22 get some flesh air
「本当に2回ゲートをくぐっただけで他領の主都に着いた! すっげぇ!」
1度目はマンチェスターとノーフォークの領境まで、ここの関所を通って2度目に開いたゲートを通って僕たちは公都まで辿り着いた。そこから街へと入り、ノーフォークの中心地テール広場の前で一度立ち止まる。
「ではクロカさん、彼らの引率をお願いします。僕はラディを連れてスクールに寄るので」
「・・・ん?」
「テールに顔を出すんですよね? なら元オペレーターとして是非彼らを案内してきてあげてください」
「私が・・・なに?」
「クロカさん早く行きましょう!」
「キャシー!?」
「初めてのダンジョンだ〜!!」
「メルクリウスとはどう違うんでしょうか! 楽しみです!」
「楽しみだね〜」
「あ、ちょお!」
メルクリウス以外のダンジョンを初めて見ることに興奮したメンバーたちに急かされて、一旦、ここでクロカたちとは別れることとなる。クロカの行き先などお見通しだ。散々、シーナさんへのお土産を悩んでお土産を選んでいたから。
「よっシャァ!」
「ラディ!」
「あっ!?」
ついでにラディの考えそうなこともお見通し。すかさず襟元を掴まなければ逃げられてしまうところだった・・・?
「あのー・・・」
「コーン、どうしたの? みんなと行かないの?」
「えっと、僕は学校の方が見てみたくて・・・」
てっきりみんなと一緒に走り出して行ってしまったと思われていたコーンがまだ残っていた。
「コーン、俺のために・・・いいんだ、俺のことは置いて楽しんでこいッ」
「いや、僕は他の領地の学校がどんな風に教えてるのか見てみたくて」
「あぁー! やっぱりケファを使ってでも俺もみんなについていけばよかったぁ!」
「・・・そのケファのことをよく知るためにスクールに行くのが目的だったんじゃないの?」
「そうだけどさ!!!」
「あらら・・・よし、なら行こうか」
なんでも、ノーフォークのスクールをみてみたいのだとか。日々の生活を送る訓練中のため、勉強の遅れを取り戻し足並みを揃えて復帰できるようにするため、主にこの2つの目標達成のため彼らは未だスクールに通えていないが、不登校イコール意欲がないとはならない。コーンはハイボール団の中で一番勉強熱心な子供だ。彼に校舎を案内してあげるのが少し楽しみになった。
「ここが、ノーフォークスクール」
「へぇ、なかなか大きいな」
「うん、広いね」
──7分後、僕たちはダンジョン広場のすぐ近くに建てられている目的地へと辿り着く。
「そういえば、ステディエムのスクールってまだ見たことないんだけど、どんな感じなの?」
「建物はデカイかな、背はステディエムの方が高い」
「うん、でもあんなに庭や訓練場は広くないね」
ステディエムのスクールは、土地に対してなるべく人口密度を高められるような構造をしているらしい。でも、入り口から魔法訓練場に指定されている階層まで呪文で直行できるメルクリウスが近くにあるから、運動場や簡易訓練場なんかも大事な交易地開発の妨げになるくらいなら、だ。
「まだ夏休みに入ってないから授業中かな・・・もうしばらく待たないと」
「ねぇリアム、図書室とかってあるの?」
「あるよ。行ってみる?」
現在は・・・窓から机につく生徒たちが見えたから授業中だ。だが時期的に、もうすぐ夏休みに入るころだろう。肝心のケイトも授業中であると思われるので、僕たちはコーンの提案で図書室へ寄って暇を潰すことにした。
「リアムはよく来てたのか?」
「いやぁ、図書室には意外と来てなかったかも。暇な時は魔法の練習とかしてたし、困ったら先生とかに質問して聴くタイプだった」
前世では嫌でも図書室の机に齧り付いていたくらい、よく訪れていたが、転生してからは、魔力の感覚だったり直感や実践的な理論ばかりに気を取られて・・・最後に真面目に通ったのは、精霊契約ができなくて教会の図書室に厄介になってた時かな。
「そういうラディは?」
「まだ、ハイボール団を作ってそんなに経ってない頃はちょくちょく学校には行ってたからさ、友達になったコーンに連れられてまぁそこそこには。だけど本は読んでなくて、コーンが夢中になってる間は対面に座って天井を仰いだり、室内を照らす光の魔道具に遺品を翳してみたり、居眠りしたり、ただただ休みの時間をダラっと過ごすようにしてたよ」
「へぇ・・・」
「親父のことがあったばかりで色々と苦しかったんだ。ボーッとする時間がとにかく欲しかったし、誰かが側にいないと不安だった・・・お前はそんな経験はないか?」
「僕は独りでいる時間は本を読んだり、あとは・・・ピアノって知ってる?」
「聴いたことはある。楽器だろ?」
「そう。僕は独りになるとよくピアノを弾いてた。それも結構はげしめの曲が多かった・・・指を動かすのが好きなんだ」
「・・・そうか、俺もだ」
前世ではそうだった。今世にきてからは独りの時間もぐんと減ったもんだ。僕は本棚に並んでいる本の背表紙やひっぱりだした本の題名を10秒ほど探っては戻してを左から右へ順番に繰り返していた。その間、ラディは木の丸椅子に座りながら腕をぶらぶらとさせていた。
「ラディ! 来てよ!」
それは、一時の暇を持て余しながら前世の自分の過ごし方を見直しながら、まだかまだかと欠伸するラディの愚痴に付き合っている時だった。僕らとは別に、室内を歩いて見て回っていたコーンが大声でラディを呼ぶ。
「なんだよ、誰もいないからって図書室で大声出したらダメだって昔はうるさかった癖に・・・」
「ご、ゴメン! でもこれ見てよ!」
「なんだ・・・おいコレ・・・」
「ほら、すごいでしょ!? やっぱりすごいよ!」
「ピーター。親父の名前だ・・・『線による空間の認識』」
「やっぱりラディのお父さんすごいよ! 他領地の図書室に研究書が置いてあるなんて!」
ラディとコーンが感慨深そうに本を手にとって眺めていた。また、しばらくして本の表紙を開く。本を1ページずつ捲っていくところを、一歩ひいて2人の頭の間から肩越しに見させてもらっていると・・・謝辞の欄に『研究出資者ガスパー・ウォーカー氏』という名前を見つけ・・・ガスパー・ウォーカー!? ということは、ラディのお父さんとゲイルの父ガスパーは面識があったのか。
「その著書は・・・王立学院での大学院時代に書かれたものです」
コーンは興奮しっぱなし、ラディは静かに文章に目を通しながらもどこか誇らしげに、そして僕はな〜んかモヤモヤした感じで、そんな三者三様の反応をピーターの研究書に向けていると、更に誰かに声を掛けられた。
「ご、ごめんなさいッ、でもちゃんと図書室の先生に許可はとったんです・・・」
すると、3人の中で一番人見知りなコーンが一転、萎縮してしまう・・・。
「コーン、そんなに驚かないで。この人がケイト先生だよ」
「へっ・・・?」
「『図書室にいます。授業が終わった頃にお伺いします──リアム』、授業から戻るとこの紙が机の上に置いてあったのですっ飛んできまして・・・」
ケイトが持っているのは、図書室に寄ろうと決めた時に研究室に送ったメモだ。文字がインクではなく、コーヒーを零したように薄いのは、熱魔法で炙った焦げで文字が書いてあるからで、空間魔法を使ってケイトのデスクに送っておいた。
「いつの間に送った?」
「この街では空間属性魔法を使っても罪に問われないから」
「・・・そっか、そういえばそうだね」
もちろん、盗みだとかに悪用すれば捕まる。
「リアムさん、そちらの方々は?」
「紹介します。こちら僕がステディエムで知り合った友達のラディとコーンです」
「ラディです」
「コーンです・・・」
「どうも、ケイトです。このスクールで教職に就きながら、魔法陣学をベースに魔法研究もしています・・・」
ラディとコーンを紹介して、互いに自己紹介が済んだ・・・ところなのだが、この状況を理解するどころか、なぜマンチェスター領の主都の子供たちと一緒にいるのか、ますます謎が深まった風のケイトが説明を求めるべく目でこちらを伺っている。
「ケイト先生この後お時間は?」
「今日の授業はもう終わりましたよ」
「じゃあ研究室の方にお邪魔していいですか? ここだと、授業終わりの生徒が来ると思うので」
「人目につくと不味い話ですか、いいですよ」
ケイトと話している間にも、図書室の中が少し騒がしくなってきた。なので、一旦、話を中断して場所をケイトの研究室へと移す。
「なんだ、意外とまともな人じゃん、あの人だろ? 俺に合わせたかったのって?」
「そう・・・」
廊下を歩きながら、ラディがこそっと耳打ちしてきた。まぁ、まだ自己紹介を交わした程度だし? 今のうちに社会人として、大人として礼儀正しく対応するケイトの一面を見ておくといい。存外に頼りになることはわかるだろう。しかし君はまだこの人の本性を知らない。それにこれから自分の命の次に大事な宝を預けようとする人を外面だけで判断するのはいただけない。それともそれだけ僕のことを信頼してくれているのか、そうだとするとまぁ満更でもない。
「さて・・・」
ケイトに招かれて入った研究室。そして、最後に入ったコーンによってピシャリと扉が閉められた。
「もう色々と聴きたいことだらけですよ! リアムさんが旅に出て4ヶ月が経とうという頃でしょうか、この4ヶ月間は非常に時間がゆっくりと流れているようで、それでも研究は続けていましたし、ですが私の研究やアイデアに発破をかけたり正当に評価してくださる方がなっかなか、ほんとフランくらいなもので、張り合いがなかったんです! あなたが帰ってきていると手紙で知った時には、もういてもたってもいられなかった! しかし私の授業が終わるまでわざわざ待って尋ねてきたということは、リアムさんの方からもそれなりの用事があってということなんでしょうか! あとあと、ステディエムってあのマンチェスター領のステディエムですよね!?」
「「えっ・・・」」
えっ・・・と、ラディとコーンが突然のケイトの人の変わりように面食らっている。
「そうですよ」
「ということは、もしかしてメルクリウスの魔道具を手に入れたり・・・」
「メルクリウスで産出された魔道具はステディエムの外へは持ち出せませんから、残念ながら、お土産は革の手帳カバーだけです」
「それはそれは、わざわざありがとうございます」
クロカに連れられて探したお土産を手渡した。メルクリウスが現れる前は、マンチェスターの生産品として革製品が有名だったのだとか。その名残り繋がりということで、このチョイスである。
「魔道具をお土産にできなかった、その代わりと言ってはなんですが、とある魔道具のことでケイト先生にアドバイスをいただきたくて」
「ほう、ほぅ!!!」
「このラディのお父さんが生前に遺した魔道具なんですけどね」
「どのような魔道具でしょうかラディさん!!!」
「ら、ラディ・・・」
「えっ、あ、おれか・・・」
コーンに控えめに袖をひっぱられて、学問に燃える熱烈な女史の視線にも感情の起伏を殺し無反応だったラディがようやく反応する。
「これは・・・素晴らしい」
まずは、ラディから受け取ったケファをケイトが観察する。
「魔石の中へ魔法陣を書き込むためには相当な技術がいります。この魔法陣は・・・もしかして、リアムさん、これって・・・」
「やっぱりそう思われます?」
「実際にそうなんですよね?・・・あら、でもこれを作ったのは確かこちらのラディさんのお父様・・・はて」
さすがケイトだ。僕が尋ねたかったことには、魔石に刻まれている魔法陣を見ただけで一発で気づいたらしい。
「しかし、これだけ大粒の空間属性の魔石となると・・・よく検問にひっかかりませんでしたね・・・」
「ケファはまだ条例ができる前に産出された魔石をベースに作られてる」
「それで・・・」
ああ、そういえば気づかなかった。これだけの空間属性の魔石となると、領地側も持ち出しを認めそうにないものだ。条例ができる前に既に街外へ持ち出されているものもあったわけだから、条例前に産出された魔道具については適用の範囲外として特例扱いらしい。
「街の外で資材の切り出しの仕事があったりしたから、免責書は持ってたんだ。最初は鑑定書しかなかったからいろいろ関所で言われたけど、仕事初めだからってその時ネップがついてきてくれてて、『子供を食い物にする気か!!!』って怒ったらすぐに担当官が免責書を作ってね、あの時のネップはかっこよくてすごかったなぁ」
「へぇ」
「資材の切り出し・・・?」
「あ、実はですね・・・」
ちょうどいい。話に出たので、流れでそのままケイトにハイボール団と、彼らの現在置かれている状況を説明して、先にこちらの問題を相談しよう。
「・・・そうですか。勉強の遅れを取り戻すということでしたら、魔法陣学や水魔法等のことでしたらお手伝いできるでしょうが、私とて、全ての科目について教えているわけではないので、適切なアドバイスができるとは思えなくてですね・・・」
「担当科目がある点についてはこちらも承知しています。そこでですね、スクールで取り扱っている科目とか、学習指導案だとか、あとは余っている各年次のテキストだとかがあれば、ハイボール団に足りない分を補充したく思っていて。最悪、蓄えた知識の伝授という形で板書と口頭で補習するのも手かとは考えているんですが、やはり・・・」
「なるほど、講習行為において、同サービスを提供する本スクールで編集や構築されたテキストなどの配布及び利用について許可が出るのかをお知りになりたいわけですね? 中には私がまとめた教材もありますが、あくまでテキスト、カリキュラム等は学校側がまとめて編集し提供するものとして位置付けられますので、つまりその長に判断を仰ぐのがよろしいかと・・・よろしければ、後程、私の方から学長に訊いておきましょう」
「是非、お願いします」
話が早くて助かる。訊きたかったのは、まさに著作権だ。では、次──。
「ラディ、いいかな?」
「いいよ。まぁちょっとおかしな人だけど、悪い人ではなさそうだし」
「それほどの魔道具の分析を依頼され恐縮ですが、おかしな人って・・・いい歳してインクの匂いを染み付かせた喪女ではありますが」
「ぼ、僕はインクの匂い好きですよ!」
「ありがとう、コーンさん」
やけにケイトが自虐的だ・・・なにかあったのか?
「それじゃあ、中庭に飛ぶな。まだ微調整が難しいんだ」
──と、ラディがケファに魔力を込めて起動させるとほぼ同時に、空中に放たれた薄く青い光で立体的な魔法図が描画される。そしてラディは、宣言通りケイトの研究室から中庭へとジャンプしていた。
「見えました・・・?」
「ええ、一瞬でしたが、間違いありません!」
それは、魔石から放出されたエネルギーが再び魔石に吸い上げられるような光景。一般的な後魔眼を発動しても追うのが難しいレベルの出来事で、その時間に挟まれたプロセスを読むとなるとそこそこの魔導師でもほぼ不可能に近い。しかし、これまで数多くのソレを見て、描いてきたケイトの目敏さは一級品である。
「私の目に狂いがなければ、今のは魔法線ですね!?」
「「魔法線?」」
「やっぱりラディとコーンは知らないか・・・魔法線っていうのは」
「魔法線というのは、リアムさんが数年前に見つけた魔法陣描画の一つの手段です! ・・・こほん。従来の魔法陣は魔石を砕いた粉、あるいはそれらで希釈したインクを使って描くのが基本です。単属性かつ路として機能するのなら、機能効率が落ちますがただのインクでも構築は可能ですが、スクロールなど繰り返しの使用が可能な一般的な魔法陣はやはり大体がこれら希釈したインクで描かれます。そして、魔法陣は魔力で描くこともできるのです。こちらの魔力の軌跡で描く方法は魔力線、と言われています」
「魔力で線を描く?」
「そうです。要は魔力をインク代わりにするわけです。こちらのメリットは、即興魔法のオリジナル性を魔法陣発動の直前まで探究する余地を残せること。ただしデメリットもあります。発動させる魔法が単属性ならいいのですが、複数属性の組み合わせが構築に必要となると話が変わってくるためです。これから魔法へと変換される前のまだ純粋に近いエネルギー同士は混ざり合いやすく、いざ複数属性の魔力で描画してみれば、別属性の魔力線と触れた瞬間に霧散したり、描画中に意図しない結果で暴発してしまったりします」
「そ、それでッ・・・?」
「ほら、ラディが魔道具を使った時に出る光の散らばりを見て何か思わない?」
「・・・もしかして、ケファは魔力線の技術で機能してるんじゃないか・・・?」
「綺麗だよね。発動する時、魔道具の周りが夜空の星みたいにキラキラする」
「俺もあの色は好きだ」
目を痛めるほどの眩い光ではない。コーンが言ったように、発動して陣を形成し終わった後の残光は夜空の星みたいに弾けて霧散する。そして、一瞬のうちにスパークする様は少し儚い。
「その複属性問題を回避するためには、不安定な魔力線より安定な技術が必要となるわけです。それこそが、魔力から魔法へと出力された後の現象は他属性魔力に触れようと一定の塑性を持つという弾塑性質を利用して考案された魔法線です。ラディさんとコーンさんにわかりやすく説明すると、水から火、土から風とも変質しやすい魔力ではなく、水、火、土、風、雷のように現象としてしまった魔法は安定させれば得てして油と水のように分離し変化しづらい。変化させるには特別な処理が別途必要となり、例えば力をぶつけて相殺すること。しかし出力した魔法をキャンセルすることは、熟練の魔導師でもなかなか難しい。魔力が無害なものに戻るようなアンチテーゼ、或いは別質へと変化させるような定義を加える必要がありますから」
「ようするに、僕ひとりでは評価に客観性を欠くような、マイナーな技術ということ」
「しかし最先端の技術なんですよ! 戦乱の世が過ぎ去った現今でも活用する方法はあります! 例えばダンジョンでの探索とか!」
「そうですね! 物資の持ち出しが限られるような場所では魔力をどう有効に扱うかが重要になってきますから!・・・で! ラディ、ケファが発動する時に出る光だけど、それは残滓なんだ。あまりに一瞬のことで認識するのも難しいと思うけれど、僕が魔眼で見た限りでは、その一瞬で空間移動を可能とするような多元魔法陣、すなわち魔法図が光の魔法によって空中に描き出されている」
「そ、そうなのか・・・?」
「高度かつ複雑な魔法を再現するほど、平面図で演算するのは難しくなります。しかし、平面と平面を掛け合わせて描けるような立体図ないし魔法図であればどうでしょうか。ケファほどの魔道具演算のためには膨大な処理が必要になります。役割を細分化して演算できるほど、総合的な処理は軽くなりますので、魔法陣を円から球へ、その面にいくつもの魔法陣を描くことで3次元的な行列の演算を模倣するわけです。またまた、ラディさんとコーンさんにわかりやすく説明するなら、ラディさんのお父様が作られたケファは一見した限りで、移動という目的を果たす空間属性魔法を構築するために必要な魔法陣を描くために光属性の魔法を採用しているということで、つまり、魔石に刻まれた魔法陣は空間属性魔法を発動するためのものではなく、その後に展開する魔法図を描くための光の魔法陣であるということなんですね、はい」
ケイトの言葉に拍車がかかる。彼女の授業を受けたことがない人からすれば、本当に初等部の子供たちに教えているのかという不安を覚えるくらいの熱量と圧力・・・ッ!
「ケイト先生!」
「はい!」
「・・・まとめてくれますか?」
「わかりました。総括します。単属性及び複属性魔法が機能的に発動するよう機械的に魔法陣が描画されるよう誘導する魔法を使って描画された線が魔法線とでもいいましょう。魔法過程に置いて後発的な状態の魔法を使用するため、陣の路同士が触れれば期待する反応が起こる一方で、互いの路に干渉しにくいのが特徴です。ただし、魔法線を扱うにしてもケファの齎す効果を得るためには高度な知識が必要になります。そしてその知識は誰でも理解し、また、扱えるものではない。そうした即興魔法の概念に分類される知識と技術を誰でも扱えるようにするという魔法陣学の最も根幹的なコンセプトに則り、ラディさんのお父様は光の魔法陣で魔法図を描き、魔法図で整列された命令を含む魔力を空間属性魔力へと変換する空間魔石へと落とし込むような回路を採用されたのではないか。したがって、ケファの魔法を分析するためには、刻まれた魔法陣を解析するだけでは不十分であり、魔石の魔法陣から描画される魔法図を予測し、または、観測し読み解くことまでしなければなりません。魔法の本質を探るために大事なのは、光の魔法図を解析するということです」
まぁ・・・ね。複雑な魔法を魔法陣に落とすのならば、魔法線を使って立体図で陣を描くのが効果的というわけである。平面と立体で魔法を捉えることの違いとそれぞれのメリット、デメリット、それがラディに伝えたかったことなのだが。
「へ、へぇ・・・」
「す、すごいね」
・・・大丈夫かな? たぶん2人とも魔力線の説明の後あたりからついて来れてない・・・よね。
「ピーター氏は魔法線理論をすでにここまで集約させていたのですね」
「ケイト先生、ラディのお父さんを知ってたんですか?」
「いえ、リアムさんに聞き返されて今、確信しました。ただ、先ほど図書館で熱心に初等部学生が高等教育レベルでも理解するのが難しいような研究書を熱心に眺めていたことと、マンチェスターに所縁のあるこれほど高度な魔道具を生み出せる人物となれば、魔道工学の天才にして先駆者、私の尊敬するあのピーター氏なのではと・・・そうですか・・・わたしは憧れの先輩の作品を見せてもらっていたのですね・・・はふぅ」
とりあえず、一仕事終えました・・・と、ケイトは肺から排出される吐息に充実と憧れと肩の力を満足げに乗せて、うっとり恍惚としている。そんなケイトの隣で・・・。
『ピーターは学院時代から魔法線の技法を意識していたのかもしれません。先ほど拝見した著書『線による空間の認識』も立体的空間を日常に溢れる線から考察するものでした。主な観察の対象はゲート円の縁の線、とかでしたし、どちらかといえば机上の空論に近い内容でしたが、論理性を失っておらず、かつ、増加しつつある魔道具活用のため数学的な解析がなされる昨今に今一度魔法的な解釈から3次元空間の認知を試みる内容でしたからね・・・』
イデアもさっき目を通した著書の内容と比べながら、ピーターの満ち溢れた先見性に唸っていた。
「こちらでの滞在予定はどのくらいですか?」
「まだ未定です。実はノーフォークには途中で寄ったんです。僕たちの目的地はリヴァプールでして」
「りッ、リヴァプール!?」
「先日、おいしい海鮮料理をいただく機会があったんです。久しぶりに食べた味にいてもたってもいられなくて」
「それはまた、突然のことで・・・」
「ケイト先生も一緒に行きますか?」
「い、いや私はッ・・・お誘いは嬉しいですが、今回は遠慮しておきます。もうすぐ生徒は夏休みとはいえ、私たちは仕事がありますし、研究に打ち込める期間ですので。リアムさんたちが旅行に出ているその間、是非写させていただいたケファの魔法陣の解析を進めながら、ラディさんに将来必要になるであろう書物をピックアップしつつ、結果をノートをまとめておきましょう」
「そうですか」
以上、どっかの誰カさんのようにはならずお誘いは当然のごとく断られたが、これでとりあえずケイトに一通り今回の旅の目的も話し終えた・・・?
「誰かきたぞ?」
「ん? 来客の予定はなかったと・・・少々失礼しますね。どうぞお入りになってください!」
話が一段落ついたところで、──コンコン、と研究室の扉が叩かれた。
「失礼します!」
「今の声って・・・」
誰だろうと、最初は首を傾げていた。そしてその声の主の正体に気付いたのは、ケイトの許しを得た彼女らが扉を開くとほぼ同時だった。
「ほら、やっぱりいた・・・!」
「ほんとだ・・・ほんとうにいた!」
そこからは、ビビッと颯爽に──。
「わん!!!」
「グフっ!?」
黒い毛玉が一直線に目掛けて突進してきた。最初は紺色の毛並みの方が先行していたように見えたが、一瞬のうちに背後から飛び出した毛玉が・・・おおおう、驚いて尻餅をついてしまった。
「あのね〜・・・一応ぼくが君の名付け親なんだけど?」
「わフ! グルル!」
「あ、あの・・・ちょ! ストップ!」
「トト〜ストーップ! ほらティナも止めて!」
「ずるい・・・あ、うん」
「グルル!」
使い魔の子狼より一歩出遅れてしまった主人が羨ましそうな目で、戯れる・・・あの、とめ・・・止めて! 洋服の裾をひっぱらないで! なんか唸ってるし! 歓迎モードというより、護衛迎撃モード的な!? ずるくないずるくない! ジーッとめくれる上着を凝視してないで注意してご主人!
「レイアさんにティナさんでしたか・・・もしかして、用事があるのは私にではなく・・・」
「はい。図書室によったら、急にティナの耳がピーンって立って、そしたら、リアムの匂いがするって・・・急に押しかけてすいません」
「ここまで辿ってきたんですね・・・構いませんよ」
トトとティナに遅れて部屋に入ったレイアが事情をケイトに説明する。その間──。
「「かわいい・・・えっ?」」
ちょっと困った笑顔が素敵だ。絹のような髪、整った目鼻、緑色の瞳・・・すべてが・・・えっ??
「・・・」
・・・隣の親友と目があって5秒。硬直していた時間が唐突に動き出した瞬間、互いに何を口走ったのかがフィードバックし、頬の赤みがシャイニングな感情が込み上げてくる。ラディは感想が被ってしまったせいかバツが悪そうに目を逸らし、コーンは恥ずかしそうにそのまま俯く。
「ティナ、お願いだからトトを止めて!」
「あ・・・トト、放して」
「クゥーン」
や、やっと離れた・・・ご主人様お護りモードにしては荒っぽい。まるで攻撃だ。しかしそもそもぼくが先に部屋にいたのであって、こちらからモーションを起こしたわけでもなければ・・・なんで?
「それでは、僕たちはお暇させていただこうか。邪魔になったら」
「ぜんっぜん、私は構いませんよ。せっかくなのでお茶でもどうですか? 帰られても、結局はリアムさんたちから託された重要な仕事に取り組むわけですし、誰がために時間を割くという観点から私の予定を鑑みれば、暇ということに・・・」
「そ、そうですか・・・」
そろそろ、人数も増えてきたところで騒がしくしたらいけないと思ったのだが、研究室に大勢を招くのがあまり好きではなく、かつ、いつもなら研究優先のケイトの方からお茶を誘ってきた。まぁ、ハイボール団の他のメンバーたちをクロカに任せているが、長居しないようにして追加でティーブレイクくらいいいかもしれない。そこで、手っ取り早く紅茶でも淹れるかと立ち上がった時、再び──コンコンと。
「また・・・お話中失礼しますね。どう──ッ!?」
「ケイト! やっぱりここにいたのか! 長期休暇直前の大事な職員会議だというのに・・・どうして・・・リアム君か?」
「こんにちはアラン先生」
「こんにちは・・・そうか、帰ってきていたのか! 元気そうでなにより」
扉をケイトがいると判断するや開けて研究室を訪ねてきたのは、ケイトの同僚でノーフォークスクールの教師アランであった。
「あっ。そういえばさっきリアムさんにリヴァプールまでの旅に誘われたんですが」
「り、リヴァプールだ!?」
「アランがいじわるばっかり言うし、さっきは行かないって断ったけど、やっぱり行こうかな〜」
脳内変換開始。ケイト語におけるアランに対する「いじわる→指摘」・・・あいっかわらずなのね。
「わ、わかった・・・私が・・・言い過ぎた・・・だから行くぞ!」
「えぇ〜! せっかくこれから盛り上がりそうだったのに! そうだ、仲直りということでアランも一緒にお茶しましょう」
「馬鹿を言うな!」
アランの右手がフランの左耳を捕らえた! ──ついにケイトのその場しのぎの逃げ言葉がアランのお縄についたところで、鍵をかけるため全員が部屋から出る。
「そうだ! ケイト先生! さっきの話ついでにルキウス先生に『お兄さんにお会いしました。とてもいい方でした』と伝言をお願いできますか!」
「わかりました〜・・・伝えておきます〜・・・そんなに手を引っ張らなくても自分で歩けますって!」
「それじゃあ頼むから、急いで歩いてくれ。寄り道している時間はない」
「はいはい」
どんどんアランとフランが遠ざかっていく。今日のアランはなんか焦っていてらしくなかった。普段はもっと、堂々としていながら溢れる知識にも溺れない教養と温かみのある人だったように思うが・・・。
「リアム。実はね、あの二人・・・」
「えっ・・・うん・・・うそぉ!?」
2人が廊下の角を曲がったところで、レイアがコソっと耳打ちしてくれた。そうか〜、そうだったのか。だからさっきも部屋にケイトがいると判断できるや否や扉を開くのも躊躇しなかったのか。でもこの時代では職場でのソレって成立するのか・・・僕の考えることじゃあないか。プライベートに関わるデリケートな問題にも思えるも、あの二人には元々それ相応の信頼があるとしてだ、割り切ろう。そういえば呼び捨てで呼び合っていたような・・・名前は昔もよく呼び捨てしていたか。
「それでリアム」
噂の先生たちもいなくなり、ようやくアランの事情が飲み込めたところで、今度は声のボリュームを普通にまで上げて、レイアがラディとコーンの方に視線を寄せる。
「そういえば紹介がまだだった。ラディ、コーン。こちらティナとレイア。2人はぼくの学友で仲間で、レイアは昔からの友達、ティナは僕の家族だ。ティナ、レイア。こちらラディとコーン。マンチェスター領のステディエムで出会ったんだ」
「こんにちは、レイアです。リアムとは幼馴染で、この前までパーティーを組んでました」
「ン・・・ティナ。こっちはトト」
「オレはラディ! ハイボール団の頭をしていて、ステディエムから来た!」
「ぼくはコーンです。ステディエムから来ました・・・本が好きです・・・」
「ティナ、レイア。ラディとコーン以外にも実は何人か一緒に来てる。今はダンジョンの方を見学にいってるから合流したいんだけど、用事がなければ一緒にどう?」
「うん! いく!」
「いきます・・・!」
「決まり! それとね、ラディとコーンの仲間達の他にノーフォークでアリアのダンオペをしていたクロカさんもステディエムから来ているんだよ!」
「そうなの!?」
ま、僕は街から旅立って本人と再会するまでクロカが転勤していたことなんてこれっぽっちも知らなかったんだがね。僕と違ってクロカの転勤のことを知っていたであろう2人には内緒である。
「あっ、やっときた!」
「クロカさん、お待たせしました」
「遅い!」
「ははは・・・ごめんなさい」
私たちと合流したため、リアムが前もってこのくらいで合流できるだろうとクロカさんに伝えていた予定の時間より到着が遅れてしまった。しかし遅れたのは旅で留守にしていた間のお互いの話が盛り上がって花を咲かせていたから・・・とかいうより、ラディとコーンが質問(主にレイアについて)を熱心に、それはもう熱心に訊いてきたために、歩く速度も応じて落ちたというのが正しい・・・なッ!?
「こ、こんにちは!」
「こんにちは・・・」
「もしかしてその黒い狼の子供がトトちゃんで」
「ワン!」
「あなたがティナ・・・さん?」
「はい・・・あの、あなたは・・・」
「わ、私キャシー! リアムが綺麗な紺色の毛並みの女の子でティナちゃんと仲良くなれるよって!・・・ごめん、張り切りすぎて何いってるかわかんなくなっちゃった」
な、なんと! 案内された先で合流したのはリアムが旅先で出会った同じ種族の女の子だった! 活発そうでカワイイ猫耳族の子だ。昔は猫耳族に限らず対立していた時期もあるらしいけど、私がガルムにいた頃は猫耳族と犬耳族は特に仲が悪いわけではかったと思う。かといって親しく交易しているわけでもないくらいの関係・・・強いて言えば好みが肉よりか魚よりか、見た目、それから猫耳族は比較的放浪癖に近い自由な性格の人が多いって・・・でもこの子初対面の私に人見知りするくらいに優しくて献身的そう。こ、これは思わぬ強敵が現れたのかも・・・でも、同じ獣人のお友達というのはやっぱり嬉しいかも・・・ムフン・・・フサフサは私が勝ってる。よし・・・。
「まぁいいわ。ねぇリアム、出発は明日とか明後日にしない?」
「はい?」
「あなたも家族に会ったり、時間がいるでしょう? 今晩はシーナと食事する約束をしたから、ね?」
──どうやらクロカは久しぶりに帰省できたことが相当嬉しかったようだ。それに家族に会う時間が必要だと・・・それもそうだ。もう夕刻だし、ハイボール団のみんなには宿をとってあげて、食事は神楽あたりでアオイさんに・・・。
「そうだ・・・アオイさんも確かリヴァプールの出身だったっけ!」
確か以前、リヴァプール家から嫁いできたフランと実家がリヴァプールを拠点に貿易商業を営んでいるフヨウとアオイ姉妹は幼馴染だという話を前に聴いたことがあった。次期ノーフォーク公爵となるパトリックの妻であるフランと、パトリックの側近であるフヨウはまだしも、出発が明日になるのなら、アオイにリヴァプール行きに同行するか尋ねてもいいかもしれない。──ということで、ハイボール団御一行様、宿に荷物を置いた後は神楽にご案内である。
「えっ? リヴァプールに行くの?」
「はい。それで前にリヴァプールの出身だって聴いてたのを思い出して、アオイさんもどうかな〜と。もちろん、仕事の都合がつけばです」
「ほんと!? いく、行くよ! 是非ついていかせて欲しい!」
アオイ曰く、鈴屋の方も客足は順調に増えてきているが、普段から繁盛している神楽の手伝いを頼んでいる孤児院の子供にそっちの店番を頼んでもどちらの運営にも支障が出ない程度の稼ぎなのだ!・・・こっちから誘っておいてなんだが、だいじょうぶそれ? もしかして、ご両親に会ったら怒られるんじゃないの? もしくは店を畳めとか・・・いやそれは僕が困る。
「リアムたちは食べていかないのか?」
「僕たちは家で食べるから。レイアはどうする?」
「私も帰る。おばあちゃんが待ってるから」
「「えぇ〜!」」
レイアが帰ると聴いて、同じリアクションをとったラディとコーン。
「コーン・・・?」
「ラディ・・・?」
そんないつもと何かが違う2人に、ハイボール団の男性陣は気づかなかったが女性陣たちは”?”を浮かべていた。やはり経験が浅い内のこういうことは、同性の目より異性からの方がわかりやすいものなのだろうか。
「そいつは残念だな! だけどまた明日会えるんだろ!」
「ポップのいう通り、また明日会えるから、今日は帰るよ」
かくいう僕も、こんな感じで・・・2人が何にこんなに入れ込んでいて、何に対して反応をとったのかに気づいていなかった。質問の最初のところで三人称複数を表す格に自分の名前が使われて、「食べていかないのか?」と、訊ねられたのだから無理もない。
「こんばんわ、マレーネさん」
「おや、リム坊じゃないか! 帰ってきていたのかい?」
「はい。今晩はレイアを送るためと・・・これ、どうぞ。ホワイト家にマンチェスターのお土産です」
「そうか。綺麗なゼラニウムだね。ありがとう」
マレーネにホワイト家へのお土産として渡したのは、赤いペラルゴニウム、通称ゼラニウムである。この花は、隣国のユーロでは一般的にベランダに飾られている花であり、国境に近い位置にあるマンチェスターにもこの花が流通していて2階や3階のベランダから顔を出している姿を見る。前世での花言葉は「君ありて幸福」。さらにペラゴルニウムの語源はコウノトリである。拐われた赤ん坊を取り戻して、早くホワイト家の家族が無事に帰ってきますようにという想いをこめた。花言葉メッセージカードも添えたので、こちらの意図はしっかり伝わるはずだ・・・さて。
「ふぅ・・・どうしてこんなにソワソワするのか」
まだ数ヶ月、されど数ヶ月、故郷の実家へ帰る。玄関の前に立つと、鼻筋とへそを通って体を支える線がユラユラと横に縦に不安定な感じ。そして、風の当たり方、空気の湿度、ちょっと顔を出してきた緊張に唆されて見上げた空の高さ、雲の形、そんな何気ない日常の変化に鋭敏になっていた。
「ただいま!」
「おかえり、ティナ」
「あ、あの! その・・・!」
「どうしたの? ・・・お客さん? レイアちゃんが遊びにきた・・・」
最初に元気よく家族の元へ向かったティナに続いて玄関を潜り、ダイニングへ。
「ただいま」
「えっ・・・リアム!!! おかえり! いつ帰ってきたの!?」
「きょ、今日! ちょっとスクールに用事があって」
「そうなの!」
サプライズを仕掛けた側がこれいかに。出迎えてくれたアイナの反応は予想の内だった・・・というのに、息子への愛に溢れた驚きから歓迎へのその畳みかけに圧されて、ちょっとキョドっちゃった。しかし、こうなんていうか・・・口からゆっくりと出入りする空気が肺を通して優しく胸を撫でる。帰ってきたのだと一段と実感させてくれるのは、家で待つ家族の出迎えである。
「ほら、エリオット! お兄ちゃんが帰ってきたわよ!」
「だぅ〜」
「ただいま」
「?」
母のアイナに抱えられて、不思議そうに僕を見ているのはエリオットは一番下の弟。ウチは4人姉弟。王都の王立学院高等部に進んだ長女のカリナ、その下に長男の僕と次女のティナがいて、まだ生まれて一年経たない赤ん坊の次男エリオット。あともう少しで1歳になるかな。
「ウィルもそろそろ帰ってくるはずよ・・・部屋で待つ? 疲れてるでしょ?」
「そんな。昼過ぎにマンチェスター領のステディエムを出て、ゲートで後は一瞬だった」
「そう、なら是非、土産話を聞かせてちょうだい!」
アイナはそう言いながら魔石から魔力を抜いて火を止めた。てっきり食事の仕上げに差し掛かったところだったと、しかし、抱っこ紐をとって背中におんぶしていた赤ん坊のエリオットを前に抱えてしまいそのまま僕の対面の椅子に座る。
「ナナ〜」
「あらら、ティナちゃん、エリオットお願いできる?」
「はい」
すると、アイナに抱えられていたエリオットがまさかのティナに抱っこのご指名である。
「すっかりエリオットはお姉ちゃんに懐いちゃってね」
「最近は私の尻尾をハイハイしながら追いかける遊びがお気に入りです」
・・・いまさらこんなことを持ち出すのも卑怯だが、家族の中でも唯一血の繋がった兄弟であるというのに・・・悔しい。そ、疎外感が・・・前はよく僕も抱っこしてあげていたものだ。たった数ヶ月でここまで家庭環境も関係も変わるものなのか。
「ナナ〜って、これまた甘え上手」
「でしょう。でも助かってる。夜はやっぱり私たちの寝室で寝かせてるし、1日中目が離せない。親の務めとはいえね・・・なんていうか、リアムはぜんっぜん泣かなかったから」
「一応、その時から記憶はもうあったから・・・今思い出すと泣いてたのだって真似が多かったような」
「そうよね」
そりゃあ僕は前世の記憶を持って生まれたわけだから、それはもう大人しかったと思う。赤ん坊として気味が悪いくらい。でもそうか、カリナは実親のアイナの姉夫婦亡くなったので引き取り、僕は転生者、ティナは僕がマクレランド商会で見つけてきた元奴隷なわけだから、無垢な赤ん坊の面倒を四六時中見るのはこれが初めてなわけだ。
「ただいま〜・・・ん?」
そんな日頃のエリオットの育児報告をアイナから聞いていた時、玄関の方から帰宅の合図があった。それから「ん?」と、首を傾げてる様が想像できる声。自称「感と勘が鋭い男」。最近の家の雰囲気とは微妙に違う変化でも感じ取ったのかな。そして、ドタドタと騒がしく廊下を走ってくる音──。
「やっぱり! 帰ってきてたのかリアム!」
「おかえり、父さん」
「お前こそおかえりだろ!」
「ただいま」
さぁ、俺の胸に飛び込んでこい息子よ!──と言わんばかりに広げられた両手をスルーして、僕は右手を差し込んだ。そして、恥ずかしいのか? お年頃だなとでも再び態度で物申しながらも僕の手をとる。これで王都に寄宿しているカリナ以外の家族が揃った。──さぁ、夕食の時間である。
「それでステディエムで会った子供たちも一緒にノーフォークに連れてきて、明日、明後日に都合のいいタイミングでリヴァプールに行こうかと」
必要な夕食が1人分増えたということで、急遽、魔法で火を入れて追加した鶏のもも肉ソテーにナイフを入れつつ、会話のはじめに、4ヶ月前の出立の時に宣言した旅を決して終えたわけではないことを説明し、まだその途中でありながら家に寄った理由と今回の旅の計画及び目的を話す。
「へぇー、リヴァプールに行くのか」
「うん、それでよかったら・・・」
・・・あ。
「お土産、買ってくるよ。海鮮がいいかな?」
「それはいい! ・・・そうだな・・・俺は久しぶりにまた海老が食いたいなぁ。ほら、天ぷら? エビフライ?」
「私はいまお話に出てきたパエリアっていう料理が食べてみたいかも」
「わかった。楽しみにしてて」
久しぶりの家族との食事で思いの外饒舌になっている。危うく口を滑らせて余計なことを言うところだった──。
「ごちそうさまでした」
もう食事を始めて既に2時間は経っているだろう。皿はとっくの前に空っぽになっていた。
「私はもう寝ます・・・おやすみなさい・・・」
「「おやすみ」」
「俺は軽く汗を流してくる」
「はぁーい。それじゃあ私はお皿を洗うからリアムもお部屋でゆっくり」
「いいよ。母さんこそ部屋でゆっくりして。お皿は僕が洗っておくから」
「でも・・・」
「エリオットも寝かしつけないといけないんだから、それに皿の汚れをとるだけなら魔法を使えばすぐに終わる」
「そう? ・・・それじゃあ、ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
こういう時に普段できないことをしないとね。といっても、アイナにした説得通り僕にはクリーンの魔法もあれば、現在ブラド商会から売り出されているクリーンシートもキッチンに備え付けてあるので、皿洗いは5分と待たずに終わった。・・・それからしばらくリビングのソファに座って久しぶりの我が家を堪能するべくぼーっとしていた。そんなこんなで、いい気持ちで目も瞑り居眠りしかけていると、廊下の方から足音が・・・この重い足音は、ウィルだ。
「リアム、少しいいか?」
「どうぞ」
風呂で汗を流してきたウィルが寝室へと向かわずに、コチラへ戻ってきた。
「よし・・・アンクトンでのこと聴いたぞ・・・大変だったな」
これはッ・・・、少し予想外。
「血生臭い話は久しぶりの家族団欒の食卓にはふさわしくないと思ってな。・・・そんなに驚くことでもない。アンクトンはノーフォーク領。事件の詳細と村長を通したお前からの伝言もあったってジジイに聴いた」
「そっか・・・」
食事中の会話ではウィルとアイナの過去の境遇に頭を回すばっかりで、アンクトンでのことには全く触れていなかった。もしくは、自分からこの話をするのを避けていたとも言えるが・・・。
「さっきは察してくれてありがとうな・・・今はマンチェスターにいるんだって?」
「そうだよ」
「そうか・・・なぁリアム、お前はメチャクチャ強いし、マンチェスターにはメルクリウスもあるし、友達もできたとかで、クロカちゃんとも再会できて居心地も悪くないと思う」
「そうかも・・・」
そっか・・・そういえばそうだ。僕は居心地がよかったんだ。てっきり人の目が多くある環境でゆっくりと心の傷を癒している最中だと思っていたが、それだけじゃない。癒してくれる友達がいて、環境も整っていて僕は居心地がよかったのか。約10年間過ごした街で築いた友情・信頼関係にはやはり劣るではあろう。しかし、彼らの存在は確実にどちらか一方を捨てろと言われても簡単には決断を下せないくらいまでに大きくなりつつある。ハイボール団、エスナの台所ファミリー、そしてクロカさん。マンチェスターで出会った、または再会した人は、いつの間にか僕の中でかなり大事な存在になりつつあるのではないか。
「俺が言うのもなんだが・・・あの街にはあまり長居しない方がいいと思う」
ウィルが突拍子のないことを僕に告げたのは・・・そう、思っていた合間のことだった。
「わ、わからない」
「すまん、俺も正直そうすべきはどうかはっきりと言えないわけで・・・お前が意味がわからないのも無理はない」
「・・・?」
唐突な助言の意図がわからずに聞き返したのだが、ウィルの返答はやはり要領を得ないもので意味不明だった。
「ごめん、やっぱりわからない」
「そうか・・・ならば少し遡るが、俺の話を聞いてくれ・・・その昔、まだ俺がガキの頃ハワードの権威は中央の王都を飛び越すように東西へと跨っていた」
「東西に・・・?」
「そうだ。といっても、土地を治める領主だったわけではない。王都より西側の領地・領主たちへ影響力を持っており、かつ、彼らの多くがハワードという派閥に属していたのさ」
今一度、理由を聞き返されても上手く説明できなかったウィルは話を整理するために昔話を始めた。順を追ってということだろう。
「ちょうどその頃だ。マンチェスターにメルクリウスが現れたのは」
それは、ウィルがまだ王立学院の初等部に通っていた齢の頃。オブジェクトダンジョンを領地に抱える王都、ノーフォーク、リヴァプール、そして、精霊王の一角と契約を結ぶハワードが新しい文明の荒波に揉まれながら凌ぎを削っていた時代。
「国内でも王族の次に影響力がある貴族として挙げられる家の名にハワード、リヴァプール、そしてブラームスが下賜され新しい世代へと移り変わったノーフォークに、しかしマンチェスターはその列強に名を連ねてはいなかった。それどころか、隣国のユーロと王都を最も短い線で結ぶ位置にありながら、マンチェスターの周りを取り囲むようにある山脈を避けるために行商や旅人はわざわざ山を迂回するくらい、敬遠された土地だった」
隣国と接する西側は防衛の観点からも大事な要所である。太平の世へとなり、西の隣国ユーロやロマンスとは友好的な関係を築いているとはいえ、今でも重要かと言われればそうだろう・・・が。
「父さん。その先はいいよ」
「どうしてだ・・・? お前の身を守るためには、知っておいた方がいい情報だ」
「それは、ファウストの一件があったから?」
「・・・」
「心配してくれている父親にかなり自己中心なことを言うようだけど・・・その・・・父さんの昔の事情ばかり気にしていたら、ノーフォークから一切出られなくなる」
「・・・それもそうだな・・・最近は待つことばかりが増えてな。俺も神経質になっていたのかもしれない。これはお前の旅だ。そして俺はお前の旅を応援すると言って見送った。その旅が終わるまで、俺がドシっと構えてないとな」
心苦しいが、言わねばならない。そして、ウィルは僕の制止を受け入れた。例えば、さっき一緒に行こうと言おうとしたのを憚った・・・そんなことをこれから先も繰り返すようでは、僕は再び後悔することになる。せめて省けるところは省いて楽観的でいたいと最近思うようになったのも、これも、自由な時代を生きていた性だろう。
「今日、マレーネさんのところに寄ったんだ。それで、お土産に花を送ったけど、エドガーさんやウォルターたちのことは訊けなかった・・・その、どう? あれから何か手紙とか」
「いや、まったく・・・便りがないのは有効な手がかりを掴んで躍起になっている良い報せなのか、それともその手がかりを探すのに躍起になっている所為なのか」
「そう・・・」
「ありがとよ、相談に乗ってくれて・・・俺もこのことでモヤモヤしててさ、けどエリオットのことで神経擦り減らしてるアイナにこれ以上気苦労かけるのもなんだかと、億劫になってた。だがお前と感情を共有できて、俺だけがモヤモヤしてるわけじゃないことを改めて確認してなんか気分が軽くなったよ」
「こちらこそ、ありがとう。ものすごく危険な目にあってる癖に我儘突き通す僕を心配してくれて、耐えてくれて」
「いいさ。息子が怯えて暮らしているよりも、明日を生きるための糧を探しながら、世界で活躍してくれている方が親としても嬉しいものだ。なぁなぁ、メルクリウスってどんな感じなんだ? ずっと気になっててさ、よかったら教えてくれ」
「すごいよ。その一言に尽きる。メルクリウスの建物を空の塔とするのなら、ダンジョンの中は大地の塔っていうのかな。何十メートルの厚さを持つ大地が縦に一定の間隔を空けながら浮いてるんだよ」
「へぇー。それだとなんだか、移動とか大変そうだな」
「そうでもない。各階を繋ぐ魔法陣はそのままダンジョンの一階や建物の方の魔法陣に直接つながってる。そして、各階で手に入れられる合言葉さえ持っていれば、たぶん、その間の階層を攻略していなくてもラストボスのいるであろう階層までいける。その気になれば、いますぐにでも挑戦できると思う・・・合言葉の仕組みが解けちゃったかもだし」
「マジで!?」
「転送陣の合言葉が、どうも前世にあった言語に由来する感じで」
「はぁー・・・だとすると、やはりダンジョンの出現にはお前と同じように異世界から転生した人間が関わっているのかもなー・・・ということは、だ、前代の勇者が生きてる可能性もまた、あるのかもしれない」
「そうだね」
ウィルとは幼い頃から家族同然に育ってきたカミラ、そして彼女と結ばれ家族となったエドガーもまた、ウィルとアイナにとって大切な仲間。いまウィルがこんなにも気を落としていたのならば、彼らの娘のレイアは、家族のマレーネはさぞ心配していることだろう。そうだ・・・どうだろう。リヴァプールへの旅にレイアも誘ってみては──。




