③容疑者
「頼むよ。ターンテーブルの使い方教えてくれよ。お願いだよ」
「いやだ。面倒。つーかお前ターンテーブルなんて持ってねえだろ」
「これから買うんだよ」
「なんで」
「俺はお前みたいにディスクジョッキーになりたいんだ。あのターンテーブルのキュッキュッってやつで飯を食うんだ」
「・・・お前、探偵だろ。なんでいきなりターンテーブルなんて」
「分からないか?もしディスクジョッキーになったら探偵とはいえないだろ?」
「?」
「でも俺は、ディスクジョッキーになっても探偵だって言い張るんだよ」
「何言ってんだ?」
「だから・・・ターンテーブル、たーんてーいぶる。たーんてーいぶる。探偵ぶる」
ガチャッと電話が切れた。
電話を切られてしまった東次郎は満面の笑みで受話器を置いた。会心のギャグが決まったことに心が満たされたようだ。
東探偵事務所。雑居ビル三階にある狭い狭い事務所だ。助手も事務員もおらず、東次郎一人で運営している。探偵を名乗っているが、実際は何でも屋に近く、迷子犬探し、好きなあの人探し、自営業の店番、トイレ掃除等など、頼まれればどこにでも駆けつける。金にはならなかったが、広い交友関係を生かして何とかこうとか食いつなぎつつ、おき楽に暮らしていた。
さあ今日はどうしようか。日雇いバイトでも入れてやろうかと思案していると、事務所の扉がノックされた。
「すまん東、俺だ、瀬尾だ。ちょっといいか?」
東の返事を待たず、図体のでかい男が事務所に入ってきた。
東は入ってきた男に見覚えはなかったが、瀬尾と言う名前と背の高さが記憶に引っ掛かり、過去の友人の記憶を思い出した。
「瀬尾・・・ああ、瀬尾君か。確か同じ大学だった・・・ずいぶん肥えたな」
瀬尾は頷くと、事務所の隅に立てかけられていたパイプ椅子を勝手に広げ、東の向かいにどっかと腰を下ろした。
瀬尾博。東とは大学が同じで、中、高では水泳部、大学でも水泳サークルに入っていた。短く切られた黒い髪と、活力を宿した黒い瞳が見る者に実直そうな印象を与える。
「今、僕が25だから、二年ちょっとぶりかあ。でも昔はもっと痩せてただろう。西郷さんみたいな体型になっちゃったね」
「・・・東。世間話はいいから、急ぎの用なんだ。聞いてくれないか」
アポイントも取ってないくせに随分強引だな、と東は不快に感じたが、瀬尾の頬に残った無精髭や充血した目を見て、気を引き締めた。どうやら本当に差し迫った用事らしい。
東が先を促すと、瀬尾は話し始めた。
「殺人事件の容疑者にされちまって、警察に追われてるんだよ」
耳慣れない単語に、東は思わず背筋を伸ばした。
瀬尾の話はこうである。
瀬尾は、「じゃん、だら、りん」の三河弁で有名な愛知県三河市のアパート一階に住んでいる。昨日6月13日。彼は家で、撮っておいた背泳ぎ世界選手権のDVDを見ていた。すると、突然大きな音が聞こえた。続いて、女の絶叫。
瀬尾の暮らすアパートはA公園の西隣にある。何事かと思って窓から公園を覗いたら、人が倒れていた。応急処置をしなくては。咄嗟にそう思い、救急車や警察へ連絡もせず、玄関を出て公園まで走った。
瀬尾は30秒もかからず公園に着き、倒れている男の元まで行って、その横に屈んだ。まずは気道確保・・・と顎に手を伸ばそうとして、その手を引っ込めた。よく観察すると、男は呼吸をしていないどころか、目も開きっぱなしでピクリとも動かない。そこでやっと、男が絶命していることに気付いたのだが。
「人殺しっ」
その言葉に、瀬尾は顔を上げた。
声のした方を見ると、自分のアパートの反対側、伊藤夫妻の住宅の窓が開いている。その窓の内から、伊藤愛子がこちらを指差しているのが見えた。
「ひ・・・ひ・・・ひとごろしっあ、あなたぁっ人殺しよっ!ほら。あの人、確か向かいの・・・じゅ・・・銃マニアのっ」
確かに瀬尾は趣味でモデルガンを集めているが、当然、本物の銃など持っていない。
「違いますよっ俺は何もしてないっ」
「う・・・嘘よっだって、さっき、銃声が聞こえたわ!あ・・・あんたが、打ったんだわ!ほ、ほらあなた、ぼさっとしてないで警察を・・・」
銃声?先程の音は銃声だったのだろうか?とてつもない音ではあったが、銃声と言うか爆発音というか。
いやいや、それより・・・警察?お、俺を、つ、捕まえるために・・・?そんな、俺は、俺はやっていない!
気付いたら、瀬尾は走り出していた。公園を出て、アパートにも帰らずとにかく走って・・・そして日をまたいで今、東の探偵事務所へ辿り着いた。
「さっさと警察に行ったほうがいいよ。少なくとも早くアパートに戻るべきだ」
「な・・・なんでだよ。だって、戻ったら、警察に・・・」
「あのね瀬尾君。日本の警察は検挙率90%を越える非常に優秀な組織だよ。君がやっていないなら、捕まるわけないでしょ」
「でも、冤罪の可能性が」
「冤罪か。ないと思うよ」
「・・・と、とにかく、俺はここを動かんぞ!」
そう言うと、瀬尾はパイプ椅子から立ってそれを蹴飛ばし、床に座り込んでしまった。
「おっ俺は捕まりたくない。とにあえずここにいれば、俺は捕まらん」
「勘弁してくれよ。ここには置いとけないって・・・それに、警察がとっくに犯人を捕まえてる可能性だって充分ある。瀬尾君が帰っても、誰も、何も気にしないよ。ああ、君を犯人扱いしたっていう伊藤夫人は謝りに来るかもしれないけど」
そう説得しても、瀬尾は床から立ち上がろうとしなかった。
「・・・分かったよ。しばらくここにいていいから。でも、場所代は払ってもらうよ」
「金の心配はしなくていい。無事に開放されれば、いくらでも払ってやる。それより」
瀬尾は血走った目で東を睨んだ。
「お前に、真犯人を見つけ出してほしい」
「なんで?」
「なんでって。真犯人が見つかれば、俺は警察から身を隠さなくてすむだろ」
「今も隠す必要ないんだけど」
「うるさい。真犯人を見つけるまで、俺はここを動かんぞ。どんな手を使っても、に、逃げ切ってやる」
東は納得した。なるほど。瀬尾は気が動転しているのだ。おそらく生まれて初めて死体を見て、しかも犯人呼ばわりされて、一晩中逃げたものだから、睡眠も取れてないのだろう。
ここは無理矢理帰すより、じっくり休んでもらった方が瀬尾のためになるかもしれない。金も儲かってラッキーだ。
ただ、東は一つだけ気になった。
もし本当に瀬尾が犯人だとしたら。事務所に匿うと、犯罪になるんじゃないか?そんな危険を冒すのは馬鹿らしい。
念のため少し捜査して、瀬尾が犯人じゃないと確かめておくべきだ。
「分かったよ瀬尾君。依頼を受けるよ」
「ほ、本当か?」
「ああ・・・それで、これから現地へ捜査に行くから。君はここで待っていてくれよ。
狭い事務所だけど、テレビはあるから見ていいよ」
「ありがとう。東に頼ってよかった・・・
あっケータイとかで警察に連絡するなよ。信じてるからな」
「分かってるよ」
東は事務所を出て扉を閉めると、堪らず笑みをこぼした。
おそらく瀬尾は犯人じゃないだろう。どうせ、しょーもない真相に決まっている。これだけで金がもらえるなんて、今日はついてるぞ。東は鼻歌を歌いながら、雑居ビルを出て行った。