07 A musical - The humanism makes a God's monster -
「ハァーイッ! 二人ともそこまでッ♪」
混迷が支配する戦場に、異質な音が紛れ込む。怒哀の渦巻く中心に、嬉楽な台風の目のような穴があいた。
『今の・・・今の声はッ──』
──と、同時に、リアムの感情が一気に凍りつく。
「シルク・ハッター」
「改めまして、ファウストの針子、帽子屋のシルク・ハッターでございます」
そこにいたのは、ファウストの帽子屋ことシルク・ハッター。前回、頭にかぶっていた大きなシルクハットは頭にも手にも見受けられず、代わりに頭に心ばかりのチョコンとしたミニ・シルクハットを飾り付け、また、白を下地にカラフルだった髪の色はピンク系の色に統一されて染められていた。
「あなたは・・・」
「ひどいじゃないですか、イデアさん・・・せっかく私とリアム様との間に繋いだ糸をあなた・・・切りましたね?」
「さぁ、なんのことでしょうか」
「とぼけるというのなら、それでもいい。それより・・・リアム様ッ! どうかお姿を拝見させてくださいッ! あなたのシルクが馳せ参じてございますッ!!!」
シルクがリアムを呼んでいる。敵の望み通りにしてやる義理は全くないのだが、新手の登場によってそれまでギリギリ保っていた天秤の釣り合いがとれなくなったと悟ったイデアが引っ込み、再びリアムが表へと姿を表す。
「あの子まで──どうして私は見落として・・・あの時はまだ肉体の馴れがなかった。だから──」
入れ替りの寸前にぶつぶつと何やら念仏を漏らして、イデアは黙り込むようひっそりと僕と入れ替わった。
「おおッ! ご無沙汰しておりますッ!」
「・・・久しぶり」
「きゃぁ! 意思疎通しちゃった! 私たちは両思いっ!?」
「そんなわけないだろ、シルク」
「リアム様ッ!? ああ、私ごときの名前を覚えていてくださったなんてこれほどの喜びがありましょうかッ!!! 多分あるかもしれないが、やはり私は嬉しいです!」
相変わらず場には似つかわしくない的外れな反応ばかりだ。どう転ぼうと、シドといいシルクといい、ファウストの連中とはまともに会話できる気がしない。
「シルクゥ・・・! お前・・・ッ!」
「ふぅむ、コナーから母の命令のためアウストラリアにあなたが入ると連絡もらったので一応注意してはいましたが、まだ国を半分も回らぬうちにリアム様と接触してしまうとはね」
「リアム様・・・だと・・・何事だ、えぇ?・・・クソッ! どうしてここにいるッ!」
「そういうあなたは・・・膝が震えているではありませんか・・・」
確かに、シルクが指摘した通りシドの膝は震えていた。さっきまで屈服させられ、そして、死に損なったのだから無理もないが。
「俺はこれまで厳しい風霜に耐えてきた! だがおもちゃ箱の中で求められるリーダーとして他の子供たちに希望を与えるお前には、これからも俺はッ──だからお前は死んでくれッ!!! ──BC!!! 俺が生き残るんだ! 俺が俺なんだ! お前が兄弟達の中でも特に人気者だろうと関係ない! 俺とお前には平等に機会が与えられてッ! それでッ! それで俺が勝ったんだッッ!!! 俺が、俺が神になるんだッ!!! 選ばれたのはお前じゃないッ! 俺なんだァアアア!!!」
シドが頭を抱えて、急に苦しみ出した。今度はなんだ・・・叫びながら必死に両手で被せるように頭を抑え込んでいる。
「おやおや・・・」
「あれは・・・もしかして・・・」
BCとは一体誰だ・・・もしかして、僕と同じ・・・それか・・・。
「思い描かれているものとは違いますよ。リアム様、BCは確かに実在した人物です」
「実在した?」
「ポリフォニーは、和声、この称号楽曲を与えられたBCはまさにそういう男だった。正反対に、モノフォニーの称号楽曲を与えられたシドは、基本的に私たちのコミュニティの中では一人で、彼と相部屋だった男子以外とは積極的に話しかけるわけでもなく、打ち解けることはなかった。それをシドは幼きながらに生存をかけて用意された場で、狂気を伴う強い固執をみせた」
シドの状態は僕が思っていたようなものではなかった。誰かと喧嘩しているように見えたから、てっきり僕と同類なのかと・・・。
「狂気を伴う強い固執・・・?」
「シドはBCとの決闘で、左手でBCの歯に指をかけ顎を強く押し大きく開口させ、その口の中に右の拳を突っ込んだのです。苦しむBCの鋸のような歯が肌にあたり、圧迫され鬱血気味となったシドの腕からはひどく血が吹き出す・・・腕から垂れるその血が口へと入り、流れて、BCの管を血塗れにし・・・そして、絶命へと至らせた」
その、常軌を逸した執着ぶりを聞いて、僕は再びシドを刮目する。──と、それをもう一度この目で確認する前に頭に浮かんだ。先ほどギグリ・ソーとかいう魔道具を取り出すパフォーマンスに一役買っていた痣のことである。
「喉の奥深くに突っ込まれた拳と腕・・・彼の右腕についたブレスレットのようなあの痣は歯型・・・ただの神狂いの妄信者ってだけじゃなかった・・・」
「彼はBCを殺した後、傍から見れば放心しているように見えましたが、実際にはしばらくの間笑っていました。安らぎを得たような穏やかな表情で・・・しかしそれからというもの彼は、呪われた。自ら初めて殺した人間の人格をあろうことか形成し、殺人に対する罪悪感に抵抗しようとした。帰無はなく、対立、彼らが和解することは決してない。今でも時々ああして、苦しんでる」
・・・なんてことだ。僕らが今まで相対していた殺人鬼は、憎しみに狂い人を苦しめて殺すことを快楽とする天性の殺人鬼だった。
「シルクッ! お前が出てきたせいだッ! どうにかしろぉおおおお!!!」
「良くも悪くも、他者との調和能力が非常に優れていたBCだったから強くシドへと引っ掛かったのかもしれませんね」
「シルクッ!!!」
「リアム様と対峙して久々に感じた恐怖のあまり、それに伴って他我も不安定になっていたところ、私の登場で一気に吹き出してきてしまったたんですねぇ、はい」
「お前何のためにここにきたんだッ! 無視するんじゃないッ! 早くコイツをどうにかしろってッ!」
「シドの最終的な目的はもちろん、彼自身が豪語するように神の階位へと導かれること。しかしその裏に隠れている闇こそはヒューマニズム。それを殺すために、彼は殺戮と神の啓発を何よりも求めて──」
「俺がッ! 俺こそ神だッ! そうすれば、そうなれば一切の柵から俺は解放される!」
解説は中断してしまったが、シルクに皆まで言われずとも、先ほど、彼は自分のことをモノフォニーと表現した。それであればイデアが確認したタトゥーの羅列からあの揺れズレていく人格に苦しんでいた状態は、ヘテロフォニーといったところか。
「それは違う。神が人間の柵に縛られないのなら、どうして聖戦なんてものが起きたのか・・・」
「うるさい黙ってろ黒い方! さっきから白くなったり元に戻ったり、お前はホント・・・ほんとなんなんだよ!」
黒い方とは・・・一応こっちが本体ということになるのだが。
「ポリフォニーがシドへと渡った現在、BCは私たち家族からは母が手向に送った”エブリマン”の名で呼ばれています・・・彼もまた、母のお気に入りの一人でしたから」
「もういいッ! 頼むからそれ以上その名前を連呼してくれるなブスがッ!」
「ああ言いましたねッ! 乙女に一番言ってはならないことをッ! もう怒りましたよ! あなたなんて絶対に助けてあげまっせーんッ!」
「いまお前と話してる暇はない・・・消さなきゃ・・・なかった・・・いなかった・・・」
なんなんだよと、シドは急に涙を流し始めた。そして、シルクと一通り喧嘩し終わると、BCという人間の歯型の痣のある場所を爪を使って掻き毟り始める。
「はぁあああ!・・・仕方ないですね・・・シド、そんなに痒いのなら、湿らせるか、消毒したらどうですか?」
情緒不安定さが目立つシドを見かねてか、大きなため息をついて・・・──。
「消毒・・・そ、そうか・・・」
シルクからアドバイスを聞いたシドは、舌に指を押し付けて皮膚に付着した唾液を例の痣へと塗り込み始める。
「どうやら、発作は収まったようですね」
「お前が急に出てきたせいでクソみたいな夢をみた・・・」
「あなたもいい加減克服しなさいよ・・・めめっちいでしゅよー?」
「その気持ち悪い赤ちゃんことばを今すぐやめろッ! ブスババア!」
古傷に特効薬を塗り始めてから10秒もしないうちに、シドの態度は安定した。
「どけッ!」
「何をしてるんですか!?・・・息するのが精一杯のくせに」
「あいつは俺を貶めやがったッ! このまま放っておけば俺の無欠さが──!」
「鼻っから欠点だらけのくせに・・・」
「ギャップってやつだ! 俺を壊さないために必要なモノだ黙ってろッ! おいトッド! 邪魔をした詫びに剃刀でも貸せ、あのガキの喉を掻き切ってやる!!!」
「いやですね私は帽子屋ですよ? 絹が裂けぬよう繊細に刺すための縫い針へ通すパールのように美しい糸はもてど、剃刀など持ち合わせておりませんからして」
「ノリが悪いぞ!」
「貴方とコントをしてあげる義理はありません。私はバディの指示でこうして助け舟を出しに来ただけ・・・乗らないのですかぁ? 別に乗ってくれなくても結構なんですけどぉ・・・?」
振幅が烈しさを増すような狂い気味のやり取りが続く。発作が治ってようやくまともに話せると思ったらこれだ。コイツらどっかの誰かさんたちみたいに自由すぎる。
「どちらかというと貴方の方がその名はお似合いな気がします。毎日同じ作業の繰り返しに頭が狂った。開いて閉じて開いて閉じて、ついに手に持ったハサミを客のうなじに突き立てる」
「俺ならもっとクレバーにやる。それも協力者など仕立てず鮮やかに、証人だってこれまで唯の一度も残したことがなかったってのにッ!」
「さっきまで助けを求めていたのに・・・どちらにしても視界の狭い傀儡の所業です」
「そうだなッ! 殺人をしたいのと現状から抜け出したいのとでは意味が違う。それでいうと仕事に疲れたのなら、俺は癒しを人に求めず別の世界を開いてみることに目を向けるべきだった。きっとそのやり方は俺には向いていなかったのだから・・・だから──!」
「いやです。反省した振りして、破綻しかけの人殺し中毒者に大切な私の縫合針と縫合糸は貸しません」
食い下がったシドをさらにお座りさせて、シルクが懐から小さな針を取り出して指先でチマチマ揺らして見せつける。
「・・・こっちは無視か」
「とんでもないリアム様! 私が貴方様を無視できるはずがありません!」
「俺には全く尊敬している様子もないのに、さっきからお前のそれはなんだ、リアム様リアム様・・・どういうことだ?」
「しかしどうかご容赦ください。わたくしはこれから貴方様の前でもう一度失敬をいたします」
「もう一度失敬だって・・・違うだろ。前回はアメリアを治すのに邪魔だったからぶっ飛ばしたけど、今度はそう簡単に逃さないよ・・・シドもそうだが、君には色々と聞きたいことがある、シルク」
僕の記憶が正しければ、前に会った時はエキドナにさせられたアメリアの容態が緊急を要していたため、下僕のドラウグルに雑に放り投げさせシルクを退場させた。今宵のカーニバルのように赤く鮮烈で、血と肉の咽せる記憶であり、僕が初めて人体にメスを入れた日、シルクと面と向かって対峙したのはあの時以来──。
「また私の名前をッ! はぁああ♪」
「ほらまた・・・お前にしては異常な・・・」
シドの言う通り、今日が2回めでそれまでまだ過去に一度しか顔を合わせたことがない僕へのシルクの執着の仕方は異常だと思う・・・気持ち悪いくらいに。
「まさかコイツ──!」
そんな、犯罪者シドと陶酔シルクが言い合っている時だった。
「シド、あなた気づかずに接触していたのですか」
「そうか! こいつが見本か!」
「教本! ですよ、口を謹みなさい──」
突然だった。シドが琥珀色の角膜を剥き出しに見開かせて僕を見本と言い放ち、シルクは教本と訂正させた。
「見本・・・教本?」
意味がわからない。・・・僕は勇者だ。ステータスについた称号上、勇者・・・ということになっている。まだ<定め>なるものを受け入れて認めるには至らないものの、未だ前の聖戦から100年と時が浅く、僕がその中で今も囃し立てられる本物の勇者の後継だとして、彼らは悪者だ。更に言えば過去の勇者は善神の側について戦い、彼らが所属するファウストという集団はその宿敵として描かれる邪神を信奉する組織であると聞いている。かく言う善神ヴェリタス様に僕は実際に会ったこともないから、善神につき僕が味方かどうかということはまだ論じることができないとして、それでも、シルクは前回明確に彼らにとっての邪教の神であるヴェリタスに敵意を剥き出しとし、また、僕のことを邪神の名からイドラの子と呼んだ。
「イドラの子・・・使徒」
今更ながらに考えさせられる。イドラの子ってなんだ・・・どうして勇者という称号が与えられた僕がそう呼ばれることになる。・・・まさか、僕は勇者ではないのか。それだと願ったり叶ったり、しかし、複雑でもあるが、そもそも誰が作ったともわからないダンジョンが提供するシステムが示す称号を信じるなどバカらしいことでもある──。
”儂が全て悪いんだ! 全ての罪を告白する! イドラの子だ! ああイドラの使徒よ。罪深き私は己の罪を認め償いに一生をかけます!だからそちら側に連れて行くことだけはどうか、どうか・・・!”
ふと、裏で奴隷密売に加担していたヴェリタスを主神と崇める正光教の司教ブルネッロが、教会の執務室の天井を打ち破って報復をした僕に怯えて助けに来た警察に放った懺悔がフラッシュバックする。転生者としての家族問題だとか、突然の転移問題だとかで気が回らなかったか、一応は信仰する宗教と対立する者として、比喩的に口から出てしまったものだと片付けてしまっていた。
「お前が見つけたと言う手懸かりがあの子供か!道理で・・・!」
「わかりますでしょう! あの方が抱えるモノの重みが! 感じるでしょう!? 背筋からゾクゾクと、胃はキリキリと締め付けられ、成り立っていることすらありえないはずの存在に、その奇跡に心から平伏したくなる圧力が!」
「いいやそれはわからない。実際言われるまで俺はわからなかった・・・しかし、ようやくあの不可解な力については目星が立った」
忌み嫌われる子供、あるいはその言葉通り、神の子を指すものか。前世での世界三大宗教の一つであるキリスト教では、ナザレのイエスは神なる父の子キリストで救い主であった。無宗教者だった僕でも知っている有名な象徴の話である。
「・・・そうか、なら、拐っていくか・・・?」
声色こそごく平凡当然を装っていたが、その内容は物騒で、それでいて後ろに撫で付けられたよう細まった目蓋の間から覗いていたのは、獲物を捉えた獣の目──ッ。
「・・・っ!?」
考え事をしていた。そこに耳から入った新しい情報が割り込んできた。それで僕の腹筋は緊張し、胃と横隔膜を弾ませた。先ほどまで僕を殺そうとしていた奴だが、拐うと言われて全身に鳥肌が広がった。アメリアを怪物へと変えかけて、アニーを何度も苦しめながらじっくり殺した奴らの手に落ちることは、向けられる単純な殺意以上に僕にとって恐ろしかった。
「さ、させん! この子があなた方とどういう関係なのかは知らんが、敵であることだけはわかる! これ以上、我々のために説教してくれた彼がまた我々のために更なる危険に飛び込んでいくのを黙って見過ごすわけには・・・私たちは・・・助けに来たのです。命を手放すために来たのではない!」
しかし、シドの恐ろしい一言に一番に噛み付いたのは、表の光の明るみにでることはない闇の中での話をしていた僕でも、シルクでもなく、なんと・・・アンクトン村の村長であった。・・・そういえば、いたんだった。
「やめなさいシド。リアム様は我々が掲げる悲願を達成するための教本です。であれば、私たちが手出ししてはいけない。穢れてしまう・・・」
「モデルケースになるから手をつけられない?・・・冗談じゃない。アイツがいなくても、いずれは俺が!!!」
「リアム様に関わるファウストの執る行動とその監督については、アウストラリア担当の私が委任されています。これは母の意向でもあります。逆らうことは許されません」
「マミーの!? はっ! そんなのコナーから聞いてないぞ!」
僕に手出しするかどうかでシルクとシドが再び揉め始めた。
「ありがとうございます・・・でも、大丈夫・・・」
「・・・もしかすると私は、今、君の邪魔をしたのか?」
「いいえ。邪魔なんてとんでもない。ただ、少し奴らに訊きたいことがあるので・・・」
一方で、僕を誘拐すると言ったシドに食いかかった村長を制止する。頭が一気に恐怖より覚めた。なぜならファウストがまた、組織についての重大な情報を一つ漏らしたからだ。
「シルク! どうして君はここに・・・?」
リアムは弾みで上ってきた口内の重い空気を喉へと移し、慎重に飲み込んだ。
「シドからご紹介ありませんでしたか? 彼もファウストの一員、で、今、認めたくはありませんがあれでも仲間の彼が危機に陥ってる。アウストラリア担当の私としては、担当地区内で下手な失敗をされて組織を危険に晒すわけにもいきませんので」
・・・そうだった。さっきあいつは自分をファウストのシド・クリミナルと言った。
「まだ聞いてもいいか・・・?」
「何でしょうッ! 私に許されている範囲で答えられることなら何なんりと! なんなりと!」
ここは深呼吸して、冷静に・・・聞け、聴くんだ。僕が今晩受けた衝撃を、その正体を、その理由を・・・。
「あの、タトゥー・・・君にもあるのか」
「称号楽曲のことですね・・・これは気が回らず、紹介が遅れてしまい申し訳ありませんでした。後れ馳せながら、私は母より幻想曲の称号楽曲を賜りました。以後、お見知り置きを」
タトゥーについて質問が出たことに、シルクは配慮が足りなかったと自らの深々と一礼する。
「ペラペラ喋ってんじゃねぇよ!」
「私だって、あなたも含めて他のギャラリーがいなければ今すぐにでもお見せしたいくらいなんですよお?」
自分は盛大にモノフォニー だと名乗ったくせに、喧嘩中だったのに途中で無視して放置されていた腹いせか、しかしシルクは詫び入れる訳でもなく、僕の隣にいる村長をはじめ村人達を指さして・・・そういえば、彼らもいたんだった。
「貧相な価値観だ。その程度の恥じらいで肌を晒すかどうか決められるくらいなのだから、余程、実物の方も貧相なのだろうよ」
「シドぉ・・・あなた、ついに体型のことまッ!」
「もういい行くぞ! 今晩アイツに手を出すのは辞めといてやるからさっさとゲートを繋げろ!・・・あ、それとこれで借りはチャラな」
「何言ってるんですか。あなたは結局私に救出されるのですから、貸し一つです」
「チッ・・・だが昔の借りはチャラだ。その代わり、今晩はこれでお開きにしてやる」
「・・・いいでしょう。ゲート」
そのために来たんだろ、と、またもや論争が勃発しそうになったところ──。
「おいナオト! お前の顔、覚えたぞ・・・」
「ナオト・・・?」
「あいつの名前さ。どうやら名前が2つあるらしいぜ、いや、イデアを含めると3つか」
「それはそれは・・・」
今日はこれでお開きだと社交のための夜会でも開いていたかのように、感興を激しく刺激する獲物を見つけた狩人のように。
「悪夢を見ないための俺なりの処世術の一つだ。今晩の夢見は最悪だったからな・・・同じ夢を見ないための形式的な宣戦だ」
シドは今晩のうちに到底見過ごすことを許さない禍根となり、それは除かれぬのまま、一足先にシルクが開いたゲートの中へと消えていった。
「さっきのはなんだ?」
「お気になさらないでください。例えリアム様がいくら名前をお持ちになろうと、私が惹かれてやまないのはリアム様、貴方様一人だけですから」
面と向かって惹かれるなどと言われると、次に出会った時など恐悚してしまいそうだ。
「去り際ですが一つ私から忠告をさせてください。感興を催したままに流れに逆らい溺れぬよう気をつけたほうがいい。あなたが求めた旅という行動の本質を忘れられませぬよう・・・何せこのシドという男の闇は今晩語らせたいただきました昔話以上に、まだまだ深い──」
「シルクッ!!!」
ゲートの向こう側からさっさと来いとシドが怒鳴りつけている。
「おっと、それでは・・・バイバーイ!」
そして、今宵の煩しすぎる嵐は過ぎ去った。・・・一人の女性の命を奪って。
「ジョセフ・・・さん」
うるさい輩が2人、消えて・・・現実が襲いかかってくる。
「このまましばらく放っておいてくれないか・・・」
ジョセフは膝の上にアニーの遺体を安らかに横たわらせていたが、そこから生えているのはぐったりと落ちた肩、宙ぶらりんの両腕、その顔は覗き込むように、膝上の現実以外には無関心であるように絶望していた。
「ここは魔物が多い森なんでしょう?」
このままあなたを置いていけば・・・あなたまで・・・それにそうなったら、あなたが身を呈して守ったアニーの体にも傷がつくことになる。
「帰りましょう」
せめて本当に最後のお別れだけは丁重に、僕たちは弔わなければ・・・。
「くそぉぁああああああ!!!!」
──しかし、ジョセフは僕の手を取らなかった。彼は僕たちの誘いに応じる代わりに、拳を強く握って黒く煙い薄雲で化粧する月に向かって大声で叫んだ。台風一過には似つかわしくない、晴天の清々しさの欠けた被害の爪痕だけが残る晩の終わらぬ夜。
「・・・ァニィ・・・」
ようやく彼は、今宵、鼻息を荒くして涙を流した。何者にも代えられない大切なひとを失った。今まで我慢に我慢を重ねて保っていた最後の一本が断ち切れたのだ。
「臆病者め・・・」
そして、僕はその咆哮の音の隙間に自分へと向けた情けなさを紛れ込ませる。質問の直前でビビった僕はホント臆病者だ。本当はタトゥーのこと以上に気になっていたことがあった。あの時、なぜ今になってシルクが僕の前に出てきたのかその理由を訊いた後に、次にこう尋ねるつもりだったのだ。──どうして君たちが、スウィニー・トッドのことを知っている・・・と。




