自然の根元へ土葬する。あなた方が筆花と呼ぶ文化の土台となったとも言われている。私はその文化を酷く嫌いだと思いました。自然から時間を融資してもらうことが人生だと言っているようで、死んでいるのにまだ生きているような不気味さもある。香り漂い呼吸をするのさえ憚られる。私はそんなお墓なら、お参りを躊躇うでしょう。後ろ向きでも、前を向いていても、ただただ涙は溢れてしまう。息苦しい」
「だったらどうして──・・・」
「どこぞの誰のことなど知ったことではないと自らの影響が及ぶところまでの責任を放棄するつもりはございませんが、私は私を見つめることがとても下手なのです。誰かに自分を投影することでようやく、愛の尊さを知ろうと興味が持てる程度に、自身に失望している。だから躊躇えない」
湊花は唇を噛む。
「それでも善悪というものがあるでしょう!!!」
「・・・おっしゃる通り」
「私のこの言葉を受け入れるのなら、なぜわざわざ巻き込むの!!?」
「それは──・・・名は体を表すと言います。ちなみに私の称号楽曲は幻想曲らしいのですが、私の想いは自由で即興的な曲想とはほど遠いつまらなくも自愛できる程度の平凡なもの。そんな寂しい私の心酔するものは、彼、ただ一人だから。彼ひとり、彼、独りだからです!!!」
湊花の叱責にシルクは慟哭する。
「自身に失望しながらも周りへの思いやりは人一倍に!!!だから時には誰一人としても他と関わりたくなくなるし、でも家族をはじめ自分を気遣ってくれる人たちを蔑ろにはできない!──・・・消えてしまいたくなる気持ちを抑えつけながらも、健気に生きていく様の美しさ!私だってせめて美しく見られたい!!!」
息を乱しながら絞り出されたシルクのありのままの姿に、湊花は不覚にもたじろいでしまう。
「ぬかるみに足を踏み込んでしまっていることを今更絶望しませんよ。せめて徒花となって散らぬよう結実とするために必死に呼吸して、彼のように足掻きましょうとも」
恍惚とした表情で、自分のしてきたことを全く疑いもしていないようで。
「そうして咲いた花から漂う香りは、枯れた後も名残る香りとなりましょう」
なぜ、こんなに引き留めたくなる。
「香りが死とつながることもある。線の香、死者が食べる香り、香食、というとなんとも竜らしい気もしますがまったく別の世界の文化なんです」
シルクの心が逸るのに追いつこうとして鳴る自分の心臓の音のリズムがわからなくなっていく。
「池坊の眺める命の景色は、自然みな等しく同じであろうか、そうだろうとも──しかしてあれは彼が生けるべき作品ではない!別の輩の思惑が混じり込んでいる!!!台の上の枝たちが作品の隅に野辺おくられていることがとても物悲しく・・・つまれるまであった卵状鱗茎を無視し強調される水仙に三つの白い輪、台の砂之川はさも天安河か、天真名井の天津水の物實はアマティヴィオラ・・・この作品は誰が誰を思って作ったものなのでしょう」
声が、自分の意識の下から湧いてくるもののように聞こえる。
「ほら、本当の声を聞かせて」
胸の央が抉りチクる。
「あなた、なにをしようと──・・・」
「糸の伝心です」
うずもれ刺さったことを感じることはなく、細く肉がこじ開けられた痛みが湊花に走る。
「小針のまま、抉り散りはしません。傷口は残る痕もなく閉創しておきますからご安心なさい。渦巻く魔力にあてられて意識が混濁としてきたでしょう。でもせっかくですから私のこの高揚感、一緒に共有してほしい」
・・・どうやら私の命をとるつもりはないらしいがそれがまやかしか判断がつきかねる、だがそんなことより──私の意識が消入る危機をもたらしているのは、この場にはいない雪崩れ込んでくる見知った誰かの魔力の上澄だ。
「リアム、さん・・・」
「ああ、単頂の健気さ──
彼岸がその他、散形の醜悪さ──
あなたに加わる花序となれずとも、結び躍り合うことはできます」
しかし、可憐に咲く花のような無償の愛ではなく、代償のある愛で競うというのならば受けて立ちましょう。私の願いはあなたの願いが忘れ去られないこと。だから高く漂う雲のように彷徨わないで・・・薄れる意識の中ですら、はっきりと声が伝ってくる。
「我が星座の心臓に廾る。私は致命を拾い上げて誓約とします」
鈴華の記憶が一番重要だと思わせたかったの?──ねぇ、英雄さんたち。
「ここからは、一糸の星座線が心臓を動かす星取りゲーム」
一枝の、一矢の、一死の。
「正座の譜面、无窮の心臓への一先ずの一刺・・・金烏玉兎の踊る記憶の墓場に届け」
今は私があなたの代わりに正鵠を射る。
「わたし、もうこれいらない」
茶の飲み干されたコーヒーカップが放り投げ割られる。
飛び散る破片の音が貫入音のように涼しげに感じられる。
薄れるも断ち切ることの許されない意識の中、席を立つシルクの存在をかろうじて目で追うと、彼女は窓際に立っていた。
祈るように願う心に満たされている。
そうしてシルクは満足げに空を見上げていた。
「応え!そして歩き続けて!どこまでも──どこまでもッ!!!」
夜の女王の嘘が暴かれて、世界があなたの名前を知る。
けれどもたまにでいいから振り向いて私を見て・・・そうしてどこまでも歩き続けて。




