161 白い小悪魔
「映像が戻ってきた!」
「よしさすがイツカ!」
「いやいきなり勝手に戻ってきたんだけど」
時は少し遡り、なんとコンテスト会場の映像がイツカの献身で復活する。
「見て! あのヤバい奴の腕がなくなってる!」
映像が戻ってきたのは、ドミナティオスが腕を切られてこちらに気を配る余裕がなくなったから。
「はっきりとしないとはいえ、やりすぎだ」
「いかがしますか?」
「本体を縛ってろ。後で仕置きだ」
「はい。シエル様」
あるいは、テールでもコンテスト会場でも、ボス戦場でもない別の場所からの、第3者の介入があったからである。
「坊主はどこだ?やられたのか?」
戻った映像の視点が変だ。映し出されていた映像は、いつもの観戦視点とは明らかに違っていた。
「音がないんだけどイツカ〜!」
「なんで!?」
更に、音がない。
正面に立つ仮面の男の口だけが、さっきから動いている。
「誰かと喋っているのか」
時折、怒ったようなジェスチャーや落ち着いたりと忙しない場面もあった。
「か、構えた!」
「ヤベェ! とにかくヤバいって!」
観客は映像が途切れてから復活してこれまで、心休まる暇がない。
どうやら冷静さを取り戻したらしい仮面が、肉弾戦の構えをとる。絶対的強者の貫禄、映像ごしにでも観客達に伝わるオーラをまとっている。
「おい映像が戻ってるぞ!」
リヴァイブまで子供達を迎えに行っていた大人達、そして、帰ってこれた子供達もコンテスト会場にタイミングよく戻ってきた。
ブラームスの権限で混雑する回廊を避けて職員用の緊急通路を使ったため、出てきたのは1階の入り口からである。
「はぁはぁ・・・リアムは?」
久しぶりに魔力も使わずに全力で走って、アイナは息を切らす。彼女は会場に着くと同時に、映像の中に息子の姿を探す。
「リアムくんがいない?」
「もしかして負けちゃったの?」
「でもそれじゃあなんであいつは構えをとっているんだ?」
一同の目に映ったのは、リアムがいない、そしてリアムがいないにも関わらず先ほどの仮面が構えをとっている異様な光景であった。
「うわッ!」
「キャッ!」
仮面を正面に位置取った一人称視点にて、一瞬で詰められた距離。
誰もが映像ごしに殴られたという錯覚を見せられる。
「・・・殴られてない?」
「拳を受け止めている手がある!」
思わず目をつぶり、恐る恐る目を開けた観客たちが叫ぶ。
「すげぇ・・・」
その錯覚は、虚像となって消えては再び現れるを繰り返す。
「肩の動きを目で追うのがやっとだ」
様々な変化を伴って。
「背景はどんどん変わってるのにブレてない」
観客の1人の言うように、背景がめくるめく川や青空の青、森の緑や赤、あるいは川原の灰色へ、次々と変わっていくのに、映像の中心は常に攻撃を繰り出してくる仮面一人だ。
「・・・リアムなの?」
時折、映像の外から現れる攻撃をいなす手に、アイナは違和感を呟く。
あの細い腕。まだ小さな手で握った拳。
息を呑んで戦いの行く末を見守る観客達の中、ぽつりと呟いた。
「違う・・・」
いくつかの違和感が、彼女の愛を濁らせ邪魔をしていた。
細い、まだ小さい手ではあるが、いつも見ている息子のそれより一回りほど大きく感じる。
「すげぇ・・・どんどんさばいていく・・・」
「なんてスピードだ・・・」
観客たちが目の前で繰り広げられている攻防戦に息を呑む。確実に殺すという殺気の乗った途轍もないスピードの攻撃を、画面の端から出てくる手や腕、そして足が次々と弾きいなしていくのだ。
「やら・・・れてる」
「まるで自分が殴られているみたいにわかる」
徐々に押され始めるプレイヤー側。やられている姿は見えないのに、観客たちにはそれがわかった。
「こえぇ」
「怖い」
「恐ろしい」
それというのも、とても臨場感あふれる映像の所為である。迫る攻撃を弾けず振り切られたり、いっぱいまで迫ってきた仮面の手袋に明らかに変な捻ったような皺が生まれたり、大きく揺れはじめるカメラワークが一つの転換点が訪れようとしていることを予告する。
「空だ・・・」
やがて、不規則な挙動は白い雲がゆったりと流れる青い空を映し出して収まった。
同時に、水の飛沫みたいなものが僅かな数秒で上がって、落ちてくる。
僅かな間をおいて、見慣れた仮面がゆっくりとこちらを覗き込む。
空を隠すように、そして、見下ろすような仮面の男が映像に現れた時──。
「映像が戻ってきている!リアムはどこだ!?」
転送陣がまだ開いていないかとダメ元でエリアCのセーフポイントまで行ったはずのウィルが、会場に戻ってきた。
ウィルはスグに、ここにいるはずの仲間たちを探し、そして、会場前方の一階付近にいる仲間たちの集団を見つけて慌ただしく迫る。
「アイナ! 状況は!」
口は開いているだけのアイナからの返事がない。
「アイナ! しっかりしろ!」
様子のおかしい彼女の肩を掴んで、こちらに気づかせる。
「ウィ、ル・・・あれ」
ウィルにようやく反応したアイナが、映像の映るスクリーンを指差して再び固まる。
ウィルはアイナのジェスチャーの先へ急いで視線を移す。
「なにをする気だ!」
画面の中の男が下ろしていた右腕を抜く。
「まさか──」
正面から捉えている映像の最前面に滴る血の紅い影が落ちた。
そして、ウィルが瞬時に仮面がなにをしようとしているのかを悟る。
『さようなら』
声、音がないのに、想像してしまった状況と、仮面の男の口の動きから、いま何を言ったのかがわかってしまう。
「待てよ・・・」
仮面の男が、指の隙間をがっちりと埋めて、弧を描くように強張らせる。
「待ってくれ・・・」
直面している現実を理解するための時間を心の奥底から願う。
「ダメェ! 止めてぇぇぇぇぇえ!!!」
アイナが叫ぶ。
「待ッてくれよ!!!」
ウィルが懇願する。
『死になさい!』
しかし音もなく、右腕は振り下ろされた。
「「・・・・・・」」
シーンと静まり返った会場の中、既に付いていたスクリーンの紅いフィルターに重なる赤い飛沫が降り注ぎ、映像を埋め尽くしていく。
──ポツリ。
「・・・音が戻った」
ポツポツと降る赤い水滴がスクリーンを覆い尽くした後に、今まで聞こえることのなかった音が聞こえる。
「やることやったてか、ど畜生!惨すぎるだろうがよ!」
イツカは完全に支配下から離れた魔道具のイカれ具合に、腹の底から苛立ちを煮えさせて机に拳を叩きつける。
ザァァァ──
森の木々が揺れ葉が擦れる音も。
サァァ──
衝撃で、川原に打ち上げられた水が引く静かな波の音も。
「負けた奴は、絶対すごいことをしたんだ。それを着飾ってみんなにわかりやすく伝えてやるのが私の得意なことで仕事なのに、まったく届けられなかった。こんなこと今までなかった・・・ッ!」
しかし、イツカの台パンを嘲笑うように、映像の視点が切り替わる。
「なんだってッ──・・・なんで2人?」
1人称だった視点が、互いの背中を向ける2人の人物を横から映す3人称のものへ切り替わる。
「・・・制しましたか。それどころか・・・」
仮面の男、ドミナティオスが今の今まで目の前にあった肉の影を意識の中から消しながら──
「あなた今、混じりましたね?」
赤い水溜りに突き刺さった手を引っこ抜き、もう使い物にならなくなった手袋を捨てて、水滴を切る。
「それに孤独ですか。一瞬の声高に、私もあなたには同情を覚えましたよ」
攻撃の刹那の彼の叫びに同情してみせる。
「なんとか言ったらどうなんです──」
語りかける自分の声に全く反応しない後ろにいるはずの人物。これに、口にする同情という言葉とは裏腹の僅かなイラつきを覚えながらドミナティオスは振り返る。
「背後ッ──!」
しかし・・・彼はすでにそこにいなかった。
背後に気配がする。
胸を貫かれた状態で私の背後に転移すると、ここまでのしつこさは私の想定を超えた──。
「驚異検出」
──まさか。
「検出に伴う緊急離脱実行」
──まさかまさか。
「完了」
──まさかまさかまさかまさか。
「また肉体の生命維持を著しく損なう多量の出血並びに傷を確認」
ハラハラと風に揺れる銀の髪。
「ふざけるな!その姿は──!」
水の上を浮遊する一人の少女。
「魔法ファーストエイドによる重要器官の応急手当、並びに他器官の優先度順回復プログラムを実行・完了」
少女は周りの、ケルビムの驚嘆反応など意にも介さない。
「及び驚異回避後のエクストラヒールによる完全な肉体の治癒──」
的確且つ絶対の効率。
「完了」
自らが優先させるべき最適を、最優先に行動する。
「あなたは、誰ですカ?」
優先される全ての作業が終わると、ようやく気づいた先ほどから終始、開いた口を閉めることのできずにいたケルビムに少女は問いかける。
「まさか、まさか・・・あなたはケルビムなのですね」
今度はケルビムの方が、いや、ついに墓穴を掘った仮面の男が、少女に質問に質問で返す。
「ケルビム? 誰ですかそれは」
しかし、少女はドミナティオスの問いに首を傾げる。
「私はイデアです。マスターより名を与えられたマスターに仕える可哀想な下僕」
少女は自分の自己紹介を淡々と進める。
「──なっ!」
「そんな!」
コンテスト会場にいたウィル、そしてその他のイデアを知る者たちが、少女の口から告げられた衝撃の事実に困惑する。
「? なぜ、私がマスターの体を操っているのですカ?」
が、イデアと名乗った少女もまた困惑しだす。
「それにこの異様な姿。体の性別が変わっている。それに真っ白な髪は・・・おばあさん?」
水面に映る自分の姿を見て、湧いてくる疑問を口にしていく。
「「──ムッ」」
この時一瞬、自分の髪色が銀、あるいは白であるマレーネにエド、レイアがイデアの発言にムッとしたとか。マレーネは確かにもうおばあさんではあるのだが。
「ふぅ・・・やはりこの方が鬱陶しくないですね」
それから、イデアは魔法で発生させた風の刃で一瞬の内になぜか背中まで伸びていた髪を肩につくくらいまでバッサリと切る。
「マスターの潜在意識を検索・・・発見。なにか大きなショックを受けたために一時的に肉体とのアクセスが途切れ、意識を失っているものと判断します」
肉、骨、細胞、脳、血液に魔力、それからいつも自分がリアムを見ている場所とにかく全てにスキャンをかけて交信不可能状態のリアムの意識を発見した。
「そのため私の独断になりますが、マスターの意識が自然に回復するまで代わりに私が肉体の操作及び意思決定権を得るものとします。無理にイジると危険ですから仕方のない措置なのです・・・ムフフ」
ムフフと悪い笑みを浮かべる。喋りは事務的と単調なのだが、その瞬間だけ顔の角度を下に向け影を落とした笑いは、明示するモノを取捨選択しながら悪巧みする人間の臭さを感じさせる。
「ケルビムじゃないのか?」
ドミナティオスが困惑の表情を見せる。しかし、困惑は質問の答えを彼女に否定されたからではなく、彼の知るケルビムという人物とこのイデアなる少女の人物像が少々異なるような反応だったためである。
今目の前にいる少女は「ムフフ」と、実に間抜けな声で笑みを口元に侍らせている。
「だからそれは誰ですか。私はイデアといったはずです。あなた、ちょっと失礼ではないですか?」
自己紹介までして否定したはずのに、未だ自分をケルビムという名で呼ぶ仮面の男にムっとする。
「生の暴力」
その右手に白色の魔力を。
「死の暴力」
それから左手には、黒く禍々しい魔力を発現させる。
「脈動」
その2つを混ぜ合わせると、己の肉体の中に取り込む。
「ああ。でもやるべきことは一つですね。私はこの状況を見て何もわからぬほど、馬鹿ではないのです」
大地に根付く木の根のように、イデアの胸の中心やや左あたりから放射状に緑色の光が走る。
『あれは!間違いない。あの力は命の力だ──!』
途端、コンテスト会場のエドガーは心の中で叫ぶ。彼は生唾を飲み込むと、小刻みに不安定なリズムで体を震わせながら、だが心の内を声にすることもできず、黙り込む。
「死の間際まで追い詰め傷つけられた我が身と、血のように赤い水溜まりの真上に浮かぶあなた」
すらっとした美しい指が、仮面を指差す。
「待てケルビム! お前と戦うつもりなど私には──!」
やる気マンマンのイデアに指をさされたドミナティオスが慌てて臨戦態勢を解こうとする。
「百文は一見にしかず。いくら百の嘘の文を用意して詭弁を弄そうとしても、目の前にある光景が全てを物語っているのです!そのような嘘を信じるほどの間抜けさは、私には一ミリもありません!」
どうしていいものか、イデアは騙されないぞとそれらしいこと言ってドヤ顔をする。どうやら、自由がきく肉体と自分の意思で戦う高揚感、そして、ドミナティオスの慌てように気を大きくしてしまったらしい。
「いや百聞だから!それらしいこと言ってるけど漢字間違ってる!隙ありすぎだ!」
すると、突如として違う口調でイデアの口から放たれるツッコミが──
「今のって・・・」
「リアム・・・だよね」
めちゃくちゃに隙を見せるイデアの口から、全く別の口調の言葉が飛び出す。これには、会場で映像を見ていたウォルターとラナ、そして──
「「リアムだ・・・」」
彼の性格をよく知る友人たちは一様に、リアムの名を呟いた。
──プツン。




