20 Runnig through my head
「よく来てくれた。冒険者といえば、最近は貴殿の噂ばかり聞いている。初めてお目にかかるな。私はアウストラリア国内ギルドの取り纏めを務めている、シリウス・エンゲルスだ。プライベートな席であるし、堅苦しい呼び方はとってシリウスと呼んでくれ」
ホテルのフロントに通された部屋には、30代後半、如何にもな年の功に伴う威厳はまだ薄いものの、整然とした立居振る舞いが様になっている男が座っていて、僕たちの入室を確認するや立ち上がって迎え入れる。
「リアムです」
「今日は突然の招待にも関わらず、ありがとう」
「こちらこそ、お招きありがとうございましたシリウスさん」
「本当にしっかりしている。これでギルド統括としての面目躍如というところだ。いく先々で君のことを訊かれて、弟やダリウス支部長、とにかく人から伝え聞いた話しかできなかったから困っていた。実体験あってこそ、ようやく私自身から話ができる・・・それで、そちらの女性は?」
「クロカと申します。本日は招待されてもおりませんが、リアムの保護者ということで会への同席の許しを賜りたく存じます」
「いやいや、そうかしこまらないでいただきたい! そうでしたか、あなたがクロカさん! ノーフォークでリアムくんをサポートしていたオペレーターのお一人だった方で間違いはありませんか?」
「お、おっしゃる通りです! シリウス様は私のこともご存知でいらっしゃったんですか!?」
「存じておりますとも。クロカさんはとても優秀なオペレーターだと聴いております。ただ、こんなにお美しい方だとは・・・わたしの未熟な情報収集力を嘆くばかりです」
「まぁ」
「ダンジョンの窓口こそ冒険者とギルドを繋ぐ橋であり、オペレーターこそ冒険者の成長に深く関わる橋渡し役ですし、担当する冒険者がまだ幼いともなればこの手のサポートも捨て置けなかったのでしょう。あなたの参加を歓迎しますよ。現在はステディエムのギルドで働かれて再びリアム君とお仕事をなさっているとか?」
「クロカさんには、とてもよくしていただいています・・・」
「オホホ! 再会したのは本当に偶然だったのですけれど、良い関係を築くことができていると思っておりますわ!」
「お互いに良い影響を与えあえているようで、この席でわたしも是非お二人の強く、また、良き縁にあやかりたいものです」
「それほどのものでもございませんわ」
「クロカさんは慎ましくていらっしゃる」
今のは謙遜しなくてもよかったのでは? なんだか僕がクロカさんに従順・・・うっわー、今、手の甲の静脈が浮き出たような・・・これはただテンパってるだけだ。報酬をほぼ折半というあこぎな契約を結んでいるクロカの化けの皮が剥がれる前に、腰を落ち着けさせてもらおう。
「あの・・・」
「なにかな? 遠慮せず訊いてくれ。答えられる範囲で答えよう」
「では遠慮なく。家名をエンゲルスとおっしゃいますと、ノーフォークスクールの学長のルキウス・エンゲルス先生とは何かご関係がおありなのでしょうか?」
「ルキウス?」
「はい」
質問内容の確認を肯定すると、シリウスは束の間に面食らっていた。これは無関係なパターンだったか。
「・・・驚いた。ルキウスはわたしのことを話していなかったのか? 君とは随分と仲がいいと便りでは見知っていたのだが・・・ああ、さては例の病気が出たか」
・・・そういうことか。病気ね。あれは間違いなく病気だろう。病気に違いない。それも疫病の類のやっかいでタチの悪い病気だ。
「病気ですか」
「君も心当たりはないか? 弟は面白ければ仕掛けがどんなにタチ悪くても面白がる。きっとわたしが兄だということを知って驚く君の姿でも想像していたのだろうが、それを明かされている現在進行形で君は実に落ち着いたものだ! 大失敗だったな!」
かくルキウスの策が一つ虚しく散ったと笑うこの人はあれだ。おしゃべり大好きな人だ。その人柄がどこか兄弟らしさを匂わせる。
「ルキウスのヤツは勝手にノーフォークスクールの学長になったが、ダリウスのギルド支部長就任の時には私も色々と根回しをしたのだ。なにぶん、前任者の娘の夫など役職を引き継ぐ理由にはならん。次期領主となるパトリック様の推薦状を添えて、管理職に問題処理能力が問われる今時に、腕っ節の強さだけで押して押して押しまくった。随分と策を弄したと言うのに、あのハゲ坊主ときたら嫁さんの尻に敷かれてやっと執務室の扉にかじりつく始末だろ? ね、クロカさん?」
「は、はい! ダリウス支部長はとても、こせつかない方で・・・あ」
「いいんだいいんだ! もっといってやれ! ハッハッハッハ! ・・・っと、申し訳ない。おおっぴろげに口を開いて高笑いは流石に貴族としてはしたなかった」
「シリウス様は爵位をお持ちなんですね?」
「そうだな。光栄にも伯爵の位を賜った。とはいえ、エンゲルスが王家と所縁があるだけで、潤沢な金や強い権力、ましてや領地があるわけでもない。だからこうして国に雇われつつ合間を縫って旅行に来られた。しかし、自ら開いた晩餐会も席暖まるに暇あらずだ。日々、議会とギルドの執務室を行ったり来たりさ。お客様の前でこんなことを言うのもなんだがね、さっきまでマンチェスター領主殿のもてなしに与っていたところだ・・・だから、この会はなるべく仕事の話は抜きにして、お互いの近状を語り合えるような暖かい席にしたいと思っている。おかげさまで、食前酒とブルケッタしか飲み食いしていないにも関わらずもう既に盛り上がっているわけだ」
これからが宴もたけなわ、しかし言い方を変えればまだまだ本番もこれからというところ。
「でね、独立機関を名乗ってはいるが、協力関係からギルドとはいわば国の犬なわけだよ!」
「随分と大きな犬なんですね」
「いうね! 気に入った!」
「リアム!・・・すいません、この子せっかく子供にもわかりやすくシリウス様がお話しくださってるのに」
「いや、子供が一定の会話を理解できないとわかっていながら、その一定理解できないような言い回しをするなど私は侮ることはない。犬は比喩だが、誤ってこの例えを私は選択したわけではない。ギルドで働いてくれているあなたの手前申し訳ないが、ギルドよりその土地の統治権、すなわち、その土地の領主の握る権力が強いというのが現実だ」
仕事の話は控えたいと言いながら、自己紹介がてらなりゆきでテーマはシリウスの仕事の話になる。まぁ、そのほとんどが忙しい自分の愚痴みたいなものだったのだが、話し込み始めて10分が経った頃、雲行きはゆっくりと怪しくなっていく。
「現に、最近はマンチェスター領からもとある要請がなされていて、本部長としてどう応対しようかと悩んでいたところだった」
「と、いいますと?」
「元来、同種の職業間より生まれて発展し、統合されてを繰り返し、国と民の双方から援助を得ながら出来上がった歴史を持つのが今のギルドだ。故に闊歩することなかれ、故に独歩することこの上ない組織の義務なり。いざという時には人々の先頭に立って正道へと導く善であれ・・・であるから、高度な魔道具の輸出管理が許されたような、そうでなくとも一部の領地にギルドが利益を得るために肩入れするのは、もっといえば運営に加担これを是とはしない」
「人々からダンジョンという所有権が不明な資産と自由を預かっている分、ギルドには国の秩序を保つ役割もありますか?」
「しかしながらそれらは社会思想と呼べる程度のものではないことを心得ると知れ・・・ですよね?」
「その通り。ギルドは国政を担うものではない。ギルドは経済を担う。ギルドはそのための政治を担う。であるから、ギルドは国に属するものではない。あくまでも一独立機関である・・・といっても、現状は国の傀儡だ。私のような宮廷貴族がトップを務めているのだから。だが、一線がある。他方から要請があれば受けることもつっぱねる権利があることも自覚している。かといって、現在国で最も勢いのある領の要請を蔑ろにして関係を悪くしたくなかった・・・それが今日、一気に解決してしまった。リアムくん。君は実に聡明だな・・・直に会ってそう判断した私の目に狂いがなければ、君は解ってしまうのではないだろうか。たかが休暇、いや、休暇のはずなのに、私はステディエムにて仕事をこなしたような口ぶりであった・・・そもそも私は、あまり外出は好まない」
人差し指を立ててシリウスは自分の鼻の頭にゆっくりとくっつける。
「野暮用と捉えるには意味深な物言いですね」
「意味深ととってくれて構わないよ。ただ、まぁ、私なら君たちがケレステールを攻略した時点で、王都への招待状でも認めていただろうな。招待するに値する立派な理由に、虎も下手に手を出せなかっただろう」
『ちょっとちょっと、シリウス様はただの休暇できたんじゃないってことはわかったけど、やっぱり意味不明なんだけど? なんの話?』 ──会話を追えなくなってきたクロカが、イデアの繋いでいるチャンネルを通して語りかけてきた。そしてその時、ふと、思い出した。困ったことにわかってしまった。先日、クロカも同席したあのテーブルで彼女と話していなかったら、気づかなかったかもしれない。
『シリウスさんの来訪の意図を聞いても自然に振る舞ってくださいね』
『了解』
『つまり、休暇は休暇なのでしょうと、しかし、時期があまりにも良すぎるんです。クロカさん。マンチェスター領が何を欲しているのかを考えてみてください。そうすれば自ずと領主がギルドに何を要求したのかも大体検討がつきます』
あぁクソッ、説明下手か! これじゃあ答えになってない!
「おっと、あまり深く考えこまなくても、別に正解がわからなくとも君たちをどうこうしようとか、勝負してるわけでもなければ」
「僕は僕の自由な意思で、そんな僕を支えるべく付き添いをクロカさんは名乗り出てくれました。随伴でもなければ、差し添えでもございません。今日ここにクロカさんを連れてきたことが好都合だとか思ってもらっては困ります」
クロカへの説明の途中で話しかけてきたシリウスに黙っていろと言わんばかりに、迂闊にも口が先行してしまう。
「・・・それは流石に深読みしすぎ、と言いたいところだが、そう来るのか・・・」
しまった・・・余計なことを言ってしまった。
「だがやはり心外だな。私は駆け引きに使うために粉をかけたわけではない」
・・・は?
「そんなに不可解な顔をされても・・・私は素直にクロカさんが美しいと思ったから、くど・・・くど、・・・ッ!?」
もしかして今、あなたも自分がとんでもない失言をしたことに気づきました? ・・・あの、メルクリウスを適度に攻略させたいためにマンチェスター領が優秀な冒険者を斡旋するようギルドに要請したが、安易に国内屈指の成長を続ける領を支援するようなことはできないと足踏みしていたところ、ケレステールを攻略した経歴を持つ僕がステディエムに来て攻略をしてるからギルドが動かなくてもよくなったよねーって・・・また、今後も同じような要請がなされないようシリウスは堂々とこの席に着く前にカストラの要求を突っぱねてきたのだろうと・・・それが何故にシリウスがしまったと言わんばかりに顔を茹で蛸のように真っ赤にしてる?
『な、なんてこと言わせてるのよアンタは・・・ッ!』
あれー・・・? この着地は想定外すぎる。最初の挨拶に含まれた褒め言葉は世辞ではなかったのか? 大人のあれな駆け引きがわからない僕がいけないのか?
『自分の恋愛対象に入らないからと、誰の恋愛対象にも入らないとするのはどうかと思いますが』
『偏見ではないんだよ? なまじ本性知ってる分なぁ・・・』
『あなたたち、聞こえてるわ・・・ポッ・・・』
ポッ、じゃないよ。これはあれか!? 貴族と平民の突然のラブストーリーが始まってしまったのか!? んなアホな!・・・人のことをどの口が言えるのかって?・・・んなアホな!
「失礼いたします・・・みなさま。前菜をお運びさせていただきます」
ホテルの方の前菜の準備が整ったようで、部屋の扉が叩かれた。従業員さんナーイス! 変な雰囲気になっていたところ、このままだと空気になりかねなかった。晩餐はまだまだこれからが本番だ。
「本ホテルのありますマンチェスターが隣国ユーロとの国境に近いこともあり、本日は本ホテル限定のユーロ風コースを、更にはシリウス様からお持ち込みの食材でコースを組み立てさせていただきました」
シリウスの人柄をひとまずみた後とはいえ、念の為こっそり鑑定を使ったが食器類に毒は仕込まれていなかった。
「・・・この香りは」
テーブルの上にクローシュのかぶさった皿が配膳されていく。と、目の前に皿が置かれて中身のものと思われる僅かに香ってきたオリーブの匂いに思わず生唾を飲み込む。人前ではしたないとは思うのだが、銀色の艶やかな曲美の凝視をやめられない・・・。
「アンティパスト、鯛のカルパッチョになります」
蓋が開くとともにかすかに香ってきたオリーブの香り。熱を通した香りではなく、野菜と生の魚と合わせるために全てがフレッシュでいて、かつ、コクのある一品。
「海の幸を食するのはこれが初めてかな?」
「いえ、昔、一度食べたことがあります。知り合いの商人の方々が王都からお土産に持ち帰ってくださって・・・しかし、生ではなく凍らせたもので・・・生は初めて食べます」
「そうか・・・本来は牛肉などで作られるのがカルパッチョだが、今日は私が無理を言って王都から持ってきた食材でコースを仕立ててもらった。本当はもう少しいい魚を用意したかったのだが・・・鯛は目がね・・・」
シリウスは刺身になる前の鯛の見た目に少し不満気味らしい。だが、腐っても鯛という言葉がある。一口目をシリウスが含んだのを確認すると、フォークで軽く刺した身を掬うようにして1枚を口へと運ぶ。その時、僕は開放されて口中に広がる幸せの香りに包まれる。
「ノーフォークではもちろん、ステディエムでも珍しい品だったろう? まだまだあるから、是非楽しんでくれ」
前菜はものの5分で完食された。元々の食材の量が限られていたということもあり、控えめに盛り付けられていたのだろうが、そんなことどうだっていい。今はこのシリウスという最高のもてなし上手と持ち込まれた食材たちへ、手を合わせて心の底からありがとうと──!?
「プリモピアット、鯏のリゾットです」
「あ、アサリだ・・・」
「知ってたのか? 海から遠い内陸のノーフォークだと流石に見ないと思ったのだが・・・」
そして、次に出てきたのは鯏のリゾット。パッと受けた印象ではチーズの風味は控えめに仕上げてあるのだが、如何せん爆するように貝から出たのであろう旨味の香りがたまらない。この料理のメインである貝をチーズが引き立たせられるように調理されているのだろう。
「今日持ち込んだ魚介はリヴァプール領のグレインという街で水揚げされたものを今朝王都で購入し、魔法箱に入れてステディエムまで持ってきた。ここの料理長は海の幸もしばしば扱う王都の本店で修行を積んでいた経験があるから、君に未知の食の味を振る舞えると私は意気揚々だったわけだが、わたしの目論見は呆気なく潰えたか・・・弟のことは言えないな」
「いえ! 凍らせた海老をお土産でもらってフライを一度だけ食べたことがあるというだけで、死んでしまうと腐りやすい活きアサリを低温を保つ魔法箱で運ぶのは難しいから、(この世界で)現物を見るのは初めてで!」
「よく知ってるね! アサリは死んでしまうと僅か数時間でとてつもない悪臭を放つから扱いが難しい!」
「砂抜きの処理など、調理前の下拵えを知らないと台無しになりますしね! 内地で海の魚介の扱いを知ってる料理人は貴重ですから、シリウスさんが持ち込んでくれなかったら・・・食べていいですか!」
「どうぞ召し上がれ・・・そうか、喜んでもらえたのならあながち失敗ではなかったな・・・よかった」
共通する知識は共感を呼び、リアムとシリウスをはしゃがせた。自分から乞うことがはしたないとか、そんなのもうどうでもいい。
「はぁあああ・・・パエリア、カルパッチョ、アクアパッツァ、ペスカトーレ、味噌汁、刺身、寿司、天ぷら」
「な、なんか呪文を唱え始めた!? 大丈夫!?」
「クロカさん、僕、決めました。明日、海岸を目指して旅に出ます」
「ちょお!?」
レッツゴーリヴァプール、グッパイステディエム。
「構わないですよね?」
「私は君の旅をどうこう言える立場ではない」
「ですって」
「ですってって・・・」
なんですかその目は? まだハイボール団は未熟でネギ背負えるほど育っていないのよみたいなことを言ってる視線だ・・・が・・・。
『なんで、いま、なんだ・・・』
唐突に、この時とある感覚がリアムを襲う。だが知らない感覚ではなく、しかし、このタイミングでくるか?・・・最悪だ。
「ごちそうさまでした。とても良い晩餐になりました」
素晴らしいコースを最後まで堪能した。テーブルも部屋も料理も最高。一流だった。口だって、喉だってすんなり通った。だが、なぜ僕はこんなに苦しいのか。
『・・・もう我慢できないっ』
震える右手を、震えそうな左手でつねって感覚を誤魔化すが、もう決壊寸前だ。
「それでだ。食事も済んだところで、ちょっとした昔話をぜひ──」
「失礼、少し休憩をいただきます」
満足げなシリウスの食後の話し振りを遮って、席を立つ。ごめんなさいクロカさん、でも・・・。
「やはり料理が口に合わなかったのだろうか?」
「そんなことはありません。リアムはとても喜んでいましたわ。恐らくは・・・」
いつもならトイレにでも言ったんじゃない?──と、酒の入ったジョッキを片手に掲げるクロカであるが、それから先の言葉はここでは出てこない。
「失礼、私の配慮が足りなかったようで」
「いえ・・・」
沈黙。しかし二人とも、食事中に酒を嗜んだためか、頬が紅潮している。
「あの、やはり少し心配なのでみてきてもいいですか?」
「そうですね、彼の体調の確認をよろしくお願いします」
しかし、残念なことにクロカはそれ以上踏み出さない。酒を嗜んだと言っても、ワインに2、3口、あまりにも慎ましい程度。それでも頬は互いに紅潮していた。それでも・・・クロカは席を立った。恥じらいに耐えられずではない。なぜなら、リアムが突然席をたった理由を、彼女は知っているから──。
「ウ・・・ウエッ!」
『やはり、尋ねるべきではありませんでしたね』
「ハァ・・・あの人は悪くない。ただ、あの人の立場が僕にとっては脅威で・・・そんなはずはないのに、ジロジロと裏で値踏みされているような気がして・・・」
あの日みた死体がたまにフラッシュバックする。血だらけのフロント、ここがホテルだから? ・・・知った女性の死体、それを抱えて号哭する男。そして僕をギロッと楽しそうに値踏みする殺人鬼。そういう日は、体があまり食事を受け付けない。特にアンクトンを旅立ってから2、3日後くらいから始まって、それから数日ピークを乗り越えるまでは苦しかった。素材と香辛料、とにかく全ての味が口の中で味が分裂してモサモサとする。野菜の繊維が人の髪の毛のように、感じられる。なのに胃液は全開で分泌され、案外、焼いた肉とかの方が受け付ける。
「ここにいたの・・・あなた、やっぱり・・・」
「クロカさんどうして・・・」
「初めてメルクリウスに入ってモンスターを狩った夜、吐いてたでしょ?」
「気付かれていたんですか・・・けれど、今日はいつもの発作の時より喉を簡単に通ってくれたんです・・・」
「ああもう、無理しなくていいから」
クロカの右手が優しく背中を摩る。家族の元から離れて旅をしている、こうして苦しい時に誰かが側にいてくれるのは初めてだ。・・・亜空間から取り出したエチケット袋代わりの紙袋に口を当てながら、僕はしばらく人気のない廊下の隅で突っ伏すことになった。
『同じ年代の子達と関わることでノーフォークにいた頃を思い出せば、助けになるかと思ったけど、ダメだった・・・いえ、まだ・・・拠り所はまだまだ未完成なのだから、余地はあるわよね』
神楽で飲み過ぎた時、しばしばあなたは私の背中をさすってくれたよね・・・なんだか故郷が、無性に懐かしい。
──10分後。
「大丈夫かな? どこか具合でも──」
「お構いなく」
突然席を立って退出したことで、余計な心配をさせてしまったらしい。
「お料理もとてもおいしかったです。それで、先ほどの話の続きですが、昔話がなんとか・・・」
「・・・では、話させてもらうとするが、今日はあまりにも急な招待であったから、どうだろう? ホテルに部屋をとらせてもいい」
「本日は既に宿をとってあるもので、主人にも帰ると言っております」
「ならば、帰り支度をさせておこう」
招待に応えてくれたゲストの体調や事情を気遣うのもホストの務めとはいえ、この人が招待状の送り方に反してあまり強引な人でなくてよかった。
「さて、帰りの準備ができるまでには終わるほどほどの昔話だ。といっても、意外と最近の昔話である。昔、アウストラリアという国の王都に突如として巨大な建物が現れた。それは、地面から生えてくるように、はたまた、何かに召喚されるように、大地から現れた。その建物はダンジョンと呼ばれ、それから各地でも同じような建造物が現れたと時間差を置きながらいくつかの報告が上がることになる」
それは、突如として王国、はたまた、世界各地に現れた不思議で謎に包まれた建造物。オブジェクトダンジョンの歴史は意外と浅い。
「時はそれからしばらく経って20年前。ここマンチェスターにも同じような建造物が現れた。その建造物はこれまでのものより巨大で、人々の生活に馴染むものとして機能し、果てに産出されるのは貴重な属性の魔道具であった。その時点で、一方はじまりのダンジョンが現れた王都にはなんと4つものダンジョンがあったわけだが、未だにどれも攻略は完了されていなかった」
しかして、遂にその難攻不落の一角は崩れることになる。とあるパーティーによって、はたまた逃走した一戦目に囚われた仲間2人を助けようと再起した男とその付き人によって。
「戻るはずだった者たちがようやく戻ってきた。家族の、友人の帰り、そしてなによりも勝利を心待ちにしていた。特にパーティーのリーダーの男は解放の英雄とまで呼ばれた。さらにリーダーの彼は国内有数の貴族家の血筋である。三男であるが、生まれた順など関係なく彼は国より最高の栄誉を与えられると共に、のちの人生は栄華を極めるように思われた。だが、その数週間も経たない内に英雄を排出した名門から信じられない一報が王都中に発信された。『英雄は死んだ』と・・・ダンジョンのある街は大抵どこかおかしい。それは、誰しもが街を訪れると同時に感じることだ。金を求めて、地位を求めて、学が足りないがばかりに安定した生活を求めるも、急激な発展が民にどんな牙を向くのか知らない人も、誰もが感じる違和感」
誰かが常に付き纏うような、気持ち悪さ。監視されているような、制御されてしまうことへの不信感。
「君は時期を読む。読める、だから辿り着けるのではないだろうか。解放の英雄と呼ばれた男が、なぜ必要以上に家に疎まれ、死して尚、闇に葬られたこと」
資本主義的な社会において生まれる最も大きな課題にして、一方のサイドにいる人々を苦しめる病はその名を、格差という。僕のもう一つの名が知る世界では、機械仕掛けの神が行うコスモポリニズム的政治システムの平準化、科学の発展に伴う新技術及び効率以上のものを生産するシステムの確立、未知のソラへの旅など、平等性を求めるため人ではない第三者に依存しようとか、目に見える未知を探求しようとか、そんな感じで変革を求める人々がいた。もちろん変革を嫌う保守派もいれば、漠然としない目標を定めてコツコツこなすモチベーションの鬼のような人もいた。
だがやはり、人は、その現状に慣れて仕舞えば、次の刺激を求めるものだから、際限がない。そうでなければ人は畑を耕すことも、木の実を採取することだってやめてしまうだろう。もっと言えば、人は神になりたいのだ。未だ領主が権力を持つ封建的な制度を残しながらも、魔法やダンジョンという特殊な環境が生み出したリスクによって資本家や冒険家が台頭し競争社会が成り立つ独特な世界のとあるシニックな殺人鬼が言った。「俺こそが神になるのだ」と。それも、不完全ではなく完全な神に──。
「今日はご招待いただきありがとうございました」
「こちらこそ、リアム」
シリウスはわざわざホテルの玄関まで降りて僕たちを見送ってくれた。玄関につけた馬車に乗り込む前に握手を交わした。そして扉を閉めて、僕とクロカはロドリーホテルを後にする。濃密さこそ、そこそこの雰囲気と会話であったが、感じ入るものは多かった。そんな会談だったように余韻に浸る帰路に思う。
しかし満足げな帰り道に引っ掛かるのは、シリウスが僕の父ウィリアムの過去について触れた真意である。
「あんなに緊張してたのに、終わってみれば歓迎してもらっただけだった。よかったわね、無事に終わって」
「ええ、クロカさんも今日はついてきてくれてありがとうございました。助かりました」
「いいのよ」
シリウスが見えなくなったのを背中に感じながら、蹄の鳴らすリズムと共に移り行く外の景色を眺める。あの人は、まさか僕が自分の父親の出自を知らないと思っているのだろうか。政治利用されないよう気をつけろという意味か。彼は家の長男でもなければ次男でもなく、平民の妾との間にできた三男であり、また、彼が当時教会の出の女生徒を愛していたことは界隈では知られていたという。
「警告がしっかりと届いてくれていればいいが」
一方、自分の立場を貫きながら明言を避けたシリウスは不安にかられつつも、仕事をこなしたことで今日という日に一段楽をつける。そう、この時のリアムはまだ知らなかった。王都の議会議事録には解放の英雄の名が引用された有名な台詞が載っている・・・ 『彼はまさしく解放の英雄である。なぜなら、彼はダンジョンが人の知恵と力が端から端へと及ぶことを示し、その先に勝利と栄光と神の恵にも等しき宝が埋まっていることを証明したのだから』




