275 I've Been Working on the Railroad
「修了生代表答辞、エリシア・ブラッドフォード!」
「はい! 一雨ごとの暖かさ、ノーフォークを囲む畑土に吹き込む春風も──」
アリアを解散してそれから一つ目の春、初等部の修了式にて。主席の僕が挨拶を辞退したため、修了生代表答辞は次席で優秀生のエリシアが務めた。
「修了証書授与──」
威風堂々としたエリシアの素晴らしいスピーチが終わって、プログラムは証書の授与へ。
「アルフレッド・ヴァン・スプリングフィールド!」
「はい!」
「エリシア・ブラッドフォード!」
「はい!」
「ゲイル・ウォーカー!」
「はい!」
「フラジール!」
「はい──ッ!」
「リアム!」
「はい!」
Sクラスの担任だったケイトが同クラスの生徒達の名前を一人一人読み上げる。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
学長のルキウスから修了証を受け取り、証書を片手に振り返って客席へ一礼した後に壇上を降りる。
「これにて、第35回ノーフォーク公立学校初等部修了式の全てを終了とし、閉会する」
そしてやはり締めくくりを担当するのは開会の挨拶も執り行った来賓として招かれているブラームスで──。
「マスター・・・」
「なんだよ・・・」
「いいんですか? せっかくの慶事、それにアルフレッドとフラジールとはこの学校で会えるのは恐らく今日が最後でしょう?」
「いいんだよ・・・最後のホームルームには出席するから」
・・・修了式も無事に終わってしばしの休憩時間、ここは、敷地内でも端っこの方にある校舎の裏。真っ直ぐに教室に戻らず、人気のない校舎裏であの日のように膝を抱えながら契約精霊のイデアと特にこれといって生産性もないどうでもよい会話を続けていた。
「リアム・・・」
「・・・父さん」
「どうしたんだ? こんなところで・・・」
「ちょっと思い出してたんだよ・・・昔のことを」
・
・
・
「その鈴華って子が、お前を助けてくれたんだな・・・」
「そう・・・その子の香りが・・・厳密にはその子の香りのイメージとして焼き付いている向日葵の香りが、どうしてかあの弓を使った時から頭から離れなくてしょうがない・・・自己犠牲の尊さを知ったあの日、どうしようもない状況に追い込まれて子供の僕がついに憧れてやまなかった大人の妥協ってやつを下せた気がした。避けられない困難に直面して仲間を救うために自分を犠牲にする覚悟ができた。ついに僕も大人の段階にまで辿り着いた・・・そう思った」
「偉かったな・・・」
「ッ、所詮は全部自演だったんだけど・・・」
「リアム、妥協するだけが大人じゃあない。子供からは見えないところで案外大人も好き勝手やってるもんだ」
「そうなのかもしれない。だけど多くの人は無意識にも信念を追っていて、責任ってヤツを負ったその日に信念を得る。だけどそうじゃない人も当然いる。だから大人になっても大人同士で区別し合うし、偏見を持つ。良くて個性、悪くて正義感だの、悪党だの、無責任だと批評される」
「個性と偏見をそもそもが混ぜるべきじゃないと思うぞ? 自分を騙すことになるというか、僅かにでもその自分に可能性があると信じている限りは、自分の個性こそは信念なのだと言い切るべきだ」
「父さんはすごい・・・そこなんだ。そんな視点、そんなカッコイイことを直ぐに恥ずかしげもなく返せる」
「いや・・・それほどでもあるかな?」
「そうして・・・素直に言葉の額面通りに受け取ることもできる・・・」
「ま、まぁな・・・」
「今のは本当に額面通りの褒め言葉だった・・・とにかく僕の目にはその責任か信念がずっと眩しく輝かしいものとして映ってきた。カッコイイと・・・いつかはそんな風に慣れたらなんて思っていた・・・だけどそのまま時が経つにつれて気づいてきた。実際はこれっぽっちも欲しくなかったことに」
「選ぶのはお前自身だろ?」
「その選ぶ権利すら欲しいとは思ってなかった。誰かが決めて、平穏に生活できるのならなんとでも・・・責任とか信念とか欲しくなかったから逆に意識していた。誰かの人生を背負ったり、もちろん自分の負うべき責任すらも・・・ずっと甘えん坊の僕は無理やりにでも独り立ちしてみないとわからない。こうして決心できたのも、全てを得てから・・・100m10秒で走っても汗一つ掻かない体に、前世から引き継ぐある程度の知識を蓄えた頭・・・」
エリシアに転生者である事を明かした翌日、僕らは再び城へと赴き契約書を認めた。先般、エリシアがいいよと言ったまま、その時なし崩し的に僕は判断を彼女に委ねるような真似をしたにも関わらず、責任を放棄しながら署名した。
「俺なんか頭の方はすっからかんだぞ? まぁ一般的に必要な教養だけは身につけたとは思っているが」
「・・・実は体や頭の出来なんて関係ないんだよ。僕もそれを自覚していながら、それを理由にして甘える側にいることを正当化したいだけ。問題はそう・・・社会で生きていくスキルがあるかどうか。一度失敗・・・したのかもわからないけど、とにかく僕は延長された子供時代を充足させようと必死だ。親からの惜しみない愛を浴びて育ち、貧しくても裕福に育っても学べないことが世の中にはたくさんある。心が貪欲なんだ・・・僕の言葉はまだまだ貧しく軽い・・・正直に告白すると今こうして吐露しているっぽい会話の内容も普段そんなこと考えもしないくせに、いざ会談するとなったらスラスラとそれっぽくて答えのない問いだけを投げかけてばかりで、延いては納得できたと思ってもいつの間にか同じところで悩んでいて、僕は他者に答えを求めるくせに結局は絶対に自分以外の人間の意見なんて聞きたくない我儘なヤツだ・・・だから疑心暗鬼でいつもグルグル同じ輪っかの上を回ってる・・・こうして正直な心を告白していると言う自分さえも実はそれらしく演じてみているだけで、罪悪感を見出す客観性もあって、そんな客観性を持つと言う自分はまた演じていて、演じている自分はただ愉悦に浸っているじゃないのかと振り返ってみれば、愉悦に浸っている自分を吐露することで秩序を求めて善悪の均衡を保とうとしてる・・・こんな風に未熟で自分の心が自分でもわからない。でもその我儘を含めてまでが、それが僕の人間性だから」
「・・・すまん、俺にはちょっと・・・難しくて」
「・・・ごめん、自分でもわからない話というか、自分以外絶対に答えを見つけられない問いかけを八つ当たりするみたいにまた投げかけた。でも僕が追ってるのは思い至り一つで心を制御できるそんな都合のいい道具で、だから2年と区切りはつけたけど怠惰な僕が答えを探す旅は永遠に終わらないかもしれない。人間のフリを人間なのにしなくちゃならないってとても辛いことなんだよ・・・でも、心の底から世界のことが嫌いなわけでもない・・・今の自分は嫌いじゃない」
「・・・それはわかる。人間なのに人間として扱われている気がしない、俺も昔はそうだった。だが今のところ俺はお前をそんなに心配していない。俺だって・・・お袋が愛してくれた俺が好きだった。だから今ここにいる・・・幸せだ」
「・・・いつかもっと、僕が幸せにしてみせる」
「親孝行なんて考えなくていい。転生しようとお前は今は若い!・・・大いに葛藤するといい・・・俺はいつまでもお前の味方でいる」
「僕も、まだまだこっちの方では頼りないけど父さんと母さんの味方だ」
「こちらこそありがとう、息子・・・いつでも帰ってこいよ。ここがお前のホームだ」
錆びつきやすかったあの頃、昔と今の僕を比べても心の豊かさはそんなに変わらないかもしれないけれど、少しだけ錆びつきにくい体を得て、錆が取れた心をもう一度この世界のあなたたちに貰った。ならば、また取り返しがつかないことになる前に、磨かないと──。
「教室に戻る・・・きっと疲れてたんだ。話を聞いてくれてありがとう」
「そうだな、疲れてるのかもな・・・眠くなる前にちゃんと友達に別れを言っておくといい」
「ちょっと遡りすぎじゃないかな?」
「そうか? ・・・ほら、早く行かないと両腕でお前を抱えてほっぺにチューし始めちゃうかもしれないぞ!」
「ゲーッ! それは勘弁してほしいね!」
いやほんと、それは心の底から勘弁して欲しかった。だから僕は心の底から笑って、嫌がりながら、惜しみつつ父さんに手を振って自分の今いるべき場所に戻る。
「マスター?」
「・・・今更だけど、語り過ぎたなぁって」
「今更ですよ」
「そうだね」
自由を得たと思ったら、それを得て初めて気づくこともある。
『貪欲・・・というより、嫌だ嫌だと言いながらも必要と不必要を切り分けて自分に必要なものだけを吸収する、そのプロセスが速すぎてリアムは経験が自分の一部になっていることに気づけていないだけのような気もするが・・・貪欲なことに変わりはないわけだ』
実はウィリアム、自分にはわからないと言葉を濁したがなんとなくリアムの話し口調で補正する事で内容の中身を追うことはできていた。だがそれでも言葉を濁したのは、この辺で話をやめず深入りすると嵌って迷走することがわかっていたから。言葉や感情や常識だけでは到底表しきれない葛藤の微熱が誰にだってある。カミラ、エド、絶対にスノーを見つけて帰ってこい。そしたらみんなに俺から大事な話があるから。それと・・・。
「聞きましたか?・・・聞いていますか・・・異世界のリアムのご両親。あなたのお子さんは、俺とアイナの息子は今私たちを越えてもなお走り続けようとしている・・・なんとも誇らしいです」
責任と失敗を伴う挑戦を天秤にかけて測るのは・・・本当に難しい。その情熱を削ぎ落として俺が単純になっちまったのは・・・あの時からだ・・・俺が挑戦しなくなったのは。きっとリアムは情熱に満ちた心を忘れないまま、今大事なもの欠片ひとつ削ぎ落とすことなく大人になりたいんだろう。当然いくつか取りこぼすものもあるだろうが、要はなにが必要でなにが不必要なのかを嗅ぎ分けるのが大切で、また、削がれちまったそれを埋めようとする渇き、努める力が個性ってヤツに繋がる。
「これは──・・・」
見送った小さな背中。学友達の待つ教室に戻って行った息子の残像をよく授業を校舎裏でサボっていた昔の自分と重ねて記憶の中に追っていたウィリアムの前を、キラキラとした青い影が一つ通り過ぎた。
「あの蝶は・・・あれはまさか──・・・」
舞い上がっていく。フェアーリルか・・・ここから王都までどれだけ離れているか・・・ああそうとも、きっとよく似た蝶に違いない。
「エリシアさん、また学院で会いましょう」
「ええ。また同じクラスになれるといいわね」
「はい!・・・それと、ゲイルさんも」
「王都に行った時は必ず顔を出す」
「・・・はい。それからリアムさんもまた・・・またッ」
「使って・・・」
「ありがとうございます・・・また、お会いしましょうね」
「また会おう・・・」
「コイツとはどうせ来月には再会するだろうが──」
「学院の寮は領地によって分けられてるんでしょ? 私も領地を持ったけれどほとんど人もいない辺境で、この街のスクール卒業の繋がりでノーフォーク領の寮に厄介になる予定・・・けれど貴族の家の子供は自動的に同じクラスに振り分けられるそうだし・・・結局直ぐにでも顔を合わせることになりそうね・・・ハァ、憂鬱だわ」
「なにを! 学院では領地ごとの対抗戦などの催し物もある! ──その時はスプリングフィールドがノーフォークをメッタメタのコンチキチンにしてやる!」
「望むところ! 私たちが返り討ちにしてあげるわよ!」
渡されたハンカチで涙を拭うフラジールと別れを惜しんでいると、隣で非常につまらない喧嘩が勃発した。だけどこれは彼らなりの激励の仕方──。
「顔を出せよ」
「もちろん。その時は商売の話でも持って参じようではないか、スプリングフィールド領領主家の次男殿」
「いいだろう・・・」
「アルフレッド様・・・リアムさんにも、お別れを」
「・・・」
「そんなに気まずそうにしないでくれよ・・・」
「絶対に・・・2年後に絶対に来いよな!」
「2年後には必ず──」
「約束破ったら学院の全校生徒の前でお前の人相書きを晒して嘘つきのレッテルを貼ってやる!!!」
「それは勘弁して欲しいね」
「嫌だったら!」
「・・・信じて・・・アルフレッド」
「信じてるぞッッッ!!!」
口ではそんな憎まれ口を叩いているが、君は僕が約束を破ってもそんなことしようとは微塵も思っていない。だけど、あえて今、そうまでして強がってくれる、別れを惜しんでくれる。
「それでは帰るぞ」
「はい、父様・・・さよならだ」
「皆さん、それでは・・・またッ、お会いしましょうねッ」
「さようなら、またね、フラジール」
「また会おう、諸君──ッ!!!」
「さようなら・・・」
その日、アルフレッドとフラジールは彼らを迎えにきていたアルファード卿と馬車に乗って自分たちの領地へと帰っていった。2人のような友達思いの学友を持てて・・・僕は本当に幸せだった。
「またね、親友──」
そして、更に時は進み1週間後の壮行会にて──。
「エリシア・ブラッドフォード!」
「はい!」
「ミリア・テラ・ノーフォーク!」
「はい!」
領の期待を背負うとともに王立学院に入学する精鋭チルドレンの名前がブラームスによって一人一人読み上げられていく。
「行ってきます、お父様、お母様」
「体に気をつけなさい」
「お父さんの仕事に便乗して偶には私も会いにいくから・・・それと、しっかりとミリア様をお守りして」
「はい・・・ありがとうございます、お母様」
「ミリア、ああミリア!」
「お母様ったら・・・」
「入学式とお披露目会のために1週間後、追って我々も発つが・・・息災でな・・・」
「ありがとうお父様」
「ミリア・・・頑張るんだよ」
「何か不安なことがあればいつでも連絡してくださいね」
「ありがとうお兄様、お義姉様」
親元を離れる子供達、別れを惜しむその家族達。
「それからリボンを忘れないで」
「デイジーにも最終チェックしてもらって」
「お、おぅ・・・注文が多いなぁ」
「頼んだわよ! 私は領主の娘、自分の領地の店に注文出して恥ずかしい格好はできないんだから!」
「はいはい・・・」
「それに他領地の大口の顧客を掴むチャンスなんだから、気怠そうにしない!」
「はいはい!」
「はいは一回!」
「はい!!!」
「じゃあまたね!」
「はい!」
公爵家が所有する中でも一番体力のある馬が牽引する魔導馬車に乗り込む前に、遠い場所で、別の道を歩む友人達とも握手を交わし、それぞれの未来を語らい別れとする。
「さようなら、リアム・・・また、二年後に」
「さようなら、ミリア・・・二年後に」
お互いの幸せと安全を願って、婚約者同士となった僕達は5秒程の抱擁を交わす。
「さようなら・・・リアム」
「さようなら・・・エリシア」
一方、もう一人の婚約者は僕と目も合わせてくれない。彼女とはあの日からギクシャクしている。
「エリシア・・・いいの?」
「・・・行きましょう、ミリア様」
そして、同じ馬車へ。爵位の継承が可能となったといえども、彼女はこれから中等部に入る齢であるから領地運営などできるはずもなくブラームスに卒業までの運営を委任し、その奉公という形で今回学院には行かない僕の代わりにエリシアがミリアの側仕えとなった。
「・・・さよなら」
──やはり、さよならとしか言えないのか。大きな分かれ道を前にしても、またね・・・とは──。
「またね・・・」
馬車の扉が御者によって閉められようとした時のことだった。外に比べて屋根があるから随分と暗い車内。開いた扉枠の遮りからはみ出した君の口がそう言った。──扉が完全に閉まる。
「また・・・」
それって、それがどのくらいの範囲を示しているのかわからないけど、友達くらいなら期待しても良いのかな・・・でも、また会ってもいい、そう、思ってくれただけで──。
「またね!!! みんな!!!」
大声で、閉じられた扉の向こうに聞こえるように僕は精一杯叫んだ。
「行ってしまった・・・」
結局、答えは貰えなかった。契約書に署名したものの、あれ以来、僕らの婚約をどうするか、続けるのか、破棄するのか・・・そのことについて、彼女と話すことは一度としてなかった。
そんなに苦しいのなら自分から尋ねればよかったのに、──無理だよ・・・僕はもう預けたんだ・・・未来をエリシアに。
「行っちまったな・・・2人とも」
「ゲイル・・・」
「リアム・・・お前が旅立つのも明日だったな・・・」
「ああ・・・」
「俺もその・・・見送りに行くからな。絶対に別れの挨拶もせずに行ったりするなよ?」
「ゲイルが遅れなければね」
「遅れんさ・・・俺を誰だと思ってる──? 俺はこの領地で二番目に優れた空間属性魔法使いだ・・・フラン先生とは競ったことがないからまだ暫定二番目だが」
「そうだね・・・でもそれだけ優秀な君がこっちに残るなんて意外だった」
「そ、それは・・・その・・・だな・・・商才を身につけるなら早いうちがいい。俺はこっちに残って父に付いて学ぶ。だが我がウォーカー商会は今や様々な商品を扱う流通の専門店だ。仕入れで王都や他の街に出かけることもある。その時はあいつらがいる学院を訪ねられるやもしれんし、一人旅中のお前ともしかしたら旅先で思わぬ再会をするかもしれないぞ・・・それに家のことをしてればなんだ・・・アイツと会う機会も増えるし・・・」
「そう・・・頑張って」
「頑張るさ」
・・・ゲイル、君はすごい・・・地獄にも等しい谷の底から見事這い上がってここにいる。僕なんかより、よっぽど──。
「ゲイル・・・君には言葉を送ることにする」
「・・・なんだ?」
「君は勇者だ・・・」
「よせよ、本物から言われても嬉しいに決まってるだろ」
他のみんなに送ったモノに比べて、非常に実用的でなくて申し訳ない。
「寂しくなるな・・・」
「いつかまた、ここに帰ってくる。その時まで・・・またね」
「ああ・・・また会おう」
そして翌日早朝、彼は遅れる事なく、約束通り見送りのため旅の門出となる西門へ。
「体に気をつけて。ティナと待ってる・・・ここでも、学院でも」
「うん」
「でもやっぱり、偶には──」
「約束はできない。けれど、手紙を書くよ」
距離が開けばそれだけ時間がかかるし、そう何通も書けないだろうけど、旅先から必ず便りを寄越すと約束を交わす。そうして約束を交わした彼女の腰についているホルダーには、馴染み深い赤い宝石のついた杖が納められている。
「道中気をつけな・・・リム坊」
「ありがとうマレーネさん」
「体に気をつけて、いつでも帰ってきていいから」
「随分と買い込んだけど、足がはやい消耗品もあるしいずれは尽きるだろうから折を見て帰ってくるかもだし」
「頼むよリアム、居酒屋の方は盛況だが、まだ鈴屋支店の方は経営が危うい・・・うぅ」
「新しいレシピ本、頑張って完成させてください。完成して配布さえできれば材料を取り揃えるのは鈴屋だけ」
「若。私共も若の財産、しっかりとお守りさせていただきます」
「テーゼ商会さんとも協力しながら、美味しいお菓子を作るわねリアムちゃん」
「パンも任せて! 一生懸命作るから!」
「寂しい時は私の顔を思い出すのよ❤︎」
「はい・・・」
「・・・もう、ほら、素晴らしい門出の時なんだから下を向いちゃダメ!」
「ほら、パピスさん」
「あの・・・コレ! ファンクラブと私たちテーゼ商会の思いが込もってます!」
「これはミサンガですか?」
「はい! 礼拝のため今日ここに来れなかったアストル様に御祓していただいたものに僭越ながら新しい芽吹きがある旅となるよう願いを込めさせて頂きました! 私たちの願いを叶えてくださったリアム様に感謝を込めて!」
「ありがとうございます、早速左腕に・・・」
「リアム君、アストル様から伝言です。君にはアメリア共々散々お世話になったというのに今日見送りに来れなくて申し訳ないと」
「いいえ、教会の鐘が鳴る頃を指定したのは僕ですから・・・アメリアさん、ミサンガ、大切につけさせていただきますとアストル司祭にお伝えください」
「確かに・・・ありがとう、リアム君・・・本当にありがとう」
「お世話になったと言えば、私も・・・衰弱していくばかりだったところをあなたに救ってもらいました。本当にありがとう」
「こちらこそ、たくさんの・・・たくさんの思い出を頂きました」
「これからもよろしく頼む・・・息災で。二年後、成長した娘のためにも」
「はい。よろしくお願いします」
「こっちも頼むぞ。既にミリアもお前の婚約者だ」
「どうか道中気をつけて。遅れての参加となりましたが、旅先でもどうか娘のことも想っていてあげてください」
「僕はいつでもアリアのみんなのことを想ってますよ・・・大丈夫です」
「そうですか・・・今はそれでも結構です・・・お元気で」
「ティナ・・・」
「・・・お元気で」
「・・・うん」
「道中魔物も出るだろう。だけどダンジョンの中じゃないから生き返りは・・・心配するだけ無駄か」
「でも嬉しいよ・・・」
「だな・・・よしいいか、用心に越したことはない。魔物もそうだが人間にも気をつけろ」
「わかった」と、僕は素直に答えておく。1年前は突然見知らぬ場所に転送されてしまって奴隷として売り飛ばされそうになったのだから、当然といえば当然の心配だ。富か、名声か、それとも力か。今の僕はそのどれにも足を突っ込んでしまっている。惚けた人間ほど隙を作りやすく、顔や声に張り付いた態とらしさを拭い切れるほど演技力があるわけでもない。だからと言って到達者だとか、金を持っているだとか、自分の力を誇示するようなことを吹聴するようなことは絶対にない。
「いってきます」
今の気分は巣から独り立ちする巣立ち雛。僕は結局病院のベットの上で死に、ギリギリまで巣立てず。だから今度こそは成功してみせる。
新しい1日の始まりの空気を肺に取り込みながら、土を踏む感触、こみ上げるハリキリと同時に不安もあって、新鮮なのにとても不思議な気分である。
「ティナ・・・」
「アイナさん・・・」
「言ってやってくれ、俺たちと一緒に・・・」
「ッ──あ、あのッ!!!」
そうして、新たな門出の匂いを──、
「いってらっしゃい!」
「いってきます!」
最も嬉しい一言で堪能する。
「そうそう勇者なんて象徴が必要なほどの巨悪なんて現れないものさ。ファウストも所詮は少し過激な宗教か反社会的な勢力と変わらない・・・人の悪には人の善が釣り合うようにできている・・・だろ?」
「・・・そうかもしれませんが」
「この世界は魔法なんてちょっと扱い方を間違えば簡単に人を殺せる手段が蔓延している。それでも一般社会でコミュニティを築く大抵の人たちは簡単に人を殺めるようなことはしない。モラルがあるからだ。そりゃあ日本なんかと比べればまだ治安は悪いかも知れないけど、僕がいた世界だって文明が発達して人の目、そして機械の力を借りて監視されるようになるまではそれなりだったんじゃないかな。その時代に生きてなかったからその差を肌で感じるようなことはなかったけれど、いずれ悪への抑止力は生まれる。抑圧されれば跳ね返りも多少あるけど、この世界は今は発展途上なわけだ。それと既にちょっとやらかしちゃった後だけど異世界の知識を持つ僕があれこれと口を出したりしないほうがいい・・・それが健全だ」
僕が元いた地球で、もしかすると別の世界からの漂流者とか、有名な科学者が異世界の知識や前世の知識を持ち越した転生者だった・・・なんてことがあったとしてもだ。僕はその真相を知らない。知らないことが正義になることもある。それが歴史上で文明と人が共存する世の中──。
「奴を揶揄うのは実に愉快であった。あの答えを言った時の疑心に溢れた表情ときたら・・・私の大好物だ」
「灯る蝋燭の煙のように、静かに何事もなかったように昇っていけたら我々も楽なのだろうがな・・・」
「それでいうと一瞬とはいえ面と繋がった私は幸運だった・・・血胤がこんなにもすぐ側にいたのだから」
場面は春の畦道から移ってここは大海に浮かぶ小舟の上、深い血に塗れた世界で漂白された蝋のように白い2本の牙が濡れ色に映える。
「妙な気分だ。夜空に浮かぶ星、朝焼けに舞う烏、青に咲く紅鏡、空海に轟く雷、枯れた大地にある一輪の花、若草に萌える原っぱに現れた毒沼を泳ぐ、そして夕闇に追われ落ちていく烏・・・」
光と闇、昼と夜、夏と冬、陸と海、偶と奇、魚と鳥、善と悪、そういったものが入り乱れている。
「お前はリアムの持つすべての記憶を見て感じなかったのか・・・ほら・・・」
「生憎と人間の匙加減は今まさに学んでる最中でな」
「・・・」
「だが、まぁお前の出した例でなんとなく言いたいことは汲み取れた。ナオトの体験してきた過去も、そしてリアムがこれまでに体験した出来事も、常識からは異国の如く外れている・・・が、我々の違和感の意味するところを考え見当をつけるのならばナオトの記憶が相応しい」
数ある悪行を成してきたブラックな私でも敵わないのかもしれないと、事実、リアムに染められたハイドに染められて私はここにいる。無数にある大衆色の中でも簡単に見つけられてしまいそうなほどにリアムはナオトの時代からして異色だった。そう、異色・・・しかし彩りが豊かとは言えず、ライン際立つコントラストがあるとは言い難く、異色の癖に他の色たちに紛れるのがあまりにも上手すぎる。
「しかし記憶が褪せているとも言えない。その日食った飯の茶碗に残った米粒の数が数えられそうなくらい我々の見られた記憶は鮮明だ」
「当たり前だろう。魂に刻まれた絵具はレテに洗われぬ限り落ちはしない。我々が良い手本だ・・・言ってて少し惨めになった」
「そうかよ・・・」
「肉体と違って滅びすらあるのかどうかも怪しい。だから・・・なんと表すべきか・・・こう・・・そう! 映えないのだ!」
「コイツの生き方をありのまま見れば負に圧倒されるか吸い込まれるかしそうになる!」
「吸い込まれ、気の遠くなるようなボウッとした風景を見ていたはずが見ていれば見ているほど惹き込まれる! 彩りが好みなワケでもない! ──なのになんなんだ、どうして我々はリアムとナオトからこうも目が離せないッ!」
「白んでいるような、いないような」
「つまり鈍い」
「薄い」
「そして重い」
光が鈍い、闇が薄い、それでいて心を支配するのは重いブルーとも似て非なるレインスケール。全てを満たす大海ではなく、野の木も野の草も生えぬ世界に降る雨の如く、だからこいつは俺たち全員を引っ掛けても潰れない。俺たち全てを満たす恵を持ちながら、全てを満たさぬ隙間がある。
「俺の瞳も今や緋色だ・・・だが俺の代わりにコイツが世界との円環を描くに足りないモノを補ってくれる。それがせめてもの救いだ」
「・・・だから我々がここに水から天と地を作ってやらないと。例え血濡れた色の天と地になろうと」
「間に合うといいが・・・」
「間に合うと、か・・・」
「・・・なんだよ」
「それにしてもハイド。お前は自分の今の名をかなり気に入ってるようだ」
「コイツが考えたからとかそんなんじゃない!・・・仮の名なのだ。俺の昔の名がバレるようなことがなければそれでいいだけだッ!」
「日陰者のお前にはお似合いだ」
「お前にだけは言われたくないッ!!!」
大きく放たれた音が大気を伝う。グッと拳を握らせた力がボートから水面へと伝わり波紋する。一見、このワンシーンはからかわれてそれに俺が怒りをぶつけただけのように捉えられる。
「ハッハッハ、そう怒るなっ! それに俺にとって日陰者は褒め言葉だ・・・ククッ!」
からかった側は俺が怒ったことがおかしかっただろうから、案の定ケラケラと笑っている。しかしからかわれた側は、相手も気づいていない皮肉に内心穏やかではなかった。
『お前らだけには・・・あまり言って欲しくない言葉だ』
俺は酷い醜態を晒したものだ。しかしそんな俺でも、最後には死を選んだ彼のキャラクターの名を借りるだけで、ただ・・・お前たちと同じように、少しでもこの身を犠牲にすれば償えるような気がして・・・ギリギリのところで救われている。そういえばまだこの世界に迷い込むより古い古い歳、天使を名乗る奴らが住んでる世界にも行ったことがあったけな。あの時はどうしたっけな・・・冗談か罰ゲームかで雲の上で昼寝する俺の逆鱗に1人の天使が触れやがったから、まとめて喰って根絶やしにしたんだっけ?──・・・だとすると天使はもういない。ならば俺がお前の守護天使様になってやろう、護られるべき俺の宿主よ。
「ふぁ〜・・・」
「大口開いて間抜けな・・・」
「昔は欠伸すると山が噴火したから地上ではできなかった。こうしてのんびり欠伸できるのもォオあああ・・・」
「気休めも程々にしておけ・・・そろそろ始めるぞ・・・船が沈む前に片付けなければ」
「そう簡単には沈まないさ・・・なんなら賭けるか?」
「賭けにならないから意味がない」
ファああ〜・・・ふぃ〜、いくら厳格で神聖な誓いの刻であろうとも、現在、眠ければ欠伸をかますのだからどおりで俺には絶望がお似合いなわけだ・・・さて、始めるか。俺たちの宿主が黒い線路に乗らないように、沈まぬように。
── 0〜10歳、第一編" My growth start beating again in the world of second life"〜・・・?
煌びやかなシャンデリアに週に1度は食べている広い部屋のあちこちに並べられたテーブルの上一杯の豪勢な料理。だけどいつにも増して僕の心は落ち着かない・・・自分の家なのに・・・。
「父様・・・本当に、僕はそうなのでしょうか・・・」
「・・・そうだ。かつてお前の曽祖父と共に聖戦に参戦し、最も激しい熾烈を極めた終局を前にそれぞれが勇者の剣城となり戦った精霊王の一柱がそう言った」
「本当に・・・」
「それに・・・お前は一人で宝物庫を破った賊を退けた・・・十分特別だ」
「・・・と、父様! じ、実はそれは・・・!」
「お集まりの皆さん。本日は改めて我が家の主催する晩餐にようこそいらっしゃいました。城に仕える王都一の料理人に監修を依頼させていただきました、国の特産をふんだんに用いた愛おしい料理の数々に我が領で収穫された葡萄を使い熟成されたワインをどうぞお楽しみ頂けていることと存じます」
「父様・・・」
「始まった・・・」
「国王より勲章をいただき騎士団作戦部総指揮長などという名誉職につく老耄の隠居の身ながら、何故私が表に立ってこうして皆様の前でお話ししているか、アウストラリア騎士団長兼王家近衛隊長を務める我が息子にして家督を継いだオースティンを差し置いて当主の主催する会の進行を仕切っているのかとさぞ不思議に思っておられる方もいらっしゃるでしょう。いやはや差し出がましくて申し訳ない。実はこの場を借りてある事件についての謝罪をさせていただこうと思いまして。・・・その事件が起こったのは昨年の丁度今頃の事です。国王の留守を狙った賊が城の宝物庫に侵入いたしましたことは皆様もご承知の事でしょう・・・まったく、私も当時は城におりまして留守を仰せつかっていたにも関わらず賊を取り逃してしまうとは、歳を取るのも嫌になる」
祖父の自嘲に、ご冗談を・・・と、会場をなんとも言えない静かな笑いが包み込む。何せ1年も前のことだし、みんな少しずつ事件のことは念頭から忘れかけている頃だ。それなのに今更、何を弁明するというのか。しかし胸の内を誰も曝け出すことはない。得られる利益が大きければ大きいほど忠誠心も上がると昔祖父に教えられた。更にこの家を支える事情を知っていれば、賊もそれなりの手練れだったのだろうと納得する者がほとんどであるし、事実、それで片付いていた。・・・なのに、ほじくり返した。
「なんと不甲斐ないことか。あまりに不甲斐ない・・・ですから批判も受けましょう。何せ国の財産である大事な宝物を1つも盗まれてしまった。それは聖戦にも纏わる重大な手記・・・しかし我が家の与えられた役割を全うできなかった力の弱さを恥じてもこうして夜会を主催させていただいたのは、とあるやんごとなき理由あってのこと」
家主を置いて隠居がでしゃばるだけの説明になっていない。しかしそこには誰も突っ込まない。態々ツッコミを入れる必要もない。
「賊が城に侵入した晩、我らも寝ずの番で警備に当たっておりました。そして宝物庫までの侵入を許してしまいましたが、なんとか追跡だけは続けていた。しかし敵も相当の実力者であった。城内ということもあり我らの力が存分に発揮できぬことを見越し、闇に隠れることに長けた敵は騎士達の目をくらました。恨めしいことに襲撃のため賊は警戒を掻い潜る術を何重にも用意周到に準備していた。他にもどんな策を隠していたのか・・・想像するだけでも憎たらしい」
謂わゆるテロの可能性を匂わした。しかし王の不在に対し寝ずの番という言葉、貴族としての言葉選びを少々間違えてはいないか。──会場が僅かに騒がしくなる。
「しかし偶然にではありますがその強敵と鉢合わせした少年がコレを撃退し、2次、3次と被害が拡大するのを防いだのです」
出張中だった多数の近衛隊が不在だったとはいえ、訓練された騎士達を何重にも欺いた敵をたった一人の少年が撃退したというにわかには信じ難い物語を匂わせたことで、招待客達に強く明確な動揺が広がる。
この情報は今日の今まで伏せられていた。・・・最初はまだ幼い僕を守るためだって言ってたのに。
「どうして我が孫は城内に侵入し、最高峰の訓練を受けた騎士達までも欺き宝物庫までを破るほどの手練れの賊をたった一人、それも齢にして当時11の子供が・・・退けることができたのか」
敵は上流階級の中でも微かに噂が広がりつつある邪神を信仰する宗教団体のウィスパー(ファウスト)であったという話もある。当時、城にはシータ第3妃、アイザック王子、シエスタ王女、そしてまだ生まれたばかりで幼い王子もいた。第一王子のアイザックは相当な実力の持ち主であるが、他の3人が賊に質として狙われ部屋を襲撃されれば大変なことになっていただろう。
「我が家は聖戦より以前から精霊王の一柱と代々深い関わりを持つ由緒ある家柄・・・まずはそのことを念頭に置いたまま、これから発表させていただきます重大な報せを皆さんに聴いてほしい」
「・・・ッ」
「この場をお借りして皆さんに我が家から共有したい。しかし発信の役目、それは偉大なる精霊王方々から大いなる役目を仰せつかった本人からお伝えさせて戴こうかと・・・さあ、上がっておいでなさい」
僕は会場中から集まる視線の圧に足を踏み出さずにはいられない。裏ももにべっとりと張り付いて取れないのだ。
それに、舞台から向けられるもう一つの異質の視線。・・・知っている・・・僕にいつもものすごく甘い表情を見せるこの人が裏ではどれだけ恐ろしい奸計を妄想しているか、冷たく怒れて、感情を処理する術に長けているのか。
いざというときに孫に見せるこの人の仮面のように張り付いた不気味な笑みにはずっと・・・ずっと・・・逆らえない。
「お披露目会もまだ済ませてないから私から紹介するのも忍びない・・・自分で自己紹介をなさい」
「ぼ、僕は・・・」
「さぁ・・・恥ずかしがることはない。お前の偉大で華やかな覇道の幕開けだ」
僕は、僕は本当のことを言おうとしたんだ・・・だけどそう・・・周りが・・・そして運命がそうさせたんだ・・・僕は悪くない。
「ぼ、僕は・・・!」
・
・
── 0〜10歳、第一編" My growth start beating again in the world of second life"〜・・・終わり。




