06 Idea vs Sido
「いいぞお前! 強い! 強いなぁ! 一体何者だ!」
投擲したナイフをすべて処理されたことに大仰に驚いてみせながらも、男は嬉しそうにつっかかってきた。
「チェリーピッキング」
怖がってはいいが、怯むな・・・ッ。
「なんだ・・・急に力が湧いてきたぞッ!」
「これは身体強化だ! それに・・・いつも以上に全てがよく見える!」
村人の1人1人に魔力がまとわりつく。また、その目はどれも本来の色以上に鈍く輝いている。
「さっすが・・・」
『この程度のこと、もう今更でしょう・・・』
村人達がゲートを通るときに一人一人解析済み。魔石を介さない魔眼の付与は初めて行ったが、これが見事に成功した。消費する魔力も、せいぜい魔力質組み替えに消費を行ってから供給を直接行っているから鈴魔眼のように抵抗もほとんどなく抑えられている。
『どうしたの?・・・何か気になることでも・・・』
・・・それにしても、褒めたのにイデアの様子が少し冷めている。しかし、それ以上尋ねる時間を敵が与えてくれなかった。
「20人以上に同時にバフをかけておきながら更に魔眼付与だと・・・? なんだソレ・・・おいおいおいおい、チートじゃないかぁ!!!」
ずるいずるいと、一時的にブースト+魔眼の恩恵を受けた村人と、それを与えたリアムを責め立てる。
「どれだけ神に愛されてるんだッ!? 妬ましいなぁ!!!」
「僕が神に愛されてるって・・・?」
「ああそうだ! さっきは全く信仰を感じないと言ったが、寵愛を受けるのは別だからなぁ! それだけの魔法の才能を持っている、それに感じたぞ・・・バフをかけた時にお前の中にっ!!!」
そうして男はビシッとリアムを指差す。
「うおぉおおおお!」
「夫の仇だッ!」
すると、リアムと男の会話に痺れを切らした数名の村人が前線へと躍り出るが──。
「なッ!!?」
「まずい、放った魔法はもう──ッ!」
攻めあぐねた。しかし炎と雷の魔法を怒りのままに放ってしまったことを、村人たちは男の前にたてられた肉の盾にぶつかる刹那にただ後悔するのみ──。
「あァアアアアアッ!!!」
「ジョセフ・・・!」
アニーの遺体を盾に──。あわや遺体に魔法が直撃するかに思われたが、 咄嗟のうちにジョセフが両者の射程間に入り一身に攻撃を受け止めた。
「こ、これ以上、彼女の体を傷つけさせはしない・・・」
ブーストの恩恵を受けているとはいえ、ほとんど生身で前面から魔法を受け止めたジョセフは悲鳴を上げながら背中から震えていた。
「ホントつくづく阿呆だな。もうこの女の魂はここにないのだから、肉体を傷つけようが俺様への攻撃を躊躇うほどの意味はないというのに・・・それともやはり、俺様の神聖さをようやく悟り崇める気になったのかな?・・・んんッ!?」
身を呈して守った漢気にせめてもの慈悲か、それとも村人の攻撃の質を見て単に用済みと判断したのか、男はアニーの遺体を空中に放り投げてこちらへと寄越した。
「アニーッ!」
大人の女性1人分の質量を持つ遺体はそれほど宙に漂っていられるわけでもなく、急な放物線を描きながら地面へと迫っていた。そんな遺体をなんとか地面スレスレのところでキャッチしたジョセフはすぐさまに耳をくっつけて心音を確かめるが、ジョセフの震えが止まらない。
「いいなぁ、面白くなってきたぁ・・・! これだよ、俺が求めていた刺激は・・・こんな辺鄙な村でまさかとんだ拾い物だ・・・俺様がステップアップするのに間違いなくコイツは糧になる・・・!」
ホント・・・どうしてこんなことになってしまったんだろう。
「バースト」
ジョセフの痛みを糧に、魔力へと換えてリアムが威圧を放つ。これなら、例えアニーの体を盾にとられようが、上手くいけば気絶させて無力化できるし、神コンプレックスの男が気を失わずとも怯んだり、力量と戦力の差を見せつけられた男の戦意を喪失させることができるかもしれない。
「ビリッビリキタァアアア!!! なんだお前その魔力量! 尋常じゃねぇ!!!」
「どうして! どうして!!?」
「今のは威圧か。だがまだまだ幼子の威圧だな・・・威厳がない。膨大な魔力にのしかかられようが、魔力量が劣ろうとも質で劣らなければ跳ね返せる」
男は怯むどころかその逆で、なんとリアムの威圧を一身に受けたにもかかわらず、ビンビンに筋肉を踊らせながら嬉々と笑っていた。
「魔力に硬度があるとでも!?」
「その通り・・・知らなかったのかァ? そうかそのデカすぎる魔力、今まで精神力『象』くらいのヘボにしか会ってこなかったんだなぁ・・・だが残念、俺の精神力は『神』並み、いや、敗れた伝説ながらも死して神格化されるに至った彼の竜王に習ってドラゴン並みと言ったところか!」
単純な密度や大きさの話ではない。それは、パチンコ玉を足の裏で踏みつけるようなイメージ。魔力の質自体を僕の思念の乗った魔力に打ち勝てるよう硬く転じた。この男を殺すとまでの念は威圧に乗せなかったが──。
「魔力量は実力を測るために重要な要素であるが、上級者同士の戦いでは、魔力の質、つまり硬度はしばしば精神力に依存する!」
「空間固定ッ!」
再び5本の銀ナイフが男の懐から瞬時に取り出されリアムへと一直線に投げられるが、動揺を見せながらも前にウィルとの決闘の時にやった要領で、なんとか全部空中に縫い止めた──。
「グッ──」
胸が張り裂けそうなほどにビビってる。目の前にいるのは殺人鬼、そして、ここは一度死ねばやり直しの効かない現実の世界。
「この程度の隙でもつけないか・・・いいだろう。久々に本気でやろうか──」
心臓の鼓動が速い、奴のも、僕のも。
「お前は将来何になりたい?」
「僕か・・・? 僕は・・・そうだな・・・いつの日か、自分の生きる理由を知りたい。自分で納得するのではなく、世界になぜ自分が生まれたのか、そんな僕の名のついた歯車のはまる位置、役目、意味を知りたい」
「お前がいなくとも機能するような世界で、お前という歯車が必要なかったとしてもか? その男が抱える肉袋と同じく欠陥品だったらどうする? もし、自分が望むよりちっぽけだったらどうする?」
「悲しいだろう。けれど、これまで人類が紡いできた史上の中では僕の人生なんてやはりちっぽけなもののはずだ・・・それでもその歴史に負けないくらいおっきな歯車になりたいから、人間ってのはよく自分の存在意義を念仏のように唱えて苦しむんだろうよ」
「違いない」
「他人事のように頷いているけれど、あんただって僕と同じ、所詮はちっぽけな歯車に過ぎない。それなのに、他の歯車たちの調子を狂わせるような真似をして調和を乱してる」
「それは違いある。俺はこんな小さな小さな噛み合わせ違いの軋みを正しているんだ。そして調子を合わせるために歯を一部折ったり、役割の位置を変えてみたりする」
「それでも空いた隙間はどう埋め合わせする」
「俺が回すさ」
「一人で何人分もの歯車の代わりをするなんて無理だ・・・大きさをカバーできても噛み合わない」
「いいやできるね! 噛み合わせなどその都度変えて仕舞えばいい! 俺は壮大で偉大なのだ! こんな痛みに負けないくらい、ラフを愛してる!」
「このイキリ野郎・・・」
「このイキリ野郎ッ!」
「人殺しッ」
「偽善者!」
「この・・・悪者が!」
「哀れな子羊ちゃんめ! その女の後を追ってお前も死ぬか? んんーッ!」
「うるさいッ! ただの人間が!!!」
「俺は神見習い! 故に生殺与奪の権利を神より賜りし使徒!!! 他の使徒に陶酔するヨワモノでも自分の道を探せないヤワモノでもない!!! 俺こそが神の使徒であり、やがて神になる男!!!
「自分を救世主とでも言うつもりかッ!!!」
「俺様の神聖さは救世主なんてチャチな器に収まらない!!! 俺様こそがファウストのモノフォニー! シド・クリミナル様だッッッッ!」
髪、月光が白く艶やかな皮を想像させる渋みのあるぶどうから作った酒を垂らしたようなフランボワーズ、瞳、蜜を固めて尖らせたようなアンバーのアニー殺しの殺人鬼はシド・クリミナル。
「ファウスト・・・だって・・・」
この神コンプレックスの異常者、コイツがあのファウストの一員・・・?
「さて、そういうお前は何者だ・・・?」
「憎い・・・」
「何者なんだ? 何者なのかな? まさか最初に俺が思った通りの自分を語れもせず他人の死を嘆くだけの小物でもあるまい。さあ俺様を影の中から引きずり出したお前は何者なのだ! さあ答え給う!!!」
保有するものの中ではごく最近手に入れた称号”勇者”。手に入れて1年が経ち、しかしその短い間にだけでも、父と母に禁忌にも近い自分史上最大の暴露をしたと言うのに、こうして足を旅路につかせたクソみたいな悩みの種。これさえなければ後2年くらいは家族の側にいてもいいと、全ての学制を修了してから世界を見て回ってもいいとなっていただろう。
「僕の名前はナオトだ」
・・・目の前で人殺しをして正義を語る殺人鬼がいる。そんな他人の自慢げな姿を見ただけで、憎しみに全身に力が入るのに、この世界での自分の名前を僕は口にできない。その、あと一歩を踏み出せない冷静さが、全身に力を入れて歯を軋ませた。
「うぉっふー! やっぱりその魔力量! 普通じゃあないねぇ! いいねぇ、異常だ! 変わってる! 非常に稀に見るとてつもないオーラ!」
「abnomal , unusual, extraordinary ・・・に、憎たらしい・・・この苦しみも知らないくせに」
「愛おしい!!! ああ、次々と予想だにしないことが起こるこの世界こそ俺が支配するに相応しい!!!」
「宿命が急かす苦しみを知らないくせにッ!」
「欲しいっ! ただそれだけの欲求!!! 行動の全てはそこから始まる!!!」
「僕だってそう思う! だけれどこの世界には神がいるッ! アイツらは僕のアイデンティティを揺るがす存在だ!」
「欲求に従っている時の俺こそ、この生世で勝るもののない孤高の階名!」
こいつはまだ、先ほどとは打って変わって憎しみのこもった嫌卑しい魔力の威圧を受けながら懲りもせずに僕の言葉に掛けるような真似をしてる。話が絶妙に噛み合わない。
「一条直人だァアア!!!」
「シド・クリミナル様ダァアア!!!」
リアムの魔力圧が中間まで押し返されて、両者の気合いにも似た魔力が衝突し合う。ファーストコンタクトから焦らしに焦らされて膨らみ続けたシドの魔力はリアムの魔力を退けるが、反撃に転じるには決め手にかける程に拮抗する。
「なんて魔力のぶつかり合いだ──! リアムさんの魔力の大きさもそうだが、その圧に耐えているアイツは何なんだ!?」
「どっちにしても、彼がかけてくれている強化魔法がなければ、俺たちみんな・・・気を失ってる」
目の前で起こっている、辺境の村に住んでいれば一生に一度もないような怪物同士の戦いを前に、村人たちは腰を抜かさないよう足を震わせながら、畏怖する。
「宿命は僕が壊すッ!」
「定めは俺が作るッ!」
2度目の人生から課せられた運命に苦しむモノと、この世の定めそのものに影響力を持とうとするモノの意地が張り合う──。
「すでにここまで相当な魔力を消費してきただろうに、それでも俺様と互角に魔力で渡り合うのかッ!」
「それはこっちのセリフだ・・・量だけならこの国の王族にだって負けないってのに・・・ッ!」
意地を乗せた単純な魔力による衝突で、決着はつきそうになかった。それでいて両者ともにお互いの情報を全く持たない初見での戦闘である。
「烏丸閻魔──」
ならば、往々にして、実力の要素が薄れ運に勝敗が転がりがちなギャンブル性の高い接戦であるから、出鼻からできるだけ手数を増やして押し切ってしまうのが得策であろうと2人の頭は同じ考えに至った。
「・・・ッ!」
リアムが烏丸閻魔を出現させた、一方、シドは右腕の長袖を乱雑に破り取った。そうして顕になったしなやかな右腕には、等間隔で並ぶブレスレットのような痣があった。
「ギグリ・ソー」
痣の一つにつまむように左指を引っ付けて離すと、ビッ──と、糸のような何かが引き伸ばされた。肉眼でもしっかりと捉えられるような丈夫な太さで、更に魔眼を通してよく観察してみると、表面のあれは鱗か刃か、そうか線鋸か、引き伸ばされた鋸の刃がついた相当な長さの一本の魔道具がシド・クリミナルの腕から手中に現れた。
「なんだ・・・」
「いかんッ! 皆下がれッ! ジョセフッ、お前もだッ!」
「・・・わ、わかった!」
村長が、物珍しそうにシドとリアムの戦いを傍観し野次馬になってしまっていた村人、そして、アニーの遺骸を抱えるジョセフにも戦線から下がるように警告を出す。恐らく彼もいち早く感じ取ったのだろう。奴の主武器は銀のナイフだと、この時までは思っていた。だが、奴は短物でなければ、腕から糸のような何かを取り出した。そして、その糸からは、禍々しい魔力が感じ取られる。十中八九、あれは魔道具だろう。
「テメェの喉を引き切ってヤルゼェェエエエ!!!」
「首チョンパなんてゴメンだ!」
「先ずは皮膚を削って、償いの血を流させる! そして絞め上げて息の根を止めてやる! だから安心しなァ! 頸椎切断は死んだ後にしてやるよッ!」
今更ながらにヘイトを買い過ぎた。あんなに後ろで支えるだけだって言ったのに、一番危険な接近戦に持ち込まれそうになっている。僕はこんなにも目立ちたがりの人間だったのか──。
「・・・誰だお前」
──が、間も無くして僕は見覚えのある場所に引き摺り込まれる。そして、今夜、僕がシドと刃を交えることはなくなる。
「・・・答えなさいッ、なぜあなたがそのノコギリを持っているのです」
「はぁ・・・?」
「答えなさい!!! どうしてあなたからソーマの、あの子の匂いが漂ってくるのです!!!」
──怒り。これまで一度として、怒りや恨みといった感情を表に出すことがなく、滅多に過去の話をすることもなければ、許可なく表に出てくることもなかったイデアが僕の体を乗っ取って、アニー殺しの殺人鬼に咆えた。
「それに、この人をそれ以上侮辱するような真似は許しません」
リアムの雰囲気が、髪の色が真っ白に染まり変わり、瞳の色が青から緑へと成り代わる。
「それよりも何故あなたから・・・ファウストからソーマの香りがするのか!!!」
「ソーマ?」
「答えなさいファウスト! シド・クリミナル!!!」
「いきなりなんだ? 雰囲気がガラリ180度変わったぞ? んんー、さてはお前もしや、怒らせたら自分をコントロールできないヤバイ系?」
イデア、いったいどうしたの?──すいませんマスター。いきなり交代するような真似をして・・・しかし我慢できなかった。彼が振りまく香りの中に・・・私の昔の・・・大切な精霊の残り香のような匂いを感じてしまった。
「答えなさいシド。あなたの中からじわじわ匂ってくる・・・」
完全に入れ替わったイデアの絹のように白い影が瞬きの間にその距離を詰めていた。背中を大木に打ちつけ、そして、肌の美しさとは裏腹に強く食い込む爪と指先からシドの首皮により大きなシワをよらせる。
「おいっ・・・な。なんなんだよいきなりッ・・・! 誰だよソーマって、しらねぇよ・・・!」
「私の手はいつでもあなたの命を奪える・・・そのことを念頭に置いて嘘をつきなさい」
「だからしらねぇ! なんなんだよソーマって! 誰だよ! おーい、ソーマ? いるなら出てきてクレェ・・・ま、マジで死ぬ・・・ほら、呼んでもこない・・・ハハッ! 死ぬ! だけど俺は死なない! 死んでも神の手によって蘇──」
「そうですか」
「ャアアアアッッッ! 俺の神眼がッ!」
「それでもまだ、同じ戯言を吐けますか?」
「テメェ! 俺の大切な大切なご身体をよくも汚しやがったな! 俺の体を汚していいのはマミーだけだ!!!」
「マミー?」
「そうさ・・・マミーは俺たちを育ててくれた! 強くしてくれた! 愛をくれた! 力をくれた! そして、このタトゥーも刻んでくれた!」
そういって、本気では絞められていないものの、潰された右目を押さえるためと喉の不快感を拭うチョークサインのため必死にイデアの手を解こうとしていた手が首まで覆う白い布にかけられて、隠れていた首の皮膚の一部と胸部までが顕にされると、そこには黒いインクで文字が刻まれていた。この世界の文字で大胸筋鎖骨部から胸骨部に跨がるように、右側はポリフォニー<Polyphony>、左側はモノフォニー<Monophony>、それを繋ぐように中央にはヘテロフォニー<Heterophony>と。
「肺と肺を、そして心臓ですか・・・そのタトゥー。ただのタトゥーじゃありませんね」
「ピンボーン・・・正解。これは刻まれれば様式に応じて特別な力を俺たちに与えてくれる・・・マミーお手製のグフッ!」
「マミー・・・なるほど。ならそのマミーとやらに尋ねた方が良さそうですね」
マミー=母。ファウストの幹部かもしくは中核そのものか、とにかくそれらしい人物の影が出てきたところで、より強くイデアの指がシドの首へと食い込む。
「それはッ無理な相談だ・・・それに・・・この俺に牙を剥き、あまつっっさえ目をくり抜いた・・・テメェは死刑だ・・・」
「・・・ッ!」
「審判中の俺は、絶対に強い・・・ッ」
シドの雰囲気が急に変わった。胸板を見せつけるように服にかけられていた右腕がいつの間にか外れて、クッと手招きしてこちらへと何かを手繰り寄せた。それを感じ取ったイデアはすかさず手を放して距離を取る。
『俺を助けろギグリ・ソーッ!』
首を絞められてからは手から離れて落ちていた線鋸だったが、シドの思念でギグリ・ソーが蛇のように蜿ってイデアの左方から襲い掛かる。
「よく離れたなぁ。後0コンマ何秒でも遅れてたら頭と胴体真っ二つだった」
「・・・何故、あなたがその道具を持っているのです」
「これは神からの授かりもの・・・言っただろ? 俺は神見習い」
「馬鹿な・・・それは命の精霊王が尤も近しい側近3人に与えた道具の内の一つ。ソーマの術具の一つ、切断と分離と切開のための糸」
「いずれは使徒として経験を積んだのち、俺自身が神になる」
・・・聞いちゃいない。
「次第に強く高鳴る・・・さあお前はどこから切断してやろうか! 安心しろ! 最後には絶対に首を切ってやるから、声も出せないくらいに喉を潰しながら、削るように肉を、骨を切り離してやる!!! ──死ねるぞッ! 俺様の手で!!!」
「悪魔狂いのトチ狂った雑魚が使い手ともなると神聖な術具もおもちゃとさして変らない」
「じゃあ試してみよう!!!」
ギグリ・ソーは会話の途中も線を畝らせながら表面をシドの呼吸とともに靡かせている。カジキのひれのような細かい刺と歯を生き物のように開いたり閉じたりしていた。それがシドが腕を上から下に一振りすると、攻撃の呼吸に合わせるように、鞭のようにしなってワイヤー自身が一つの生物であり、思考しているかのように、イデアを目指して向かってくる。
「惜しい・・・」
「惜しいッ!」
イデアは息ひとつ乱さずにこの攻撃を簡単に体重を左足に移動させながら半歩右足の爪先を左足のかかとに合わせるだけで避ける。
「やっぱりいいなぁこのノコギリはっ!」
「まさにギリギリ」
「そこがいい! 久しぶりだ! 俺にこいつを使わせたのもそうだが、コイツの二発目まで避けた奴も本当に久しぶりだ!」
このワイヤーは、ノコギリは伸縮する。イデアが避けた瞬間に彼女が見ていた景色を意識の裏で見ていたが、このノコギリの芯の周りに刺のワイパーがギッシリと並んでいて、その間には膜のような帆を備えている鱗のようだった。刺を寝かせれば剣にも、帆の膜は魔力の込め方によって柔軟性を変えるようで、立てればノコギリ、また、櫛のように対象に刺を食い込ませることもできそうだ。
それに、手から離れても遠隔操作はあったのだろうが、さっきのように独立して動ける機能性も備えている。あの刺の開閉を持ってして、シャクトリ虫のように地面を伝うことも、芯を筋肉のように使って蛇のように這ったり直立することもできるのだろう。
『あのー・・・シャレってる場合ですか?』
『まぁ見ててください。完全無欠、一切の擦り傷を負うことなく』
僕はますますこの一戦に不安を抱いた。しかしイデアは余裕そうに振る舞って、強がってる。本当は回避のために足を半歩動かし背中を退け反らせるくらいの余裕しかなかった、それが真実なのに。あの魔道具のことを知っているようだったが・・・──おっと。
「ギリギリの間合いにいて考え事とはまだ随分と余裕そうだ!」
「・・・当然、前後だけでなく左右にも操作できますよね」
「当然ッ!」
コソコソ後ろで話し込んでいたせいで、危険を察知して後ろに飛んだ拍子に前に飛び出した麗しい白肌の左腕に赤い一線が入っていた。
『これは擦り傷ではなく切り傷です。なのでセーフです』
・・・やっぱり代わったほうがいいのでは。。一度、テレポートを見せたからか、シドはギグリ・ソーのほとんどを自分を守るようにまとわりつかせながら、号令を送り、残りの先端を使ってチクチクと攻撃してきている。それでも、先端しか使っていないというのに射程の見極めがままならない。あれはもっと伸びる。魔法戦ならまだしも、攻撃を躱しながら相手に近づかなければならない接近戦を強いられる。アナムネーシスによってマージした状態ならまだしも、無理やり僕の肉体にトランスしている状態で、イデアは本来の肉体の持ち主である僕ほど体のスペックを発揮することはできない。
「しかしこれも避けられるか・・・俺様も、もっと真面目にいくぞ」
「いいでしょう。こちらもホンの少しだけ真面目に対処して差し上げます」
自分の肉体が命の危険にさらされているからこそ自分で対応したいと言い出そうとしたのだが、相手が相手で、状況が状況で、イデアは肝心なところでリアムに取り付く島を与えてくれない。
「ンナッ!?」
──が。
『・・・ッ!?』
僕はイデアが次にとった行動を見て、息を飲んだ。予想以上に彼女は冷静で、そして、言葉通り余裕だった・・・そう心配することもなかったかもしれない。
「なぜ・・・何をした・・・俺様のおもちゃが・・・俺様のギグリソーをどこへやったッ!!?」
ほぼなんの前触れもなく、まとわりつくようにシドの周りを防衛していたギグリ・ソーが消えた。ただ、ギグリ・ソーがその恐ろしい歯を引っ込めるまでのほんの刹那に、イデアがひと睨みして、人指し指を立ててクイっと動かしただけで、本当にそれ以外のアクションは両者ともに戦場には見られなかった。
「返してもらったんですよ。私としたことが美学のない手段をとり、両者、対面の歴とした殺し合いの場において礼儀を欠いてしまい恐縮ではありますが、事態が事態ですのでね・・・これ以上の余計な戦闘は省かせていただきます・・・といっても、初めから私があなたたちの世界の規格に合わせること事態そもそも──」
「俺の、マミーに貰った術具がッ・・・俺のおもちゃだゾッ!!!」
雄弁に語るイデアとは対照的に、おもちゃを取り上げられてしまったシドは大いに取り乱していた。
「返せよッ!!!」
「無理な話です」
イデアがシドの首根を掴んだ。今度はこちらを見れぬよう、後ろから掴んで地面へ伏せ押さえつける。
「・・・またッ!?」
「やはり人間ですね・・・弱い」
「ふ、ふざけるんあッ! 俺がァッ!? 弱グッ!」
ここから、イデアの拷問が始まる。
「吐きなさい。あなたのマミーとやらの居場所を」
イデアは僕ほどこの体を巧くは使えないが、それ以上に、彼女は他と一線を画す魔法のスペシャリストである。右足で右腕を、左手で左腕を、自分自身に闇魔法をかけてその重量を増し、そして、イデアの左膝がシドの背中に強く食い込む。
「誰バハッ! 吐くッ! オエッ!」
「そんなに簡単に内容物を吐けると思ったので?」
「ふざけるババ! 吐けていったり゛! 吐かせな゛い゛ッデ!」
「選択を強要しているだけです。自分のゲロで窒息する前に吐くか、それともそのまま墓場まで秘密を持って行くか、余地を与えているだけで情けはかけています」
アニーの宿屋で食したのであろう晩餐が反った背中からの強い押さえこみで胃から食道を逆流しようとしていたが、口からの空気の出入り以外が許されていないように、吐瀉物はシドの喉までしか上ってこれなかった。
「頭が・・・ヤヴェ・・・またシぬ゛ッ!!!」
「幽門部の収縮と噴門部の弛緩による逆蠕動、嘔吐、からの動揺病です。三半規管に揺さぶりをかけています・・・が、まだ余裕そうですね・・・もっと切羽詰らせましょう! そうだ、脳も揺さぶって差し上げましょうか? しかし、それで気絶してしまっては今のあなたの状態だと確実に死んでしまいますね」
「ギィィッィィッィッッッッ!!!」
平衡感覚が狂ってしまい、あまりの気持ち悪さにやっとの思いで食道と胃に引かせていた食塊を再びぶちまけそうになるが、それもさせない。そしてそんな状態で気を失ってしまえば、必死に生命を維持しようと怒涛に戦っている筋肉はたちまち緩み切ってしまうだろうから、あとはゆっくりと気道が塞がり、窒息していくのを待つばかり。
「ギグリ・ソー、ギグリ・・・ソーッ!!! だすけて・・・ッ!!!」
ようやく、シドが本気の弱音を吐き始めた。抵抗する間も無く武器を取り上げられ、ねじ伏せられて、生存欲で自己を刺激されながら屈服されていく感覚に、神になるなどと妄言を吐いて狂気じみていた流石の彼でも、もう・・・。
「あの魔道具はこちらの亜空間へ収納させていただきました。なんの手違いか、偶然か、絶対にありえない幸運を持ってしてあなたの手に入ったあの魔道具がもう2度とあなたの手に入ることはありません」
もう・・・流石の彼でも、そろそろ、もう一押しで──落ちる、国家に目をつけられてその全貌もまだほとんど掴めていない謎の宗教犯罪集団ファウストといえども、所詮は神に傾倒する妄信者であって、何度も何度も、経験に基づかない知識、荒唐無稽の対象を信じ仰ってきたようなこの男に、死に真正面から立ち向かってさえも抗えるほどの信念はないだろうと──。
「もう゛・・・2度と?」
あと一本、支柱を折ればこの男は落ちる、イデアと、そして、リアムも、そう確信した。
「そうです・・・もう2度と・・・」
──しかし、その考えは・・・甘かった。
「俺の・・・俺のおもちゃダゾッ! マミーにもらったおもちゃ!」
「往生際が悪いッ! あれはあなたのような殺人鬼が持っていい道具ではありませんっ! いい加減になさいッ!」
それより私の質問に答えろと叱りつけて、屈服させるまであと一押しのところまでイデアが迫ろうとしていた・・・その時だった。
「イアダァアアアアア!!! ギグリ・ソォォォォオ!!!!」
後ろから押さえつけられ、吐瀉物で窒息しそうになりながら、動揺病のように感覚を揺らせれているにもかかわらず、音を破裂させてはっきりと発音した。
──パキッ。
「・・・?」
何かが叩き割られるような音が鳴ったと同時に、イデアの視界の一部が割れた。
「ァッ!」
ヒビの入る音割れから、シドへ背中から羽化するように仰け反り出した時間の中で回避を試みるが、それはあまりにも咄嗟のことだ。
「こ、これも、肉の設計を司っていたソーマの術具の一つだからでしょうか・・・空間を突き抜けて・・・ここまで適合性を見せるなんて・・・!」
眼前からの攻撃は脳天を貫きはしなかったものの、瞬間移動で奇襲を回避したイデアの顔は額から目蓋を通るように左頬にまで伸びてバッサリと削り斬られた。
「申し訳ありません、・・・なにぶん、ニンゲンの・・・拷問など手慣れていないもので・・・」
殺すだけなら、容易いものを──。切り口はすっぱりと、その谷は凸凹に、治療に空いた右手を胸に当てて息を深く吸い込みながら、顔傷を覆うように左手を当てて癒す彼女の指の間から覗く忌々しそうな睨みつける視線からはそう聞こえてくるようだった。
「し、死にたくない・・・」
イデアの齎す命の危機から逃れたシドは卵の殻のように自身を守るギグリ・ソーの中で脱力し、鼻から血を垂らして呆然としていた。
「死にたくない・・・殺す・・・思い出した・・・アイツは俺に思い出させやがったッ!!! 無力さと惨めさをッ!」
ペタンとへたり込んでいたシドの大腿に力が入る。両手を物乞いのように空へと翻すと、僕たちには見えない何かを遠くて近い夜の木影の空中に見ているようだった。
『様子が変だっ! 大きな傷だって負ってもう猶予ならないッ! 代わるんだイデアッ!」
『お願いします。もう少しだけ私に任せてください。もう絶対に一線もこの肉体は傷つけませんから』
『一体シドの何が君をそこまで駆り立てるんだッ!?』
一方で、許しなく勝手に肉体の主導権を交代したイデアと持ち主であるリアムは後一歩で命を落としかねなかった状況を引き金に切迫して意識の狭間に言い合っていた。
「イヤだ俺は認知しないッ!!!」
命の見せ合いと奪う事に関してはいつでも俺が優位だった。それをあろうことか、奪う側に噛みつき、一転してこちらの命を奪うことのできる支配者となり得る存在が敵意を持って登場した。
「こうなったら・・・」
不惜身命として事に当たりたいが、身命の所有権を有するリアムに責め立てられて後がない。
「こうなったらァッ!」
我が道は神へと繋がる、その俺に試練が降りかかった。ここを乗り越えなければ俺に未来はない。支配者を潰せなければ、神にはなれない。
『止めろイデアッ!』
僕は必死になってイデアに今すぐ代わるよう言うが聞かないし、かといって、ならば強制的に代わってしまえばいいのに、躊躇ってしまいそれができないほどに彼女の心は沸騰していた。バチバチと火花を散らせて睨み合う両者の拳にギュッと力がこもる・・・そんな時だった。
「ハァーイッ! 二人ともそこまでッ♪」
あの声が、戦場に渦巻く感情全てを拐っていた。




