64 Dies -
物質を伴って魔石を練り上げる発想はなかった。例えば火と油を混ぜて魔石を練り上げることができたらどうなるのだろう。込めた魔力量分以上に燃焼の持続時間が伸びたりするのだろうか。雷の魔石にガラスやビニールを混ぜてみてはどうだ。出力を抑えたり砂鉄を混ぜ込むことで魔法陣なしに磁力を持たせることもできるのだろうか。
もしクズ魔石を粉にして再形成する技術を開発すれば消費時に魔法陣を必要としない技術の盗用は一気に難易度を増す。
魔石の合成は時間と圧縮の相関。自然魔石の再合成が単なる魔力圧縮で解決できない理由はその過程に環境要因が関わっていると推察すると、時間を補う圧縮力を用意できるだけでは再合成に至らなかったのは、媒体たる自然の物質が微量に放つ魔力が堆積したものであるから。
しかし、難しい問題が共存する。それは魔石を再合成するために採集採掘を必須とすること。例えば、スモーカーストーンは特定のフィールドでのみ収集できる産物であるが魔石の再合成のためにチムニーを壊した場合、スモーカーストーンの再合成を妨げる可能性がある。
環境を保全していてもいずれ変質、あるいは枯渇する。
とはいえ、無闇には産出地を荒らすことはできない。
『初めて深海にきた頃はマリンスノーを風情があると深層の洗礼を受けた気がしたが、今はホントに鬱陶しい』
いや、気を散らすな。
魔力質の決定に作用する要因が魂の練度だけでないと仮定しよう。魔力を扱う者の肉体条件が考慮されるとすれば、凝結前の魔力に変質の影響を与えた物質を混合することで魔石の再合成時に消失する魔力を抑制、あるいは補完できないだろうかというのが物質を用いた魔石の再合成理論の根幹である。人によって属性の得て不得手があるのなら、魔力は物質の干渉によっても性質を変える。
ならば、杖を通じて発動させた魔法を杖なしでの制御に切り替えてみるとどうなるだろう。制御はできるだろうが、杖を用いて制御し続けた場合より消費魔力に喪失分が生まれるのではないか。あるいは杖なしで発動した場合も然りである。より正確なデータをとるために杖を通じて注ぎ込む魔力を魔法陣に介させるといいだろう。
想定通りの結果が得られれば、魔石再合成の論拠となりそうだ。
今度やってみ・・・杖、あげたからないわ。
あげたものを実験のために貸して欲しいと催促してもいいが、大切にしてくれているものを遊び半分に使ったりとかできないし、何よりもはず・・・僕は無心である。
暗闇は怖くはない。けれど、サプライズは嫌いだ。
白の魔石で周りを照らしているが強い明かりではない。
『だったら目の前のバーディーのお尻でも追っかけていたらどうですか』
『客観的な構図では既に追っかけている訳だが、なぜ先頭を泳いでくれている彼女にそうも不謹慎な念を抱けるというんだ』
『2頭もの竜に護衛されているようなものなのに、剰えそれらを相手取っても圧倒できる力を持っているにも関わらずビビり散らかしているからですよ』
『しかしね、いま小突かれるとすっごく嫌じゃない?ここ、水深4000mを突破したところだよ?』
近海とは、と言いたくなるくらいに海の壮大さが身に染みている。青菜に塩が染み込むなんてものではないくらいにとめどなくだ。
『これでもバーディーが前を行って路を作ってくれているおかげでだいぶ魔力を節約できているはずです。バーディーよりよっぽどリアムの魔力量が多い筈なんですけどね』
『道案内も兼ねてるんだから効率重視ってことで』
『そういうことにしておいてあげますよ』
『どうもありがと』
隊列は先頭バーディー、中にリアム、後ろに風の防護球を抱えた海竜である。
「もうすぐネロの海域に入ります」
衝撃の事実・・・まだ入ってなかったの。
ここまで海底を這ってきて辺りは暗闇で視界に入るのは無骨な岩とマリンスノーに偶に蟹や魚。
海蛇にでもなって海底を爬行している気分だった。
──視界が、一転する。
『生物の気配がなくなった。見てよ、海底に白い砂が堆積してる。まるで外海で被った灰をここで落としたように──』
『・・・心音が落ち着きましたね。普通逆では?』
『魔石の光と魔眼のおかげで視界が開けたから』
『その昔、船から投げ出された船乗りがこの海域に流れ込み、それを助けようとした水人が光を失ったことで気が狂って死んだという逸話があったとか。結局、船乗りも助けだされず2人とも死んだという話です』
『その手の話もあんまり怖くない。第一、船乗りが助かるくらいの水深なら明るいでしょうに』
『闇が水面に沈む新月の深い夜のことだったのです』
『じゃあそんな時間に回遊していた水人の方が怖いわ。いま僕が一番怖いのは君の乱心です』
閉鎖的ではないが、色覚の圧迫感だけでも人の本性をさらけるような闇が広がっていた。
深海の幽霊の唸り声でも聞こえても不思議はない。
しかし、こちらには深海のアンデットにも理屈を説く僕と弄ぶイデアがいる。
心配なのはバーディーの方だが、ネロと話でもしているのだろうか。
『そういえば、私、お昼ご飯食べ損ねてました』
『帰りはリアムのゲートですぐに帰れますよ。行きの案内の疲れを口実に夕食をねだってはどうですか?』
『ご相伴にはあずかりたいですが、はしたないと思われるのはいやです』
『でも彼は、あなたになら喜んで腕を奮ってくれると思いますよ。竜のように大食らいではないでしょう?』
──・・・あっれ、おかしいな。なんかバーディーとネロの喋ってる話が聞こえてくる。
『耳を澄ませばああ聞こえてくる乙女の恥じらい』
『そんな唄を詠まれると罪悪感がすごい。しかしどうしてだろう?』
『同じ竜人同士、共鳴でもしてるんじゃないですか?』
『それじゃあベルーガさんも聞いていたのか。あの人に”姫様がお腹を空かしていたお話聞こえました”って?』
聞けねぇ。そもそもこの会話を聞かれている可能性もある訳だが、やはり腑に落ちない。ネロの海域には幻聴を聴かせたり、人のこころが突き抜けになったりする怪異があるのだろうか。
『・・・おふざけはこの辺にして、そろそろ気を引き締めておきたい。またさらに一段と深く潜った』
『現在の水深は4000mを超えて5000mにももう届くほどです。心配なら魔法の制御を代わりましょうか?』
『控えていてほしい』
『わかりました』
魔眼がなければ潜るときは魔石の光の標すら役に立たない。魔眼があったとしても、バーディーを見失わないように後を追う体を進めるたびに焦燥感が煽られ始める。
まだ潜るのか、どこまで潜るのだ・・・と。
もしこの世界が夢が見せる幻だとしても、いっそのことならと、こんな体験ができてなんてしあわせなんだろう。
静寂の中で弾ける海竜の放つ泡沫がこんなにも心地のよい音色を響かせる。
バーディーが水を掻き分ける水流がわずかに感じられる。
水が耳を掠める音が、僕は自然に愛されているのだと錯覚させる。
水圧は増していくばかりなのに、抵抗が和らいでいく。
──水深、6000m。
──水深、6500m。
──水深、7000m。
──水深、7500m。
──水深、8000m。
・・・光が見える。
僕は、肺を押し潰された。
水圧にではない。
口を開いたまま絶句したのだ。
『深海の花畑──ここが、ネロのハイドランジアガーデン』
生命の母なる海から無二の称号を奪った死の海域へと変貌させた毒を放つ花。
ディープブラックともいうべき黒いハイドランジア。
『この辺りの花はどうやら枯れかけているようです』
イデアの言った通り、この辺の花は死にかけているようだった。
ハイドランジアの花畑は端から端が見渡せないほどに広がっていた。
バーディーの後を追っていくうちに、黒いハイドランジアはディープパープル、パープルへと輝度を増していった。
次第に光が増えていく。
辺りが青へと染まっていく。
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止水に安置された灰青の巨躯。
青いハイドランジアが囲む。
『誰かぶん殴ってくれ・・・なんだこのふざけた大きさは』
遠目にそれが見えたとき、嘲笑うしか感情の表現のしようがなかった。
そして思った。
神がいないと否定するよりも、こんな生物や景観が世界には存在しているのだと信じる方が難しい。
前世ではよく感動した時に抱いた感情だった。
実体験に勝るものは幸運だけである。
それは知らない幸運、そして、知る幸運。そんなありとあらゆる幸運である。
故に、実体験と幸運が合わさってしまえば、それに勝るものはない。
僕はそう考える。
「こんなものは、オールドビックではない・・・つまりこの世界は、現実だ」
強い願いを込めて僕は潜った。
きっと、僕はまだ夢の中にいて目覚めれば一か八かまた家族の温もりを感じられる。
そんな風に、僕だけは大丈夫だと楽観的に捉えていたのである。
デカいでかい鯨の死体が肉も腐れることなく横たわっていた。
あまりにも綺麗すぎるのに、生気がないことが一目にわかる。
青い体がうっすらと白く澄んでいるように感じる。
青く美しいハイドランジアの花畑に安置されているせいで余計に死が想起させる。
彼自身が墓標なのだ。
手足の先から水が枯れていくのがわかる。
その代わりに感情が潤っていくのがわかる。
感情を司っているのが脳なのだと再認識する。
「ただいま、オールドビック、ネイドン」
バーディーはしあわせそうな表情をしていた。
ハイドランジアの放つ灯りに包まれた家族との再会を噛み締めていた。
頬を伝って泣き別れることすらできない涙を流すバーディーを僕は見ていることしかできなかった。
そうしていると次第に僕は自分も泣いていたのかどうかすらわからなくなっていく。
後悔の念が押し寄せてくる。
もっと気持ちに気を配っていれば結果は僕の望む方へと転んでいたかもしれない。
慎重になって事に臨んでいたならば、もっと生きがいを感じていられたかもしれない。
絶望の淵に立つこともなかっただろう。
この劇場において、僕は部外者だ。
鎮魂の雨音が死んでいく。
「僕の海紫陽花は呼吸をする。だけど、ここのハイドランジアたちは呼吸をしない。栄養を吸い上げ蓄える」
横並びの僕たちより少し後ろにつけた海竜の声が水中を伝った。
この花畑はひどく淀んでいた。
はじめはオールドビックの死体の重さが辺りの水の力学を歪めているのだとさえ思うほど、ここは深海の墓として最適な場所だと思う。
そうして100mを優に超える体長のオールドビックを全体として眺めていると、ふと、巨躯に寄り添う小さな鯱の姿がやわらかく視線を打ち付けた。
ネイドンである。
ヒゲクジラで青く巨大とのことで、オールドビックが語り口に違わぬ風貌で目を瞑る傍ら、ネイドンは僕がよく知っている鯱の姿をしており、海竜よりも少し小さい体躯であった。
ネイドンもまた、オールドビックと同じく綺麗に肉体を残してオールドビックに寄り添っていた。
安らかなる彼らの死に顔を写しとって、親と子の絆を想像することがどれほど儚いことなのかがわかる。
「風采の在りさも残心たる空しさよ」
「ちがうよ。彼らの肉体が残っているのは水竜の力のおかげなんだよ。水竜はオールドビックをここに連れてきた時に、彼を安置した場所を中心に自らの力をハイドランジアの土壌へと注ぎ込んだ。だからオールドビックとネイドンの体は吸い朽ちることも腐ることもない、周囲の海から一切の干渉を許さないこの海域と層域ができあがった」
「そうなんです。しかし、水の竜はもういない。そして花畑の端で末枯がれるハイドランジアのようにいずれは水の竜の残した水の心も枯れていく。だからわたしは知らなければならない。水の竜の魂を宿した今のわたしならばハイドランジアに触れられると思われます。水の心を知る海竜ウーゴ・ファノよ。水の竜と海の竜を友とし、そして、いと尊き彼らの同胞の魂と心を宿す竜人リアムよ。どうかわたしとネロの絆を見届けてください」
深海女王の高潔ささえ畏れ浸させるハイドランジアの土壌に竜人レギナ・バーディーが立つ。
そして、バーディーはゆっくりとハイドランジアの一房に手を差し伸べた。
「水の心を我らが肉体に写しとらん」
ソッと下から添えられた手に水の心を灯していたハイドランジアが揺れる。
ネロの海域の淀みの重ささえも意にも介せず咲き誇っていたハイドランジアが故にこれまで人の手が入ることもなく保っていたバランスの繊細さが崩された。
ハイドランジアの花房を慈悲と共に手折ってしまいそうな婉然たる挙措に、たゆたえども沈まず。
手折れてしまえば、青い花房が海面まで浮いていってしまいそう。
『水の心の正体がわかった・・・Fluctuat nec mergitur, なんと深い海の岩床のように無慈悲に命の温もりを逆撫でる荒らな心だろう。そして、沈まない愛情だろう』
故郷の土を踏んだ主人を迎えるように、海底のハイドランジアが一輪も漏れずざわつき始める。
『わたしは幼い頃、あなたたちハイドランジアの水の心に殺されかけた。しかし、ウーゴがわたしに海の心を分け与え助けてくれた。だから死なずに生きて、そして、かけがえのない愛を知った』
まただ。また、バーディーの声が聞こえる。
『わたしは寂滅するも真理を完成させること叶わなずここにいる。多くの同胞たちはそういうものだとわたしに語りかけ、わたし自身も智慧に至ることは悟りに死ぬことではなく、生を捨てる愚かなことだと朽ち知った。それもすべては我が子と我が孫の生き様に触れることができたおかげだろう。だからこそ、肉体が朽ちた魂であろうとも尊厳を宿し一掻きの重みを友と重ね合わせて生きよう。ありがとう、我が愛しき家族よ・・・願わくばもういちどだけ再会を果たしたかったッ!!!おまえたちと泳いだ日々の心地よさが浮かび出してとまらない・・・!!!』
オールドビックとネイドンへ悔いを語りかけているネロの声が心に刺さる。
『辛抱たまらないわたしの水鞠の願いが泡沫とならないように、おまえたちとの大切な想い出を私の大事な友人の心にも繋ぎ止めておくことを許しておくれ・・・』
バーディーが、深く激しく声すらも海水と共に吸い込んで、呼吸を凍りつかせた。
僕は2人の心が収斂されていく調音に完全に聞き入っていた。
いつの間にか、ハイドランジアの花畑へと迷い込んでいたのである──・・・バーディーの起こした水流に巻き上げられた花びらが、ぼくの体に触れる。
『枯山水』
──咆哮が、来る。
「順調だ。ハイドロボイスが響くね。リアム、ぼくの後ろに」
ダメだ海竜、視界を遮られては見届けられない。
水媒花が僕の中に入り込んできた。
水の中に世界を見れそうなんだ。
「退いてくれ海竜」
「でも、水の心を得たそのときはって」
「僕たちは見届けなければならない」
「わかった・・・」
力を貸してくれイデア──はい、リアム。
『魔法鎧から魔法球へ壁を拡大。同時に魔力を空気へと変換しながら風の魔法で壁内部の空気を自身へ引きつけることで内部のつりあいを維持し保ってください。純粋な無属性魔力の魔法壁を作り出すよりも消費魔力を抑えられます。拡大が十分に終わったら、壁の外にかけていた水属性の性質を除去し残った風属性の魔法壁のみで水圧に耐えることになります』
竜は特定の物質や魔力を捕食し司る。
「海竜、浮かばないように顎ででも抑えててほしい」
「いいよ」
「僕の魔力、食べちゃダメだよ」
「もちろん」
お守りとして身につけていたスモーカーストーンが全て弾けてしまった。
しかしそんなことには構っていられず、雁渡とでも名付けようか、超深海用の魔法鎧だった球壁から水の要素を悉く排除し風と熱の要素だけを残し青北とする。
「『海層深檄』」
汀まさる。
水の心を写しとったバーディーから、ジブリマーレの魔力と吸い込んだ水を合わせて作られた命声の波が噴出する。
水中を波の綾のように走ってきた純みやかな水の心の輝かしき新しい層によって、深海が上層と下層へ泣き別れ切れる。
水で空が出来上がった。
陽光は長く闇に閉ざされていたハイドランジアたちに新しいエネルギーを生む力を与える。
一段と明るくなった深海に瞑るオールドビックとネイドンが、ハイドランジアの灯りだけに包まれていた冥い時よりも、海の竜人となった母の心に包まれて、心なしなどでもなく、はっきりと安らかに僕の目には映ったのである。
「おはよう・・・オールドビック」
天上から差し込んだ満たされた明かりが照覧するオールドビックの明鏡に感じた情の末に、声が嗄れた。
──オールドビック ── ・・・ ── ── ・・・ ・・・ ・・・ ──直人は・・・、ずっと私とまた会えるって信じていてくれる?
なぜ生きている人との約束ではなく、死んでしまった人との約束が克明に甦る。
この世界はおかしい。
僕がまだ生きているのなら、家族のことを思い出さないとおかしい。
「この男もまた、難儀な約束を背負ったものです」
「そう思うだろ?リアムという男はガキの頃のしがない約束のせいで全て背負わされたそれはそれは可哀想な男なんだよ、かつての深海の女王よ。同じく寿命を全うして逝った貴方やその威光の後ろに隠れるその他の方々には安易に肩代わりするなど口にして欲しくないものだ」
「欲しいものだけ奪うつもりで肩代わりするつもりなど毛頭ありませんでしたよ。・・・毎日サイレンを掠めて海上へと向かうオールドビックのおかげで私は残りの余生100年を命を絞り出して生きられた。そんな彼が逝ってしまったことを聞いてそれから何日か何ヶ月か耐えたものの、私の心の拠り所が寂しく映像から写真へと塗り変わっていくことを感じ取って、周りの民たちが彼をオールドビックと呼ぶ時代を聞き届けて、もう私も雲となりて星を巡る雨となる番なのだと、明くる日々の夢を見ながら、またの日を前に私は目を瞑った・・・ここは確かに、わたしたちがかつて生きた世界のようですね」
「魂のみの存在であることに託けて出花の染みた全盛の頃の姿をとる方々達の語る生は重みが違うなぁ。ここはいっそのこと当時のように老けてはどうです?」
「出涸らしの尸になれと?」
「ところで貴方はなんと彼を呼んでいたんです?」
「・・・さぁ」
「ああ結構、勝手に読みますから」
「や、やめ!」
「ピーピー?」
「・・・地上ではそうやって水が沸くものだと聞いたんですよ。海底から熱水が噴出し立ち上っているように、彼の夢もいつか叶うという」
「ああ、沸騰しやすいご自分と重ねられたわけですね」
「次に私の記憶を読んだら殺しますよ、クロウ」
「もう死んでまーす」
私は娘の腹にいた孫の顔を見ることなく目を瞑った。
それがまさか次に光を見ることになった時、竜の魂を宿す竜人になっていようとは。
「というか、あなたリアムに惑氼としてません?」
「いやらしい・・・孤雲野鶴の私が、閑雲野鶴の彼を雲外蒼天と思うのは当然でしょう。しかし、私たちをほったらかしてハイドに丸投げしているあの方がこの子に盲目になることだけは解せない。それはハイドも飛び出して行きたくもなるでしょうね・・・」
「そういう物わかりがいいところは好きだなぁ」
「生前ではまずありえなかったでしょう・・・それとも生前の思い出話でもしたいのでしょうか。私がブラッドレイクを訪れたとき、あなたは真っ黒な子犬を抱き抱えていた。名前を読んでもかまいませんことよね」
「・・・サルヴァだ」
「どこぞの誰とも知れない人の願いが叶うようにと思いを世界に馳せる優しい子。身に知れない強い想いに干渉を受けてしまったあなたはこの世界が生前の世界ではないことはわかっている。転生した世界を受け入れられないというのなら私たちに明け渡してもらいたい。しかし・・・」
しかしこう考えればおかしくなんてない・・・オールドビックの話は、直人と鈴華だけのものだった筈だから。
「あなたがすべてを知るその時までは、わたしたちも待ちましょう」
・・・再会の、約束を。
「よくこんなにも立派な子らを育て上げた」
「・・・ハイド。また飛び出してきたのですか。前にも念押ししたように飛び出していくのならリアムが眠っている時にしていただきたい。私がここにいるときにあなたに出て来られると彼は水槽から跳ねた血にこびりつく記憶を見る」
「それだ。記憶を見るのは俺のせいではなくお前のせいだろう。お前が苛立てば波が起き、血飛沫もあって外へ溢れだす」
「担当を代われとおっしゃるのでしょうか。事の発端はあなたが己の落ち度を無視して一方的に契約を破ろうとしたのが始まりではないですか」
「そうした問答を俺たちができるようになったのもリアムに宿ったおかげだな。昔の感情がなすがままの俺にはお前たちのスケールに立つ必要も、さらには歩み寄ったとしても批判する的確な言葉すら持たなかったが、今ならこう反論する。契約を悪用されたのだから悪意に報いたのだ。疑義が生じたのだと。俺は審判者となったリアムにもう話したぞ。あいつがまだろ材のない濾過槽の血溜まりに落ちてきた時にだがな。もう帰るよ、今ならまだ軽く意識が飛んだ程度ですむだろう」
・・・帰る。
──あぶない、意識が少し昔へ飛びかけてた。
魔法をちゃんと制御しないと僕が死ぬ。
「ねぇ、水の心で潤ったハイドランジアは綺麗だけどさ。庭園の海紫陽花をリアムはどう思う?」
「すごく美しいと思うけど?」
「そっかぁ・・・今度いくつか摘んで持ってくるよ」
「いいの?」
「リアムに捧げたいんだ」
「でも毒があるんじゃ?」
「それは大丈夫。今のハイドランジアとほとんど同じ毒だから。取り扱いを間違えなければ毒にならないよ」
「なら大丈夫かもね」
僕は花瓶に飾った花が放つ特有の部屋に閉じこもった香りが嫌いだった。
だけど、約束を交わしたあのときに鈴華と一緒に見た花壇のひまわりは忘れられない。
あのひまわりなら、花瓶に挿しておきたい。
そして、思い出となるだろうこのハイドランジアたちも──・・・水槽を花瓶にでもして、満たしておきたい。




