エリカさんのある朝。
いつも通りの朝だった。
「はーっ、やぁっと着いたよぉぅ……」
白々と夜が明ける頃。エリカはようやく家に辿り着いた。いつもは薬草を取って帰る途中に意識が飛んでいってしまうのだが、今日は自分でベッドに入れそうだ。
明かりをつけると、テーブルの上には実家から届いた刺身が鎮座している。出かけ間際に届いたものの、薬草集めを優先して丸一晩テーブルに出しっぱなしにしてしまった。
このまま保冷庫に入れても、一眠りする間に傷んでしまうかもしれない。
エリカはおぼつかない手つきで深めの皿を取り出し、その底に刺身を並べた。しょうゆのボトルを開け、とぽとぽと注ぐ。「ヅケ」にしておけば、きっと傷みも少なくて済むから。
が……、刺身が微妙~に隠れたところで、しょうゆがなくなってしまった。
「あれ?……しょうがないなぁ。次の市までどっかで借りよ……」
ボトルを逆さに振って最後の数滴を落とし、刺身を裏返してしょうゆをまんべんなくつける。眠い。
「さて、と……」
保冷庫の隠し引出しに皿をしまう。ここに越してきて以来、いつの間にかおかずがなくなるので「どうしても食べたい食糧消失防止」に作った引出しだ。きっと、寝ている間の来客──妖精や隣近所の皆さん──が、おなかを空かせて保冷庫を漁るのだろうと思う。この森では(通りでは?)珍しい事ではないし、もう慣れた。
「……これで、よしっ……と」
ふらふらとベッドまで歩き、やっとこさ潜り込む。
それから間もなく。
「……おにゃかすいたぁ……」
夢の中の住人、起床。
口調も性格もがらっと変わったお寝ぼけモード。
欲求に忠実に、ふにゃふにゃと目をこすりながらベッドを抜け出して保冷庫をのぞく。
棚にある、あじの開きと目が合った。
「…………これでいっかぁ~」
無造作にコンロに網を載せ、無造作にあじを焼き始める。焼きながら、てろてろとろんと食器を準備。
「……おさら~……おはし~…………………………あ~れぇ?」
たっぷりあったしょう油がない。このあじの開きは塩気が薄い。だからといって塩は振りたくない。塩辛いあじ、きらい。
「………………借りにいこぉ~………………」
これまた欲求に忠実に、おしょうゆを求めてふにゃふにゃと通りに出た。
一番近いお隣を通過し、そのまた隣も通り越し、お寝ぼけエリカはてこてこ歩く。
てこてこてこてこ、どこまでも歩いて行きそうな足取りは、とあるドアの前でようやく止まる。
とん……とん、と、ノック。
「すみまぁしえぇえ~んん、おしょうゆぅ~、かぁしてぇくぅだしゃぁあい…………」
今にも眠りそうな勢いでのたまうエリカ。
「…………ふぇ。はい」
男性にしては薄くて細い体が、ドアの隙間からひょろりと現れた。マスターだ。エリカの目の高さで、亜麻色の柔らかそうな髪がくしゃくしゃと跳ねている。どうやら仮眠中だったらしい。
「しょ~ゅ……」
マスターはテーブルの上にあった瓶をつまみあげ、エリカに差し出した。
「どうぞぉ~」
「どうも~ぉ」
起き抜け(?)のエリカは寝ぼけていた。マスターも寝ぼけていた。そしてお約束な事に、寝ぼけ同士のやることは大抵ろくなことにならないのであるが、本人達はこの後の阿鼻叫喚を知る由もなく。
「ありがと~ぉごじゃひましたはーぁ……」
「どういたしましてへ……」
帰って行く。
騒動の元を抱えて、エリカが帰って行く。
見送ったマスターは、テーブルの上を確認せずにふらふらとベッドに戻る。
試薬の瓶が、一本足りなくなった事を確認せずに。