08 Embalming
はじめにエブリマン、次にスウィニートッド 。エブリマンは、中世ヨーロッパで生まれた寓話的な道徳劇だったか・・・しかし、イエスマン、ハードマンなどのように男の前に修飾する形容詞等がつく場合もあるから、BCの名付けは僕が抱いた疑問に対する確信が持てるものではない。しかし、問題はトッドの方だ。力を貸せと要求したシドはトッドを例に出し、力を剃刀、協力者の存在などをほのめかしつつ渋るシルクと言い合っていた。あのやり取りは僕を震撼させてある物語を彷彿とさせた。あのトッドが指すのは間違いない。トッドはキャラクターの名前だ。そのキャラクターの名前を映画のセリフから引用でもするように、例に出した。スウィーニー・トッドは僕が生きた前世で創作された悪役のキャラクターである。
『よくよく考えれば彼らは組織としてファウストを名乗っている・・・おかしいじゃないか。狡猾な悪魔と博士の話も前世の世界にあった話だ。ファウストという物語に出てくるメフィストフェレスの名を知っていたのは』
事、エブリマンに関しては確証を得られなかったが、トッドに関しては間違いない。メフィストフェレスとファウストについても・・・僕の謎は益々深まるばかりだ。過去、オブジェクトダンジョンの特異性、前代の勇者が転生者だったという隠された言い伝え、彼が設計したというピアノという楽器、いくつか伝えられていた譜面から、文化的なクロスマッチがあったことは間違いない。しかし、前世から持ち込まれた人為的影響がこの世界のそれぞれに何の副作用もなく適合するという保証はどこにもない。僕は現に一つ、転生という形を以て、そのことを知っている。
「死してなお、生きていることのなんと複雑で難しいことか・・・」
・・・さて。かなしみの音が聞こえる。村の外れにある簡易教会墓地には、鎮まり難い悲しみに満たされており、視線が彫られた穴へと集積し、溢れて、湧水の如く周りへと流れ出していた。土の上を誰かの悲しみが這う。足首に絡み付いてくる。生きている側の者として、死者に礼を尽くしたいと思う反面、いますぐにここから逃げ出したい。
「ッ・・・ダメだよ、僕が泣いてちゃあ・・・ッ」
「使いますか?」
「大丈夫・・・自分のを持ってきたから・・・ありがとう、リアム」
白いハンカチをそっと差し出したが、彼は大丈夫だと丁寧に断りを入れて自分のハンカチを取り出して見せると、全く使うことなくまたそれをポケットにしまった。特に親しかった者には直視するには辛い光景だ。しかし、本当に本当の別れだと思うと、きっと、逃げに甘えることだけは避けたいのだろう。どれだけ自分が彼ら、彼女らを愛していたかを示すために、受け取って安らかに眠ってもらうために。
「・・・」
久しぶりに、人の死というやつを間近にした。世界から命を絶たれるという見方であれば、最後に立ち会ったのは自分の死、以来のことだ。
『・・・これは、僕のせいなのだろうか』
『いいえ。マスターのせいではありません。こうした罪は、圧倒的に加害者の責任であり、殺人鬼による故殺ならば尚更・・・』
君が言うことが正しいとするならば、僕もまた、被害者なのだろうか。しかし今回の場合、どうにも、そうして被害者の立場から逃げたいわけでもないのに、そうであると自分を位置付けるのはあまりにも図々しく、且つ、相応しくないと、自尊心と罪悪感の自己矛盾が僕を被害者にも加害者にもさせてくれない。
『僕のせいかもしれない・・・』
だが、落ちる。昨晩の戦闘直後とその更に後とのギャップが僕にそう思わせた。熱くなりすぎて村長や村人の存在を忘れていたり、アニーだけの死の衝撃が僕を蹂躙した。一時のこととはいえ、殺された人は前日の事件も合わせて他に14人いた。そう、僕の罪悪感の原因は目の前に並べられた死体の量にある。ここの墓地に眠るのは計5人、こんなこと言っては不謹慎だが、圧巻である。残りの10体は身元不明のため並べられていない。これから数日中には到着するであろう公爵家の使いと協力して身元が調べられることになるだろう。・・・村に戻ってくるまでの僕の視野は狭窄していた。死に向けられる悲しみはもっと平等なものであると思っていたが、死人が生きていた時の関わりとその過程の太さによってこんなにも、喪に服す心に置いていかれる印象は違う。
「理不尽な死の暴力が我々に深い悲しみを与える。しかし彼らはこうして、共に過ごした友人、家族によって神の元へと見送られる。そうすることで死とは単なる暴力ではなく、生の営みには欠かせないごく自然のことだと知るのです。そう信じることで、私たちは死後にはまた来世を迎えることができる。どうか彼らが神ヴェリタスの示す光の道を行き、再び来世で素晴らしい繋がりを築けますよう、お祈りを」
村の規模的に教会から司祭の派遣が難しいこの村では、正光教で儀式を一通り研修した村長が神父役も兼任する。村長が別れの言葉を棺の前で述べてゆく。しかしその見送りの言葉を聞いていると、ふと僕はこんなことを思ってしまう。今回のように奪われた生、即ち死を暴力だったとするならば、浄化されて純粋さを獲得する魂は輪廻に置いて一環する永遠の命であるからこそ、我々がここに今息づいて生きていることこそが、神から与えられた従属虐待に近い暴力なのではないだろうかと。
「素晴らしき恩寵を我らに・・・今この時だけは・・・慈悲を」
バグパイプの代わりにラッパが鳴る。しかし僕は祈るしかない。せめて彼女の来世が素晴らしく、幸せで満ち足りた人生になりますように──。
「──なんて刺激的な一夜だったのだろうか。けれど、物語はそろそろ終わりを迎える。彼女はその素晴らしいツアーの終わりを悟り、非日常的なスリルを失うことの儚さを知り、自分のこれまでと、そしてこれからの日常に哀愁を感じる。そんな彼女にガイドのお星様は言うんだ。『大丈夫。果てしなく続いているように見える夜の空に輝く星にも寿命はある。僕にだって寿命があるんだ。君が輝くことを諦めない限り、今日の思い出は星の寿命くらい長い時は消えない』・・・と」
夢に囚われたり、過去に囚われたりするのは辛い・・・けれど、星の物語にも必ず終わりがある。続編があろうと、未完であろうと、世界が閉じてしまえば終わりは終わりなのさ。
「世の中にはたくさんの善意が溢れている・・・それが絶えないことを、祈るばかりだ」
「そうですね」
棺が全て土の中に埋められてから、僕たちは喪失感を共有しながら、風を感じていた。ジョセフはあの晩に事件が終わる前に話していた作り話の結末を描いて、僅かばかりの立ち直りを見せてくれた。年上として、まだ小さい僕に気を使ってくれたのだろう。
『善意を利用する輩もいる。僕の今は・・・どっちだろう』
それでも、僕のモヤモヤは晴れない。ただ、大きく吸い込んで全身で感じる風は気持ちがいい──。
「そろそろ・・・僕はこれで」
「・・・もう、行ってしまわれるのか」
あのままアニーの死体を森の中に放置したままでは、魔物、獣たちに貪られ残骸すら残らなかったかもしれないと、シドを退けて村に帰ってきてからというものの、悲しみに塗れながらも粛々と、村の人たちは感謝してくれた。
「ええ・・・」
心苦しい。もしかしたら僕が彼を呼び寄せたのではないか。ただの過剰反応かもしれないが、可能性を拭い切ることもできない。・・・まさか旅に出て数日中に訪れた村で、幾何もなく、勇者という分不相応な称号に苛まれることになるとは。
「あれほど立派な棺を作るのにお手伝いいただき、保冷の魔法を棺に施して下さった。はじめはあまりよいとは言えぬ対応をしておきながら、何とお礼を言えば良いか・・・」
「初日の件はお互い水に流しましょう。おかげで僕はジョセフさんと親しくなれて・・・」
結果的に、大量虐殺の犠牲者として名を連ねることはなくなった。
「それより、棺への魔力の補給は任せました。取り付けた魔石の大きさだと1日4回、どうかよろしく」
防腐剤の作り方を知らないからエンバーミングするとまではいかなかったが、棺を作り保冷できるよう魔法陣を施した。1日数回の魔力補給を怠らなければ、遺体の腐敗を家族の元へと届けるくらいには稼げるだろう。
「もちろん、お受けします。・・・お気をつけて・・・あなたの旅の無事を、我々は祈っております」
「ありがとうございます」
村に来たときとは反対側にある玄関から出てゆく。見送りをする村人たちは決して手を振ったりするわけでもなく、しかし背中には確かな彼らの礼を感じながら、僕もまた決して振り返り、彼らに手を振ることはない。
「・・・先を急ごう。この近くで一人うろついてるのはよくない」
「ええ」
初めはのんびり始まった二人旅。しかし今はもう、そこに森の空気や空を流れる雲を眺める心の余裕はない。
「僕が・・・初めて死体を見たのはね・・・10歳、丁度今くらいの齢だった」
アンクトン村を発ってから1時間くらい街道を進んだところで、僕は相変わらず足を動かしながらイデアに話しかけた。
「実家の隣に住んでいたおばちゃんの葬式でのことだった。礼子さんって人だったんだけど」
「笑顔が素敵な方でしたね・・・私もマスターの記憶を覗いた時にお顔を拝見しました」
小学校に上がる前くらいのことかな。引っ越しをしてね。その引っ越し先の家の隣に住んでいたのが、安國さんと礼子さんの大原さん夫妻だった。お子さん方も皆、独り立ちした後で、齢は2人とも当時60才くらいだったと思う。
「優しい人だった。特に奥さんの礼子さんは大層僕のことを可愛がってくれた。少しぽっちゃりとしていたけれどお茶目で化粧のシャドーと紅い口紅が印象的、人の良さが滲み出ていて、子供の僕が心を許すのにそう時間はかからなかった」
「小学生に上がってからはしばらく、学校まで通学路をついてきて下さってましたね」
「そうそう! 普通は恥ずかしがるところなんだろうけど、僕は礼子さんがついてきてくれたのがものっすごく嬉しくてさ、半年が経った頃くらいに周りに言われてちょっぴり恥ずかしかったかな。それでも僕は甘えん坊で、母が言ったらしいんだけど通学くらいは自立できないといけないからと、礼子さんもそりゃそうだと徐々に通学に関しては一人でできるよう離れられた」
それでもしばらくは、礼子さんのお家に遊びに行くこともしょっ中だった。あの頃から既に体は弱かったから、遠出もできなかったし、近場ということで安心できるってのもあった。そういう点では、母も快く許してくれていた。その日勉強したことを話すとすごいと褒めてくれたし、ブルグミュラーの練習曲を弾けばやっぱり褒めてくれ、おやつをご馳走になったり、縁側でお昼寝させてもらったことも、ウチの庭で一緒にBBQしたことだってあった。
「病を患っていた一方、欠けたモノは両親の献身と大原さん夫婦の優しさによって補充され充実していた。でもそれは・・・僕が3年生になった頃くらいから変わってきた」
小学3年生になっても相変わらず僕は大原さんの家に遊びに行ってたよ。あれしたいこれしたいって、その頃くらいからピアノ以外のいろんな習い事に手を出し始めたんでね、頻度こそ週に1、2回くらいになってたけど、やっぱり僕にとっては大切な居場所のひとつだった・・・。
「礼子さんが・・・病気になった。癌・・・だったと思う。詳しい病名だとかは、僕には話してくれなかった。きっとそれなりの気遣いをしてくれたんだろう」
僕自身も病院にかかることはしばしばあったし、そうでなくとも子供の僕に変に心配させないため、礼子さんは大仰には振る舞わなかった。ただ、少し入院して、病気を治してくると・・・。
当時の僕もその言葉を鵜呑みにして、礼子さんのことだからすぐに帰ってくると思ってた・・・馬鹿だった。自分だって入院しても綺麗には治らなかったのに、何考えてたんだろ。
闘病生活が始まって大原さん家に行くと、旦那さんの安國さんが僕をもてなしてくれた。2人で礼子さんが早くよくなるといいねー・・・なんて話をして・・・僕は寂しかった。そうして礼子さんがお家からいなくなって半年が経った頃くらいに、両親が礼子さんのお見舞いに僕を連れて行ってくれた。
「礼子さんが入院してから半年が経って少ししたくらいに、両親がお見舞いに連れて行ってくれたんだ」
親は病室に入ると形式的な挨拶を礼子さんや安國さんと交わしていたが・・・衝撃だった。
「病室に入ると、安國さんが迎えてくれた・・・けれど、礼子さんの姿が見当たらない。僕はあれ・・・?と思った。僕たちは今日、礼子さんのお見舞いをするためにここまできたはずだ。それなのに、安國さんがいた病室のベッドには知らない人がいるだけだった・・・個室だったのに・・・彼女が礼子さんだとわからなかった」
”礼子、直人くんたちが来てくれたよ”、と、安國さんがその人を礼子と呼ぶまで、彼女が、この人があの礼子さんだということを認識できずにいたのだ。
”よく来てくれたね直人くん・・・礼子おばちゃんよ”
”こんにちは。久しぶりに会えて嬉しい”
”そう?・・・でも私だって・・・わからなかったでしょ?”
”うーん・・・でも、礼子おばちゃんでしょ?”
”そうよ”
”なら、久しぶりに会えて嬉しい”
僕はこの時気にしてないふりして礼子さんだとわかった風を装っていたが、嘘だ。ぽっちゃりとしていた体型は見る影もなく骨の形が見るくらいに腕は痩せ細り、茶色めに染められていた髪は綺麗に脱色し真っ白で、シャドーと口紅が印象的だった化粧もしていない、病衣に身を包んだおばあちゃん。
「僕は変わり果てた礼子さんをみて、頑張って平常心を保った。”前みたいに元気になれるよ”とか、入院している人に言うようなそれらしいこと言って、闘病で苦しんでいた礼子さんには結構残酷なことを言ってたかもしれない」
言い訳をさせてもらえるなら、薬がキツくてね、と礼子さんが零してたから、この変化は薬のせいだと丸投げしてしまったんだ・・・そして──。
「闘病の末、お見舞いから更に半年が経った頃、僕が5年生に上がるくらいだったか・・・礼子さんが亡くなった。僕はその時、初めて葬式というものに出席した」
礼子さんの葬式は市内の葬式場で開かれた。僕は父と母の3人で出席した。──また、あの日、僕は・・・死んだ人を見るのが初めてだった。
「葬式は素晴らしくも慎ましく催され、終わった。僕はその場でてっきり泣いてしまうものだと思っていたんだけど・・・」
・・・何かを感じることができなかった。詳細にいうと、心を締め付けるほど辛い鋭敏な何かを感じていたはずなのに、忘れてしまった。今でもあの時感じていた、考えていたことがどんなことだっただろうと正解はわからないまま。きっと元気になる、前の日常は必ず帰ってくると信じて止まなかった・・・あの言葉にだけは嘘はなかった。
「けれどその帰りの車中でわかったんだ。僕はね・・・当時からしょっちゅう悔しい目にあって泣いてたけど、あの人の前では一度も泣いたことがなかった。あぁ・・・僕は最後までこの人の前では泣きたくなかったんだなと・・・あれだけのことがあったのに変わらない窓の外を見て、人が営んでいる光景をみて分かった。そしたら・・・泣いてたよ。一縷の悲しみだけを絞り出したようなか細い一滴の涙だけだったけれど、前の席の両親に気づかれないようそっと静かに泣いた」
それから僕には日常が当然のように戻ってくる。普通の人の人生から生み出されるものとはちょっと変わった日常だったけれど、その中でも一番変わっていたところを上げるとすれば、大原さんの家に、また足を伸ばすようになっていた。礼子さんの仏前でお線香を上げるためだ。安國さんも快くお線香を上げさせてくれた。慣れてくると、そうしてる自分は偉い人間だろ、と、思うことがあったから、その時くらいから通うのを辞めたかな。
「家に遊びに行くことはなくなっても安國さんとすれ違うことはしばしばあって、その度に挨拶を交わしていた。別に避けていたわけでもない。だけど、ある日気づいた。・・・ぎこちなかったんだ・・・心が」
自分の心に気づいてから僕はぎこちなくしか笑えなかった。その時だ。恨みがましく思った。わかってる・・・誰が悪いわけでもない。病院だってどんな病も完治させる魔法のような場所じゃない。病と闘ったり、そのためのケアをする場所だ。だからこそ、恨みがましかった・・・世界が。誰かの不幸を悲しむ立場ではなく、僕もまた、不幸な方の立場にあった。死というシステム、健康という概念がある世界が憎くてしょうがなかった。
「心のどこかで安國さんとの挨拶に辛さを感じていた。しかしこれは安國さんに限らず、その他のことでも、僕はいつの間にかぎこちなくしか笑えなくなっていた。それに気づいたのは中学生に上がった頃、鈴華と出会う1年くらい前のことだ」
「それは・・・原因は礼子さんの死ではないんですよね?」
「違う。礼子さんの死は確かに僕にとって死を考えさせられる検討すべき重要な要素の一つとなったけれど、ぎこちなかったのは成長に伴うものだった。僕はよそよそしくなったけれど、それでも、安國さんは僕を見かければ挨拶してくれた・・・僕が高校生になる頃には安國さんも体を悪くされたらしくて、養老ホームに入ったとかで目にすることはなくなった。お世話をするために息子さんたちが帰ってきて・・・」
僕が死んでしまった19の齢、安國さんの名前で、その年もお歳暮とか送られてた。
「2人との出会いは僕に人の脆さとともに、歴史の深さを教えてくれた。人との繋がりを大切にする安國さんと、僕の前では常に笑顔を絶やさなかった礼子さん・・・今でも大人に憧れがあるのはきっとそういう人たちと関わってきたからなんだと思う」
僕は2人に出会うまで、もっと長い時間の歴史は知らないけれど、僕の前では常に大人でいてくれた人。尊敬できる、大切な人たちだ。
「知ってるかい? 人間、最後には自分の音を聴きながら死ぬ。5感の最後には聴覚が落ちるらしい・・・礼子さん、最後には何を聞いていたんだろう」
僕が今聞いてるのは、風の音、木々のざわめき、遠くから聞こえる野鳥の鳴き声、靴が地面に擦れる音、布が肌と擦れる音──。
「僕が聞いていたのは家族の声・・・って、言いたいけど、モニターの音だったけ・・・自分の心臓の音を聴きながら・・・落ちた・・・と思ったら」
「このアナザーワールドに転生した。ウィリアムとアイナの息子の──」
「リアムとして」
この世界には魔法がある。そして、人が生きている。
「泣いてます・・・?」
「いいや・・・これは・・・ごめん、やっぱり泣いてた」
本当に素晴らしい世界だと思う・・・けれど、僕の前世の世界も負けず素晴らしいところだった・・・はず。全てを美しい思い出にするには、まだ早いかもしれないが・・・。
「それにしても・・・一つだけ、わからないことがあるんですよね」
「なにが・・・?」
道のど真ん中で足を止めて僕が少し遅れてきた情緒的に感傷へ浸っていると、イデアが不思議なことを言い始めた。とぼけた感じだ。僕は思わず聞き返したが、正直、今は彼女の冗談は聞きたくないと言うのが本音だ。
「魔力に粘性や硬度はアレど、それはあくまでもシールドなどの形態の話であり、耐久力に難があればそれはたちまち破られます。魔力同士の純粋なぶつかり合いでしたら、全てを決定づけるのは込められた魔力の総量にあります。マスターの魔力はシドが防御に使っていたそれより圧倒的に優位だった。それなのに、魔力の硬度とかいうデタラメな理論で防御のためにあまつさえ硬度を説明するのに気合を有意にした・・・気合を込めたからと言って限界出力から更に絞り出される量の変化は一枚くらいの薄壁を壊す程度でしょう」
それくらいに僕の保有する魔力量は凄まじい。要するにイデアの話をまとめると、この前の戦闘でシドが展開した根性論は誤っているという見解だった。
「アレは嘘だよ、ウ、ソ。魔力に増殖を伴わずに圧倒的な力量差を跳ね返せる際限のない硬度なんてないよ。ハッタリかまされただけ」
「どういうことですか・・・?」
「まさか気づかなかったの?・・・君が?」
僅かに声が上ずってしまうのは、僕が彼女に勝ちたいという心の顕れだ。それは今回と同じようなことが次にあったとき、いきなりの交代で僕はひどく戸惑ったが、今後、イデアであろうと同じことをもう許す気はない。
「私がシドに直接バーストを放った訳ではないので」
ちょっとしおらしく見せたからこの際に乗じて面倒な話まで片付けてしまおうという魂胆だな。・・・うーん、悪くない話術だ。
「君の前に火の海が広がっている。そしてそれはこちらに向かってきている」
「はい」
「このままでは火に飲み込まれてしまう。けれど、それを全て消せるほどの水や土を生み出す魔力はもう残っていない・・・どうする?」
「どうするって・・・空間か闇」
「禁止。使えるのは基本の5属性火、水、土、雷、風」
「地形はフラット?」
「フラット」
「ならば・・・流れを変える。変えられるなら、そうします」
「誘導するということだね?」
「はい・・・導線のようなもので、もしくは高低差で」
いい答えだ。それが電気だとか、水が相手なら。
「でも相手は火だ。あっちを立ててもこっちでも煙は立つ」
「相手が煙ではなく霧ならまだしも・・・と言うところでしょうか。”このままでは飲み込まれてしまう”、のなら、周りも可燃物の温床・・・」
「そう。でも小さく考えすぎないで。君ならもっと大きく考えるだろ?」
「例えば、消火のために水を生み出すのではなく、一か八か、可燃性のガスでも大量に発生、引火させ、瞬間的な爆発によってえた風で吹き消すとかですか?または──」
「または急激な燃焼によって酸素を根こそぎ奪う」
竜の魔力効率性の循環的魔力の収支、規模、及び、効率性はだいぶ劣るけれど、あの力には覚えがある。それもかなり身近に──そう、ハイドだ。ハイドの力、すなわち──竜の力。
「自分以外の人間が他にいる可能性を考えない傍若無人ぶりはさすがだ。でも、そういうこと。圧倒的強者は、しばしば自分以外の存在のことなど気にも留めない」
──自分だけならいい。今の僕の体なら、耐えられる可能性はゼロではない。でもそれなら、そもそも火を消す必要はない。それこそ、僕だけなら大火傷くらいで済む。
「大きくと言ったのはマスターです。小さく考えていいのなら、土魔法で釜にならないくらいの深さの穴でも掘って避難しますよ。十分な空洞をもって、蓋をして。地面が掘れないのなら、壁に相応の厚さをもたせたかまくらでも構いません。もしくは非可燃性の役割を果たすモノを魔法で生み出してばら撒き、サークルを作り囲います。路を掘ってもいい。太陽の表面ではないのですから、火もしばらくしたら消えるでしょう」
「ありゃあ・・・そんな方法があったか」
「それと、迫る火種を消し去る爆発とその後の無酸素状態に耐えられる体があるというのなら、塔を作って上に逃げてもいいですし、火をそのまま受け入れてしまってもいい・・・結局どういうことです?・・・最近、マスターの心が読みにくくなっていてですね」
「そりゃあ、読ませまいと必死なんだ。共同体とはいえ、プライバシーが欲しいお年頃でね」
「厄介な・・・」
「お互い様・・・」
僕は、はぐらかした。最近は、閉心術とでもいうのかな、少しずつイデア相手でも感情を読ませないよう制御できるようになってきた。本当は読めているのに、彼女が読めてないフリをしているだけかもしれないが、正直どちらだっていい。それより重要なのは、本当に今の例えとダブる状況が起きたとして、他者のことを気にせずなりふり構わず自分だけが助かる道を選ぶか、それとも、大切な人と共に運命を受け入れて火の海に飲み込まれ業火に焼かれるか。僕にパッと思いつくアイデアは全滅か蹂躙か、身の破滅しかせいぜい選ぶ脳がない僕は、その場に大切な人がいたときにどちらをとるのだろうか。こんなバカな話をしているのには訳がある。・・・アニーたちのために棺を作っているときに、考えてしまったんだ。前世の死後の自分の肉体がどうなったのか・・・火葬される棺に横たわるように、僕は・・・無抵抗のまま・・・それだけはイヤだ。




