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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

話し合いって大事だね。

作者: 有寄之蟻

 ――お風呂、入りたいな。

 ルイはふと思った。くんくんと自分の身体を嗅いでみる。そこまでひどい臭いはしない。が、最後にお風呂に入ったのはいつだったかと、記憶を探る。

 ――たぶん、ユカリちゃんの手当てをした日……だった、かな。

 日付の感覚が曖昧で、日々ぼんやりと過ごしているせいか、あまり確信は持てなかった。

 ――コウくんとこ行こう。

 そう決めたルイはよいしょ、と立ち上がり、お尻についた埃を払う。と、舞い上がった埃にけほ、と咳が出て顔をしかめる。埃と砕けたコンクリートをじゃりじゃり踏みしめて、ルイは歩きだした。


***


「ナンデゴ飯食べナイノ?」


 コウの質問に、ユカリは怯えた目をして答えない。コウの手にはペットの餌入れに使われる陶器製の器があり、その中には棒状の固形栄養補給食品が数本入っていた。これはコウの主食であり、ユカリのための餌でもあった。外出する用があり、昼の餌としておいていったそれが全く手に付けられておらず、コウは不機嫌になっていた。


「ネェ、ナンデ?」


 再度の質問に、ユカリは口を開きかけるも、やや怒ったように唇を結ぶ。コウはもう片方の手に握っていたナイフをユカリの右腕に少し突き刺した。


「ヒッ!? 痛い、痛い痛いぃ……」

「ネェ、答エテヨ」

「う、ぐうぅ……ううぅう」


 しかし、ユカリは痛みに唸り、涙を流すばかりである。コウは増々不機嫌になる。――不意に、何か重いものが開閉する音を捉える。コウは背後に首を回した。階段を下りてくる、軽い足音。徐々に姿を現す、一人の子供。


「――コウくん、お風呂借りてもいい?」


 コウの顔を見るなりそう言ったルイに、コウは黙って頷いてユカリに向き直った。今コウにとって一番重要なのは、ペットがなぜ餌を食べないのか、その理由を知る事だった。

 勝手知ったる様子で歩いてきたルイが、ユカリを見て挨拶する。


「ユカリちゃん、こんにちは。……って、コウくん、また刺したの?」


 そして、くるりとコウを振り向いた。ユカリの腕にナイフが刺さっている事にはなんら驚きを示さず、ただ確認する声音。コウは眉を寄せて答える。


「コイツ、エサ置イテ行ッタノニ、食ベナカッタ。ナンデッテ聞イテルノニ、答エナイ」

「コウくん、それは……ユカリちゃんは怖がってるんだよ。コウくんがナイフ持ってるから、怖くて喋れないんだと思うよ。前にもナイフで脅しちゃダメって言ったのに」


 ルイは少し呆れたようにコウに教えてあげる。


「デモ、コイツ答エナイ」

「うん……ユカリちゃん、コウくんは怖いかもしれないけど、お話したらちゃんと聞いてくれるから、ちゃんと言ったほうがいいよ。ぼく、救急箱とってくるね。コウくんは、これ以上刺したらダメ、だよ」

「分カッター」


 コウは素直に返事した。そして少しむっとした拗ねた表情でユカリを見つめた。ルイはとてとてと駆け足でどこかへ向かう。

 ――ほんと頭おかしい、こいつら……。 

 ユカリは右腕の痛みに泣きながら、心底そう思っていた。人を動物扱いする男も、人が監禁されて傷害されているのを知っていて、見ていて平然としている男の子も、完全に狂ってる。目の前の男が正常な思考回路をしてない事は初対面の時からはっきりと分かっていたが、一見いたいけに見える子供の方が、この男よりよっぽどヤバいのだと、少年と接してすぐに理解した。

 ――ていうか、そんなの食べるわけないじゃん……!

 コウくん、と呼ばれているこの男は、ユカリが「餌」を食べなかった事を不思議がり、怒っているようだが、ユカリからすれば理由は明確で誰でも察するものだ、という気持ちでいっぱいである。「餌」はペット用の器に入れられ、床に置い(・・・・)てあったのだ(・・・・・・)。完全に動物扱いである。

 ――この私に、這いつくばって食べろなんて……! 誰が食べるか、そんなもん……!

 あまりの屈辱に内心煮えくりかえっているのだが、この狂人相手に正直に吐き出せばどんなひどい目に合わされるか。想像するだけで怖かったため、ユカリは黙る事しかできなかった。


***


 ルイはその身体には大きな、救急箱と呼んだアタッシュケースを抱えて戻ってきた。そして手慣れた手つきで開き、中からいくつかの道具を取り出す。大きめで厚いガーゼを手に持つと、


「コウくん、そぉっと抜いてね」


と、コウに頼む。不貞腐れた様子でコウはナイフを抜いた。ユカリは悲鳴をかみ殺す。ルイが傷口に素早くガーゼを押し当てた。


「しばらく止血して……、コウくん、針の準備しておいてね」

「分カッター」


 ナイフの血のりをふき取ったコウは、救急箱から医療用の縫合針と糸を取り出した。ユカリは濡れた目を剥いて、口元を引きつらせる。以前された縫合の記憶がフラッシュバックして、猛烈な恐怖に襲われる。


「……んー、もういいかな。ユカリちゃん、これ押さえてくれる?」

「…………う、ん……」


 ルイに言われて、自分でガーゼを押さえる。と、ルイは自分の胸に片手をつっこんだ。否、正確には胸の部分の空間が歪み、その中にルイの腕が肘まで消えているのだ。数秒ごそごそと腕を動かしたルイは、真っ黒な林檎を取り出した。ルイの小さな手に収まるほどの、小さな林檎である。おもむろに、それをユカリの口元に近づけてくる。ユカリはびくりと身体を跳ねさせて、のけ反った。首輪から伝う鎖がちゃり、と音を立てる。


「これ、食べて。早く治るよ」

「い、嫌、だ……」

 

 当然の拒否だった。前に一度食べた事があったが、未知すぎるこの林檎に対する本能的な恐怖は、簡単には消えない。ルイは少し困ったように眉を下げる。すると、針に糸を通し、消毒などをしていたコウが、ジトリ、とユカリを睨む。


「食ベテ。治ルノ早クナル」

「…………っ」


 ――刺したのはあんたでしょうが!

 あまりの理不尽さに白目を剥きそうな気分になったが、逆らえる身分ではない。ユカリは恐る恐る口を開き、真っ黒な林檎を齧った。一口。咀嚼するその味は、普通の林檎となんら変わらない。むしろ、今まで食べたどんな林檎より美味である。二口、三口。全て食べる頃には、なんだか精神も落ち着いていた。

 ルイは立ち上がってコウを横目に見ると、


「じゃーぼくお風呂入ってくるね。もうユカリちゃんを刺したらダメだよ、コウくん。ユカリちゃんは、頑張って言ってね。じゃーねー」

「ンー」

 

 ひらひらと手を振って、どこかへ去って行った。適当に返事をしたコウは、ゴム手袋をはめ、アルコール綿を手に取ると、ユカリに指示を出す。


「がーぜドカシテ」

「……」


 黙って従ったユカリが手を動かすと、切られた傷口から血液が滲む。コウは無遠慮にアルコール綿で消毒した。痛みにか、ユカリが声をもらす。コウは気にするそぶりすら見せずに縫合針を手にし、皮膚に針を通し始めた。


***


 コウの手は素早く、正確に働いた。数分で傷口を縫合し、もう一度消毒して、ガーゼをあててテープで固定する。そしてさらに包帯を巻いた。手当の最中、ユカリは涙をこぼしながら、必死に嗚咽をこらえていた。

 ――ほんとに……本当に最悪……!

 麻酔もなしに縫合される、想像を絶する痛み。なぜこんな事を自分がされなければいけないのだろうか。なぜ、なんて問いに意味がない事を分かっていながら、そう考えずにはいられない。

 手当が済んだコウは餌入れを目にして、また先ほどの問題を思い出した。


「ネェ、ナンデ餌食ベナカッタノ?」


 壊れた機械のように同じ問いかけをしてくるコウに、ユカリは信じられないものを見た表情になる。

 黙ってこちらを凝視するユカリに、コウの手が動く。ついさっきルイに忠告されたばかりであるのに、ナイフをしっかりと握っている。

 ユカリはこれ以上刺されるのはたくさんだと、震える唇を動かした。正直に言ってもひどい目にあいそうであるが、分かりやすい危険を避ける選択肢がこれしかない。


「……い……嫌、なの、よ……」

「イヤ?」


 弱弱しい言葉に、コウは不思議そうに聞き返す。


「その……そんなのを、食べたくないの……」

「コレ? コレ嫌イ? オイシクナイ?」


 コウは固形栄養補給食品をつまみ上げ、首を傾げる。ユカリは違う、と顔を横に振る。ちゃりちゃり、と鎖が鳴る。


「そうじゃないっ……くて、その、餌入れに入ってるのなんて、食べたくないの……!」

「コッチが嫌? デモ、ぺっとノ餌ハコレニ入レルッテ書イテアッタ――」

「私はペットじゃないっ」


 ユカリはきつくコウを睨みつけた。その狂った男に自分の怒りが一ミリでも伝わればいいと、ナイフの恐怖も忘れて。

 しかし、コウはまるで理解していない様子で目をぱちくりさせる。


「……ゆかりハ俺ノぺっとダヨ?」

「違っ……! はぁ……」


 もはや頭痛すら感じてきて、ユカリは深く息を吐く。コウは右に左に首を傾げて、何を言っているんだろう? と考えてすらいなさそうである。監禁されてから何度目かになるやり取りだった。

 不意に、コウはハッと閃いたような顔をした。ユカリは嫌な予感に鳥肌がたつ。


「分カッタ! ジャア、コレカラハ俺ガ食ベサセル!」


 ――何一つ分かってねぇ!

 一体どこからやってきたのか不明な発言に、目の前の男が同じ人間なのかも疑わしく感じてくる。

 ――ほんとは宇宙人なんじゃないの…‥? この「死神」……。

 ユカリがあまりの衝撃に固まってしまった時、コウは一人満足げに頷いて、餌入れの固形栄養補給食品をぼりぼりと食べ出した。


***


 さっぱりして服も着替え、ニコニコのルイが見たのは、諦めきった表情でコウからあーんと固形栄養補給食品を食べさせられているユカリの姿だった。思わずルイの足が止まる。吸い寄せられるように二人に近づいた。


「……何してるの?」

「食ベサセテル」

「……そっか」


 楽しそうにユカリに給餌をするコウに、ルイはかける言葉が見つからず、


「お風呂ありがとう……帰るね」

「ンー」

「ユカリちゃん、待たね」

「……!」


 ユカリが行かないで、お願い助けて、という並々ならぬ意思を目で訴えてきたが、ルイは天使の微笑みを浮かべて視線をそらし、階段へ向かった。


ルイ…自称「悪魔」。男の子。小学生くらい。胸に亜空間がり、物を入れたり出したりできる。

コウ…「死神」と呼ばれる殺し屋。10代後半くらいの青年。ガリガリの身体。手足が長い。

ユカリ…殺し屋の「ペット」にされている。元大学生の少女。


黒い林檎…ルイの主食の一つ。身体に関する能力に影響する。自然治癒力が増大する。

固形栄養補給食品…いわゆるカロ〇ーメ〇ト。コウの主食。味の好みは特にない。

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