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Mana

ティースプーンだけの余剰(「Mana」お題挑戦)

作者: 福島真琴

「カミュ! この書類をまとめておいてくれ!」

「俺の代わりに、代表会議に出席してくれないか?」

「この服、アイロンかけといてくれ!」


 いつもそうなのだ。仕事が一段落ついて、昼食時のティータイムを迎えようとするときに。いつもいつもそんな困った上司の注文が追加される。まるで、身の回りのことができない子供のようである。ティースプーンに掬った分の茶葉が、いつも無駄になる。

 カミュはそのティースプーンをポットの中に投げ捨てるように置くと、追加注文をこなすために、再度仕事の鬼へと変貌した。


 ◆  ◆  ◆


「いやぁ、助かったよ、カミュ」

 いつもの明るい調子で、その上司はカミュへとそう声をかけた。自分のデスクに座っているカミュは、恨めしい顔でその上司を一睨みした。

「お? なんだ? 具合悪いのか?」

「具合悪いように見えますか……。なら、その原因はあなただと思いますがね」

「まぁ、そう拗ねるな。ほれ」

 軽い調子でそう言いながら、上着を一枚脱ぐセイシェル。と同時に、自分の机の上に置いた紙袋から、一つの缶を取り出した。そして、カミュの机にトンと置く。

「なんですか、これ」

「いや、いつもタイミングの悪い時に声をかけちまっているからな。お前がいつも飲んでいるメーカーのだ」

 よく見るとそれはたしかに、カミュがいつも愛飲していた紅茶メーカーの缶だった。期間限定デザインの缶だったから、一見してわからなかったが、文字を読むとそれはたしかに〝いつも飲んでいるメーカー〟だ。

「へぇー、よく見つけましたね。そもそもあなたに、そんな殊勝なセンスがあるとは思いませんでした」

「いやいや、店員に聞いて出してもらったさ。さすがに俺も一人で見つけられるほど、それを見慣れているわけでもないしな。まぁ、ボーナス支給だと思ってくれ」

「ちょっと安すぎません!?」

 カミュのそんな小さな文句も聞こえているのかいないのか、本人は笑いながら仕事用のデスクへと戻ってゆく。カミュはこんな小さな一缶で買われてたまるか! と思いながらも、よくこの銘柄を覚えていたものだなと、一方では感心していた。意外にも、見ていないようで結構他人を見ている人なのだ。そんな上司だからこそ、〝この人なら、ついていってもいいかもしれない〟と思えたのかもしれないが。

 と同時に、根詰めて物事を考えてしまいやすい自分の性格には、多少ずぼらな(かと言って、心底ずぼらというわけでもない)この上司の性格は、緩衝剤になっているのかもしれない。

「俺にも一杯淹れてくれ!」

 唐突にそんな声を上げたのは、その紅茶缶片手にカミュが立ち上がるところを見たから、なのだろう。絶妙なタイミングで、セイシェルは片手を上げてすかさず声をかけてきた。

「おのれ……」

 どす黒いそんな呟きを洩らしてみたものの、当のセイシェルは聞こえていなかったかのように、溜まった書類にスイスイと万年筆を走らせている。本当のこの人は書類を見ているのだろうか? と、疑いたくなる速さである(でも、本当に見ているのだ)。

 二つのマグカップと、いつも使っているティーポットを用意する。ちなみに〝ティーカップ〟と呼べるような小洒落たものは、置いていない。ここは男の現場なのだ。ティーポットも急須と言い換えてもよさそうな、蚤の市で買った安い型である。

 しかし、そのときのカミュは、ふとこんなことを思った。ここに来てから、飲む種類もたくさん増えたなと。アルテミスの製薬会社にいたときは、コーヒーばかりだった。別に、コーヒーが好きというわけではない。あの会社で、コーヒーメーカーが支給されていたからだ。ただ、それだけなのだ。

 今のほうがそれで言えば、種類は豊富だった。紅茶、コーヒー、ココア、緑茶、ほうじ茶、マテ茶、ウーロン茶……etc。その全てが、常に取り揃えているというわけではない。どれか一つを買ってきて、飲み切るまでそれがあるというだけのこと。そんな理由もあってか、〝ティーポット〟というよりかは、〝急須〟のほうがしっくりくるのだ。

 それにしても、自分はそんな様々な飲み物を、ここに来て選択したのかと今更ながら驚く。昔はそこにそれがあったから、それだけの自分だった。変わったなと、もう一人の自分が心の中で呟く。

 だけどやはりその中でも、自分は紅茶が一番好きだな、と言う自分もいる。そんな、自分が望むままに行動できる今の自分が、カミュは心地良く感じていた。

「…………まだか? そろそろ注がないと、渋い紅茶になるんじゃないのか?」

「え……あっ!」

 ぼんやりと自分の思考に浸っていたカミュは、大事な今の自分の仕事を忘れてしまっていた。案の定紅茶は、渋さを主張するかのような、黒に一歩近づいた臙脂色だった。一口ためしに口に含むと、渋みばかりが口に残る。

「すみません、淹れ直します」

「あぁ、いらんいらん。渋い紅茶は嫌いじゃない」

 言いながらセイシェルは、よこせよこせと手をひらひらさせる。持っていくと、顔をしかめることもなく、まるでスポーツドリンクか何かのように、ごくごくと飲むセイシェルがいた。一体この人は、どういう味覚をしているんだ? と疑問に思いつつも、カミュは自分のマグカップを手に取る。口に残る渋さは、あまりにも渋すぎて、今の自分にはまだわからない。

 それでもカミュは一口ずつゆっくりと、記憶の中枢に残るようなその紅茶を、飲み干していった。



 了

 最初、セイシェルの一人称に迷いました。本編のほうでは、初めてジーンに会ったときの一人称は、〝私〟でした。ですが書いているうちに、たぶんカミュとの会話のときは、〝俺〟のほうなんじゃないのかなと思いまして。まぁその状況が、公としての自分なのか、私事としての自分なのか、という感覚によって変わってくるかなと。特に、高い地位にいる方は、そういうことが多いような気がしまして。

 という、一人称の変化? 使い分け? に関する後書きでした。

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