33 Bullet Brain
『この世界には天候を乱すくらい訳のない生命体がいる。けど本物の強さは派手さだけでは図り知れない。目指すのはもっと洗練された力を駆使した、困難を貫き通す弾丸のように強靭な推進力とスマートさ、すなわち、速さ・・』
初めてのドラゴンエッグを成功させて数日のリアムはひたすらにその練度を上げることに没頭していた。
先日のコナー戦から喫緊の対応力を自らの課題と見出したリアムは、強化された身体に見合う思考力を身につけるため、ひたすら頭を回転させていた。
「チェック」
「ぐッ!」
「チェック」
「ッ!!?」
1ゲームの持ち時間は一人5分、ブリッツ並の持ち時間で3時間ゲーム並の思考を凝縮して対局する。僕たちは今、雨の宮で竜化状態のバーディーとベルーガを相手どってチェスを指していた。
「負けました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「・・・では、そろそろ切り上げ」
「よろしくお願いします」
「・・・よろしくお願いします」
ベルーガが席を立とうと暇を見せた間をついて、リアムは駒を並べ直して頭を下げる。
『うーん、そろそろ私も余裕がなくなってきた・・・』
昔からこの手のゲームは得意だった。リアムさんは修練中というハンディを負っているし、彼が同じレベルに上がるまで負けることはない。ただ、竜力が身体に通った竜化状態を保つことがこんなにキツいと感じたのは初めてだった。
『リアムさんという人は、最初は一度にたくさんの事を考えてしまう経験の浅い子供だと思っていた。けれど、実は他の人より断然の集中力があるからこそ、一つの物事に対して多くのことを考えておられるのだと、ここ数日の対局で分かった・・・この人は普通にゲームすれば、私より強い』
偏に、ベルーガの連戦連勝となっている理由は、リアムのドラゴンエッグが発展途上にあるためで、ベルーガの優勢はリアムより早く竜化を習得し、慣れる時間が多かったがための一日の長であった。
姫様もお疲れのご様子。横になってお休みしておられるし、ここは私が・・・というか、終始、私がリアムさんのお相手を務めている。姫様は数日ここに入り浸っているが、これと何もしてない・・・いやいや、別に姫様ここに来なくていいのではとか、公務は?・・・とか、邪険にしようとしているわけではない。
公務の隙間を縫って雨の宮に顔を出していた姫様は、今もお客様用のベッドの上でスヤスヤと寝息を立てておいでだ。
「時間切れですね」
「・・・負けました」
勝った。現在の私は、5分で平時の1時間程度の行動ができる。一方のリアムさんは、5分で30分程度の行動ができる速さで駒を動かしている。どちらも竜化状態でなければ、机の上は発生した風でグチャグチャになるくらいのスピードで指している。これは私にも当てはまることだが、彼は、やろうと思えば本当に5分で3時間分の動きができる。理論上できるのと意図して制御するのとでは千差も違いがあること、人の身がどうなるやも知れないこと。
「そろそろ切り上げませんか?」
「では、持ち時間を1分にして最後にもう一局だけお願いできませんか?」
「・・・受けましょう」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
本日の総仕上げとして、最後に持ち時間1分で指すことになった。今でさえ、目標あるべき段階に届いていないのだが、彼は、身体を竜力に慣らすと同時に、竜力を本来の自分に適応させるような道を模索している。
『Bullet Brain, 命令を受けるだけではなく、司令を効率的にこなす兵士を育てるように自分の身体に合った竜力の性質を模索する。すごいことを考えたものだ』
竜人の強さの一つに、どれだけ竜力に適性がある身体を持つのかという指標がある。本来、全く違う生命体が持っていた力を受け継ぐという面で、竜人となるためにも非常に重要な才能だ。
『これだけ時間が短いと私も深く考えることはできない。これまで私より実質的に短い時間で指していた彼との差が縮まるのは当然のことかもしれないですが、この結果はハンディがなければ彼と私の実力が拮抗している証です』
竜力自体に深い思考を持たせようだとか、そんな高尚なものではない。竜脈の性質をネットワークと称した彼は、竜脈を巡らせる間隔だとか、ドラゴンエッグから自動的に全身の竜脈に流れるエネルギーを分配する際に身体の抵抗も考慮しムダのない量を見極めるために様々な竜脈と分配パターンを試していた。
『これが、強者・・・』
彼にとっての30分は、私にとっての40分の持ち時間に等しいクオリティまで磨かれている。この応用形態を彼は、"Bullet Brain" と呼んだ。
『Blood plazma sprite...全ての応用の基礎となるドラゴンエッグの性質を知った時、最初に思い浮かんだのは、前世からの引用、漢方の知識だった』
リアムは次々に変わる盤上の戦況に応じながら、今日の連戦連敗の結果を脳で俯瞰していた。
『ベルーガなら、ベルーガなら・・・勝つためには』
これだけ対戦すれば相手の癖も頭に染み付いている。今日の棋譜を総合的にボヤッと誤魔化して、勘で手を動かしていく。
『あっ・・・』
"Bullet Brain" は竜の力と肉を使って思考力を強化していたコナーという男と出会った事で開花したアイデアであった。それでも、ベルーガに勝つにはまだまだ思考時間が足りなかった。
「負けた・・・」
「あ、ありがとうございましたッ!」
「ッ・・・ありがとうございました!」
ゲームが終わると、リアムとベルーガは乱れた息を整えながら挨拶をかわす。
「すごい・・・普通に指したら、私は何回負けていたことか・・・」
「体じゃない。緊張でもない。ただ頭を使っただけでこんなに息が切れるなんて初めてだ・・・だから、普通に指してもベルーガさんには負けると思います」
勝利した盤上に突っ伏して賛辞を送るベルーガと、片や、リアムは椅子の背もたれに上下に動く肩を預けて目を瞑る。
「周りの物全てを破壊する害獣のような戦い方をするわけにはいきません」
リアムがドラゴンエッグを習得した先日のこと──。
「人が竜の力を使えばどうなるかは目に見えていた。人の常識と竜の常識の違いがある」
「今はハイドも人の身、そこを自覚して欲しい」
「・・・そこをどう乗り越えるのか、俺は楽しみにしている。俺はここを出る頃に再びイデアと入れ替わって眠りにつく予定だ。それまでにお前の指針を固めろ」
竜化したリアムは何度かバーディーと模擬戦をしたのだが、リアムは全力の半分の力も出せずにバーディーに敗北した。
『やはり尻尾も翼もつけるおつもりはないのでしょうか』
『彼はなるべくして竜人になったわけではないそうですから・・・』
『ネロ、私は彼とあなたは気が合いそうだと思いますよ』
『・・・そうでしょうか』
身体を休めながら2人の遊戯を見守っていたジブリマーレは、先日、リアムを殺した方が身のためだと進言した内なる分身に笑いかける。
『陰陽に基づく漢方の教えから、表証裏証の考え方を参考に、竜脈のあり方を考えた。竜脈を広げるべき場所とそうでない場所、密集させるべき場所、散在させるべき所を探った』
それらを表裏で大別し、バランスをとる。初めは表の皮膚や筋肉には際限なく竜脈を密集させ、裏には竜脈を最低数だけ巡らせた。そうすると、最初の1、2分は一切の異常もなかったが、自然体のままでいたにも関わらず途端に息があがった。
『課題を出した俺から少し早い評価をくれてやる・・・お前は才能の片鱗を示した。よくやった』
『どうも、嬉しいよ。竜化状態の思考強化は竜力の源の、所謂、僕の中にある竜の巣とのリンクの強弱に寄る。僕の思考が竜の巣を媒介して竜力とやりとりされ、神経伝達系とはまた別のルートから働きかける。竜の巣に巣食う君との足並みが揃うほど思考は強化できるとも置き換えられる』
それがあるからイデアが表出している時は特に、ハイドは長くは表に出ていられないのではないかと、正しい手順を踏んでいないせいで不安定な状態が続いているのではないかとハイドは推論した。
『俺は供給者で授受するのがお前だ。力をどう使うのかはお前次第で、俺は竜の巣、お前は現実。俺は水槽の中の脳だ』
『・・・今は僕から歩み寄っている、だけど君はこれから再び眠る。イデアと入れ替わりでだ。一時は君たち二人が同時に水槽の中にいたこともある。果たして君たちはどういう理屈で意識を共有しているのか、そして僕の中に存在しているのか、いつか解明しないといけないと思う』
リアムは戦闘時、非戦闘時を念頭に様々なパターンにおける最適なパレート効率を探し出すことを課題とした。初めに表裏、次に気血水。気は竜力、血は運動、水は思考。そんな風に置き換えて、今日まで身体の中に巡らせる竜脈の配置を弄ってきた。いつの日か、彼らが二人して常に僕と話をできるやかましい日を迎えるか、もしくは僕から引き剥がし自由を与えられる方法が見つかるかもしれない。
『・・・そうだな』
リアムの提案に、ハイドは静かに応えた。本当は心の底から喜びたい。自分たちのことを想ってのことだと知っているからだ。しかしリアムは覚えていない。ハイドはイデアと入れ替わっているとき、眠っているわけではない。そして、意識を手放していない自分がその間に何をしているのか、教えることはできない。
『竜脈とお前の繋がり強化がお前のステップアップに繋がる。俺のことは気にするな。俺はハイド、都合のいい存在として扱うんだ』
『何か負い目でもあるかのような言い草だが、了解した』
『できた愛人だろう?』
初めて目覚めたときもそんなことを言っていた。ハイドは偶にしか表に出てこないが、長い間を空けても性格は変わらない。
『そういえば君って、男性なの、女性なの? 冗談で愛人と言ったり、見た目からして女性なのかなと思ってた。だけど、海竜を見てどっちなんだろうって、彼は彼なのか、彼女なのか』
『・・・どっちでもいいだろう、んなこと』
『気にするなというのならそれでもいい。答えを待てというのなら待とう』
『・・・まあどっちがどっちだとかは考えない主義だ。しかし答えるのが難しい。無性というよりは男でもあって女でもある。お前は男だし』
『あぁ、そっか・・・これまで通り接する』
『そうしてくれ。それと俺からの説明が難しい部分は、海竜に訊くといい』
これは後で海竜に聞いた話だが、この世界で高度な知能を持つ竜は生殖を行わないのだとか。それならどう種族繁栄を行っているのだろうか。
「竜が生まれ変わる術は主に2つだよ。一つは竜の里にある大水晶で新しい肉体を生成して生まれ変わること。そしてもう一つは、大水晶に格納された魂を人に憑かせて竜人にすること」
「それはまた、面妖なことで」
「でしょー? 昔は僕たちも子作りしていたんだけど、この世界で僕たちが普通に子供を作ると魂が空っぽの血を分けた卵だけが生まれるんだよ。僕たちはこの世界の輪から外れた存在だから、仕方のないことなんだけれどね」
「それじゃあ、竜は生命体として不完全な形でしか後継ぎを設けられない・・・」
「そうそう。けれどね、この世界の神様たちがものすごい昔に聖霊がバラバラに散っていた宇宙を平和にするお手伝いをしたお礼に僕たちの魂を保存して、新しい肉体を生成できる特別な水晶をくれたんだ〜」
「ケッ・・・おかげで、元の強靭な肉体に魂を宿す竜はここにいる海竜も含めて数えるほどに減ってしまった」
そうして不満を漏らすハイドは少し寂しそうだった。
「僕たちの種族は滅び行く定めにあったんだよ・・・それでも、新しい手段で生物らしい方法ではないかもしれないけれど、この世界に来てやっと、生命体として活動することは許された。それにアウトローなやり方だけど別の形で自分の子供たちを作ることもできるようになった。竜人を作って、その子たちに竜の力を継がせた新しい命を産んでもらうことでね・・・」
その時、僕の中で竜と竜人という種族の関係の謎が一つの線で繋がった。
「竜の卵、か・・・」
「だから僕たちはこの世界に翼を休めて、足を地に降ろしたんだよ」
竜はこの世界で最も強い生物である。しかし、生命の原点からして彼らは他の生物とは異なる。異世界を渡る長い旅を続けていた竜は、この世界にやってきて独自の輪廻を神に与えられた。この世界の量的に変化する輪廻と微妙に交わり接する、もう一つの輪廻である。
「それじゃあもしこの世界が滅んだら、竜は・・・どうなるんですか・・・」
「例え世界が滅びて肉体が滅びても竜の魂は滅びないと思う。生命の根幹となる理が違うから・・・そうですよね、ハイドさん」
「逆戻りするだけだ。世界を渡り続けていたあの頃にな」
神は竜の持つ生命の線を結び直して輪廻とした。竜が子孫を残す方法は竜人を介する方法のみ。独立して世界と干渉するための肉体の生成にも様々な制約があるらしいが、実物が手元にない以上、追求しても限られた時間を浪費してしまうだけか。
「寂しくなります。また、リアム様とハイド様にお会いできる日が来るでしょうか」
「いつか必ず、今日の日のお礼をしに伺います」
「その時は俺がどうなってるかわからないが、仮に俺が眠っていてもリアムと相棒が代わりに礼を尽くすだろう。俺からもこの数日の礼を言う、ありがとう、バーディー、ベルーガ」
「はいッ!!!」
「ハイド様にお礼を賜り、私の中に宿る竜も、私も、恐悦至極にございます」
「ベルーガさんも、本当にお世話になりました。もし旅に出られるようなことがあれば、こんな身の上ですけど訪ねてくだされば歓迎しますから!」
「機会があれば必ずお尋ねします」
別れ際にジブリマーレとベルーガと交わした右の手を胸に当てて、日の出を眺めながらこの5日間の出来事に改めて想いを馳せる。
「・・・いいところだったな、あの雨の宮は」
「また来るといいよ。リアムならいつでもバーディーが歓迎してくれる」
「海竜もありがとう。送ってくれて」
「ベッセルロッドまでもう少しだよ。ねぇねぇ、僕もリアムの所に遊びに行っていいかな?」
「・・・来るときは事前に連絡をくれると助かるかなぁ。僕はいま旅をしてるから家にいないかもしれないし」
「わかった。ロバートに言ってリアムがいるか訊いてもらうよ」
さ、さぁ、そろそろ竜の背に乗る夢のような空の旅も終わりだ。
『お前も悪い奴だな・・・』
『そう言わない。ノーフォークは竜に馴染みのある地方じゃない。リヴァプールと関係を築いている竜が別の領に侵入してきたと騒ぎになるより、事前にそれを防げる、リヴァプール家とノーフォーク家の双方に悪くない取引だと思う・・・』
後日、突然リヴァプール家に訪れた海竜にロバートが肝を冷やしたのはリアムがリヴァプールを発って3日後のことであった。それから1週間おきにリアムの所在を訪ねてくる海竜の狙いが、地上の美味しい料理であることをジブリマーレを通して知ったロバートは、1週間に一度、食を海竜に提供する代わりに、竜も食べにくる食の街と銘打つ契約を交わし、ベッセルロッドの観光を一つランクアップさせた。
「姫様・・・」
「なんですか?」
「・・・怒ってないですよね?」
「怒ってませんよ。羨ましいだけです。私は深海の女王ですから、気軽に内陸の地に遊びに行くなど以ての外・・・ベルーガは旅が好きですからね、止めはしません」
「いいえ、私はこの地で姫様に拾っていただいてからというもの、あなた様に忠誠を誓っております。これからもお側においてください。・・・ところで、リアム様は2年後から王都の学院に通われるのですよね? ならば私たちも留学生として王都の学院に通えるようリヴァプール家に打診してみてはいかがですか姫様?」
「それはよい考えですベルーガ。リアム様と同じ学年で学べるわけではありませんが・・・そんな日が来るとすれば・・・素晴らしい話です・・・」
『バーディー・・・あなたは、王族が見聞を広めるために設けられている陸上への留学期間を竜人になるための旅に当てたのでしたね・・・』
「竜人になったことを後悔しているわけではありません。竜人になったからこそ、あの方たちとの出会いがあったのですから」
雨の宮でリアムとの別れを済ませたバーディーは、その足で王宮へと戻ることなく、再び建物の中へと戻る。リアムがチェスを指す姿がまだ濃く残る客間で、ベルーガと海竜の背に乗って竜の里へ旅した時の思い出をしばしジブリマーレは回顧、語らう。




