26 die sichtbare welt
ゴォォォ〜、ヒュゥぅ〜、ドカッ!!!
「ゴォぉぉぉぉ」
「ひゅうううう」
「うわッ!? か、雷か、びっくりした〜」
昨晩の幸せのひとときから一転、外で荒れ狂う自然の音を真似するくらいしかすることがない子供たちが暇を持て余していた。
「昨日の雨がとんだ暴風雨になったなぁ」
「夏とはいえ珍しい。今日はお店の方もおやすみですかね」
「ほんま珍しいな〜海竜様が怒っとるんやない?」
「えっ?」
「リアムさんはご存知ありませんでしたか。海竜様はこの辺り一体の海を治める竜神様でもあらせられます。海竜様は人の言葉も操る実に多彩かつ漁が安全にできるよう波風を治める優しく穏やかな水の心を宿すお方。しかし一旦、逆鱗に触れると3日3晩続く嵐が来ると言われております」
「そげん長引かんければいいけどなぁ」
・・・へぇ。
『違うよね!? 僕のせいじゃないよね!?』
『先日フラン先生がおっしゃっていたではありませんか。事前通告は済ませてありますから、先方がいくらお怒りになられようとこちらに非はありません』
そうだよね・・・だよねぇ!
「ジョン」
「ああ、店に行って休業の札下げてくるたい」
「出勤してくる従業員のみなさん、もし帰宅が難しいようだったら店の方に泊まってもらいましょうか・・・となると、家の方は葵に・・・」
「あん子、まだ寝とるよ」
「まったくよくもまぁこんな騒がしい中で寝れるわ! 我が子ながら太い神経しとる!」
「あの、だったら僕ついていきますよ。出勤してきた従業員さんが帰るのも手伝います」
「おお本当か! それは助かるたい!」
「なら、私が残って子供たちの面倒を見させてもらいますね」
「お願いします、海咲さん」
態々懸念を告白する必要はないので自己負罪拒否権を行使します、としたところで、早々に僕とジョンはゲートで鈴屋本店へと移った。
「海咲さん」
「なんでしょうか、カレンダーさん」
「よければその、お店のこととか教えてもらえませんか!」
「と、いうと?」
「どうやってお店をここまで大きくしたとか、お店の経営のしかたとか!」
「まぁまぁ、カレンダーさんは商売に興味がおありで? その齢でしっかりしてますね〜」
「そ、そのお金をたくさん稼ぎたくて」
「そうなんですか?」
「わ、私の予定としては・・・予定は・・・なるべく早く。私の家はその・・・奴隷に身を窶した母を・・・その・・・」
「左様でしたか・・・いいでしょう。ベッセルロッド式にはなりますが、商売人としての取引のコツ、どこに行けば何が手に入るか、安く手に入れられるか、交渉のポイントを教えて差し上げましょう」
「あ、ありがとうございます! 精一杯がんばります!」
これは、暴風雨によって旅行の1日を巣ごもりすることになった間の出来事である。
「ああ、晴れてよかった!」
次の日。昨日の雨は晩まで降り続いたが、昼過ぎには徐々に雨足も遠のいていっている風で、朝からはこの晴天である。といっても、道のあちこちには枝葉が散らかっており、所々にできた水溜りに太陽が映り込んでいた。
「こんにちは!」
「おうリアム君かぁ!」
「先日は魚を融通してもらってありがとうございました」
「いいんだいいんだ! 十分なお代をもらったからさ! なんだ、今日も魚が入用か? 悪いな〜、昨日海が時化たんで釣果はいまいちでなぁ。小売りに卸してもう雑魚も残ってないだよ」
「そうでしたか。今日はお魚は大丈夫です! お弁当持って散歩に出てきただけなんで!」
暴風雨の痕跡はまだ、この通りである。
「港の人たち、網の整備だったり大変そうだった」
それから入り江を囲む起伏を一つ超えて、こんな風に海水浴で賑わう砂浜で呑気に海苔を炙っている僕は、暇なのか。昼食は、鈴屋で仕入れた海苔を火魔法で炙り、それを白米のおにぎりに巻いてたくあんと水筒の緑茶で流し飲み込むよう整えた献立・・・うまい。
「・・・」
そして、こうしてぼうっと決して同じ波を打ち付けない渚と空の調子を見比べながら黄昏ているという状況は、ある意味一人の時間を持つという旅の一つの主旨にはあっている・・・皮肉だ。
「ふぅ・・・よいしょっと」
よく見渡せば、浜辺に流木や海藻といったゴミが打ち上げられていた。己の生産性について考えながら海を眺めていたら、自然と体が動いていた。
「・・・」
あそこがこの街にあるダンジョンか。港から西にある浜辺、そこからさらに西へと三日月型の浜を歩いて行ったところの突き出した沖の海の中に神殿のような建物が海面に顔を出すように見えている。そこへは、干潮の時には海底から現れる砂の道を使って、また、満潮の時には船で渡るのだと観光にいったクロカが力説していた。今日は確か、スクール組はダンジョン見学に行くとかなんとか・・・しかし今、あそこに立ち寄る用はない。
「・・・船の汽笛が聞こえない」
今、腰を下ろしている砂浜は南向きだから、太陽はダンジョンのある南西の方をオレンジ色に照らしながら降りていく。比較的、船の出入りが多い時間帯である。沖の船は東の港を目指し、そして、東の港からは夜の漁に出る船が出港する。エンジンなど搭載していない船、汽笛を鳴らさない船。
「帰るか」
そうして、陽は完全に沈みいつの間にか辺りは夜になっていた。砂浜にはもう自分以外誰一人残っていない。ここまですることがないとは・・・そうだ、今度ここでBBQするのはどうだろうか。
「・・・」
日没後、1時間が経った。その頃僕は通ってきた陸の起伏、灯台のある岬を横切っている頃だ。
「あ・・・」
反対側の道からこちらに近づいてくる人影があった。
「子供・・・」
向こうもこちらに気がついたようだ。男、若い男。若い身でありながら、身なり、佇まいからは不思議と知的さを感じる15かそこらの男だ。
「・・・」
「・・・」
戸惑った。こんな時間に、魔石灯もない灯台周辺の道をすれ違う人間がいること。道がもう少し整備されれば、この岬は昼に限らずいい夜の観光スポットになるだろう。向こうからしたら、そんな時間に子供が一人で歩いていることは不思議だったに違いない。
「・・・」
「・・・」
驚きのあまり、両者足を止めてしまったために僅かばかり気まずい時間が在った。
「月が綺麗ですね」
男は驚いていた。子供がいて、その子供が話しかけてきて、まぁ幽霊だとか悪霊の類に間違えられていることはないと思いたい。
『よりによって・・・これかよ』
人がいた、なんてことはない。それより今は、自分がこんな下手な言葉を発して見知らぬ人に話しかけたことに内心驚いていた。
「嵐のあとだからだろう・・・」
一方で、男は冷静に空が快晴である理由、その背景を読みながら返答した。
「では、急ぐので」
「どうも」
僕らは再び歩み始めた。
「──ッ!!!」
そして、すれ違いの際。
『・・・首元にタトゥー? 変奏曲、奏鳴曲・・・ッ!!!』
黒色、夜の色に紛れてここまで近づくまで見えなかった。左頸部に変奏曲、右頸部に奏鳴曲とあった。そこではじめて、僕と彼は相手の本質を互いを認識するという点において、邂逅を果たした。
『警戒された? それにこの感覚は・・・首が熱い』
互いに顔を明らかに歪めた。ここまで近づいてはじめて気づいた──胸のザワつき。
「何者だ、子供」
「あなたこそ・・・」
暴風雨が過ぎ去った次の日のこと、僕の頭上の空に嵐がやってきた。
『背中が熱い・・・!』
『リアム、あの人は!』
似ている、非常に似ている。あの時、君が感じとった匂いを捉えた時の脳の奥からつま先に走る神経の昂り──。
「領域に安易に侵入してしまい海竜が怒ってしまってついさっきまでズゥっと気配を隠していたというのに、こんな子供に気取られ気圧されるとは・・・興味が湧いた」
海竜を怒らせた・・・怒らせたって?
「潜在能力・・・だよね? まだ魔法も何も使ってないでしょ、君?」
「・・・」
「無闇に口を開かない。あいつに見習わせたい、その姿勢」
「あなたも十分に無闇に口を開いているように思いますが」
「それは違う。私は今、交渉している。こうして口を開いているうちに、君は警戒する私に対して口をきいた。事実、交渉のテーブルに引き摺り出したといっていい」
どうする、口をまたつぐむか。だが、またダンマリすることの方が今後得られるものが少ない。
「あなたは」
「それはこちらが先に聞いたこと」
ペースはまだギリどちらにも転がりうる。
「私は君が何者なのか、それを知りたい」
魔力の威圧・・・ッ!
「驚いた・・・こちらが仕掛けた魔力圧を一瞬で消されてしまった」
あの程度直接受けても問題はない。だが、何を仕掛けられているかわからない。
「私はコナー」
名乗った・・・あちらから、名乗る程度の獲物だと見られた。そして会話のペースを一気に持っていかれた。それに似ている、敵の実力を測るように始まる戦闘への移行スタイルが、アイツと・・・!
「シド」
「は?」
「シド・クリミナルに知り合いを殺された・・・!」
しかし僕は名乗らない。人としての礼儀を欠いてでも、敵に付き合ってやる筋合いはない。
「シド・・・名乗ったのか!? アイツが未だ生者の君に?」
やはりシドを知っている。ということは、外れくじだ・・・!
「あいにくと、僕も奴に振り回されている口でね」
話し方が変わった。少なくとも僕とあの人との差を測り暫定した、対等に。
「奴が名前を名乗ったにも関わらず生き延びている・・・まさか殺したわけではあるまい」
「そりゃあ、あんな化け物殺せるはずがない・・・」
これ以上見通させる訳にはいかない。フェイクを混ぜるべき。コナーとやらの思考は実に効率重視だ。
「この非常時に会話が成立する、こうしてシドを知る者と対峙しながら平然と情報を小出し会話を続けられる」
「身体強化、烏丸閻魔!」
「僕からしたら、君も十分化け物に見えるがね!」
どうくるッ!
「目に映る -Orbis sensualium-」
「なんだ・・・?」
コナーの掌に魔力が集約し可視可能の姿となってそれは現れる。
「本!」
手に掴まれたのは、一冊の分厚い本の形をとった魔道具。
「世界図絵, コンテンツより”戦闘”を開く」
顕現した本はコナーの呪文に従って、激しくめくれ、また、あるページでぴたりと静止した。
「{1, 6, 8,55, 526, 529, 1,70, 527, 562, 1, 75,1302}」
コナーの首のタトゥーが琥珀色に輝く。
「数字・・・番号!!!」
約1秒、重なった奏鳴、ほぼ同時の発音によって番号が読み上げられると本より光が飛び出して宙に次々と図が形成されていく。大小の円盤2つ、それが球に交差するように差し込まれ、2つの環を持つ土星のようになった球体の中には実際の星々をつなぎ合わせたような立体的な星座模様が浮かびあが・・・おいおい、あれは、だってさ、あれはさ!!!
「待て・・・待ってよ!」
「発動(Active)」
投石された岩がこちらへ真っ直ぐ飛んでくる、ここは受けて本質を推してしかるべき、──ではない!!! 烏丸閻魔が僅かに震えている。それどころか体が迫ってくるアレに微かに引かれているような感覚、全身の毛穴から何かを吸われているような、これは──。
「速い」
「か、烏丸閻魔」
「一旦受けようとするも顕現させた武器を即座に仕舞い回避へと転換した。そして再び顕現させる。躊躇したにも関わらず秒速50mで迫る岩を避けるとてつもない瞬発力、そして当然のように魔眼持ち」
どっちが! 今の岩の速度こそ常軌を逸する! 10mもない近距離で普通放つか!? 死ぬわ!!!
「それにその剣は・・・なんでしょう、ドレ」
コナーの瞳から変奏曲の称号楽曲に魔力が流れて行くのが魔眼で確認できる。
「石器時代の武器でもなければ一般の人間が持っている剣や斧の類はその岩へと吸い寄せられとてもではないが受け止めたり、砕いたりすることは不可能に近い、が、種族癖に強く影響を受けた魔力の武装ともなれば話は別だ。だが君は魔族ではないね・・・そう、紫色の結印が刻まれる青い瞳の片目の魔眼からして魔族の血胤と契約しているのか、そして、相手方から流れ込んできた魔族特有の種族癖が形成する契約印を通して作られる魔力をなんなく制御しきっている。安定して君の手の中に現れたり消えたりする武器がそれを実証する」
先程の本に限っていえば、魔装のように体から現れるというよりは呼びかけに対して召喚されているようだ。どこからともなく現れるソレには既視感がある。
「こっちこそ、あなたに訊きたいね・・・今の本から飛び出して宙に描き出されたのは魔法線だった」
そして、もっとも驚いたことに、コナーは闇、土、少なくとも2つ以上の複数の属性を組み合わせた魔法図を完成、作り出された岩石を闇力子の応用で弾体として射出した。
「1に円、2に球体。球体で形成する場合は膜のように外郭を形成するためその呼び名は的確なのかは議論の余地がある、が、一緒くたに分類するのならば、魔法立体は線の集合体と仮定しそう呼称するのもやぶさかではない。魔法点などと言われたら流石に控えるが・・・気に入った。僕はこれを柔軟性のある線と呼んできた。しかしこれからは、東洋の言語に習い君と僕のアイデアを合成して魔法線に当てた当て字として使う事にしよう」
それを言葉通りの褒め言葉として捉えられるほど、仲はそんなに深くもなければ長くない・・・嫌な返し方だ。別に、フレキシブルラインの方がカッコいいとかそんなことこれっぽちも思ってない。シンプル・イズ・ベスト。
『よくよく考えたらさ、ラディのお父さんだって考えついた手法だ。インターネットのような世界にかかる情報の網もない世界なのだから、誰かが自分の知らない技術、もしくは自分が開発したと思っていた技術を使っていたとして全く疑問を持つべきではない』
『これで確定です・・・リアム、コナーが持っている魔道具を奪ってください』
・・・話が噛み合わないのだが。
『こっちは皮肉ではないよな?』
『真面目です。躊躇う必要はありません。アレは盗品です。ほら、いつの日かブラームスが言っていたでしょう』
聖戦が終戦した100年以上も前の事になるが、確か妖精族の里から通ずる精霊界の宝物庫に賊が入った。その時にウォルターとニカの娘スノーを攫った元妖精族の長マルデルの子供も攫われたと聞いた。
『あれが盗品だということを知っているとすれば、アレらの所有者、もしくはアレらの魔道具の情報をイデアは持っているのか?』
『・・・はい』
なら、教えて欲しい。アレが一体どういう魔道具なのか。
「質問しておいていきなり黙り込む。もしかしてシドは君に通ずる部分を感じて生かしたのか?・・・いやそれはないな。{円(1),サイズ(27), 火(101), 可燃液体(307), 風(701).Active}」
「ウェーブラッシュ!!!」
直径27cm程の平坦な円の魔法図から繰り出される火炎放射を、包み込むような大量の波水の放出で流し消す。
「ウェイクワードまで一緒に発音できるのか・・・!」
「この程度の魔法陣だったら読める教養を身につけているわけだ」
今のは魔法線を使っていようとソレほど複雑な図ではなく、魔法陣の域を出ていなかった。火の発生、送風、そして何らかの液状生成というところまで読めたため、後は魔法の発動を見てから落ち着いて処理できた。
『星なる学書は世界に誕生した生物を記録する魔道具。生物の肉体のパーツ情報を星座のように書き換えて保存する図会でした』
『図会というと、あれはこの世界のアーカイブそのものなのか?』
『一部はそうですが、世界の全てを管理し命を循環させる魔道具が別にあります。あの魔道具の本質は、魔力の干渉による特殊な記録法と現実への発出。世界図会という”事典”です』
『記録できるものは』
『魔法に限りません。可感界、特に視覚という感覚で捉えられる物象はその単位において全て記録可能です』
つまりどういうことだ。世界の全てを記録し管理し命を循環させるシステムが存在するのだという。それも、精霊という人と交流を持つ存在がその在処を認知できるくらいの領域に・・・なんてことはどうでもいい。
『それから、あの特殊な発音については、首に刻まれている称号楽曲が作用して実行されているものと思われます。あれらの機能はどちらもあの魔道具にありません』
ああ。敵の首に刻まれている称号楽曲は2つ。変奏曲と奏鳴。仮に魔力の乗った整理された特殊な奏鳴を可能にしているのだとすると、気になるのはもう一方の変奏曲の称号楽曲、あれは完成時の魔法図理解を助ける演算とか、距離や空間認知を助けるような効果、目に集約した魔力からあらゆる分析を担うメモリ、もしくは頭の回転率をあげるような・・・まぁ、敵が特殊な能力を持ってるのはわかった。
「魔法図の利点に依存する多様なタネを持っているという結果だけはしれた。考えるだけ無駄だ」
『そうですね。敵の手数が未知数なわけですから、これ以上の過程を知るには試行回数を稼ぐしか──』
「そうだな。考えるだけ無駄だろう。悪いが既にチェックだ」
「チェック?」
「分類越境、魔法陣コンテンツを開く──ライトニング!!!」
雷属性魔法、図や線が格納されている番号を言わなくてもスクロールに描かれるような情報量の少ない魔法陣なら魔法鍵で発動できる目次があるのか!!!
「君は弾体を避けはしたが着弾地点から遠く離れることはしなかった」
「しまっ──!」
分岐放電することなく収束しながら突き進んできた閃光の狙いが眼前で外れた。そういう指向性を与えていたのかそれとも何かに引き寄せられるように、そしてそれが横を通り過ぎるとほぼ同時にコナーの狙いに気づいた。ライトニングの一語で空中に描き出された魔法陣から放たれた雷は、雷の行き先は初撃に使われた磁力を帯びている岩石だった。その距離、右後方3mに満たない。
「電磁グレネード」
ビリっと、小さなリヒテンベルク図形が剣先に伸びて収束する。一部の雷は反射的に伸ばされた烏丸閻魔を伝って僕の手先へと落ちたが全てがこちらに向かってくることはなかった。一直線に突き進む雷が岩石に当たる直前、鋭い先端が弾体の上部表面に不自然に開いた穴に引っ張られるよう直撃した。直後、岩石は内側から外側に向けて破裂する。
『崩れた黒岩の中に銅線の巻かれた鉄芯! 逃げ──逃げないと!』
人の反射速度など生ぬるい勢いで磁気を帯びたコイルを中心に破裂、破片となった鋭利な磁石槍が拡散しながら飛んでくる。
『明かり・・・』
しばし、時は雷が岩石に吸い込まれる直前まで僅かに遡る。雷の行き先が岩石であると判断した時、僕は瞬間移動で緊急離脱しようとした。しかし、それとほぼ同時の振り返りざまに視界に入った明かりが頭に躊躇いをよぎらせた。
「ファイヤ!!!」
逃げなければならなかった。閃光に目がやられたわけではない。目はこれでもかって魔力で強化していた。しかしそれがばっかりに、鮮明に何十メートルも距離があるのに閃光の向こう側にあるものが見えてしまった。後方の岩石に向けて雷を追うように、掌を翻して右手より大量の火炎を放つ。
「あっ・・・」
しかし、リアムの機転も虚しく、無数の破片は放たれて、反発する勢いのまま肌に刺さり、体内に侵入し、肉に赤い血を滲ませた。
自らが放った火炎に飲み込まれ、爆発音で声がかき消され・・・ああ・・・もう少し早く狙いに気づければ小手先ではなくこの全身で雷を受けてやったものを・・・全身で、無数の鏃を受けることになる・・・なんて・・・ウッカリじゃすまないミ・・スだった・・・。
『 読まれた?』
飛び散る破片が自分の狙い通りにリアムを貫いた。しかし、その直前。リアムは逃げる素振りを見せながら掌を翻し大量の火を放つ。そんなリアムの不可解な行為を見たコナーは、目を見開き愕然としていた。
「すこしでも反発及びその後の拡散速度を弱めるための熱減磁を狙った一手。温度変化による磁力の変化について知っていたか。磁気と熱を関連付けるスピードが尋常ではなかった」
事後、轟々と立ち登る黒い煙と土埃の中心へと視線を注ぎながら素晴らしい才能だと賛美する、が、しかしコナーの評価はこう続く。
「が・・・」
火炎により巻き上がった土埃と黒煙が海風によって散らされていく。
「飛散した破片に蓄えられた磁力は熱に散らされ、時間経過によって推進力はねずみ算式に削がれていくことだろう。遠距離になればなるほど破片はただの礫となって落下する。だが、だからといって、ケホッ、あぁ、桁外れの魔力量だ。ただの火の基本魔法のはずだが、黒煙と土埃が空へと舞った状況からして、漏れ出した魔力を大量に注いでしまっため、膨張する火で火炎面が乱れ量的な加速が乗る噴き出したような乱流火炎となったわけだ」
「・・・」
「杖を握っていなくてその威力と制御なのか、杖がなかったがための魔法の暴走なのかは計り知れない。それでも、目論見と現実との差のすり合わせで乖離があれば喫緊を要する本状況のような場合において奇策は無価値以下の有毒となる」
・・・有害ではなく有毒とは言ってくれる。
「飛び散る破片ということで破裂する前の一塊の弾体に当たるより熱流束は増大するが、磁石弾体の破片はコイルにより生み出された磁力と反発によって飛び出す寸前だった。空気の乱れも味方しなかった。破片の持つ熱伝導率も然り、既に持ってしまった力学的なエネルギーを火炎のような流体を以てしてもほとんど取り除けはしまい。仮に雷とほぼ同時に炎が到着していたとしても、弾体の性質は雷の直撃で発生するジュール熱にも耐えられるよう調整してあるから弾体と火炎の温度勾配が緩やかになるのみで、磁力が完全に失われることはなかっただろう」
なんでそんなことお前が知ってんだ。
「したがって、熱エネルギーにより損なわれる破片に集約されたエネルギーはさほどなく、熱減磁による減速効果は微量だった」
魔法防御力が高かろうと、水魔法で水責めにされ呼吸ができなければ死ぬし、土で生き埋めにされても死ぬ。体内魔力量に比例する副産物の魔法防御は流体に近いエネルギー的な干渉を防ぐ効果はあるが、力学的なエネルギーは防げない。魔法で作り出した焼石に触れても熱を生み出すのにこめられた魔力量が魔法防御力を下回れば熱くもなんともないが、石は手で掴めるし、投げてガラスを割ったり人体に直撃すればぶつけられた箇所は相応の傷を負ってしまう。
「発想は面白かったが、結局は面白いだけでそこまでだった。残念だ」
全く無意味の対策だった。僕は馬鹿だ・・・火ではなく強力な闇力子でも放ち破片どころか粉々にするような圧力を与える、空間魔法で岩石一帯の空間を縫い付け固定するなどして仕舞えば、懸念を払拭し全て無事に達成できた。それに、策が無効だと悟った瞬間にでも全身に魔力を廻して身体強化を使い物理攻撃に対する耐性をあげていれば、鏃は刺さるがここまでの重傷を負わなかったかもしれない。
「散弾は見事に君の全身を貫いた」
雷が避けていった時、磁力を利用して何かしらするのだろうと思った。
「・・・ッ・・・ッッ」
そうして予感は当たったが、張った山は外れた。対策に失敗したため、こちとら所々燃焼を続ける黒い土の上で全身に無数の風穴を開けられてしまい無様に倒れ必死に捥がいている。
”魔法ファーストエイドによる重要器官の応急手当、並びに他器官の優先度順回復プログラムを実行”
・・・こんな状況、前にも何度か経験してきてる・・・意識を喪失していても、魂が記録してきた過去の出来事。
”及び驚異回避後のエクストラヒールによる完全な肉体の治癒”
違う。これら二つの魔法を行使しても、体内に入り込んだ破片は残る・・・。
”私はイデアといったはずです。あなた、ちょっと失礼ではないですか?”
・・・あった、僕が今必要としている魔法はこれだ。
「せ、い・・・の・・・暴、力・・・」
張った山は外れた。対策に失敗した、・・・だが、失敗したがその原因が僕の判断ミスにあったとは思わない。
『まだ巻き返せる・・・』
『その魔法は私が使った・・・!!!』
こうなってしまった以上ミスを憂う暇も隙もないッッッ。
「声を絞り出す力が残っているのか、今すぐトドメを刺して」
か細く途切れる寸前の命の弱音を聞いたコナーが、一歩、一歩と焼け野原の中心で伏せる僕に近づいてくる。
「こんな・・・こんなおもちゃの実験を最後に殺されて・・・たまるか・・・」
そうはさせん。大人しく全てを受け入れてお前のなすがままにさせてやる余地は一片たりともこの魂にはない。
「立ち上がった・・・」
興奮しているのか、悦にでも浸っているのかは知らないが、偶然そちら側の策が功を奏したからと散々好き勝手言ってくれた。しかし僕はコナーのことを、予断を持って命を刈り取る選択に至るまでの彼のここまでのプロセスには実に無駄の多い、と、状況を分析してこちらに不成績を付けたあちらの行為、こちらからも未熟であると評価せざるを得ない。
「回復属性の魔法? 既に肉体には風穴が無数に開いている。それらの創傷を全て塞げるほど高度な魔法を行使できようが、失血はどう・・・」
あんたが御託を並べずにさっさと殺しにきていれば、土煙の中で気を失いかけ必死に意識の均衡を保っていた僕は確実に殺されいた。
「魔法の全容が見えない」
不可能だと思うのも無理はない。全容が見えなくても不思議ではない。この瀕死状態から回復できる人間など、恥ずかしながら狭く限られた見聞を披露することになるが──見たことがない。
「分類越境、自動コンテンツ、バリアブルダイカット、新規登録」
ーUNknownー
「登録不可の未知の力・・・」
僕が今使っている魔法は彼が本にストックしてきた型を集約してなお理解を超えているということなのか。
「治れ・・・治れぇえええッ!!!」
こんなところで、今まで死なないダンジョンで散々と大怪我を負ってきた経験がプラスに働いた。ものすごく痛いとも、だが耐えられる、そんな自分が恐ろしくてたまらない。それでも、この転生した魂が消滅してしまうまで叫び尽くさなければならなかったのだとしても、その時が来るまでは死にたくないッッッ。
「異物となった破片が体内から吐き出されている、というより・・・戻ってる?」
リアムの肉体から破片が、侵入するのに入ってきた道を肉を擦りながらゆっくりと這いずり出てくる。そうして傷口から外へと排出された破片は、奇妙にも爆心地であるコイルの周辺へと浮遊していくと、ポトリと支えるものがなくなったように落ちた。
『生者めッ、凄まじい生の執念。彼には本当に奇妙な点が多い、とはいえ苦しそうだ。今トドメを刺しておくことが最善であることに変わりはない!!!』
コナーの首に刻まれたスラータトゥーにエネルギーが集まっていく。一方、こちらは立ち止まったコナーにこの異常な光景を見せつけるように睨みつけるしかできない。僕にはまだ、この魔法を全身に適応して高速回復させる練度はない。骨格、関節、靭帯、立ち上がるため、その場から逸早く動くために、重要な箇所から選択して集中的に回復している状況だ。
「{ 9, 1599, 4935, 9887, 1万7587.Unlock}」
6声からなる番号、コナーがまだ立ち上がるのがやっとのリアムを始末するために魔道具”世界図絵”の中から選んだ魔法、あらゆる属性に通ずる彼が選んだ最も殺人に適した属性は──。
『今すぐに逃げて!!!!!!』
「──ッ!?」
10属性の中で、確実に人を殺すのに適した魔法は、火でも風でも雷でもない、水や土でも、闇でも光でも、ましてや11属性目の死の属性でもない。
「空象の地平線」
発動のために魔法図を呼び出すウェイクナンバーと魔法鍵のふたつを必要としたとっておきのコナーの奥の手。ひっくり返せば2重のロックがかけられていた危険な魔法。
「不発・・・ハハ」
しかし、コナーが描き出した魔法図からは一切の現象も飛び出さない、何も、起きない。
「チッ・・・!」
よしっ、今が回復に努めるチャンスだ! ──何も起きないどころか、コナーの首に刻まれるソナタの称号楽曲がオレンジ色の輝きを放ち蒸気を放出し始めた。その予期せぬ暴走にコナーは慌てて首元を抑え舌打ちする。魔法図への魔力供給不全でも起こして、図に注ぎ込んだ魔力が逆流し自らに跳ね返りでもしたのだろう。
「くそッ、視界が歪む!!!」
しかし、こちらも数秒前までは虫の息であったことに変わりない。もっと集中して、全身をケアしなければならないのに視界が歪み頭がボーッとする。
『今すぐその場から脱出してください!!!』
だがリアムの中に共存するイデアは知っていた。コナーが行使した魔法の正体、それは、ゲートの境界線。通常は術師によって安定化され物質は干渉できない部分を、コナーはゲートを開くことなく円周ではない球体として、ゲートの境界線そこだけを可感覚世界へと露出させるために直径5mはくだらない巨大な隔離空間をリアムのいる座標へと発現させた。
「テレポート・・・? テレポート!!!」
魔法が発動しない・・・よく原理もわからない慣れない魔法を模倣して使っているせいか? 所詮は他人の真似事、とはいえ些細なことだ。あともう少しすればこの目眩も消えてコナーが無駄なことばかりしているうちに体も完全に回復するだろう。・・・だがふと考える。コナーが魔法に失敗した影響か、しかし、失敗したことに代わりはない。直ぐに全てが正常化する。そして自分で最後まで対処できる。
「もう少し、もう少しだけ自分で・・・」
全ての魔法に通じる大前提として、魔力はタグであること、個人によって接続できる亜空間、及び添付できる魔力の総量によって亜空間に仕舞える道具の数や質量が違うのはこの辺に由来する。また、世界のどこからでも同じ亜空間に接続できるのだから亜空間側からならばこちらの世界のどこへでも繋がるという理論に基づき、ゲートというのは亜空間を経由してこの星の空間2点を亜空間を貫通させて繋げる2つの穴を開ける行為。であるから距離に関していえば、別にゲイルでも、ラディでも、フランでも、ノーフォークとリヴァプールの距離を行き来しようと思えば実は不可能ではない。ただ、入り口と出口の座標を正確に探るためにはそれ相応の膨大な魔力が必要となるため、出口の座標を目視できる距離ならいざ知らず、地上、地中、空中、水中、宇宙、接続される場所が指定できないのなら用途に足りず使い物にならない。空間属性界隈で俗にいう、ランダムウォークである。
「僕の、命・・・なんだ・・・」
その点、ゲイルはカミラ戦において亜空間へ避難した時、契約精霊のゲンガーに座標を覚えさせて特定の座標への帰還を可能とさせた。ならば、ある一点及びその周辺空間において協力者に座標を覚えさせておけば、いかなる場所からも特定の箇所に亜空間からアプローチできるのではないか、という議論ができそうなもので、結論から言えばそれは協力者の力量による。扱える魔力量が大きくなればなるほど、正確にx,y,z座標及び密度をより濃く記録できる。
『視界が歪むのは世界と私たちを隔離する地平の球体に捕まったからです!!! 不発の魔法の本質はいま目の前にありますッ!!!』
だから、どうしたって? 術師がゲートの縁を安定させられなかったならばどうなるのかといえば、普通なら、そもそも安定しない。卵がなければ鶏が生まれないのと一緒。事象を起こす原因が存在しないため、結果は起こらない、つまり亜空間への接続が失敗し魔法は不発に終わるだけ。どうってことない、失敗する。ゲートが安定せずに魔法が失敗する、それだけのことだ。不発の魔法の本質は、失敗にある。
「奪われたくない・・・僕の命の行方を決断する権利を誰にも渡したくないと意地を張るのは、悪いことか・・・」
しかしもしも、協力者の条件を何らかの方法で彼がクリアしていて、コナーの魔法が見せかけの不発に終わったのではなく、完成していたとしたら・・・。
「悪いなんて誰も僕を責められはしない筈だッッッ!!!」
頭をよぎった絶命の予感が、僕を心底から叫ばせた。足掻いても足掻いても数センチも前にしか進めていないどころか、生の暴力以外の此方の魔法が悉く失敗する。風の魔法を使おうとすれば無風、闇の魔力を集中するどころか霧散する始末だ。空間属性の魔力をどれだけ集中させても亜空間は開かないッ。
『私と代わってください!!!』
イデアは意識の裏側に自分を縛り付ける水槽のガラスを叩き続ける。
『リアム・・・私を出して・・・』
本当に、見ていられない。リアムは瀕死から僅かに片足を引き上げた状態で、烏の羽一枚でも崩れ去る微妙なバランスを保つことに全てを費やさなければならないほど危険な状態にある。もう見ているだけではいられなぃ・・・どうして彼はこんなにも苦しまなければならないのか。私の方が理解に苦しむ。しかし私はその時が来ると信じて止まず、敵の正体を掴む思考は止めない。
『奏鳴は喉に、変奏は主に頭部と魔力のやりとりをしている。その点、自発的に無理に負荷をかけた首を抑え暴走を鎮めようとする行為は、戦いの終わりが近いことを示している』
空間の精霊王でも開くのに苦労する魔法を世界図絵の助けを借りながらとはいえ模倣した。同時にこちらの世界への影響を限定的にする狙いがあると思われる隔離ではっきりする。コナーがあの空間との接続を安定させるには力不足、その実力差を埋める地平線なる現象の構築は、魔眼から記録されたニュートラルネットワークのような複雑な魔力情報を高次に整理し異なる階のネットワークを持つ脳との情報伝達を可能とする敵の変奏曲の能力、”テンソル”の助けあってのこと。隔離空間の壁の役割を果たす地平線に僅かでも綻びがあれば不安定に揺れながら閉じる淀みが潜伏するまでにコナーもろともこの街くらいは容易く消滅する。
『なぜコナーは亜空間の境界線の更なる向こう側の虚空の座標を知っているのか・・・! しかし何よりもたかが人の身の彼がどこから宇宙に淀みを生み出す程のエネルギーを調達したのか・・・やはりあの称号楽曲、そしてアメリアを怪物エキドナへと変身させた浄化不十分のメフィストフェレスという名の種子の原料は・・・!』
ゲートの境界線、それ即ち亜空間の向こう側、この宇宙空間を司る空間の精霊王でさえ足を踏み入れたことのない場所、自我の芽生えていない宇宙を持たない神々の溜まり場──。
「君は底が見えない!!! 内包される魔力の容器が階層化され存在している!!!」
見られている、僕という人の歪さが織りなす内側の魔力の流れを・・・。
「そうやって膨大すぎる魔力にレベルを課し円滑に制御できるよう分轄。命と世界を重んじるための小技。君が全開の魔力を使えば僕ごとき一瞬で消せる。が、それには相応の規模の法が必要である。一方、その膨大な力を制御できない可能性が一つでも残っているのか。自分が傷つくのはいい、なるほど。君は温室のなかで命のやりとりをしてきた口か」
温室って、まぁダンジョンは現実の世界に比べたらぬるいところさ。
『大丈夫だったかな、破片が民家の方まで飛んでいって、誰か怪我とかしてないか・・・』
『魔法を使わないで、回復する手を止め・・・意識をしっかり保ってリアム!!!』
ここは街から遠くない。緩やかな坂を降って約80mのところには民家がある。
「怪我人はいないか!!!」
「こ、こっちは大丈夫です騎士様!!!」
「ならば今すぐに避難を! 避難優先! 避難優先だ──!!!」
突如として立ち上った火炎、モクモクと月明かりに照らされながら空へ漂う黒煙に戸惑う人たちの声。突然の出来事に動けない者、怯える者、状況を飲み込むのに時間がかかっている者は未だに屋内から窓を通し、もしくは外に出て空間魔法で駆けつけた騎士の誘導に従い避難する者たちは不安げに現在の状況、次なる不穏の時が訪れるまでの均衡を見守る。
「それが君のトリガーを引くための条件を厳しくしているのだな」
雁字搦めの安全装置。それをどうにかしたい、なのにどうにもできない。もっと銃を上手く使えるよう、多様な人との出会いを通して育まれる人間性の成長に丸投げして確約された将来訪れる苦難のための耐性を少しでもつけようとするのは無意味なのか。時の流れに身を任せるこの旅は、僕がただ現実から逃げたいがために始めたモノだったってのか。
「後頭部に突きつけられた銃とはいえ、銃の引き鉄を迷いなく引けないと知っていれば全くの脅威ではない。君はその魔力量ゆえ占有できる場所の範囲が広すぎるから、スナイパーのように一撃必殺のサポートに徹されると厄介な相手だ。が、威力も射程も半端ない武器を持っていながら僕に君は近づきすぎた」
超高速で肉や骨が再生し、体内に残った異物が引っ張られて吐き出されようとしている感覚があるがまだダメだ。肉を掻き分けながら動く破片が這い出した激痛その一つ一つをこの痛みを与えたコナーに恨みを込めて何倍の呪いをかけるくらいの反骨心は残ってるのに、辛みを唱えるだけで体のあちこちが軋むだけで動かない・・・あと3秒、いや2秒あれば回復し切るのに──!
『肉体が再生しきっていないから動けない、目眩、視界が歪んでいるのではありません!!! リアムの周りの空間がねじ曲げられているから動けないんです!!!』
『意識が朦朧とするが・・・、既に足を踏み出して歩き出してもいいくらいに回復しているはず──』
『振り返ってはダメです!!!』
僕の体は正常に周辺の出来事を知覚している。敵、月明かり、黒く焦げた大地の香り、残火の温度、潮の香り・・・。
「魂さえも消滅させてしまわないと君は生き返りそうだ。僕はそんな化け物のようなあなたから身を守るためにこの魔法を使った。しかし先に攻撃をしかけたのはこちらなのでこの行為が必要性にかられた正当な行為だとは言わない。ただ、世界図絵にも、アダムの書にも一切記述のなかったような特異な同語反復を持つあなたが恐かった」
リアムを中心に隔離された空間の歪みが強まり、その中心に小さな黒点が生まれた。黒点が闇力子のように隔離内の空間を吸収しながら徐々に拡大していき、隔離空間内を断絶された異空の裂け目へと変え満たしていく。
「神から与えられし魂の数と同等の外側への永久追放、これがッ、人類史上最も強大な脅威に対して世界を護るために先人が採った選択ですッ!!!」
これは、ブラックホールなんて光をも捉える重力場を持つものではない。これは、とある空間に通じているゲートである。
「なんだ・・・これ・・・」
振り返るとそこにあったもの。僕のあたりの物質、足元空中構わず全てが黒く溶け出して吸い込まれている、その黒い空間の穴へ──。
『そうだ・・・僕はそこを通ってこの世界にやってきたんだ・・・モニターの緑の一本線・・・イデア、僕はそこで君を見つけたんだ・・・』
背後に口を開いていたその空間には見覚えがあった。 死の縁に立っていた時、僕はそこにいた・・・あの時みたいに軽く意識が飛んでいたのは、ぼくの方か──ッ。
『これは思わぬ暁光ッ──』
その不気味で底がしれない場所をみて、もう取り返しがつかなくなる。一方的な情報しか受けとれていないところに絶望的な状況を叩き込まれると、こちらがどれだけ解決の道筋を示そうと苦難を収受し周りを見ようとしなくなる。荊棘に隕石が降ってくるようなものだ。そう思って「振り返るな」としたが、ここにきて重傷からボヤけていたリアムの脳内と現実の認知が双方向に流れを強め、僅かに活性化の兆しを見せている、呼びかけるなら今しかない。
『代わってください!!! 私が対処します!!!』
イデア・・・そうか。僕がシドとの戦いの後に許しのない交代を厳しく禁じたから、君はこんな局面になって尚、僕を信じていてくれたのか。
『私ならこの状況でもなお脱せられる!!! 虚空が少しでも体に触れる前に!!!』
これまでの空間に対する考察、イデアと思考を共有していたのではなく、意識下で懸命にイデアが情報を共有しようと投げかけてくれていた言葉をぼくは頭の中でなぞっていただけだ。ありがとう、ここまで懸命に僕の意志を尊重してくれて、歯痒い思いをさせて悪かった。死の縁に立っていたあの時と同じように、何が何だかわからないが、僕では解決できないこの状況を君なら脱せられるというのなら──。
「イヤだぁああああああ!!!」
・・・は?
「もう行きたくない!!! 存在の彼方で絶望のままに漂う100年が、どんなに苦しいかわかっての仕打ちなのか!!!!? や、ヤメテくれ!!!」
僕は何をとち狂っている・・・い、今すぐイデアと代わって──。
「死を目前にして事実から目を逸らす逃避を見せていたのに、これから送られる場所を眼前に一転して、自分の置かれている状況を冷静に悟った挙句に叫喚しはじめた?」
歪められた空間の向こう側でもうどんな表情をしているのかすらわからなくなるほど状況が進行しているというのに、阿鼻叫喚としているリアムの言霊が、コナーの胸に突き刺さる。
『前世と来世の間・・・帰ってこれないかもしれない恐怖に頭がおかしくなって・・・今叫んでるのは──』
いやこれは僕じゃないッッッ。
「イヤだ・・・またあそこにいくのは・・・」
そんな言葉、使おうとした覚えは一切ない。
「また? 馬鹿な、この世界でそこに行った生命体は神々が宇宙を生み出してから4体、そのうち2人は神が招集したのだという歴代最強格の勇者たち。そして残り2体は両者ともに帰ってこられるはずがない・・・そんなはずはない、確約された死の入り口を目前にして幻覚をみているのか」
触れられない、届くはずもない境界の分離壁を素手で叩こうと必死に喘いでいる。
『お前たちはイデアでも、ましてやハイドでもないのに、僕の代わりに喘いでいる・・・』
誰だよ、あんたたち・・・誰だ。
「ディアレクティ、ケーなど必要ない!!! 今すぐに──」
僕は・・・ここにきておかしくなったのか・・・どう殺されたのかもわからないまま、無抵抗に、とち狂い意味もわからず死ぬのか・・・。
『イデア』
『ハイド、あなた・・・』
『リアムの意識が最下層まで落ちてきた。クロウと二人がかりで呼びかけたが全く反応しない。いつかの記憶に囚われているようだ。お前、自分が思ってる以上にこの状況に憤慨していることに気づいているか?』
『これ以上私にでしゃばるなと?』
『後で後悔してもしきれない、そんな事態にまた陥りたいのか?』
緊急と称して、深層から語りかけてきたハイドと問答を始めた時・・・背中に何か触れた。・・・わかりました。あとは貴方に任せましょう・・・1度ならず2度までも、無念です。
『ここは・・・』
ピッピッピ・・・。
『まただ・・・また、あの時の記憶が甦ってくる・・・・・・誰か、助けて・・・』
気持ち悪すぎる独善的な同情と自我の反発。多感で、大人達の見栄と虚言と真実を見分ける力が足りないために真実までも信じたいのに信じられなくて、ただひたすらに問題を起こすのは恥ずかしい。そのくせ問題が起きたことを他人のせいにはしがちで、他者にどこまで共感すればいいのかもわからなくなる・・・そんな思春期の男が朝の病院の廊下で出会した──。
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細波が、浜辺に押し寄せる音が近隣で避難を続ける住民たちの声に混じり聞こえてくる。
「し、しばらく奏鳴は使えない」
首の称号楽曲から蒸気が吹き出して、熱を持っている。人差し指と中指の腹を患部に当てて、脈を落ち着けるよう呼吸を合わせる。
「・・・世界を全て理解するためには、時に理解できないものを淘汰しなければならないことがある」
声が耳道や鼓膜に焼きついて離れない・・・僕は初めてこの手を血に染めた・・・。
「シドから依頼の完了報告が来ないから、自ら足を運んできてはみたが・・・やはり僕には無理かもしれない」
虚空へと飛ばされると、2度と帰って来れないと悟って助けを求めてきた彼の必死な声が脳裏に焼きつく。
「リレ・・・」
君は最後笑顔だった・・・重るな、彼女の笑顔の上に泣いて助けを求める少年の顔がダブ・・・る・・。
「ダブるな!!!」
どうして・・・この僕が忘れていた? 嘘だッッッ!!! 記憶力云々の話ではなく人として封印していたというのかッ・・・リレは曇りひとつ笑顔を見せてくれた後、右頸部を、刻まれた称号楽曲ソナタを一直線にナイフで掻き切った。だが事切れるのはもう少し後、絶望の縁に沈んでいくように、助けてと涙を流しながら僕に縋りそれでも降参の一言を発さず救援を拒んだ。リレのことひとつ、僕は面と向かって観ることができていない・・・。
「・・・振動?」
なんだ、なんの振動・・・僕の体が震えて、いいや違う・・・あの場所から人は帰ってこれない。2度と帰って来れない、彼もそのことを悟って泣き喚き・・・悟ってッ──!
「空間に、罅」
彼は自らの未来を予感し、現実と向き合って泣いていた。もし彼が発したあの「イヤだ・・・またあそこにいくのは・・・」という言葉が虚言ではなかったとするならば、僕もこの状況から未来を予感、予想、予知しなければなるまい──。
「なぁコナー。なぜ命の精霊王が犠牲になる必要があったんだろうな」
「あの人の話だと、竜王と命の精霊王は誰も知らない所へ封印されている」
「だがな、封印といえば聞こえはいいが問題は方法だ。命の精霊王と並列してベルと同調していた空間の王ドミナティオスが開いた宇宙の果てのそのまた果てに放り込んだだけ」
あらゆる精霊の力を数に制限なく扱える。それが聖霊の漂う宇宙を治めた原初の勇者より引き継がれしベルに与えられた力。
「物質世界との橋渡し役」
「橋渡し役?」
「人が生まれるより遥か昔、言い伝えでは竜は異次元よりやってきた存在。彼らを率いていた竜王は、図らずしも異世界からの渡りの際、封印先に選ばれたような場所と似た環境を通ってきたのではないだろうか」
「世界移動を可能とする。一族を引き連れ先導する存在であり、竜王が王たる所以はそれだと?」
「時空移動に耐えうる肉体を持っている。魂の行き着く先、神のみが存在できる場所、多次元宇宙同志の接点、宇宙の彼方、次元の狭間、存在の彼方・・・呼ばれ方は色々だが、竜王を封印した場所から彼の王は脱出する術を持っていて、戦争での傷を癒した後に竜王は帰って来れたんじゃないか?」
「物質で満たされている空間に、質量をほとんど持たない魂の状態であれば帰って来れないと仮定して・・・そんな場所で竜王は自己を保っていられるっていうのか」
当時、聖戦の歴史について学んだ日、僕は竜王を次元の穴に放り込んで蓋をするだけで事が解決しない理由はそこにあると考えた。
「それすなわち、竜王の肉体は万能の生物の完成形」
「宇宙最強の物質!!!」
その昔、幼き頃の私は命の精霊王が心中しなければならなかった理由をこう考察した。
「そう・・・だね」
意外だった。伝説を事実と捉えるなど馬鹿らしいと一蹴せず、話に乗ってくるとは思わなかった。思えばリレと仲良くなったのも、そうした通ずる何かが互いにあったからだ。
「仲良くしようぜ。俺はさ、別に話し相手が欲しくないわけじゃないんだ」
「シド、お前その傷・・・」
「このことは他に、手当をしてくれたシルクしか知らない・・・お前と仲の良かったリチェルカーレ」
「リレでいい。彼女ならそういう」
「リレに起きた悲劇には同情する。俺がBCにされていることを知っているお前ならこの言葉が戯言ではないことはわかるはずだ」
部屋割りが変わり程なくして、僕という話し相手を得た彼は、数日後にBCを殺すことになる。
「海竜などとは座す次元の知る辺が違う・・・」
そもそも、これから自分が放り込まれようとしている場所のことを理解できていなければアレほど狂えない。こちらの言葉がブラフで、本当に空象の地平線に飲み込まれて仕舞えば死んでしまうのかという疑問も浮かぶのではないか、そして彼ほどの才能を持つ者ならばあそこまで焦ることもないのではないか。捨て鐘のように昔の記憶が呼び起こされたが、これは「また」、という彼の言動を聞いた瞬間からこうなる予感があったのだといえよう。なぜなら、聖戦の現場に立ち会い自らも参加した証人、歴史を知っているあの人に答えを訊ねてみると僕の考察は事実とほとんど相違なく、正解だった。
「逃避していたのはこちらも同じ」
神のみがそこを自由に行き来できるとかなんとか、途方もない話だが、途方もないと言えば聖戦が終わってから100年以上が立つ現在、竜王の墓所は世界各地にある、一部では神格化もされている。勇者や精霊王たちはどちらかが完全に敗れるまで続くと覚悟を決めた戦いの最中、そんな未来のことまで見据えていたのか?・・・いや答えはNOだった。ならば彼は自分と同じように歴史の真実を知る人間から、この空間の存在を聞いていた可能性はないだろうか・・・そういう空間があるって知識があるくらいで人の子が帰ってこられる場所なら勇者は多大な犠牲を払ったその策を選ぶことなく聖戦で負けていた。この世界に認知されている者でこんな芸当ができるのは神ヴェリタスと神イドラ、肉体と魂の総量で膨大なエネルギーを誇った彼の王しかいない──。
「シドやシルクは知っているのか・・・この国には神を脅かす化け物がいることを!!!」
聖戦の終戦を飾った最後の大一番。その最後に何が起こったのかは諸説あるが、数多くの空間精霊が自らを代償に構築した隔離された巨大な空間の最終決戦場で、火、水、土、風、雷、光、闇の精霊王が暴走する竜王を持てる最大威力の魔法攻撃で足止め、生じた油断の隙を狙い命の精霊王が竜王の魂を肉体から引き剥がし、更に空間の精霊王が開いた穴へと心中したというのが、歴史の真実であった。
「天元」
空気を切り裂く音とともに赤黒みがかった琥珀色の光線が空間を突き破る。
「リアム、お前がトチ狂ったわけじゃない!!!」
空間の縁に手をかけて無理矢理こじ開けッ、歴史に築かれてきた人類の進化を嘲笑う化け物・・・神を殺せる存在。
「お前の築いてきた布石を俺が死活させねぇええッッッ!!!!!!」
・・・シド、お前は本当にこんな狂った、生物をも超越した存在を目指すのか。




