05 In front of fear -恐怖の前で-
・・・ピッ・・・ピッ・・・ピッ。今日も変わらずいつものように無声音が廊下にまで鳴り響いている。
まったく、ピーンやらポーンやらあっちこっちを行く看護師の動きだとか、案外、目覚めてからこんなに直ぐに朝だと実感させられる場所はここが世の中で一番かもしれない。
『あっ・・・』
そんな廊下を気怠げに歩くのも慣れたこれまたいつものこと、ナースステーションすぐ隣の開放された一室から静かな風が僕に吹き込んできた。
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「決断を」
「と、いわれても・・・」
「探知したアニーの魔力がか細い・・・決断するなら早いほうがいいですよ」
「村長ッ!!!」
アニーを見つけてから1分あまりの間に、択は決した。
「よし・・・助けに行こう!」
決まりだ。
「準備はいいですか?」
「我々はいつでも・・・いくぞッ! アンクトンッ!!!」
「おぉ!!!」
村長の選択から一転、宿屋の前に集まった村人たちの顔は怒りと覚悟に満ちている。
『彼が手伝ってくれるのなら・・・』
『自分たちの村のことだよ・・・』
『殺された仲間のために・・・』
『俺たちが投げ出したらならねぇ』
その覚悟が、潜められた眉や眉間のしわ、歯軋りに紛れて聞こえてくるようだ。
「ゲート・アナライズ」
僕は空間と目的地のすぐ近くに道を作り救出のための手助けをする。
「あなたはあまり驚かれないんですね」
「先日、王都の学院へと向かう学生団が村を訪れました。その中にはこの領地を治めるブラームス様の御息女、ミリア様がおられました。学生団を迎えた晩餐の席で、ミリア様の隣の席でおもてなしをさせていただいた際に、あの若さで溢れる才気とお力に感銘を受けました折、あの方はさぞ嬉しそうにおっしゃられておりました。故郷の都には、自分よりもっと頭が良くて誰よりも、王の系譜であらせられるお父上よりも強い力を持つお方がいらっしゃると・・・それも12歳になられたミリア様と同世代の」
空中に開いたゲートを通って、村人が次々と潜り抜けていく。その傍でゲートを維持するリアムの隣に、子供達と残ることになった数人の村人たちに留守の間のことを任せ終えた村長が立つ。
「その男の子の名・・・たしか・・・」
「・・・分かってしまうことも時に恐ろしいじゃないですか。噂は噂のままに、夢が現実になることも意外とよくある・・・現実を見ましょう」
「安易に結び付けるものではありませんでしたか・・・申し訳ない・・・この老婆心もつけぬほど干からびた年寄りの願いではありますが、どうか、我が息子の仇を討たせていただきたく・・・お先に参ります」
そうして、殺人鬼を追う村人の最後に連なりながら、村長もゲートを潜った。
「このゲートをくぐったら・・・」
しかしどうしたことか、リアムの足が前に出ない。
「行くしかない」
手伝ってもいいですよ。
勢いに任せて偉そうに放った言葉。
戦いも始まっていないのに自分の言葉をもう後悔してる。
人が死ぬかもしれないというこみ上げる感情と、自分が死ぬかもしれないという現実を上手く棲み分けられていないのはどこのどいつだ・・・その後悔が、ゆっくりと背中を後押しし、足底を地面から離れさせた。
「神様ッ・・・どうかアンクトン村をお守りください」
村に残った民の願いを一矢受けて、狙いを窄めるようにゲートが閉じる。
「・・・静かだ」
人影を探知した場所から70mほど離れた場所に開かれたゲートを潜って現地に出る。森は風に揺れる草木の音だけを鳴らす静かなもので、静寂に包まれているのだがあまり肌は冷えない。そのぬるさが肌にネットリ絡みつくようで、手に汗を掻かせる。
「アニーッ! アニー・・・ッ!!!」
誰よりも早くゲートを潜ったジョセフは、アニーの名前を口ずさみながら、危険な魔物が蔓延る夜の血の森の中を走っていた。
「赤鼻のピエロに殺される〜♪ そして道化に堕ちた彼の穢れちまった哀しみに〜、今日も白雨が降りかかる♪ そんな彼を俺はピエロからもぎ取った赤い鼻をすりつぶし〜、赤い雨を散らせて助けたのさ〜♪」
すると、行く暗闇の先から不穏な鼻歌まじりの風が荒れ起こる。
「だけれど村にはもう一人、道化に堕ちた人間がいたのさ〜♪ そいつは小娘住まいは宿所、狭い村、生きるために身を窶す〜♪」
「アニー?」
「しかし彼も彼女も救われた♪ ヨッドを取り除けるのは神の力だけ!」
「アニー、だ、大丈夫かい?」
「道は続くのさ〜、どこまでも、いつまでも。彼や彼女が歩いてきた道は別の道に繋がり、果てしなくこの世界に広がり続けている! だから俺は石灰を撒き散らし、赤い雨を降らせて地、固める! 偽りで満ちた世界を上塗るために!」
情緒的な歌詞に感じて、理性的な思考が合いの手のように目と口の間を駆け巡る。
「アニー・・・アニー! 返事をしてくれ!」
女は一生の謳歌を完遂させたのか、それとも、無念の内に納得のいく人生を送れずに果てたのか。
「そんな・・・」
ジョセフが失意の内に肩を震わせた頃、後に続いた村人達とリアムが追いついた。
「ハハハハハッ!!!!!」
空を仰いで高らかに笑う男とこの世から一縷の光さえも失った男の光景──そして──喧しさの隣で静かに横たわる現実の塊がより理性に拍車をかけて、肯定、否定、叫び、生きる死ぬのあり方がそんな陳腐なはずはないと目まぐるしい自家撞着をおこしながら、体腔の中で内臓がじっくりと神経と捻り混ざり、ショートした感情のせいで血の気の引いた心臓の鼓動だけが取り残され空虚となった。そんな命を刻むリズムが数秒、数分、数十分、数時間という彼女の一生からすればあまりにも短い時間を脳に遡らせ──再生する。
「アニーは舞台役者になりたかったんだって。だけどご両親が亡くなられてから、あの宿屋を一人で切り盛りしている。今みたいに繁盛期には彼女の手伝いに行くようになって・・・」
彼女はどんな人 ──ひとりで宿屋を切り盛りし、役者になりたかった夢を見られる人。
誰と関わりを持ち ──村の人や旅で宿を訪れる人。
そこでどんな営みをしてきた ──村を訪れる人のために、そして、村を発展させるために従事した。
「大変なんですね・・・」
「お給金も出るし、悪くはないんだよ? 藪さかではないけどね、やっぱり大変だよね」
昨晩のことだ。どこか他人事のように聞こえた僕のソレを、ジョセフは穏やかに掬い取ってゆっくりと元の心の鉢へと返す。
「笑顔でお客を迎え見送る看板娘と、沈着に経営に取り組むオーナーとを掛け持ちする彼女の多様性に惹かれた。世界を旅する僕と違って、この狭い村の中であれだけ一生懸命に働きながら、どうしたらあんなに素晴らしい笑顔を作ることができるんだろうと、そのバックホーンが知りたくなって、しばらく村の人と交友を持つうちに気づけばこうして居着いていた」
そう語るジョセフは本当に穏やかで、悲しそうで同情もあるが、小さく幸せそうで・・・。
「朝には朝食を用意してテーブルについたお客さんに水を注ぎ、お客さんが出た部屋を片付けて洗濯する。洗濯した宿の要物を干し終わるとその後は受付の準備だ。また、受付の準備中に晩と次の朝のご飯の材料が届くからそれを受け取ると下拵えだけを済ませてその日の宿泊客たちの受付を再開する。毎日がそれの繰り返しさ」
いずれは飽きてしまいそうなものだ。
「アニー、偶には休んだらというと接客が楽しいんだという。だけれど僕は知っているんだ。時折、誰にも見えないところで彼女が遠くを見つめてため息をついていることを。お客さんの顔ぶれは変わるけれど、どこか退屈なのは変わらない。必死なのに、毎日必死に働いているのに、それなのに、みんな自分が向けているほどの心配を自分には向けてくれてない。だけれど自分から助けを求めるのは違う、そう思ってしまう年頃だ」
「ジョセフさんは村の人の絆の強さに惹かれてこの村に居着いたのでは?」
「話はじめに折をつけるとそうなる。だけどね、アニーはこの村の若者に比べると、どちらかといえば僕らに似てるんだ。ここはノーフォークとマンチェスターという大都市を結ぶ中継地の一つ、そして、急速に発展する社会の中でも活躍しようという野望を抱えるこれからの商人や既に大きな成功を収めている商人がよく立ち寄り彼らの多くはアニーの宿屋で一泊する」
あの宿屋には刺激のある夢に触れる機会がたくさんある。
「例えば晩餐の席で都会に憧れる田舎の少女という体で話をふれば喜んで自分の武勇伝を話す人は一定数いるし、それを聞いている彼女は仕事だと思いながらもどこか無視できなくて、無意識のうちに現状の自分と比べている。・・・彼女はこの村の中では特異だ。しかし彼女の場合血のつながりのある家族はなく、村の絆が強いからこそ余計にたったこれだけのことで仲間の手を煩わせてはいけないと頑固になる。もったいない・・・だから・・・リアムに話した僕の建前で、僕はなるべく彼女の側にいてあげないといけない・・・僕は彼女のなかに何かを見出した。その見出した何かの正体を確かめたい」
寂しさを寂しいと表現できない難しい年頃ってのがある。強気に、見えない何かに負けないよう必死に踠いている。見えているはずのものが、盲目になる。
「村を訪れる旅人のために、そして何より村のために! みんなのために掃除をしてッ、洗濯をし、薪を割り、買い出しに出て、帳簿をつけてッ──」
「勤勉だったのだな。それもまた、世間を騙すための偽りの外陰、お前たちはこの女の内面を知らなかったのだ。危なかったなぁ・・・この女は君たちを自分と同じ罪の階層まで堕とそうしていた。猛毒が塗られた歯牙にかかるところを俺が助け出したのだ! さぁ、感謝しろ!!!」
大手を振って、男は感謝を受け取ろうと待っている。 感謝しろ・・・?
「アニーが! アニーが一体何の罪を犯したって言うんだよ!!!」
「おや・・・?」
「答えろ! アニーがどんな罪を犯した! お前のような人殺しに触れられなければならない──」
「弱すぎる罪ッ!!!」
男はジョセフの糾弾を遮って、アニーの1つ目の罪状を述べる。
「弱すぎる・・・弱すぎるって」
「そりゃあな。俺に捕まって、抵抗するもひ弱、聖水で溺れながらも6回甦ったのは久しく驚異的だったが、やはり審判に耐えられるほどに清廉潔白な人生ではなく、精神が肉体の苦しみに負けた」
潔白であればどんなに辛い尋問でも耐えることができるはずだとソイツは言った。
「共生といえば聞こえはいいが・・・お前らは互いに無関心だっただけだろう。特にこの女が働く宿所は村にとっては特異な場所だった。外からの要素が濃密に圧縮されている場所であって、いざ外の多文化を受け入れるいい村だと言われればいい顔してそうなんですと頷きはするが、裏では腫れ物のように扱ってきたのではないのかな?」
受動的に、あるがままに、メスを入れることなく。
「・・・君が報われる様を見たかった。それがまさかこんな結末だなんて・・・」
・・・アニー、大丈夫。もう大丈夫だよって・・・言いたかった。
「如何に表の顔がよく出来ていようと、中身が腐ってりゃあ腐臭を撒き散らす。それでいうと、この女も・・・節操がないこと、この上ない」
ジョセフの腕が震えている。
「アニー・・・大丈夫・・・」
全身から引いた血の気がたちまち立ち込めてくる。せめて、あと一回。あと一回、最後に”もう大丈夫だよ”って・・・言ってあげたかった。
「俺が代わりに人工呼吸でもしてやろうか? ・・・この女は誰とでも唇を重ねる」
再びジョセフの呼びかけの無視をする。男が傍の亡骸へと顔を近づけて、口とそこからチロチロと溢れた液体を拭う。
「口付けを交わす。この俺とだってな」
そして、血塗れの指でなぞった男の唇に鮮やかな紅色が塗りたくられる。
「クソぉおおおお!!!!!!!!」
ジョセフが膝を折る。地面を強く拳で叩き、そして、屈した。
「お前の好いてる女は死んだ! しかし案ずるな! この俺が審判を下したのだ! 来世ではもれなく正しき洗礼を受けてその罪を洗いながし、正常な世界の一部へと還るであろう!!!」
うずくまるジョセフの怒りなど琴線に触れる程度のものであるかのように、アニー殺しの男は胸を奮わせながら、信じぬものからすればイカレた能書きのような理論を提唱する。
「グッ・・・!」
「イかれてる・・・無理だ、こんなヤツ相手にするなんてぇ・・・ッ」
ジョセフの糾弾に顔色を青に染めるどころか、好調に口を滑らかに動かす犯人を見て村人達は歯を強く噛みしめながら怯えている。
「最早人間ならば耐えられない程の尋常ならざる拷問を、審判と呼ぶのか・・・」
そんな・・・アニーの価値を貶めて、尚且つ、都合よく盲信ばかり垂れて自らが達した行為の価値と代償に目を向けない男に腹わたを煮えくり返らせながら声から感情を殺し、アンバランスな場面に一石を投じる。
「はてさて、他の奴らはわかるがお前は・・・なんだ? どうして子供が混じっている?」
「いいから答えろよ」
「クフハハ! 弱者が強者に喰われるのは自然の摂理! 俺は神が作った摂理の一つに従って、実行したに他ならない!」
「そ、そんなの違う! お前がやったのはお遊びで殺すなんてものよりももっと・・・もっと・・・お前は死を楽観的に捉えすぎてる!」
「バカな、俺ほど死と再生の輪廻を重じているヤツはいない。お前・・・いや、お前らこそ、神が作り給うた真理をなんと心得る! 嘆かわしや!」
口論の序盤、平時の日常では滅多に遭遇しない場に慣れていないリアムが劣勢である。
「神が・・・すべてを創ったと?」
「その通りだ」
「それじゃあ神は全知全能?」
「その存在こそは、生物が至ることの出来るありとあらゆる限界のはるか先にあるだろう」
「・・・ふーん」
「なんだ? その反応は・・・?」
「自分が営んだ人生はあらゆる世界史の中で僕という存在を解ける鍵の道だと思うんだけど? あんたのいう神が本当にいたとして、僕の意志と人生の轍に影響を与えることができたのはほんの・・・うん、これくらい?」
「その齢で傲慢なヤツめ・・・さてはその身なりは年相応でなかったりするのか?」
親指と人指し指でワッカを作って僅かに隙間を開け、完成しきらないリングを男に見せびらかす。すると、勘に触ったのか、それとも言い返す上手い言葉が見つからないのか、男が口を尖らせながら苦言を呈する。しかしこの男、この数回の言葉のキャッチボールだけで僕の中身を見破るとは・・・鋭い。
「なんてな・・・この俺様の行いの尊さがわからないのだからお前はやはりガキだ。生殺与奪はこの世界に生きとし生けるモノが持つ。サイクルの要素のひとつに権利もへったくれもないが、俺はそれを行使したに過ぎないわけだよ。無論、お前にも、お前にも、お前にもお前にもお前らにも同じようにその気になればいつでも生殺与奪はできるのだから、俺が世間様から憎まれる謂れはあろうが責められる謂れはない。しかも人助けのためにときたもんだ、そして石をぶつけられようが世界のために使命を全うする俺ってホント聖人だよな」
「生殺与奪の自然性を反証することなんて不可能だと?・・・それはここにいるすべての人に対する侮辱だ」
リアムがここにいる村人達を例に男に反論していく。すると、村人達の武器を持つ手にグッと力が入った。
「人が人を殺してはならないなんてモラルが支配する世界だからこそ優しさとは常に成立しない不万能の意見に過ぎないことをお前達は知っているはず! 俺にお前らのモラルは通らない、ましてや意見なら尚更に!」
「倫理は確かにオールマイティーじゃない。形式知に近く、限りなく深い層にある人の中心に添えるに普遍的でもなければ、集団的と言うには多数側に都合的でお粗末すぎる」
舌戦は中盤、事は神の存在から倫理のあり方と必要性へと飛ぶ──そして、終盤へ。
「おぉぉ! チビなのによくわかってるじゃないか! いいなぁ! お前俺の洗礼を受けろ! な、な!?」
「洗礼・・・?」
「俺はいずれ神になる男だ! そんな俺に洗礼を施してもらえるなんて幸せだぞ!」
「生憎と、洗礼は3歳の時に受けているからノーサンキュー」
「ほぅ? それにしてはお前から呪詛の匂いが全くしないが・・・」
彼にとって、精霊とは悪であるのか。
「異端審問でもするのか?」
「いいやその必要はない。俺様に属するように洗礼を施すのと、異端を審問するのとでは勝手が違う・・・が、やはりおかしいぞ・・・既に邪教のどれかの洗礼を受けたというその割には善神に対する信仰も、聖霊による呪詛もお前からは感じられないなぁあ?」
「生憎と、罪とともに死に、新しいのちを生きている・・・と、上手くはいってなくて」
「ハッハッハッハァ!!!」
「──だけど生憎と、僕には倫理観がある。普遍妥当でもない懐疑冷めやらぬ独善的な倫理であるが、自書を引いたところお前は僕の倫理観に抵触した・・・」
「ほぅ・・・つまり俺様とお前の倫理観は──」
指を鳴らすように親指を開いた男の両手に銀色の鈍い光。
「あいいれないッッッ!!!」
「正面から受け止められた・・・ハァン、読めたぞ。さっきの魔力の暴流もお前の仕業だな」
辺境の村とはいえ、ある程度の距離を保ち投げられたにもかかわらず大人でも避けられなかった投擲をリアムはすべて弾いた。




